18日目(1)
18日目(1)
助手席からの映像。車はあのフロントの大破したSUVではない。
道の十数メートル先に、一人で走って逃げる若い女性の後ろ姿。
手をぶらぶらさせ、ぎこちない動きの走り。動きの再現に慣れていないフロートの様だった。あるいはそんな余裕もないのか。
「はははははっ、走れ走れい!」
「気合十分ですな大佐。さっそく新車も揃えて、対策部に絞られたばかりには、とても見えません」
「いやなあに、彼らだって国の為、この世の平安の為に頑張っとるのだよ。僕も思わぬ臨時収入があってねえ……おっと」
口を閉ざした東山は、ひひひと喉から笑いを洩らしアクセルを踏む。女性の背中がすぐ目の前まで迫って来た。
もう一つの映像は、明るく照らされた屋外グラウンドの様な場所。
津衣菜の記憶には曖昧だったが、確か市の北にあるスポーツセンターだった気がする。
数人の子供たち――先週の巡回で会った、小山北側のグループだった――と、いかにも「近所のおばちゃん」風な年配の女性一人を、20人近い男女が遠巻きに包囲していた。
グラウンドを照らすのは備付のナイター照明ではなく、彼らの持って来た照明器具らしかった。
彼らは一人ずつ順番に、子供たちに手元の物を投げつけている。硬球、ゴルフボール、ハンマーや槍のつもりなのか、レンガや鉄パイプを投げる者もいた。
「えー、スポーツの秋です。ゾンビ狩りだって立派なアウトドアスポーツです。違いますか? 少なくとも、我々くがやんズ的には全然違いません」
二つの画面を閉じると、さっき入手した連中のページが現れる。
向伏市全域のマップだった。天津山の辺りに「EX-STAGE」と書かれたアイコンが置かれている。市北の県道では、「STAGE-1」のアイコンが矢印方向へゆっくりと移動していた。その近くのスポーツセンターに、「STAGE-2」のアイコンがある。
キャンペーン開始から30分も経たずに、市内で2件のフロート狩りイベントが組まれ、告知されていた。アイコンに触れると、ページの端で「途中参加受付中!」の表示が踊る。
狙われたのは、キャンペーン開始情報を受けて新たな避難先へ移動中のフロート達だった。
また、メジャーな生放送サービスでは流せそうにない両イベントの模様は、彼ら専用のサイトにて、リアルタイムで放送されていた。
津衣菜はそれらのページを走行中の車内で見ていた。彼女の横では高地がハンドル片手で電話している。
「俺らは予定通り、待ち合わせの場所に向かう……ああ、分かってんだろ……動くなよ」
フロート狩りのサイト画面は突然真っ白になり、「ログイン拒否」の通知が出る。生放送の方はまだ見る事が出来た。
「元々、外に見せたくてやってるもんだ。そして今は多分……俺らにも見せようとしている」
高地の携帯が鳴り、電話に出た彼は「おう」「ああ」と数度相槌を打ち、津衣菜を見る。
「浜南町の二人組のガキ、覚えてっか?」
「浜南の二人……もみじと、ぽぷらの事?」
「とびすけ……アルティメットフォースの東山に追われてる女な、あいつ助けに行こうしたら、対策部に追い回されてるらしい。何とか隠れたようだが、車は数台でその辺ウロウロしてて、結構ヤバい感じだ」
「対策部が……?」
対策部は味方ではない。隙あらばフロートを捕まえ、実験体にしようとしている存在で、今も発現した子供の件で市内の警戒網を広げている。
しかし、その動きはまるで、対策部がアーマゲドンクラブやフロート狩りの奴らと連携を取っているみたいだった。彼らは、フロート狩りにとっても敵だった筈なのに。
高地が津衣菜の疑問を察したかの様に言う。
「お前は知らねえだろうけど、たまにこういう時があんだよ。対策部にエビ野郎の手ががっつり回ってんのさ」
「エビ野郎……?」
前にも聞いた単語だ。津衣菜は口の中で繰り返す。
