41日目
41日目
「ジュンタは会わせない。女の子は帰せ。そう伝えた筈なんだけど、どこで話が食い違ったんだろうね……君らが絡むといつもこんな感じだ」
嫌味な仕草で眼鏡を上げながら、フロートの少年グループ「信梁班」のリーダー、梶川は言う。
そんな彼に鏡子が、挑む様な視線と共に言い返す。
「ここにはあたしらしか来ていない。今隠しておく事はないだろ」
「ジュンタならそこにいるだろう。気付かなかったのか?」
梶川は津衣菜を――正確には津衣菜の傍らを――指差した。
少女達の視線がそこに集まり、少し遅れて津衣菜が身体の向きを変えると、彼女に鉄パイプを向けていた少年が無表情で見返して来た。
何度も目にした事はある、黒のニットキャップと伸びた髪。美玖の探している「浅葱純太」で間違いなかった。
「とっれえーな。こんなんで実力行使セクション入る気だったのかよ」
純太は津衣菜を一瞥すると、小馬鹿にした声を上げる。
続けて彼は、他の少女達を見渡して少し大きめの声で言った。
「直接俺が言わねえと分かんねえのか? 俺は美玖には会わねーっつってんだろが」
どうやら梶川の決定に純太が従っているという構図ではない様だった。
「僕だってまず彼に聞いたよ。『どうする?』と。そして答えを聞いて、『それでいいのか?』と。その上での決定だ」
芝居がかった動作で梶川は肩をすくめる。遥の前へ彼らが報告に来た時は、もっと素直と言うか生真面目な印象があったと津衣菜は思ったが、想像していた以上に嫌味で尊大な人物だった様だ。
遥や他の班はともかく、明らかに彼女達の事は下に見ていた。そして見下した相手には露骨に態度を変える。
高身長でスポーツも得意そうな、そして勉強も出来る、家柄も良くて政治力やリーダシップもある、そういう完璧人間そうな外見。こんな境遇にでもならなければ、エリートコース邁進してただろう事が想像出来る。
津衣菜は何となくデジャブを覚えた。学校にこういう奴が――こういう奴らの――グループがあった。
それはそれとして、本人が会いたくないとはっきり言ってる以上、やっぱりこの話はさっさと切り上げた方がいい。津衣菜はそう思いつつ口を開いた。
「まあ、私は別にどうでもいいんだけどさ――」
「――よくないよっ!」
言いかけた津衣菜の言葉は、花紀の大声に遮られた。
「じゅんじゅんは、みくにゃんに会いたくないんですか?」
――じゅんじゅん? みくにゃん?
純太はともかく、何故会った事もない美玖の呼び方までそんななのか。花紀にそういう疑問を持つ事自体が無駄だと分かっていても、ツッコまずにはいられない。
津衣菜の心の中のツッコミをよそに、沈黙したままの純太に花紀は言葉を続けた。
「みくにゃんがどうして何年もじゅんじゅん探して、ここまで来たか、わかるよね? どんな気持ちでいたか、じゅんじゅんに何を伝えに来たかわかるよね? 本当に聞きたくないかな? 本当に顔も見たくないかな?」
「……そうだつってんだろ」
「嘘だね」
吐き捨てる様に即答した純太へ、花紀は畳み掛ける様に返しその目を覗き込む。
純太は言葉も出せずに顔を強張らせる。
「――!」
「これ以上、うちの班員いじめないでもらおうか。何が不満なのか知らんが、揃いも揃ってやる事が幼稚過ぎる」
梶川が静かな口調で花紀に水を差した。
「どうして会えないのか、君なら分かるだろう――環」
そう言えば花紀の名字って環だったな、そう思う程に聞き慣れない呼び方だった。津衣菜は、花紀を名字で呼ぶフロートを初めて見たかもしれない。
「君は、君の好きな人達とやらがここへ来たら、会ってやれるのか?」
花紀の表情が変わった。
「あ……」
梶川の言葉に、花紀は珍しい程に狼狽の表情を浮かべていた。短く声を上げて純太の顔を見直す。
純太は固い表情で花紀を見返すが、すぐに少し俯いて視線を彼女からそらした。
彼女の様子に、津衣菜も漠然と不思議に思っていた事を思い出す。
何故、花紀はここへ来たのか。
彼女は周囲の人間にとても大事にされ愛されて来たという。そして彼女自身も彼らを愛し、「いつか帰りたい」と言っている。
ならば何故、自分が一度死に、フロートとなって甦ったと知った時、彼らのもとを去ったのか。
花紀の言葉が全て本当なら、彼女は彼らのもとに留まったんじゃないのか。結果はどうあれ、彼らに受け入れて貰おうとし、彼らと共にこの世へ帰ろうとするんじゃないのか。
しかし、今片付けなくちゃならないのは美玖と純太の件だ。黙ったままの花紀に代わって、津衣菜は再び口を開いた。
「話戻すけど、私は追い返すなら追い返すで、全然構わないと思ってる……だけど、あの子を見つけた者としてこれだけは言っておく」
梶川は視線を花紀から津衣菜に移した。
