表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フローティア  作者: ゆらぎからす
6.光の子
37/150

80日目(1)

挿絵(By みてみん)

イラスト:くーね様




 80日目(1)



 窓からの空は、赤っぽい気持ちの悪い色でうねり、渦巻いていた。

 街やその向こうの山のあちこちから煙や火柱が上がり、時折、何かの爆発する音が地響きを伴って、津衣菜の席まで聞こえて来る。

「それじゃあ、教科書の53ページ、開いて」

 淡々と授業を進める教師の声。

 教科書のめくれる音。後ろでひそひそと交わされる会話も、他愛ない誰かの陰口。

 前の席の男子生徒は、音を立てずにゲームをしている。

 窓の外の光景をよそに、教室の中は平穏そのものだった。

 山の一角が空のねじれに巻き込まれる様に形を歪ませ、次の瞬間轟音と共に爆砕する。

 教壇側の扉から、教務主任がノックもなしに入って来た。

「いろいろ言う人はいるかと思うが、不用意な事を言ったり、何でもない事をいちいち騒ぎ立てたりしないように。平常心を持って行動するよう、心がけて下さい」

 それだけ言うと、今度は扉の音もないまま、教務主任の姿は消えていた。

 再びいつも通りの授業が続く。

 窓の外の状況は更に悪化していた。

 街を囲む山々は悉く空に押し潰され、地平線は地殻ごとめくれ上がってぐにゃぐにゃに歪んでいる。

 白く光った隕石の様な物体が無数に降り注ぎ、それが地表に激突する度に窓の外では閃光が走り、連続する轟音で教師の声は掻き消された。

 後ろの席の女子グループはまだお喋りを続けていたが、振り返って見ると、いつものへらへらした笑みは、その口元で引き攣っていた。彼女達の目は泳ぎ、顔を脂汗が流れ落ちる。

 その様子は、何人かの他の生徒にも共通して見られた。

 空からは隕石の他に、昆虫の羽根と鉤爪の手足、何本もの触手を持った異形の生物が次々と降下して来た。

 地平線のめくれは市内へ向かって拡大し、その上にあった建物も車も、道路も畑も川も、容赦なく宙へ弾き飛ばして行く。

「もう嫌だあっ!」

 一人の男子生徒が席を立って絶叫した。

 スピーカーからノイズ混じりの酷い音で、女の声が響く。

「ガ…ザザ……みだりに騒がず……ガガッ…な噂に流…ザ…ず……変な事を喋らない様に」

「やっぱりやべえだろ。何で逃げねえんだよ。どう見たって世界の終りでしょこれええ!?」

 クラスメート達は彼の声に反応し、一斉に席を立つ。だが、彼らが次にしたのは、その生徒に詰め寄って取り囲む事だった。

「馬鹿じゃないの。何がヤバいの? どうなるの? 言ってみなよ」

「何でもない事をそうやって騒ぐ人がいるから、真面目にやってる人が迷惑するってさっきも言ってたじゃない。その程度も出来ないなら一人で出てけば?」

「大騒ぎするなって決まったんだから、ちゃんと合わせろよ」

 十数人のクラスメートに窓際まで追い詰められた彼の姿が、突然消えた。

 窓の外に滞空していた翼竜に似た巨大な怪物が、長い顎で彼の胴体を咥えたままいずこかへ飛び去って行った。

 彼を追い詰めたクラスメート達が、何事もなかったかの様に各々の席へ戻りかけた時、怪物の一体が窓を突き破って教室内へ飛び込んで来た。

 5本以上の腕に1メートル近い指と爪、全身に眼球のあるそいつは、さっきの男子生徒の悪口を友人達と喋り始めていた女子生徒の一人を、長い爪で串刺しにし、その場で貪り喰い始める。

