47日目(3)
47日目(3)
「あいつらはもう一線を越えている。私らにはとっくにだけど――今度は生者の世界でもさすがに見逃しちゃもらえない」
トンネル内に響く音で手を叩いてから、遥はその場の全員を見渡して口を開いた。
「だけど、それが平気な奴らなんだ。石村と一緒にいる連中がどこの誰かは分からない。県外から来た、アーマゲ本部や海老名と繋がってるその筋の人って程度は見当つくけどね」
負傷兵の様な少年達は、梶川の後ろに戻って控えている。
美也や千尋は遥を凝視した。このタイミングで話をまとめる彼女の結論がどんなものか、予感を抱いているのだろう。
「この辺のフロート狩り相手と同じ調子でやってたら、足をすくわれて大変な事になる」
遥はそこで一旦言葉を切り、数秒黙った後、口の端に薄く笑みを浮かべた。
「でも、これは私らの好機だよ。誰も出ないで警察に電話すれば良い。それだけで、向伏のアーマゲドンクラブは壊滅する。本部だって無傷じゃいられないだろうさ」
「そんな事言ってた奴いたけど、そんなもの当てになんの? ヤー公は刑務所上等かもしれないけど、捕まらない確信があって石村は大きく出てるんじゃないのか」
少年の一人が怪訝な声で尋ねると、遥は笑顔のままで答えた。
「石村が予告通りの事をしていたなら、海老名でももう揉み消せないさ。ヤクザはともかく、ネットも防犯カメラもあいつの足跡だらけ。女の子の死体でも出て来た日にゃ、もう逃げられはしない」
「はるさんっ!」
日香里が悲鳴の様な声を上げた。美也も強張った表情を浮かべている。
遥の言う好機とは、石村の脅迫を無視し警察を呼んだ結果――美玖の死を前提にしたプランだった。
「マジっすか……遥さん、ありえねえ……見損なったっすよ」
「これは緊急会議の決定だ。ついてけないって言うなら、去っても追いはしないよ。千尋、ここがどこで私らが何者なのか忘れちゃいけない――ここは死者の国なんだ。生者が生者を傷付け、奪い、犯し、殺す。そのやり取りに万難を排して関わる謂われはない」
「この世に浮かび上がった死者の国じゃなかったんですか……私たちは、生者と寄り添って存在しているんですよ」
「寄り添って? そりゃ初耳だね、日香里さんよ。あんたの家の教えかい? あんたもだ。ここ以外にも行く所はあるだろうさ――生者に優しいコミュニティを探すと良い」
遥と少女達のやり取りへ水を差す様に、厳しい声を張ったのは曽根木だった。
彼の声を聞いた信梁班の少年達は、梶川や純太も、音を立てて姿勢を正した。
「解散だ。各自拠点で待機し、指示あるまで外出禁止――特に、無断で河北倉庫へ向かった者は、追放とする」
遥は既に踵を返し、トンネル内を出口に向かって歩き出していた。彼女の後を追う様に、他の大人のフロート達もばらばらに出口へと向かう。
「曽根木さん」
背後からの声に曽根木が振り返る。梶川と純太が彼に向かって一礼した。
「ご迷惑、おかけしました」
「――すいませんっした」
「……また後でな、連絡くれよ…………じゃあ、君達も送ろう。準備してくれ」
二人に返事した後、曽根木は少女達に向き直ると、沈んだ空気の彼女達にそう声をかける。
二列目の座席で、津衣菜は横目で窓を見ながら考えをまとめていた。
遥や何とか会議の決定なんてどうでも良かった。元より、信梁の少年達の選択になど何の期待もしていなかった。
今は助手席にいる花紀のふわふわの後ろ髪が、窓に微かに写っている。
彼女は決して、今回の決定に従わないだろう。たとえ一人でも美玖を救出に行くだろう。
津衣菜の選択肢は一つだけだった。決して置いて行かれない。花紀の傍らで、彼女の望む事を共にする。
津衣菜が考えている事は躊躇ではなく、いつ、どのタイミングで動くかだけだった。
「“死者の国”か……」
ふいにハンドルを握っている曽根木が独り言のように呟いた。
「彼らも、君らも、すっかり遥の言葉に染まったよな」
津衣菜は、視線を曽根木へ走らせた。ミラー越しにやはり彼を注視したらしい後部席の鏡子と目が合ってしまい、向こうから睨まれた。
「染まっている……んですか?」
「染まったよ。君らが何か考える時、それを口にする回数は明らかに増えている」
津衣菜は彼への問いを口に出していた。運転しながらの曽根木は、ミラーから背後の視線を見返して答える。
