47日目(4)
47日目(4)
掻いた雪のうず高く盛られている所を壁に、曽根木と津衣菜、千尋、日香里の四人は、倉庫の様子を隠れ窺った。
車が通れる程度に除雪された駐車スペース、その先の建物側面には誰もいない。
梶川と純太は既に正面から突入していた。建物の中から小さく、新たな怒声が聞こえて来る。
津衣菜は、彼らが最初の三人を倒す間際を見ていた。彼女が見ても、本当にフロートなのかと思う程の鮮やかな動作だった。
「彼らは、目の前に現れた敵だけを片付けて、お姫様の元へ向かう……僕らでそうさせるんだ」
「でも、あいつらが目の前の奴にも負けてたら、意味なくなるっすよね」
「勝てるさ」
車の中でのやり取りを思い出す。鏡子の皮肉な物言いに曽根木はあっさりと答えていた。
彼の自信には、相応の根拠があったという事か。
4人は身を屈めながら建物へと接近する。幾分残った雪を更に寄せた場所や、車の轍で出来た凹凸の影に何枚もネズミ取りシートを敷いて行く。
シートの端には穴が開けられ、そこから紐が通されていた。彼女達は各自、紐を壁のパイプやワイヤーに結び付けて行く。
津衣菜が手元のシートを半分程敷いて顔を上げた時、立ち上がろうとしている千尋が視界に入った。
そして、その背後の窓で、シャベルを彼女の首へフルスイングしようとしている男の姿が。
「伏せろ!」
間一髪で屈んだ千尋の頭上を、シャベルが掠める。膝を曲げる勢いが強過ぎて、千尋はその場に尻餅をついていた。
「うひゃあ……」
津衣菜が視線を窓に移した時、もう男の姿はなかった。
「このっ」
「待つんだ、追うな!」
曽根木の制止を無視し、津衣菜は窓に飛び付くと内側へ身を躍らせる。
「―――――死角ぅッ!!」
まだ着地していない津衣菜へ、斜め後ろから声と共にシャベルが突き出された。
シャベルは首のギブスに刺さり、石膏が砕け散った。彼女は石膏の破片を散らしながら身体を翻し、並んだパレットラックの一つへ激突する。
身体を起こすよりも先に寒気を感じ、反射的に身をよじる。そこへ降り降ろされるシャベル。
シャベルは棚に当たり、耳障りな金属音を響かせる。
首の後ろに衝撃。またシャベルで突かれたらしい。津衣菜はラックとラックの間の床に転がった。
首に左手を当てると、首のギブスは完全に砕け、その下に巻き付けた金属プレートが露わとなっていた。
「ふん、補助標識か」
男は津衣菜の首に視線をやると、愉快げに笑った。
プレートも少し凹んでいた。そして、打突の威力でプレートに巻かれた首も、生者にはあり得ない奇妙な曲がり方をしていた。
「けっこう、らしくなったじゃないか……生きてるふりの上手いゾンビばかりで最近イライラしてたんだよ」
津衣菜の首に気付いたのか、男は笑顔で頷いた。
素早く立ち上がり、男へ突進しようと一歩を踏み出した時、足元を何かが滑って来た。男は彼女にステンレスの平台車を蹴り出していたのだ。
右の足首を弾かれ、ついた左足も取られ、津衣菜は再び転倒する。
「君らはワンパターンだからね。動き方も、襲ってくる方向や角度も、タイミングも」
津衣菜は倒れたまま男を見据え、下の棚にあった物を手当たりしだいに投げつけた。避けたりシャベルで打ち返したりしながら、男はゆっくり津衣菜へ近付く。
「こざかしい」
一言そう言うと、男は姿勢を低くして津衣菜へ突進した。
津衣菜は倒れた姿勢のまま床を蹴って身体を跳ね上げ、つんのめる様な態勢で二、三歩助走をつけてから棚奥の上へと飛び上がった。一旦棚の上に乗ると身体を捻り、今度は男へ向かって急降下する。
「だから、それもワンパターンなのっ」
男は津衣菜に視線も向けず、前を見たままシャベルだけを津衣菜へと振り上げる。よく砥がれたシャベルの刃先は、正確に津衣菜の顔面を狙っていた。
だが津衣菜は頭をそらしてシャベルを躱し、男の背後に着地していた。男が振り返るよりも早く、彼女が全身で振り向く。その左手に握られていた円筒を男へ向け、彼女はスイッチを押した。
不審者制圧用の強力なネットが、一瞬で男の全身に絡みついた。男は倒れながらもがくが、もがけばもがく程、網は男の動きを封じて行く。
「ぐ、がっ――――」
男が潰れた声を上げて沈黙する。窓から入って来ていた曽根木が、男の首にスタンガンを押し当てていた。
「直接相手しようとしない。不可避の場合もあるだろうけど、最小限にとどめてくれ」
「すみません。ついクセになってて……」
「今ので分かっただろう。いつものフロート狩りじゃない。アーマゲドンクラブの正会員……一線を退いているとは言え、フロート狩りの古参や生え抜きばかりだ。正面から一人倒すならこの全員でかかる必要があると思ってくれ」
津衣菜は頷く。二三人ずつとは言え、こんな奴らをちぎって行った梶川と純太の力量を思った。