「ネットで沸いてただけのアホに、アーマゲドンクラブ設立をお膳立てしてやり、その他にも裏で色々、奴らのケツ持ってやってた政治家だ。与党の国会議員、海老名光秀、聞いた事あるか?」
「知らない」
「だろうな――森さんもこうなると厳しい。彼女はこの県唯一の非与党県議で、与党に票入れたくねえ奴や野党の期待を一身に背負ってる存在……と言や聞こえがいいが、早い話が孤立しまくりって事だ。知事まで言いなりの海老名が相手じゃどうにも」
「そんな話はどうでもいい。彼らはどうなるの? 遥は……どうするの?」
国会議員の名前なんて知らないけど、今、対策部とフロート狩りが協力し合って動いているというのは十分分かった。助けに行けば、行った者が新たな標的になるというのも。
「動かねえよ。俺も動くなと言った。様子を見て、出来る事を探すだろうが……最悪、見捨てるしかねえな」
「……引き返して」
「お前が行ってどうすんだ。奴らのボーナスステージ作ってやんのか」
津衣菜はかなり強い語調で言ったが、高地は全く取り合わない。
「分かれよ。奴らの本当の標的は、お前や遥、中心にいるフロート、もっと言や、フロートのコミュニティそのものだ」
助けに行けば狙われる。ゲームがいたずらに連鎖する。軽率に動いてはいけない。そんな事は津衣菜も何度も聞いて分かっていたし、その通りだと思っていた。
だが、高地の言葉に彼女は少しの沈黙の後、問い返していた。
「あんたら、ずっと見てるつもりなの……? 仲間が襲われているのを……最後まで」
「お前はうまくやれた時しか知らねえ。コミュニティにとって、最悪の事態を防ぐのが一番なんだよ」
「これが最悪じゃなくて何が最悪なの? 奴らや対策部じゃない、あんたらが最悪だよ」
高地の舌打ちが聞こえたが、津衣菜は止まる事なく言葉を続けた。
「今襲われてる仲間を助けないコミュニティなんかに、存在意義ってあるの?」
高地はハンドルを切って車を路肩に停めた。
「飛び降り自殺のガキが、いつまでも調子乗ってんじゃねえよ」
大きくはないが低く重い声。高地は睨みもせず、感情のない顔で津衣菜をじっと見据えていた。その目だけが暗く赤く光っている。
「お前に俺らの何が分かる。俺らは今まで何度も、こうして目の前で仲間を失って来たんだ」
津衣菜は横目でその視線を受け止め、同じく無表情で言った。
「自分が助かる為にでしょ」
「ああ。悪いかよ」
「悪くない、初めからそう言えばいい。保身の為に仲間を切り捨てて、自分への言い訳積み重ねて、それを立派な事みたいに振りかざす。これがフロートの世界ね。まさに生者もどきじゃない」
高地は津衣菜の吐き出す嘲笑を最後まで聞き、車内に沈黙が流れた。
「――それが、お前の憎しみか?」
沈黙を破って彼がそう訊ねた。
「は、何……?」
「何もかも拒み、許さず、自分までも灼き尽くす炎の、火元がそこにあるのか?」
「言ってること、よく分かんないんだけど」
高地の問いをつっけんどんに返す津衣菜は自覚していない。
高地を見返す彼女の目の色は変化し始めていた。フロートによくある暗赤色ではない、黄色っぽい――黄金色っぽい光が瞳に拡散する。
「そうかよ。お前……自分の大事な奴を見捨てたんだろ?」
津衣菜の左手が一閃し、次の瞬間、高地の首を鷲掴みにしていた。
金色の双眸で高地を射抜きながら、津衣菜の指は彼の喉笛にギリギリと食い込んで行く。
自分の首が絞まって行くのも意に介さず、高地は津衣菜を見下ろしながら淡々と言葉を続けた。
「そいつはどうなった。死んだか? 壊れたか? やった奴らが憎い……見捨てた奴らが憎い……見捨てた自分が憎い、見捨てさせた奴らが憎い……見捨てずにいられないこの世が――手え放せ。痛えんだよ」
締められた喉から出る、少し掠れた重い声には冷酷な色が浮かんでいた。
「嘘つくな。私たちに痛みなんてない」