「そう口にする時、君らはイメージしているんだろう。ある日突然死者の国にめり込んだこの世を。あるいは生者の世界に浮上したこの世界を。そして……そのイメージは更に君達の間で浸透して行く」
「それって、間違ってるんすか――前、高地さんも何かハルさんに切れてましたけど」
鏡子が聞いた。
「僕はいつだって意識している。それはただの妄想だって」
曽根木は短くそう答えた。
「君達は彼女に反発する時でさえ、彼女の世界に則っている。彼女は、それを確かめたいからこそ、色々な演技をしているのかもね」
「演技……遥は、演技をしているんですか」
「ああ。さっきの彼女だって、100%本気じゃなかったさ――まあ、それはいつもだけどね」
気が付くと、千尋や美也までも、曽根木と津衣菜や鏡子との会話を注目していた。
「遥は言っていた……求められているのは事実じゃない。今、みんなで持って行ける答えだって」
「うん。そういう所がある。そこに彼女の真実があるんだろうね。その為には虚構だってばら撒く――ある意味、指導者としては最低最悪なんだよ。彼女は」
「いつもだったら、ハルさんの事そんな風に言ってるの聞いたら、ムカついてる所っすけど、今日はさすがに……そうかもとしか思えなかったっすよ」
「どこへ持って行くんだって聞いたら、答えませんでしたけど」
鏡子と津衣菜がそれぞれ言うと、曽根木は苦笑する。彼の予想通りの反応、何度も見て来た反応だったのだろう。
津衣菜だけが聞いた、「彼女がフロートになった日」の事は言わないでおいた。
「最近ね、長年の僕の疑問に答えが見えて来たんだ」
「え?」
津衣菜は声を上げる。病院帰りの車の中での会話、曽根木の疑問が何なのかは覚えていた。
「遥は、僕らをどこへ連れて行こうとしているのかって……ヒントになったのは君らや彼らの変化さ」
「私たちの変化。その……死者の世界とか遥の受け売りで喋ってる事、ですか?」
津衣菜の問いに、曽根木は小さく頷く。
「勿論、その他にも今まで色々調べたよ。高地くんと関東から東京、神奈川まで行って、そこのフロートの間に“沈下の日”の噂がどれだけ出回ってるのか、裏を取った事もあった。彼女がどんな“事実”に注意を向けているのか調べた事もあった――そこからの答えもあるけどね」
「で、どこだったんですか?」
「憶測だよ。だから言えない」
勢い付けて聞いたのは鏡子だった。曽根木は首を傾げながら彼女を見返し、そう言った後で付け加えた。
「ただ、僕もね、半分くらい彼女の考えは正しいんじゃないかって思っている。それはきっと、彼女のやり方の評価に関係なく、近い未来の僕らに必要な場所なんだ」
「謎が多いっすね――あたしらに、何が必要なんすか?」
遥とも似ている、思わせぶりで大事な事は教えない言い方に苛立ったのか、鏡子の声が低く、皮肉めいたものになった。
自殺した少女、殺された少女、病死した少女、心中した少女、生者としての未来を失った無数の赤い目が曽根木に集中した。
私達に、どんな未来があるというのか。私達の未来に必要なものとは何だ。
「言うだけ言って隠し事ばかりじゃ、そりゃ腹立つかな。済まないね」
それを受け止める彼の眼鏡の中の双眸も、微かに赤く色づいている。
「そうだな……未来についてだけ、僕の結論を話そうか」
以前も少しだけ思ったが、曽根木はどこか信梁のリーダー、梶川と雰囲気が似ていた。
年は15~6位は離れていただろうが。
「極端な言い方をすればだが――この国の生者の世界と死者の世界は、近いうちに逆転する」
言葉を慎重に選ぶように間を置いて、曽根木はそう言った。
「もう一度言う。今は、これ以上は話せない……理由も、憶測だからとしか言えない」
少女達が何かを言う前に、彼は畳みかける様にそう釘を刺したが、しばらく間を置いてもう一言だけ言う。
「ただ、フロート達のこの状態はいつまでも続くものではないし、彼女は今の僕らに必要だったと気付いたのさ」
津衣菜も鏡子もそれ以上何も言わなかった。他の少女達も押し黙っていた。
憶測だが、極論だが、そんな前置きを差し引いても、彼の語った「フロートの未来」は衝撃が強過ぎて――そして、意味不明過ぎた。
この世とあの世が逆転するから。
だから、遥は私達を騙しながらでもどこかへ連れて行くのか。
だから、私達には「生者の世界に浮かんで来た死者」という自覚が必要なのか。
