25日目
25日目
「おまたせー」
テーブルの上に置かれたのは、皿に乗った二枚重ねのホットケーキ。
シロップだけを控えめに塗り、大事を取ってマーガリンや餡は乗せていない。また、かなり冷ましてあり、「出来たての熱々」という訳にも行かなかった。
皿を見つめている子供の顔から、その感情は読み取れない。だが、心細げである事だけは十分に伝わって来る。
テーブルの前に立ち、花紀は首を傾げながら子供へ視線を向けるが、彼はナイフとフォークを取ろうともしなかった。
花紀は何かを思い付いた様に、椅子を持って来ると子供の隣に座る。
そして自分でナイフとフォークを取ると、ホットケーキの一枚をかちゃかちゃ音を立てながら切り分け始めた。
8つの切片に分けると、その1個をフォークに刺し、子供の顔の前へと運びながら言った。
「はいっ、あーん」
子供の顔が動いた。目の前のケーキを穴が開きそうな位に見つめると、おずおず口を開ける。
ゆっくりとフォークに食いつくと、ケーキを口の中で数回咀嚼して呑み込んだ。
「もう一ついかが?」
笑顔を向けながら、花紀はまた子供にフォークでホットケーキの切片を差し出す。
最初よりも少し勢いのある動きで、子供はフォークに食いついた。
「……おいしいですか?」
頬をもぐもぐ動かしていた子供は、花紀を見上げる。
「味なんかしないだろ」
モニターを眺めていた津衣菜は呆れ声で言った。
「まあね」
遥が短く答える。
レンタルスペースの1室をダイニングに、もう1室をモニタリングルームにして、「空腹」を訴え続けていた子供のフロートへの「疑似食事」が実施されている最中だった。
「あれだ。津衣菜はお供え物とかする時、ご先祖様や神様に味覚があるのか、気になってた人?」
「そういう問題なの? お供え物は、供える側の自己満足でしょ。これと一緒にしちゃまずくない?」
「問題は味覚だろ? お供え物の満足が双方向性になったってだけの違いさ」
ダイニングには子供と花紀しかいなかったが、モニタリングルームには何人ものフロートが詰めていて、データの整理やアンプル投与の準備をしていた。
「フロートには味覚もないけど、本当の意味での食欲だってない。あの子にあるのは飢餓感だけさ……だから厄介なんだけどね」
まだ見つめ合っている花紀と子供を眺めながら遥は言った。
内臓もほとんど機能していないフロートに、特定の薬品以外の摂取は――水でさえ――リスクのある行為だった。この子供も検査の結果、色々なものを拾い食いしてそれが腸内に溜まっていたのが判明し、疑似食事の用意の前に、それを取り除く事から始めなくてはならなかった。
「まあ、ケーキにだって色々な薬剤が入ってんだ。味覚のある生者なら、とても食えたもんじゃない代物さ」
「あ……あ……」
子供は花紀を見ながら、途切れ途切れに声を立てる。
今度は花紀の方が、不安を顔に浮かべ始めていた。
「どう……かな?」
「――私も聞きたいね。あれ作ったん、一応私だし」
「マジっすか?」
津衣菜も思わず敬語になる。
子供の声がさっきより大きく、力のこもったものに変わった。
「ああ……あ……お……おい……し…い」
答えた子供を、花紀は目を丸くして見つめる。そして、次の瞬間には歓喜の表情で子供に抱きついていた。ハートマークをまき散らしそうな程の勢いで。
「こら。食べてる人揺するな。まだ途中なんだろ?」
「わーい、わーい……ごめんなさい。ご、ごめんね、もっとあるんだよ、食べられるかな」
「うん、たべたい」
「いっぱい食べてね!」
「……まだ、ひと安心って訳には行かないね。これからだよ。洗浄は想定通り出来るのか、拒否反応はないのか、一週間は様子見る事になる」
「そうしてまとめたデータは……対策部に送るのか」
「そういう取引だからね。エアバス代も未払いになっちゃった訳だし」
体のいい人体実験だ。思ったが口には出さなかった。
分かり切った事だからだ。遥は勿論、花紀だって、その辺の事情は十分承知の上だろう。
天津山スカイウェイの騒動から一週間。
アーマゲドンクラブのキャンペーンはまだ続いている。
土日祝ともなるとフロートの誰かが標的にされ、イベントという名の襲撃が頻発していた。
奴らの動きにはもう一つ大きな変化があった。
ワナビーチームの一つ、くがやんズが内部分裂したらしい。
元々複数のグループや個人の寄せ集めだった彼らだが、このキャンペーンを機会にいくつかのグループが割って出た。
