18日目(4)
18日目(4)
西方台高原、天津山山頂付近を旋回していたヘリは、そこを離れるとスカイウェイ上空を一回りしてから、市街地方面へと飛び立って行った。
「もう終わりかよ」
「いえ、これから来るんだと思います……対策部の車が」
鏡子の呟きに日香里が答える。
少女達はスカイウェイから外れ、崖上の林を山頂へ向かっていた。
途中、「海抜1550メートル」の表示板を見た。間もなく樹木は姿を消し、岩肌の露わとなった地帯に出るだろう。
眼下のスカイウェイでは、何度か火や煙の立ち上っているのを見た。時折、車が何かに衝突する音も遠く聞こえていた。
「他人事だけど、後始末大変そうだな。スカイウェイが冬季閉鎖前で良かったよ」
「みんな……無事でしょうか」
「何人かは死んだだろうね。十人以上……か……」
鏡子は「死んだ」と表現し、訂正もしなかった。
「姉さんのせいじゃないっすよ」
雪子を負ぶって歩いていた千尋が言う。
「みんなは姉さんを追いかけてて死んだわけじゃない。これに関係なく、奴らのイベントは始まっていたんだ。ここじゃなくても、どこかで同じ事になったし、僕らは奴らの思い通りにさせない為に戦う事になったんすよ」
「だな」
鏡子が同意し、近くにいた梨乃と美也も頷いた。
「だけどな……やっぱり、あいつはドヤさなきゃなんないよ。この時期に軽はずみな真似して皆を振り回しやがったのは変わんない」
津衣菜は、彼女達の先頭を無言で進んでいた。
鏡子が言った――自分が以前感じた様な――何かの匂いを見つけた訳ではなかった。高原に辿り着かない内は、大して何も感じはしないだろうとも思っていた。
それでも、少しでも手がかりとなるものは見逃すまいと、神経を集中させていた。
耳が音を拾った。
林の奥からこちらへ近付いて来ている複数の足音。悲鳴。そして、笑い声。
「た……助けてくれ……っ!」
先頭を一人の男が走り、それを二人程で追って来ている。
聞き覚えのある声。助けを期待して闇の中から現れた男は、彼女達を見ると顔に絶望を滲ませた。
生者の男。津衣菜の記憶にあった顔。彼女が初めて遭ったフロート狩りの一人、あのボウガン男だった。
「ぎゃっ!」
空気が鳴った直後、男が叫ぶ。彼の尻の辺りに、一本の矢が深々と突き刺さった。
「ほら、お前のボウガンだろ。あっさり捨てて逃げてんじゃねーよ」
男の後ろの笑い混じりの話し声は、ますます大きくなり、木々の間から男女二人の若いフロートが現れた。その手には一台のボウガン。
「いいなあ。ちょっと、私にも撃たせてってばあ」
二人はボウガン男の前にいた少女達に気付くと、へらへら笑いながら声をかけて来た。
「よお」
「よおじゃねえよ。何やってんだよ、やめなよ」
鏡子の言葉に二人は気色ばむ。
「ああ? 何、俺らに指図すんの? 君らがあ?」
「てめえらんとこのお花畑のせいで、今こんな事になってんだろが! 反省の気持ちとかねえのかよ? なあおい?」
特に女の方が声を荒げて鏡子に凄む。
「……フロートは痛くねえから平気、ってはなんねえんだよ」
女の剣幕に少し引いたのか、比較的落ち着いた声で言うと、男は自分のシャツをはだけさせた。
鎖骨の下に、矢を抜いたらしい小さな穴が黒々と開いていた。
「こいつはもう、ずっとこのままなんだ」
女も自分の服の裾をまくり上げる。脇腹に同じ様な穴が開いていた。
「……気持ちは分かる。済まないとも思ってる。でも、この辺にしといてくれ」
「俺らだって、遥のルール破るつもりなんてねえよ。でも、うちの班だって、一人そいつらに火ダルマにされてんだ。それも忘れんなよ」
二人が再び闇へ消えた後、千尋が倒れたままのボウガン男を一瞥しながら聞いた。
「これは……どうします?」