要点を並べてみても、分かり易い話は何一つ見えて来ない。
「だが、それはそれ、これはこれだ」
そう言って曽根木はふいにハンドルを切り、路肩へ車を停めた。
「どうせ遥も考えているだろうけど、何でもかんでも彼女に主導権握らせとくつもりはない。彼らは――僕について来ていたんだからね。あの子達を編成して色々な事を教えたのも、危険な役目や重責を押し付けてしまったのも、僕だったんだ」
津衣菜は目を瞬かせた。鏡子や千尋も、ぽかんとした顔で前を向いたままの曽根木を凝視している。
彼に確かな反応を見せたのは、何故か今まで沈黙していた花紀だった。
「曽根木さん……曽根木さんも、気付いていたんですか?」
「ユキノリやジュンタの事だよ。僕よりも気付ける奴なんて、ここにはいないさ」
花紀へ顔を向けると、曽根木は頷きながら言った。
「ここから行き先変更だ。こんな寒い中済まないけど、君たちにも手伝ってもらう」
「行き先変更って……どこすか?」
鏡子が尋ねると、曽根木は少し困った顔を浮かべて言った。
「分からないかな――河北倉庫だよ」
河北倉庫は、市北部、栗根山の入口にある数百平方メートルほどの広さのレンタル倉庫だった。
周囲は空き地と畑。そして倉庫の裏手に山林。その全ては積雪で真っ白に染まっていた。
倉庫前にも広いトラックスペースが前に広がっていて、倉庫内に人がいた場合、見つからない様に車で接近するのは、ほぼ不可能だった。
上り方向へ二百メートル以上離れた位置に停車し、双眼鏡で倉庫を覗きながら鏡子は言う。
「車でそのまま突っ込めばいいんじゃないっすか」
鏡子の提案に曽根木は首を横に振った。
「さっきも言った通り、そんなのが通用する相手じゃない。フロート狩りは表の社会の揉め事を嫌う。ヤクザだって色々だけど、今倉庫の中にいる連中は多分違う」
少し間を置いて、更に付け足す。
「そして、一線退いているけどフロート狩りの元祖、アーマゲドンクラブの正構成員がそれに加わっている筈だ。奴らの戦力も侮ってはいけない――そして」
曽根木は、今度は長く黙った。
「連中と戦って彼女を救い出すのは……僕らじゃない」
「それで、これの出番か……よくありましたね、こんなの」
津衣菜はさっき北部班の見覚えある男性達から受け取った段ボール箱から、円筒を一本取り出して言った。
先端の広がったその円筒は、スイッチで網が飛び出す、不審者制圧用のネットランチャーだった。
「最近使わないけど、去年まではフロート狩りを押さえると言えばこれだったんだよ……あと、下のネズミ捕りシートは触る時に気を付けてね」
「前もってって訳には行かないっすね……始まってからのどさくさっすか」
「うん。基本的に余計な戦闘はしない。隠れてる奴から順に、こっそり動けなくして戦力削って行く。僕らがするのはそれだけ」
「来ればの話っすけどねえ」
「――来るよっ」
「来るよ」
鏡子の気のない一言に、花紀と曽根木が同時に答えた。
「まあ夢見るばかりじゃなくて、もしもの時は勿論、やっぱりあたしらで――」
「そうじゃなくて……来たよ」
曽根木は冷静な声で、少し力を入れて言い直す。
車と反対側、下り方向から道路の雪を踏みしめて登って来る二つの影が小さく見えた。
手には鉄パイプ。白い吐息のないのが奇異に映るかもしれないが、それ以外はどこにでもいそうな、長身の少年達に見えた。
「まじで……来たのか……」
津衣菜の耳にそんな声が聞こえたが、それが自分の呟きだと気付くのに少しかかった。
除雪されたトラックスペースに足を踏み入れて数歩の所で、二人の少年は武器を振り上げて駆け出した。
それと同時に倉庫の陰から数人の男が飛び出し、突進する梶川と純太へ向かって行く。
「うおらああああああああああっ!」
「このやっらああああああああ!」
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
重なる怒号は、車まで響いて来る。
「行くよ。花紀さんたちは山斜面から倉庫裏へ。僕らは近隣民家を経由して倉庫右側面へ。鏡子さんと梨乃さんはアイテム補充よろしく」
雪原の中、曽根木の号令と共に、車内から少女達の姿は掻き消えていた。
copyright ゆらぎからすin 小説家になろう
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