80日目(2)
80日目(2)
「また喧嘩してんのか、お前ら……つうか、お前」
互いにそっぽを向いたまま一言も会話しない、助手席の日香里と、後部座席の津衣菜。
高地は彼女達を見回すと、疲れた様な声で言った。
「俺の車に乗る度、誰かと喧嘩してねえか?」
「そんな事はない筈だけど。曽根木さんや北部の人達とは何もなかったでしょ」
「あの人らとまで喧嘩になってたら、凄えよ。むしろ尊敬してやる。これから津衣菜先輩って呼んでやる」
「やめてよ」
「こいつはともかく、こっちもこんだけ露骨になってんのは珍しいな」
彼は話の矛先を日香里に変える。
「なあ、そうじゃねえ? “みこさん”よ」
「その呼び方、やめて下さい」
馴れ馴れしい声で呼び掛ける高地に、小さくもきっぱりとした声で、日香里は言い返した。
「前にも言いましたよね。やめて下さいって」
「そうだっけか。でもお前、“みこさん”だろ?」
さっきの津衣菜とのやり取り同様に気色ばむ日香里だったが、高地は間髪入れず尋ねた。
「今は、そうじゃねえのかよ?」
「……」
日香里は黙り込む。
“みこさん”?
『巫女さん』だろうか。
高地が口にした日香里の呼び名に、津衣菜は内心疑問を抱いた。
さっきの日香里の言葉から見て、彼女の神様はどっちかと言うとキリスト教に近く、巫女なんてものと縁のある宗教には見えなかった。
魂の修行とか、仏教っぽい事も言っていたから、その辺はいい加減なのだろうか。
「見ての通り、俺は働きづめで疲れてんだ。車内では暴れんじゃねえぞ」
日香里の返答がないのを確認して、高地はそう言い、直後にこう追加した。
「向こうでも、誰も見てねえからって……勝手に殺し合ったりとかすんなよ」
「こっ……!? こ……こ」
高地の言葉に日香里が絶句する。
「殺す……って……そんな……」
ようやく口から言葉を発した彼女に、何でもない事の様に高地は言った。
「フロートは殺しても燃やしても、海に捨てても裁かれねえ。フロートには何の法律もねえ。フロートを縛るのは、コミュニティーのルールだけだ。今からお前らは、その監視の外に置かれる」
「……私達の……父が……見ています……」
さっきよりも小さい、消え入りそうな位の声で、日香里は言い返す。
彼女の言葉に、高地は笑いもしなかったが、一瞥もせず無表情のまま運転を続けていた。
「悪いんだけどよ、行く前にちっと仕事やらせろ」
高地はそう言いながら、明らかに海へ向かうのと違う道へ車を走らせていた。
何軒かのマンションやオフィスビル前で車を停めると、その中に入って行って、2、30分で出て来るのを繰り返す。
数度目に高地が車を停めた時、津衣菜は思わず、その目の前の建物を凝視していた。
その7階建ての茶色いビルは、地元の新聞社だった。
「もういっちょう」
10分足らずで戻って来た高地はそう呟くと、駅前方面へ向かい、市街地の端のオフィスビル前に停車する。
今度は車から降りず、車の前に見えるビルの玄関口をじっと見ていた。そこから誰かが出て来るのを待っている様子だった。
津衣菜はそのビルの窓や看板を少し眺める。弁護士や会計士、司法書士の事務所が複数入っている建物らしい。
やがて、玄関の自動ドアが開き、グレーのスーツを着た初老の男性が出て来た。
ビンゴ。そう一言言って高地は車を降り、男性へと駆け寄る。
男性は高地の姿を見ると、ぎょっとした表情を浮かべ、次にとても不快そうに顔を歪めた。
ただ、高地が生きた人間でない事には、気付いていない様子だ。以前から高地と面識があり、顔を歪めているのも別の理由によるものらしい。
微かに二人の声が聞こえる。
「黙っていても何も良い事なんてありませんよ。あなたがどう思うかだけで良いんですってば」
「君に言う事なんて何もない。何度も何度も同じ事言わせるな。帰れ」
「じゃあ、最後の最後に、裁判所でお話するってことなんですか。それって大損じゃないですかねえ。俺も何度も言いましたが」
押し問答を繰り返していたが、男性は早足で去って行ってしまった。高地も彼をそれ以上追う事はせず、車へと戻って来た。
「まあこんな所か。ダメだ……かなり入念に潰してんな。全国紙にも回んない訳だ」
ぶつぶつとそんな事を呟きながら車を走らせる。
車が出てから3分以上経って、思い出した様に高地は二人へ声をかけた。
「おお、俺の用は終わりだ。待たせたな」
「そう言やよ……お前、西高だったな」
車は、今度こそ沿岸部へ向かう県道に入り、向伏市を抜けて山中を走り続けていた。
十分近く無言でハンドルを握っていた高地が、ふと呟いてミラー越しに津衣菜を見る。
津衣菜はミラー越しに彼を見返した。
「そうだけど?」
「最近の事だから、お前も知らねえだろうけどよ……西高で、数人の生徒が学校と教育委員会相手に訴訟を起こしてんだ」
「は?」
「学校も教育委員会もグルになって、校内でのいじめや犯罪の揉み消しやってたってのを告発したんだってよ」
津衣菜は一言も発さず、ミラーを凝視していた。
後ろの気配の変化に気付いて、日香里も思わず横目で後部座席を一瞥する。
「教育委員の一人がそこの生徒とOBの母親で、旦那は『向坂グループ』次期会長だ。他にも色々なお偉いさんともコネを持っている……そいつが、校長も教育長もがっつり圧力かけて、そういうのが表に出ない様にしてる」
高地は津衣菜の目を見返すと、話を続ける。