 その一部始終を見ていた隣席の女子は、全身に血を浴びながら尚も、怪物に向かってさっきの男子の陰口を続けようとしていた。

 自分が同じ様な手順で喰われる、その寸前まで。

 津衣菜はとうとうこらえ切れなくなって、目の前の光景を指差しながらゲラゲラ笑い出していた。

 怖くなんてない。最高に愉快な気分だった。

 教室内の怪物は3、4体に増えていて、次々と生徒達は喰われて行く。

 教壇の教師は、もう上半身がないままでブラブラと突っ立っている。胴体の千切れ目から断続的に鮮血を噴き出しながら。

「不用意な発言ザザ控えザザザ平常心を持っ―――」

 スピーカーの音声が途切れると同時に、黒板は壁ごと真っ二つに割れ、その向こうから隣の教室ではない、鱗に覆われた無数の眼球が現れる。

 それは柱の様に太い触手を何本も教室内へ突き出す。一瞬で数人の生徒が千切れ飛んだ。

 津衣菜は更に笑い転げ、机をバンバン叩いていた。

「ちょっと何笑ってんの。うるさ――」

 目の前の光景を無視しながら、あくまでも騒いでいる津衣菜を咎めようとした女子が、天井から伸びて来た触手に絡み取られ引き上げられた。

 頭上から爆発音がして、天井もガラガラと崩れ落ちる。その上から現れたのは、やはり無数の眼球の生えた海綿状の物質。

 その眼球が一斉に津衣菜を見た。

 床が歪み教室そのものが真っ二つに割れる瞬間、触手や鉤爪が四方から津衣菜へと向かう。

 席から投げ出されて宙を舞いながら、津衣菜は笑いの残る顔でじっとそれらを見返した。



 目を開くと、すぐ目の前に花紀の覗き込む顔。

「わっ」

 思わず声を立てると、彼女は笑った。

「ついにゃーお目覚めだねっ。おはよう」

「……どのくらい、眠っていた?」

「一ヶ月。何だかとても久しぶりなんだよぅ」

 花紀が答えながら顔を離したので、津衣菜は身を起こす。

 全身の動きがとてもぎこちない。以前山の中で凍った時を思い出す。

 この山の中の廃屋は、何もしなければ氷点下にまで気温が下がる。眠っている間、恐らくあの時みたいに凍っていたのだろう。

 津衣菜の傍らに座り続ける花紀の隣には、ガスヒーターが置かれていた。

 美玖と純太の件があってからすぐに、津衣菜はこの場所で、指示があるまで冬眠する事になっていた。

「うーん、まだカッチカチだね」

「やめれ」

 身を起こしたまま立ち上がれないでいる津衣菜に、花紀は抱きついて硬さを確かめるみたいに、強弱をつけながら触りまくる。

「遥さんが呼んでくれって」

「まあ、だから起こされたんだろうね」

 抱き付いたまま花紀は要件を伝える。津衣菜にとっても驚く事ではなかった。

「動ける様になったらすぐ行くよ」

「えー、もうちょっといようよ。花紀おねーさんはついにゃー分が非常に欠乏しとるのです」

 答える代わりに頭を撫でてやると、花紀は嬉しそうに笑った。

「ついにゃー、昔より優しくなったかな」

「そうかな」

「だって昔だったら、こんな時、仕事優先って言うか、凄くウザそうに花紀おねーさんから逃げちゃってたよ」

「今だってウザかったら振り払うよ。今は、たまたまだよ」

「えへへ、それでもいーや。それではついにゃーをもっと解凍しまーす。ぐにゃぐにゃにしちゃうからねえ」

「それはやだなあ」

 何となく、花紀には体温があるのだろうかと思ってしまった。普通に考えて、ないに決まっているが(冬山で自分と一緒に凍っていたし……)、温度を感じない津衣菜には彼女の身体が「冷たい」事さえ実感出来ない。