その一つは、あのボウガン男がリーダーで動物殺しの少年が所属している、遠隔攻撃に特化した「光陰部隊」。ドライブインを襲撃した「東征堂々会」もくがやんズから離脱を表明した。
自分達の稼いだポイントをオリジナルのくがやんズ・久我の手柄にされる事なく、アーマゲドンクラブ入りを果たそうと考えたのが理由だと思われる。
ボウガン男も少年も、尻を刺されたり顔をボコボコにされたりしたにもかかわらず、懲りる気配は全くない様子だった。
「無駄にメンタル強いのさ、あいつら」
遥は彼らを評してそう言っていた。
気軽に捉えられる話でもない。対応が間に合わず、この一週間で新たに3人のフロートが犠牲となっていた。
これまた当然だと言えば当然かもしれなかったが、フロートのコミュニティ内部でも、犠牲者が出る度に報復を求める声は少なからず上がっていた。
報復。つまりフロートによる殺人も認めろと言う事だ。遥は、ずっとこうした声も多少強引に押さえ付けて、コミュニティの現状を維持して来たらしかった。
「こんな時期だから余計にね。中心メンバーとしては残念っちゃ残念かね――あんたの異動希望のキャンセルは」
遥はさほど残念でもなさそうに言った。
「どこにいたって、必要になったら結局頼んじゃうんだから、あまり変わんないとは思うけど」
津衣菜は、遥に話していた「班を移りたい」話を取り消していた。
「ところで、どんな心境の変化だったん? そろそろ聞きたいなあ、どこで花紀おねーさんにメロメロになったんか」
「違う……ただね、これが私のポジションじゃないかって」
「ポジション?」
「私が死にきれずフロートになってしまったのは、花紀に出会い、あの子の傍で、あの子が苦手な事を代わりにやってやる為じゃないかって思ったんだ」
憎悪を剥き出しにし、冷酷になり、悦びながら傷つける事。この世界では本当は必要な事。
花紀が苦手で、自分なら出来る事。
発現者の子供は、朝のうちに向伏富士の中腹で埋葬した。
「私ね……ついにゃーが暴れ回ってた時、止めてほしいと思ってた。あんな風になったついにゃーを見るのは耐えられなかった。でも嬉しかった」
土を被せ終わった頃に、花紀は言った。
「ついにゃーは私の代わりに怒ってくれてるんだって。やめて、もっとこの子に優しくなって。私はみんなにそう思う事しか出来なかった」
「思う事しか出来ないって、あそこまでやれる奴が言う事じゃないよ……少なくとも私には、思いつく事すら出来ない」
「じゃあ、花紀おねーさんがついにゃーの苦手な事をついにゃーの代わりにやってあげましょう」
「……何言ってんの?」
呆れ声で言う津衣菜に、花紀はふふふと笑いかけた。
「何か良くないかな、私たち、てれこみたいで」
「……テレコ?」
何かの機器の名前だろうかと津衣菜は思った。
「あー、ついにゃー、今なんか違うものの事考えてるー」
「なっ……じゃあ、何なの、そのテレコって……」
花紀が笑いながら言い、思わずむきになって言い返してしまった。
「この子、幸せになれたかな……」
「私に聞かないで。私が分かる訳ないんだから」
「うん、ごめんね……」
「あんたが信じた通りでいいんだよ」
「そんな答えなら、そうなんですメロメロなんですーって答えときなよ。それが融通さ」
遥はからかう様に言ったが、一瞬、何を思っているのかよく分からない表情で津衣菜を凝視した。
高地が見せた顔にもどこか似ている、憐れむ様な表情。
津衣菜が気付いて見返すと、にやついたいつもの顔に戻っていた。
部屋の外でどたどた足音が響き、ドアを勢い良く開けて花紀が姿を見せた。
「食べてます! おいしいって、今自分で、ホットケーキ切ってます!」
「いや、こっちのモニターで分かるから、いちいち報告に来なくても……」
「これは大成功です。遥さん、やりましょう! みんな待望のお菓子パーティー!」
「食べたら成功、じゃないんだよ……何の企画だよ」
「えへへ……」
誤魔化す様に笑う花紀に、津衣菜が声をかけた。
「花紀、私もその子、見に行っていいかな?」
「うん! ついにゃーも会ってあげて! このお食事会、元々はついにゃーのアイデアだもんね!」
「ち、違うでしょ……私は、大人に相談しろってだけ……」
津衣菜は言い返すが、花紀に左手を引っ張られて部屋を出た。
嬉しそうなその横顔を見ながらふと思い出す。
花紀の班に留まることを決めた理由。遥にも教えていない事があった。
――――「今度こそ守る」為。
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