彼の話した内容は、津衣菜も知っている事だった。西高生のほぼ全員が知っていただろう。
知らなければ、生きては行けない事だから。
「おまけに、そのおばさんと繋がる様にして、地元でデカイ顔している他の父兄も寄り集まって、ますます学校に根を張ってやがる。西高は今じゃ、そいつらのガキによる治外法権地帯だ」
それも知っている。
生き続けるのが嫌になる程に、知っている。
「校長の江田に原教育長……さっきのオヤジだ。そして……向坂千恵子教育委員、新生エレクトロ向伏支社長の松山隆文、江島総合病院院長の江島弘明、市会議員の大城孝雄。こいつらの名前は、聞いた事あるか?」
「……名字だけは」
出された名前は知らない。だが、向坂と松山、江島、大城という名字には聞き覚えがあった。
特に向坂という名字のクラスメートには。
あんたはどっちなんだよ、はっきりしなよ。
ああいうダメな奴ほっとくと、そいつの為にもならないよねー。
私らは私らのクオリティ上げなくちゃね。集団生活にはああいう事も必要なんだ。
しかしキモいよね。
この年で、西高の制服着てるのに、赤ちゃん言葉しか喋れないって。
――私らのせいじゃないよ。
あいつの努力が足りなくて、合わせられないのが悪いんだよ
「なるほどな。じゃあ、津山直人、安藤美香子、和田清、小川紗枝子は?」
「――え?」
続けて高地は別の名前を挙げた。
その最後に出て来た名前に、津衣菜は再び声を上げてしまう。
「何だ、知ってる奴でもいたか? そいつらが、訴訟を起こした生徒達だ。家族や大人のバックアップもあるだろうけどな、それでも無謀な喧嘩を始めたもんだ」
「無謀……?」
「普通よ、いじめの揉み消しで学校や教育委員会が訴えられるとか、こういう話って全国で報道されていただろ。だけど向伏のこの訴訟は、どこでもやってねえ……東京まで話が届いてねえんだ」
高地はそこで目つきを少し険しくした。少しでも、眉のない高地の面相では相当怖い顔になるが。
「それって凄いぜ。原告側が発信しても、ネットに上がっても、炎上する前に全部潰されたって事だからよ。実際、地元の新聞社や通信社の支局にまで、半端じゃない圧力が掛っていた」
凄まじい顔つきのまま、高地はぎょろりと津衣菜を睨んだ。
「無謀だって、お前は知ってんだろうが。無謀だと思わなかったら、戦っていたんじゃねえのか? こいつらみてえに」
高地は『死ななかったんじゃないのか』とは問わなかった。
しかし、津衣菜の脳裏に、考えたくない事がいくつも掠めては消えて行く。
それらのものを、高地の言葉を頭から追い出そうとしているうちに、幸いにして別の疑問を津衣菜は思い出した。
「それで……どうして、あなたがそんな事を調べてるの。私にも、フロートにも関係ない話だよね、それ」
「ああ? そりゃあ、稼ぐ為に決まってんだろうが。今のお前の電話代、どっから出てると思ってんだ。対策部がそんなもんまで出してくれると思ってたのかよ」
ある程度ネタが揃ったら、記事にして奴らの手が出せない媒体に載せる。そして、反響次第では書籍化してその印税も入って来る。
そういう収入が、向伏のフロートが生き延びる為の資金となっているんだというのが、高地の答えだった。
「お前よ、原告に知り合いいるんだったら、今度ちっとインタビュー取って来いよ。夜中にうらめしやーとか言って、そいつん家の窓ノックするやり方で構わねえから」
「……」
「冗談だよ」
車を走らせて一時間半ちょっと。
沿道に積み重なっていた雪が次第に少なくなり、最後には全く見当たらなくなっていた。
周りの景色は、延々と続いていた山々から、まばらな民家と畑の平野に移り変わっている。
「そろそろだぜ」
高地が二人にそう声をかけた時、前方遠くに広がる街の隙間から、オレンジに光る海が一瞬だけ見えた。
津衣菜は道の脇に立っていた案内標識を見る。
『ここより苗海市』
「日香里の話だと、海辺に無人の物置や小屋がいっぱいあるから、休憩場所には不足しねえってな。だろ?」
「あの……」
助手席の日香里は、返事の代わりに小声で呼びかけていた。
「何だよ」
「すみません。その……情報のあったフロートのいる場所って、詳しい事聞いていませんか?」
「いいや。苗海町の、海水浴場の先の岩壁沿いの廃墟としか聞いてねえ」
「私達もです」
「まあよ、それもお前らで調べろって事だろ」
「そうでしょうね……その廃墟って……」
「ああ。そういや、あの建物もあそこにあったんだな。あれの可能性もねえとは言えねえ」
「じゃあ、もしそうなら……あそこには……!」
日香里が少し大きくなった声で、高地に何か言いかける。
しかし、高地は彼女を一瞥すると首を横に振って答えた。
「お前の今思った様な事はねえよ。お前はきちんと全てを見て来て、覚えてる筈だ」
車は海岸道路へと出て、窓一面に紫の海原が広がって見えていた。
高地は、海を眺めながら静かに低い声で、日香里へ言った。
「“奇跡は、光の子だけだった”――だろ?」
日香里は打たれた様な表情で高地を見るが、やがてうつむいてしまう。
「“光の子”? あんた達、一体何の話を――」
「お前は、ちっとはニュース見とけ」
津衣菜は怪訝そうに尋ねたが、高地は呆れた声で一言、そう返すだけだった。
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