 こうして体をほぐしてもらっていると、彼女に体温がある様な気さえしてしまう。

「どんな夢、見てたの?」

 津衣菜の耳元に顔を寄せながら、ふいに花紀がそう訊いて来る。

「え?」

「ついにゃー、笑ってたよ」

「……忘れた」

「そっか」

 誤魔化しではなく、事実殆ど覚えていない。

 だが、僅かに覚えている部分も、花紀に話して聞かせる事ではないという気はしていた。

「今だけじゃなく」

「え?」

津衣菜(・・・)は、眠っている時の顔が一番幸せそうだよね」

 花紀は津衣菜の耳元から顔を離し、正面で向かい合う。

 相変わらずふんわりと笑っていたが、どこか寂しげな色の混じった笑顔だった。



苗海町(なえみちょう)って、海沿いの?」

「ああ。そこにね、集団生活しているフロートがいるらしいって情報があるんだ」

「それで」

「行って、調べて来てほしいって訳さ」

「はあ!?」

 呼ばれて行った先は、駅前にあるマンションの一室。高地の事務所兼住居だった。

 津衣菜と遥がいるのは玄関入ってすぐのリビングで、彼女達をここまで運んで来た高地は奥の部屋で何か作業中らしい。

 高地みたいな恰好をした海外のミュージシャンのタペストリーとかがある以外は、趣味の殆ど見当たらない、生活感もない空間だった。

 思わず素っ頓狂な声で聞き返す津衣菜だったが、当たり前の様な口調で遥は話を続ける。

「いいだろ? あっちは暖かいよ。氷点下にも滅多にならない」

「いや、ちょっと待って。そういう問題じゃない」

「何だい」

「調べるって……何をどうするんだ。私、そんな事やった事ない」

 慌てて津衣菜は言い返す。何よりもそれが一番の問題だった。

 今まで、他所の地域のフロートについて殆ど何の話も聞いていないし、ましてこの向伏のフロートが何らかの関わりを持ったなんて話は皆無だった。

「そうだね。まずは探して見つける。次に、距離を置いてどんな連中か確認する。対話出来そうな相手だったら、そこで接触を図って見る」

「そんなざっくり言われても」

「ざっくりでいいのさ」

 遥はあっさりと答え、少し考えて補足する。

「接触したら、彼らがどんな環境に置かれてて、どんな顔ぶれで、どんなコミュニティを構築しているのか――などを調べて、可能な様なら、私らと何らかの取引や連携が出来るか、その希望はあるかまでを確認してくりゃいい」

「何で私なんだ」

「まあ、そういうのはたかっちーが一番得意なんだけどね……ここに来るまであちこちでそういう事やってたらしいし」

「じゃあ」

「あいつ、こっちに情報寄越さないんだよ……まあ、あいつにとっちゃ仕事道具だからね。ほいほい渡せないってのもあるだろうけどさ」

「だからって、何でいきなり私なんだ」

「別に津衣菜だけじゃないさ。こういう事が出来る奴を増やしたいんだ。いずれは関東や東京、その西までも手を伸ばしたいけど、今はちっと荷が重い。苗海なら凍ったりもしないし……津衣菜の捜索もないしと思ったんだ」

「だからって私一人でそんな所に行っても」

 送られる理由が捜索避けでもあるという事は、薄々勘付いていた。「ほとぼりが冷めるまで外回って来い」という事だと思えば理解しやすい。

 津衣菜の懸念に、遥は首を横に振って答えた。

「あんた一人じゃないさ。ちゃんとパートナーはいる」

 怪訝な顔をする津衣菜をよそに、遥はリビングの奥へ手招きする。

 高地がいる部屋の向かいから日香里が出て来た。今まで読書中だったらしく、カバーの付いた本を片手に持っている。

「この子は、あっち出身だからね。向こうの地理には詳しい」

「あっち出身って……日香里が?」

「何だい、今まで知らなかったのかい。あまり詮索し合わないのがマナーつったって、もうちょっと会話しなよ」

「いや……というか……」

 津衣菜は気まずげに日香里をちらっと見る。日香里は津衣菜の視線に構わず、ソファーから離れたデッキチェアに座って、読書の続きを始めた。


「はるさん、その子が自殺だって分かっていて、ここへ連れて来たんですか」


 遥相手でも躊躇なく咎め、津衣菜への拒絶を露わにした声。

 長めの黒髪を一束に編み、眼鏡をかけた大人しめな雰囲気の少女。外見的には美也と似てもいたが空気が彼女とはどこか違っていた。

 松根日香里(まつねひかり)

 花紀にも頼りにされているっぽい彼女だが、今に至るまで、津衣菜と会話した事は殆どなかった。一言も発しない雪子と比べれば、簡単な情報伝達程度の会話はあったにせよ。

 鏡子や千尋の様に正面切って喧嘩を売って来る事もなかったが、津衣菜を嫌っている事は分かっていた。

「いや、ちょっと待って。向こうが地元なら、知人や家族に会ったりしそうで面倒じゃないのか」

 津衣菜がふと浮かんだ疑問を口にすると、遥は少し間を置いた後に首を横に振って答えた。

「それは大丈夫さ。会って面倒になる奴は――もういないから」

「――?」

 遥の言葉の意味はいまいち分からなかったが、それ以上聞いてはいけない話らしいのと、取りあえず大丈夫らしいという事だけは理解出来た。


 話が終わり、二人はそのまま苗海町へ送られる事になった。

 マンションの1階にある屋内駐車場、見慣れたエルグランドの前で高地が降りて来るのを待つ。

 必要な身支度などは特にないので、特に問題はなさそうだった。ただ、他の班員に何も言わないでまた長期間離れる事になる。

 長くても半月かそこらの予定だ。冬眠よりも短い。わざわざ挨拶が必要な事でもなさそうだったが、花紀に何も言わないままだったのが少し気にかかった。

 また寂しがるのかな、あの子。

 そんな事を思う自分に気付いて、少し違和感を覚える。

 自分にそんな事を心配する資格はない。

「あのさ」

 気分を変えようと、津衣菜は隣の日香里に声をかけた。無表情で見返す彼女へ訊いてみる。

「遥があちこち調べて、外の地域のフロートと繋がろうとしているのは……ひょっとして……『西へ行く』とかいうのの、準備なのかな?」


 西へ行く時は呼ぶかい?