「そのままでいいだろ。ボウガンは奪われて、立てもしないんだ」
鏡子の合図で少女達が再び動こうとした時、男が口を開いた。
「な……んで……」
「あん?」
彼女達は立ち止まり、倒れたままの男を振り返った。首を曲げられない鏡子が、少し遅れて男に向き合う。
「何でお前らゾンビはいつも……そんなに……暴力的なんだ」
「――はあ?」
「……え?」
「ゾンビも生きている人間と同じに扱ってほしい、社会に受け入れてほしい、共存したいとか主張すんだったら、それなりのやり方しろよ。自分達が受け入れられない原因を改善して、きちんと議論のテーブルに……」
「ちょ、ちょっと、な……何言ってんですか、この人」
千尋も日香里も美也も、鏡子までも、思わず口をポカンと開けて男を凝視した。
フロートのフロート狩りへの対抗手段が暴力的かと言えば確かに暴力的だろう。反省すべき点がないかと言えば、やはりどこかしらあるだろう。
だが、それは少なくとも、フロートをボウガンで狙い撃ちし、石や火炎瓶で追い回す様な人間、それを肯定している人間の指摘する事ではない。
そして、他は知らないが、向伏のフロート達は「社会に受け入れてほしいと主張して」戦っている訳ではない。
「受け入れる受け入れないじゃなくて、お前らが襲って来るから自衛してるだけだよ、こっちは」
「そうっすよ。暴力が嫌なら、まずそっちが暴力やめろよ。人をゲームの獲物にすんのをやめ――」
「人じゃない。ゾンビだろ……暴力じゃない。お前らはもう死んでいるんだ。僕らは、生と死の区別を正しく付ける為の啓蒙をゲームでやってるだけだ」
男はこの寒さにもかかわらず額に汗を滲ませながら、真顔で話している。
「ゾンビをボウガンで撃ってはいけない、火で燃やしてはいけない、頭を潰してはいけない――なんて法律は日本にはないんだ。つまり、僕はゾンビなど片っ端から殲滅すべきだという考えだが、それは一つの考え方として社会で認められているんだ。日本には言論の自由があるんだ。国民の正当な言論の正当な活動は、法で権利が保障されているんだ。それが気に入らない考え方だからって、暴力で引っ繰り返そうとするなんて間違っている」
あまりにも滅茶苦茶な論理に、呆然としつつも聞き入ってしまったのも事実だった。これがフロート狩りの連中の頭の中なのかという感心からだったが。
感心してばかりもいられない。そんな理屈の下で多くの仲間が傷付き、失われて来たのだから。
だが、この男に何を言えば届くのか、反論になるのか、まるで見当がつかない。
「何やってんのあんた達。そんなのと議論するつもり? 時間がムダだよ」
困惑していた少女達に水を差したのは、今まで一度も振り返らずにいた津衣菜だった。
津衣菜はつかつかとボウガン男に歩み寄ると、尻に刺さっていた矢を足で、更に深く踏み込んだ。
「がああっ!」
「私はあんたの気持、少し分かるかも。尊重されたいんだろ? こんな事言っても、あんな事やっても、あなたは正しいと言ってもらいたい。自分と言う人間に権威があり、尊重される資格があるのを認めてほしいんだ――自分がやっている事の意味は問われずに」
矢から足を離し、のたうち回る男を見下ろして津衣菜は言葉を続けた。
「でもね、私がそれを分かってやれるのは、私が生きてる資格すらなかったゴミだからだよ……あんたと同じくね」
爪先で突っつく様に脇腹を蹴ると、男は2、3メートルばかり斜面を滑り落ちて行った。彼は津衣菜を見上げる。その目は怯えきっていた。
半月前、彼と津衣菜が対面した時とは真逆の構図だった。
「行こう。私たちは花紀を探すんだ。ゴミで遊んでる時間なんて一秒もない筈」
踵を返し、津衣菜は歩き出す。背後からはか細い呻き声だけがしばらく聞こえていた。