「お前に何があったか、細けえ事聞く気はねえ……“覚えてねえ”んだろ?」
津衣菜は我に帰った様に、高地の喉に掛けた指を緩める。
高地の声には、今しがたの冷酷な響きはない。津衣菜への視線は外さないままだったが、顔にはどこか憂いを帯びた――憐れむ様な感情が浮かんでいた。
甲までトライバル柄が伸び、指にブラックレターの彫られた右手が、津衣菜の左手首を掴むと、ゆっくりと首から引き剥がす。
「凹み入ってんじゃねえか、バカ力出しやがって」
津衣菜の目の金色は急速に薄れ、元の暗赤色を取り戻した。やがてその色も消え、平素の茶色の瞳になる。
「早く“思い出した”方がいいと思うぜ」
意味ありげに高地が呟いた時、モニターから何かの落ちる音が響いた。二人は一斉に画面を注目する。
「何でしょう……PCがいきなり地面に、すみません2カメ、2カメに切り替えてく(ブツッ)」
「はい2カメ。え? あ?(バシャッ)ちょ、こっちもあの――(ガシャッ)」
「えー3カメです。何だかね放送2台が壊れ……壊され……ゾンビの仕業ですか、でも何も見えま、え、わあっ(べきゃっ……ぷつっ)」
グラウンドを映していた画面は真っ黒となり、音声も途絶えてしまった。
高地はもう一つの生放送画面を開いた。こちらは真っ黒な画面に、声だけが聞こえている状態となっていた。
「えー、まだタイヤ交換終わりません。女のゾンビは見失いました。誰か代わりに撮っててくれてますかね……ええ数分前、釘板踏んで前輪パンクしちゃいまして、私も降りたところ、いきなりバアンって音がしてPCのカメラが壊れたんです」
「どうなってんだ……誰か動いたのか?」
「違うみたい。こっちのラインでも何が起きてるのか誰も知らないって騒いでる」
どちらの場所も恐らく、フロートが近寄れる状況ではない。
表に見えない監視がいて、フロートが近付いたらその情報をフロート狩りや対策部に回す事になっている筈だった。
フロート側の話題を占めているのは、誰だか分からない、姿の見えない襲撃者が、銃を使っているのではという懸念だった。
もしそうなら、襲撃者はエリアリーダーの誰かである可能性が高くなると同時に、不慣れな狙撃で人を撃ってしまったなら、フロートにとって更なる危険な事態となる。
離れた距離から正確に機材だけを破壊する、そんな狙撃の出来るフロートに心当たりはない。
その時、ラインに見慣れないアカウントのコメントが入った。
とびすけ
あいつらに写されてない、これからも写らないフロートが
ここにいるぜ。来いよはるねき。
とびすけ
――と、累くんが言っています。
アカウント名「とびすけ」は、さっき東山の車に追われていた女性のものだった。
そして、累。駿足の問題児達を率いる享年8歳のリーダー。
東山の新車をパンクさせ、機材を次々壊して行ったのは稲荷神社組だった。
「馬鹿野郎。あいつら絶対後でシメる。説教部屋決定だっつの」
そう言いながらも、高地の声にもどこか安堵の色が混じっていた。
ライン上は快哉の声と、彼らの無謀なスタンドプレーを咎める声とで入り乱れていた。
そんな中、しばらく沈黙を続けていた遥の発言が入る。
HAL‐P.L.
撮っているのはそいつらだけじゃないよ。
恐らく車の近く、そしてスポーツセンター周りに、
隠れて撮ってる奴らが何人かいて、それが一番問題なんだ。
やれそうかい?
とびすけ
よっしゃ、まかせろ――と言っています。
HAL‐P.L.
車は取りあえず放置でいいか。とびすけは現在地で待機。
まずはスポーツセンター周りを、13号線の交差点付近まで
片付けたら知らせて。
HAL‐P.L.
曽根木さんと信梁、石谷、深山の各班はスポーツセンター
2キロ北の高速インター下で待機。
合図と共に13号線を南下し現地へ急行。奴らの撃退より
救出を優先し、避難が完了したら即撤収。
HAL‐P.L.