 向伏を去る間際の梶川と純太へ、遥がした質問。

 頭の隅にずっと引っかかっていた。かつての曽根木の言葉とセットで。


 遥は僕らをどこへ連れて行こうとしているのか。


「……何ですか、それ?」

 日香里から返って来たのは、素っ気ないそんな一言。

 冷たい口調だったが、津衣菜相手だからという訳ではなく、本気で遥のあの言葉について何も知らない様子だった。

「知らなけりゃいい」

 津衣菜は話を打ち切った。彼女には、聞いておきたいもっと大事な事がある。

 少し間を置いて、津衣菜は再び口を開く。

「あんた、私が嫌いでしょ。それはまあいいんだけどさ……この際、はっきりさせとこうか」

 津衣菜と日香里の仲の悪さは、遥だって知らない筈はない。知っててこのペアなのは明らかだった。

 これから二人きりで、慣れない土地でやった事もない仕事をさせられるのだ。

 ある程度の意思疎通が必要になる。曖昧なままにさせておけない事もある。

「それは、私がシンクだと思って警戒しているから? それ以外の理由もあんの?」

 これは津衣菜への好き嫌いだけでなく、フロート、シンク、例の俗説について彼女がどんなスタンスを取っているかの確認でもある。

 そして、鏡子や千尋の様に、それぞれの思いからの津衣菜への反感もあり得た。そこを整理しなければ、この先、彼女にどう接するべきかかが見えて来ない。

「生きていた時から死人だった私が、フロートになって、どんなリスクをあんたらに持って来るか。それを恐れているの?」

「自殺なんてする人は…………地獄に落ちるんです」

「――え?」

 呟く様な小声で、だがきっぱりと日香里は答えた。

「この世は魂の修行の場です。各々に与えられた試練から背を向けて逃げ出す事は、殺生よりも許されない事です」

「ええ……ああ」

 日香里が生前、そして今も、どんな生き方をして来たか。この回答だけで津衣菜にも大体把握出来た。

 同時にカチンと来た。どんな答えでも受け入れるつもりでいたが、これだけは無理だった。

「許されないって……誰が許さないの?」

 反射的に言い返してしまう。

「我らの父であり王であり主である方です」

「あんたのパパ? 王様? 意味不明なんだけど……つうか、あんたが許さないってだけでしょ。神様のせいにすんのやめたら」

「そうです。私があなたを許せないんです。神は私に良い事と悪い事を示してくれたから」

 津衣菜は内心、少しだけ彼女を見直した。あっさりと自分の意思だと認め、自分の言葉で話せる様だと。しかし、言いたい事はまだある。

「へえ……それで、教わった事は役に立ったの? 良い事だけ選んで生きられる方法は教わったの? 良い人に囲まれて生きる事は出来たの? 死後、天国に行けたのかい?」

 最後の問いであからさまに日香里は気色ばんだ。口の端を歪めてキッと津衣菜を睨みつける。

「あんたのパパとママは、正しかったの?」

「……その言い草っ……取り消しなさいっ」

 静かな口調でだが、日香里はキレかけている。半ば予想していたが、盛大に地雷を踏んだらしい。

 しかし、津衣菜はそれで退く気はなかった。

「イヤよ。大体、私が生きようと死のうと、あんたの許しなんて元からいらないんだけど」

 冷たい声で日香里に言い放つ。

「神様だろうとあんただろうと、私の靴を履いて、私の道を歩いてもいない奴に、それについて何も言わせるつもりはないからね」

「……やはり、あなたは嫌いです。あまりにも尊大で、心に謙虚さがなさ過ぎます」

「クソ食らえよ」

 津衣菜は嘲笑う様に答えつつも、内心、少し途方に暮れてもいた。


 ――これからしばらく、よりによってこいつと二人きりなのか。







copyright ゆらぎからすin 小説家になろう

https://book1.adouzi.eu.org/n0786dq/37/

禁止私自转载、加工

禁止私自轉載、加工

無断複写・転載を禁止します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