「彼が直接会って、帰れって言ってやらないと、多分あの子は何度も来るよ」
「分かった、僕もそんな気がしていた所だ。それは検討しよう……ジュンタ、それでもいいか?」
「はい……ユキノリさんがそう言うならやるっす」
純太は感情の見えない声でそう返事した。梶川には従順な様子だった。
「森津衣菜……だっけか? 君も他人の事にかまけてる場合じゃないだろ。今月に入ってから警察が、かなり力を入れて君を探している。こういうのは万一の時、君だけの問題で終わらないんだ。気を付けてくれよ」
梶川は津衣菜に視線を向けたまま、そんな事を言った。
美玖と純太の面会は早速話がまとまり、翌朝に会う様にセッティングされた。ちょうど彼女の今回の向伏滞在が最終日だった事もあった。
連絡を受けてやって来た美玖と津衣菜達が、早朝の向羽川河原で待ち合わせ、更に純太達と待ち合わせている信梁河川公園へ向かう。
「一人ではやれない。彼女はまだバスターズと切れていない可能性もある。信用は出来ない」
梶川ほか複数のフロートの少年達と共に佇む純太の姿を認めるやいなや、美玖は駆け出していた。
津衣菜達はその後を追う事はせず、物陰で待機する。純太と同行した少年達もいつの間にか消えていた。
「純太くん……純太くんっ!」
彼女のそんな声が一度響いて、後の会話は津衣菜達にも聞こえなかった。耳を澄ませて、生者以上の聴力を発揮すれば聞き取れたかもしれないが、そんな事をするつもりもなかった。
「何しに来た。とっとと帰れ」
純太の張り上げるそんな声が唐突に聞こえた。
「でも、聞いて純太くん、私ね」
それに伴って少し大きめの美玖の声も聞こえた。
「知らねえ。お前の話なんて聞かない。俺を何だと思ってんだ……俺は、死体だ」
「俺に二度と近付くな、関わるな。酔座に帰れ。俺への話は帰って……俺の墓にしてくれ」
静まり返った所で顔を覗かせると、純太の姿は既になく、その場に立ちつくす美玖の背中だけがあった。
「私、また来ます……たとえ、純太くんが会ってくれなくても」
駅へ向かう道すがら、別れる前に美玖はそう強い声で言った。
「だって、純太くんはここにいるって分かったんですから。まだお別れじゃないんです」
津衣菜は何も言わなかった。
花紀や鏡子が美玖の事を知っていたのは、美玖があの後も向伏市市内で他のフロートを捕まえては聞き込みしていたからだった。彼女のフロートを見つけ出す技術は、フロート狩りの連中直伝だった。
フロートを捕まえて純太の事を聞いて回っている生者の少女がいる。そんな異常事態はあっという間に情報が広がり、その時当番だった花紀と鏡子にも伝わった。
津衣菜が起きた時点で、二人は既に美玖本人とも会って色々話を聞いていたという。
遥も一応情報統制しようと思ったが、とても間に合いそうにないので止めたらしい。
「花紀」
「んっ?」
美玖と別れてしばらく経った頃、津衣菜は前を歩く花紀に呼びかけた。
「話が違うでしょ。何であの子にあんな事言ったの」
花紀は別れ際、美玖に「諦めないでね、みくにゃん。何度もアピールすればじゅんじゅんだってきっと考え直すよ。花紀お姉さんだってみくにゃん応援してるもんっ」と握手した手をぶんぶん振りながら言っていた。
「私たちはあの子に諦めるよう説得する。そういう話だったでしょ」
「そんなの知らないもーん」
「あんたね」
「あのねついにゃー、私、カジさんに何も言い返せなかった……あれは花紀おねーさんが間違ってたって思ってるの。じゅんじゅんの気持ち、ちゃんと考えてなかったって」
「それなら何で」
「私は突然呼吸が苦しくなって目の前が真っ暗になって……いつもの発作だって思ってたの。でも、目が覚めた時、私の心臓は止まっていた――ああ私、死んじゃったんだって思って、どうしようもなく悲しくなって、でも涙は出なくて」
静かな声で花紀は話し始める。津衣菜も遮るのはやめて彼女の話に耳を傾けた。
「そして――ここにはいられないって思った」
「……それが分からないよ。あんたを大事にしてくれる人達だったんでしょ」
「だからだよ。みんなが悲しくなって私ももっと悲しくなる……そして、このままここにいたら、私はきっとどこかに連れていかれて、本当に二度とみんなに会えなくなるって思ったの」
津衣菜は花紀を凝視する。フロートになりたての花紀が対策部やフロート狩りの存在を知っていたとは思えない。それでも、どこかでそういう事が起きると予感していたのだ。
「花紀おねーさんはね、もう一度みんなの所に帰りたい。元気な姿になって。だから一度さようならしたんです」
「フロートが本当に生き返ったなんて話があるの?」