男を倒したパレットラックの列の間でも、彼女達は所々シートを敷き、紐で繋いで行く。
外からの物音に彼女達が窓を覗くと、さっき敷いたネズミ捕りに一人引っかかってもがいていた。
身体中に張りつけたシートから紐で固定され、シートを剥がす事も紐を外す事も出来ず、その場に釘付けとなっている。
二人一組でラックの間を駆けている敵を見つけ、さっきの様にネットランチャーとスタンガンで片付けた。
シートとネットランチャーが足りなくなり、日香里が補充を取りに車へ戻った。
待っている間、並んだ棚の向こう側を眺める。
入口側のA区画を突破した梶川と純太が、彼女達のいたB区画に現れ、待ち構えていたアーマゲドンクラブのメンバー数人と戦闘に入っているのが見えた。
彼らの戦っている場所は、区画の中心にあたる幅広く開けたスペースだった。その両脇に津衣菜達が隠れている場所を含め、パレットラックの並ぶエリアという構造になっている。
「――――!」
津衣菜は凝視する。二人が通過したB区画入口付近から、音もなく背広姿の大柄な男が現れ、二人の背中へ拳銃を向けていた。戦い続けている二人は少しも気付く様子はない。
背広の男は明らかに、こちら側から来たアーマゲドンクラブの援軍ではなかった。
その場でで発砲するつもりはないのか、構えたまま二人との距離を詰めている。確実に頭へ当てられるまで。
「ヤバいっすよ……もう、彼らの影とか言ってられる状況じゃ……」
千尋も気付いたのか、男を凝視しながら震える声で呟いた。
津衣菜が彼らへの乱入を決めかけた時、どこからともなく、何か滑る様な音が響いて来た。
音はみるみる間に大きくなり、方角が特定できる程、はっきりしたものになる。
天井のレールを車が滑る音。背広の男へと迫っていた。
音に気付いて見上げた男の顔が引き攣ったのと、ロープで吊り下がった雪子が横合いから男の両手に噛みついたのはほぼ同時だった。
両手首の先を丸ごと雪子の顎に挟まれた男は、そのまま宙に浮かび、遠ざかるレールの音と共にいずこかへと消えて行った。
「……?」
純太が背後を振り返ったが、そこにはもう誰もいない。
「何やってんすか……姉さんたち。ちょっと、雪子で遊び過ぎ……」
「楽しそうだね」
一部始終を見ていた千尋の非難に、曽根木が淡々としたコメントを返した。
津衣菜達は間仕切りのドアから、B区画を出て最奥のC区画へと入った。
純太達はまだB区画で戦い続けていた。A区画より時間がかかっている様に見える。
「先回りして、彼女と彼らの退路を作ろう。石村達については……諦めるんだ。刑事事件にはならないだろうし、大したダメージも与えられまい。今日はアーマゲドンクラブ最後の日じゃなかったのさ」
曽根木が念を押す様に言う。少女達に異存はなかった。
C区画は、仕切り板とベルトコンベアで迷路の様だった。見取り図などの事前情報を何も持っていなかった津衣菜達は何度も行き止まりにぶつかりながら、倉庫の奥へと進んで行く。
隠れている石村達の援軍は、ここでは一人も見られなかった。
後は、石村達と――美玖だけ。
間仕切りの一つを調べていた時、角で一人歩いていた鏡子を発見した。
「花紀達の居場所が分からなくなったんだ……どこかで見ませんでしたか?」
鏡子は、ここで日香里がやっていたのと同じく、ネットランチャーやネズミ捕りの補充役として車と花紀達とを往復していた。
曽根木が首を横に振る。その横から千尋が顔を出し、不機嫌そうに鏡子を睨む。
「鏡子さん、花紀姉さんに強く言っといて下さい。雪子で遊ばないでって」
「ああ、あれな……これ、曽根木さんの振り分け、まずったと思いますよ」
「ん、そうかな?」
「バランス悪過ぎます。向こう、花紀と雪子と梨乃ですよ。美也が多少マトモですけどストッパーとしちゃ心許ないし……ああなると、あたしもツッコミ切れない……さっきも戻ってみたら得体の知れない作戦会議開いてましたし」
「でもまあ、数は順調に削ってたんだろ? さっきのだって銃持ち一名潰したんだ」
「ん、まあ、そうですけど……大体7人位トラップ引っ掛けましたかね」
「僕ら以上じゃないか、大したものだ……そうそう、遥から連絡が入っていたよ」
「ハルさんから? 一体、何を……?」
鏡子だけでなく、津衣菜、千尋、日香里も曽根木を注視した。曽根木は少し困った様な顔で、眼鏡をいじりながら返答する。
「ん……何か……スネてた」
「へっ……?」
鏡子は思わず言葉に詰まる。
「すね……遥さんがっすか?」
「どういうことですか?」
「僕もよく分からない……あんな彼女は初めてだ。ただ、自分が僕の役割やりたかったらしいのは確かだね」
「曽根木さんの役割ですか? それおかしくないですか? だって遥は……」
「しいっ」