木々が唐突に途切れ、津衣菜達のすぐ目の前を切り立った岩壁が、左右100メートルに渡って塞いでいた。
GPSはすでにここが西方台高原である事を告げている。
花紀は彼女達と同じこの岩場のどこかにいるらしかったが、フロートもフロート狩りも現在、彼女を見つけられずにいる。
岩肌の窪みや影のあちこちに「どちらか」が潜んでいる。
ここから先はより慎重に進む必要があった。
「あ、おい!」
だが、岩壁を登り、その上に立つと同時に津衣菜は駆け出していた。
それまでなかった位に、鮮明に感じていた。病院の時と同じ、発現者の死と渇望の匂い。そして、今では馴染み始めてさえいた、資格と希望の匂い。
時折、目の前や背後を掠める矢も、気にならなかった。
意識の大半が、花紀と子供の存在を感じ取る事で占められていた。
暗く赤く光っていた瞳に金色が混じり始める。
幾つも岩のテーブルをよじ登り走った先の崖で、気配が最大になるのを感じた。二人は、この下にいる。
津衣菜はそのまま飛び降りる事をせず、崖っぷちで伏せると、そっと下を覗き込んだ。
そこに花紀の姿は――少なくとも月明かりに照らせれている中には――見当たらない。
代わりに、フロート狩りらしき複数の人間がいた。だが、様子が少しおかしい。
誰かを待ち伏せしたり、襲おうとしたりしている風ではない。
少し角度を変えるとさっきよりも見やすくなり、下の物音も僅かながら入って来る。
3人の男達は、岩の根元で逃げ惑っている。その間を何か小さな物が素早く飛び交っている。
何が起きているのか、津衣菜の耳が拾う音からは全てが明らかだった。
甲高い咆哮。風切り音。
子供のフロート――発現者が飛び回って、彼らを襲っている。画像でイメージしていたよりも、それは小さく見えた。
小さな影に飛びかかられた男の一人が、もがきながらその辺りを往復する。しかし、突然その場に崩れ落ちた。動脈でもやられたかと津衣菜も一瞬思ったが、どうも違う様だった。
離れた岩の陰から一人、新たに姿を現した。男は怒りを込めた声で喚いている。
「撃ちやがったな! 貴様、“くがやんズ”マスターのこの俺を撃ちやがったな!」
「邪魔なんですよ、久我さん」
「知ってるぞ貴様、うちの光陰部隊の新入りだろ。俺にこんなマネして、これからまともにイベ参加出来ると思ったら……」
「ああ、光陰はもう、くがやんズ脱けますんで。僕ら光陰だけで、アーマゲ入り果たしますから。これは師匠――河村部隊長も了承済みです」
久我に近付く人物の手にはボウガンがあった。
「そう言や、師匠どこ行ったんだろ……さっき、ゾンビにボウガン取られそうになってたっぽいけど……だめかな、まあいいか。さあどいて下さい。まだ撃たれたいんですか?」
子供は組みついていた久我から離れると、短く唸ってから彼へと跳躍した。
「ゾンビは動きが早いな。こちらを敵と見切るのが早いのか」
淡々と呟きながら、矢を発射した彼の顔が月明かりに照らされた。津衣菜はその顔をどこで見たのか、思い出すのに少し時間がかかった。何の特徴もない平凡な幼い顔。
近隣の動物を殺して回り、紗枝子を陥れた一年の男子。
ぎゃっと叫んで子供の身体が後ろへ飛んだ。少年はボウガンを構え直す。
その切っ先を地面に転がった子供に向けた時、素早く現れた影が子供を抱き上げて、射線を遮っていた。
「みつけたよ、ゆうくん」
出て行った時と同じ、クリーム色のダッフルコートと天使の羽根のリュックサック。
新調したばかりだった筈のコートは子供に掴まれた肩や袖が破れ、ボロボロだった。
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