「聞いた事ないよ。でも、いつか必ず帰るの。私、あきらめないもん……でも、じゅんじゅんはあきらめてるもの。私だから、これは言わなくちゃ。あきらめちゃダメだよって、じゅんじゅんにも、みくにゃんにも」
「そうだね……あきらめない、それがあんただもんね」
津衣菜がそう言うと、花紀は笑顔を咲かせながら頷いた。
国道沿いにあったビルの地下の受水槽室。そこが今度の仮冬眠スペースだった。
異常でも起きない限り、来週まで点検は来ない筈だと言われている。
今回の当番は千尋と雪子と梨乃で、既に出発済みだった。
巨大なタンクの裏で寝袋を並べて、他の少女達は眠りについている。
津衣菜も寝袋に入ろうとしていた時、頭上から声を掛けられた。
「津衣菜さん」
どこにいる誰の声かは、見上げなくても分かった。
「どうしたの、寝ないの? 美也」
「ちょっと、話しませんか?」
「待ってて」
水槽にかかっている梯子を登り、上で待っていた美也の隣に座る。
「話ってのは……あの雪山での事?」
座るやいなや、津衣菜は単刀直入にそう訊ねた。
「はい。それもあります……それも含めて色々なんですけど」
「うん」
「私は純太くんとも花紀さんとも違うなって……きっと私を迎えに来る人はいないから」
「どうだか分からないよ。誰か美也に片思いしてた男の子がコツコツ調べてて、ある日突然……なんて事だってある訳じゃない」
「まさか。でも、津衣菜さんがそんな事言うなんて意外ですね」
「で、私もそうだと思ったの?」
「ごめんなさい」
「謝る事はないよ……会いに来るかどうかはともかく、会いたい人はいないんじゃないかな。違う?」
「はい」
「じゃあ、そこは同じだね」
津衣菜が言うと、美也はクスッと笑った。会わせて津衣菜も笑顔を浮かべる。
「それだけこの世と繋がってなかったんですよね、私たちって……ここが最後の場所で」
そこまで言って美也は笑顔を収めた。
「でも、津衣菜さんにとっては、ここも自分の場所じゃなかった」
「そうだね。私は……望まずに死んだ訳でもなく、死ぬ事で“他のどこかへ”行こうとしてた訳でもなかった」
「津衣菜さん……天津山の一件から、何か変わりましたね」
津衣菜は答えず、目だけを動かして美也の横顔を見る。
「私は、雪の中での津衣菜さんがいつもと違うと思った……それがとても不安で、怖かった。だけど、後から気付いたんです。津衣菜さんは突然心が変わってしまった訳じゃない」
「心も何も、私は変わったつもりなんて全くない。何かが変わったって言うんなら、私が聞きたいね」
「今までは表に出さず、言葉にだけしていたものを、あの時の津衣菜さんは積極的に行動で示そうとしていたんです。それが違いだったんです」
「何度も言った通りよ。私はあんたの家族を追い込んだ連中や、フロート狩りの連中と同じ。その他大勢に埋没するのが上手いのも、優位に立てればどこまでも残忍になれるのも、それを正しい事だと思い込めるのも。たとえこの世にいても本当はいる資格のない、死んだ方がいいクズども。私はその一人でしかなかった……違ったのは、花紀だよ」
「花紀さんですか……ひょっとして、花紀さんの為に、自分のそういう暗い部分を解放しようとしたんですか」
美也の目に驚きが浮かぶ。ここで花紀の名前が出て来るのは予想出来なかった、そういう感じの表情だった。
「そんなの間違ってるって思う? あの子にそういう下種や狂気の力は要らないって」
「……分かりません」
津衣菜が聞き返すと、美也は首を横に振った。
「でも、花紀は言ったんだ――私があの子の代わりに怒ってくれたって」
津衣菜も分かっていた。あの日から、それまで以上にフロート達の自分への視線が気にならなくなった。
実際に天津山以来、コミュニティ内での津衣菜への評判はどちらかと言えば悪くなっていて、警戒や嫌悪の目を向けられる事も前より多かった。だが、そんなものは本当にどうでも良くなっていた。
そして、フロート狩りへの態度も、時にはどっちが狩る側か分からない位に嗜虐的になる事が増えていた。
「あの子の願いが叶う日までは、私みたいな奴もあの子の傍に必要なんだ……あの日、それが私の死にぞこなった本当の理由だと思ったんだ」
しばらく沈黙があり、呟く様に美也が尋ねて来た。
「一言だけ……言っていいですか?」
「多分聞きたくない話だと思ったけど、まあいいよ」
「津衣菜さん、クズなんかじゃありません。きっと、優し過ぎて、真面目過ぎたんです」
「やっぱり聞くんじゃなかった」
「えー!?」
呆れ声でそうコメントした津衣菜に、美也は心持ちショックを受けた様子だったが、二人ともどこか擽ったそうな笑みを浮かべていた。
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