口に指を当てて、曽根木は津衣菜の問いを遮った。微かに話し声が聞こえる。
少女達は耳を澄ましながら、仕切り板に沿ってゆっくり移動する。声のより聞こえる方へと。
「もうすぐB区画が破られるだと……今何人行ってる……もう三人だけ? 少ないよ、一体何やってんだ」
間仕切りは柱で途切れていて、話し声はその裏から聞こえていた。
「ゾンビが二体しか来ないって言うから、嬲り殺し確定の筈だったのに……本当に二体しかいなかったのか?」
「知らねえな。さっき、外で網だのネズミ捕りだのまみれで転がってる奴見たけど」
「でも、見た感じ、あいつらはあいつらで結構強いですよ」
高地と同じかそれ以上にドスの利いた低い声。
「素早いし、器用だし、あれ本当にゾンビかよって初め思ったけど、確かに普通の人間にしちゃ力のリミッター外れてんよな……そして鈍い所は鈍い」
「くせのある動きすよね……だから読み易くもあんですが」
「おう、俺らなら何て事ねえべ……頭潰せば終わりなんだろ?」
深いため息の音。動画で聞いた時よりも余裕のない声で、石村は周囲のヤクザ達に言い放つ。
「ならいい。皆さんでさっさとブチ殺しちゃいましょう。その後、あのビッチ好きにしていいですから」
「好きにしてって、何だよ。脅し文句通りに、犯って殺して埋めろってか……馬鹿じゃねえの」
「確かに俺達は何でもやるさ。だが、そりゃ上からそうしろって命令された時だ。海老名先生ならまだしもあんたの許可じゃな、そんな橋渡れねえよ」
「安心しろよ。あんたの事よろしくとは、きっちり言われてんだ。あんたが余計な褒美用意しなくたって、ちゃんと仕事してやるって」
「あーあ、舐められっぱなしだねえ……まあフロート狩りなんて、上も下もあんな奴しかいねえか」
潜めた声でだが鏡子が嘲る。
「だが甘く見るな。石村はあれでもアーマゲドンクラブ支部長だ。精鋭中の精鋭、アーマゲドンクラブ会員の中でも更に抜きん出ている。僕も奴の攻撃を見た事はある――下手したら、一対一ならユキノリと互角……ジュンタでも勝てない」
「じゃあ、まずくないっすか? 向こうは数人です――勝ち目はあるんですか。僕らは彼らのサポートしかしないんでしょう」
慌てた様に囁く千尋にも曽根木は答える。
「だから、勝とうとするなって事さ……彼女を連れて、逃げればいいんだ。彼らだって分かっている筈だ」
「本当に、分かっていますかね」
津衣菜がそう聞いた時、派手な音を立てて間仕切りのドアの一つが吹き飛んだ。
全員で柱から窺う。男達の背中の向こうに梶川と純太が立っていた。
筋肉質な背中に混じって、やや細身の石村のコートの背中も見える。美玖の姿は、覗ける範囲には見えなかった。
「どうもここから奥の非常口っていうのが、一番良い退路の様だね――彼女がここにいればだが」
梶川も純太もボロボロだった。衣服もそうだが顔も、服の破れ目から露出した手足も切り傷だらけだ。
梶川の左腕がだらんと垂れ下がっている。骨が折れたのだろう。どんな些細な骨折であろうと、フロートに折れた骨が繋がる日は来ない。
二人の様子を見て、石村の声に自信と笑いが戻って来た。
「残念だったね。あと一歩なのに」
ヤクザの一人が津衣菜達から見えない位置へ行き、そこから何かを引きずって戻って来た。
椅子に縛られたままの美玖だった。その横顔は彼女達からもはっきり見えた。
美玖の頬は赤く腫れていた。抵抗して一度二度殴られたのだろう。今では彼女も連中を支援グループだと思っていないのは明らかだ。
美玖は純太を見ると、タオルで塞がれた口で喉から叫ぶ。
「うるせえ!」
ヤクザの一人が美玖の腹に蹴りを入れる。
「てめえ!」
一歩踏み出そうとした純太は梶川に制止された。純太も我に返った様子で目の前を見据える。
彼らの前に四つの銃口が並んでいた。その内の一つが移動し、美玖の頭に狙いを付ける。
「この威力は分かるだろ? 銃ってのはただ穴を開けるんじゃない。中で肉でも内臓でもミキサーみたいにぐちゃぐちゃにしてから後ろへ抜けるんだ……君達が大人しくしていたら、美玖ちゃんは最後にしてやる。最初は手だ」
「――大人しくした方がいいのは、おたくらだと思うが」
美玖の様子を見ても表情を変えなかった梶川が、初めて口を開いた。
誰一人、何がとは聞かなかった。
梶川の右手に緑色の手榴弾が1個握られていた。安全ピンには純太の左手の指がかかっている。
「その弾が俺とユキノリさんのどこに当たっても、ピン位抜けるぜ」
「はったりだ! ど……どうせオモチャなんだろ、ええ?」
「試すか?」
引き攣った顔で無理に笑いながら訊ねた石村に、梶川は静かに聞き返す。
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