稲荷神社組は400メートル南の西通り口交差点まで移動し、
交差点からイオンにかけて奴らがいないかチェック。
いたら報告し、撮影機材や照明機材があれば壊しといて。
遥はまるで最初から準備していたかの様に、てきぱきとした言葉で作戦を指示して行く。曽根木や信梁班――少年達の班――などの実力部隊を、既に13号線に待機させていたのも、津衣菜や高地でさえ初めて知る情報だった。
見えない撮影者を撮られずに排除する機だけを窺って、それ以外の全てをあらかじめ揃えていたのだろう。
HAL‐P.L.
私と山野さん、戸塚山1~2、北部、南部、三川1~3の
各班は今から天津山へ出発。登山ルートは各班ごとに指定する。
飯嶋さんと小賀坂くん、東部、平木1~3、瀬田月1~2、
大町1~3の各班は西部地区と待ち合わせの国津ドライブインへ
向かい、たかっちー、津衣菜とも合流
――たかっちーは今どこにいる?
Tsuina
国道を槌谷温泉の1キロ前まで来ている。
遥への返事は高地に代わって、津衣菜がスマホで送った。
HAL‐P.L.
何か遅いね。二人でお喋りでもしてたん?
Tsuina
いや。今は時速70キロぐらい出ている……もう温泉入口だ。
HAL‐P.L.
分かった。着いたらまた知らせて。さっき西部地区の人と電話
したら、皆はもう集まって待ってるって言うから。
彼らも結構乗り気だよ。花紀の覚えが良いんだろうね。
一つ目の温泉、槌谷温泉を通過し、大きなゴルフカントリークラブの横を通り過ぎた辺りで、グラウンドにいたフロート達の救出に成功したと、曽根木からの報告が入った。
テンションを上げていたくがやんズの面々は、彼らに対しても意気揚々と攻撃を仕掛けて来たが、数人が押さえ込まれて捕まると、蜘蛛の子を散らす様に四方へ逃げ出した。
予定通り逃げた連中は放置したが、捕まえた奴については縛り上げて、スポーツセンターへの不法侵入犯として警察に通報しておいたとの事だった。
もみじとぽぷらから遥に連絡が入り、付近を捜していた対策部の車は見えなくなったが、用心の為、迎えが来るまで隠れ場所にいるとの事だった。
「花紀おねえちゃんも心配なので必ず助けになってあげてください」
電話口でそう言っていたらしい。
車は山中に入り、道路はU字のカーブを何度も繰り返す様になった。目的地の廃墟のドライブインまで、あと10分も経たず到着するだろう。
昔、国津ドライブインは車で登山する観光客の休憩所として賑わっていたらしいが、津衣菜が物心ついた頃には既に廃墟だった。そして、今に至るまで廃墟のままそこに建っている。
西部地区のフロートは、時おりその廃墟を集会所として使っているらしい。
「ん……何だ?」
高地が小さくそう呟いて車を減速させた。
その声で津衣菜もスマホから顔を上げ前方を見る。
道の先に人影が見える。よろよろとした動きでこちらに近付いて来ている。
こんな夜中に人が歩いている様な道ではない。もし歩いているのが普通の人間だとしたら、この先で事故か災害が起きている以外にあり得ないだろう。
普通の人間以外の何か――フロートにしても不自然だった。この辺りのフロートは全員、この先のドライブインに集まっている筈だった。
ドライブインで何かが起きたのでなければ。
高地がブレーキを踏む。その時には津衣菜も確信していた。数メートル先でライトに照らされている、ボロボロの服の老人は生者ではなくフロートだと。
それにしても、いくら西部地区が没交渉だからと言って、コミュニティに加わっているフロートがこんなにボロボロの服でふらふらと、一人歩きするものだろうか。
「市内のうきだまさんですか……ですよね……」
車を降りた高地と津衣菜を見て、老人はそう尋ねて来た。
「うきだまさん」と言うのが彼らのフロートの呼び方らしい。
「西部の方ですか……どうしたっすか」
「た……助けて下さい。突然、大勢の暴徒が……ゾンビを皆殺しだと叫びながら……うきだまの人達を……次々と」
高地の問いに、フロートの老人は歯の根の合わない声で答えた。
copyright ゆらぎからすin 小説家になろう
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