208日目(2)
208日目(2)
「私らみたく日陰でこそこそ群れてるとね、よく分かる様になるんだ。あんたの様な奴は貴重だってのが」
遥は、津衣菜を処分しないもう一つの理由について、後からそう答えた。
「貴重……?」
「あんたみたいなのは、いざって時に、いい弾丸になってくれそうだからね」
津衣菜は遥へゴミを見る様な目を向ける。
間違ってない。
今の津衣菜は確かに、『自分が納得出来る』理由を与えられれば、爆弾を背負ってどこかで爆発させる事だって、預かった銃をどこかで乱射する事だって出来るだろう。
闇雲に突っ込むのではなく、それを成功させるのに必要な狡猾さや技量も備えていた。
間違ってないからこそ、考えうる中でも最底辺の存在意義だった。
「そうやって、人の絶望すら、自分が食い繋ぐ為のエサにして、今までやって来たのね」
「何せ、ゾンビだからねえ」
津衣菜の軽蔑の声にも動じず、薄笑いと共に遥はそう嘯く。
花紀の亡骸は、廃線のある辺りから百メートル程北の、山のもっと高い所に埋葬したという。
麓まで運んだ向坂を、やって来たワゴンに積み込み終えてから初めて、遥は津衣菜に教えてくれた。
向坂は、『江島総合病院』の近くに置いて来るという話だ。
『ただの事故で、向坂本人の見た夢と現実が混同している』という事で片付ける様、病院側とも話が通っていると言う。
ワゴンに乗っていたのはフロートではなく、一目で対策部の人間と分かる、生者の男女数人だった。
廃駅に一旦戻ってから山を登り始めた頃には、東の空が明るくなりかけていた。
地図上の直線距離で百メートルでも、獣道さえない雑木林の斜面は、それ以上の道のりとなる。
正味、さっき教えられた通りに進んでいるのかさえも、自信がなかった。
ぐねぐねと山頂方向へ進み、多少ずれた様な気がしたので、またぐねぐねと西方向へ進む。
そんな風に一時間近く山中を彷徨うと、前方の木々の間に、見覚えのある人影が浮かんだ。
小さな二人一組のシルエットは、津衣菜に背を向けて歩き始める。
木々の間を縫って進む彼女達を、時々見失いそうになる。
だが、彼女達と最初に遭った時みたいに、必死で追いかける必要もなかった。
数十メートルも歩いて行くと、木々の開けた平らな地形の場所に出る。
逆方向からだが、戸塚山のあの廃屋の庭みたく、山麓の向こうに向伏市内を見渡せる眺めとなっていた。
花紀が生者の世界とフロートとの距離を重ねて見ていた、あの距離感が再現されている様だった。
「戸塚山に運んで、埋める訳には行きませんでした。でも、ここなら……」
同じ事を感じていたらしい声が、津衣菜の前方から聞こえる。
津衣菜はそっちを一瞥し、一本の木の前に立ってこちらを見ていた美也に、顎の前で左手を小さく上下して見せる。
頷く代わりとして使っていた、津衣菜ほか何人かのフロートだけのハンドサインだった。
美也から更に奥へ視線を移動させると、膝をついて、多分祈りを捧げている日香里の後ろ姿があった。
更にその斜め奥に、両手を後ろについて体育座りしている梨乃の背中があった。
その左隣に車椅子が置かれていたが、そこには誰も乗っていない。
雪子は車椅子の前で、地面に左足だけでぺたん座りしていた。
彼女の右側には縫い目だらけの両足を投げ出した千尋がいて、二人はたがいにしがみ付き合う様にしていた。
今まで見た事がない位に寄せ合ってる二人の顔が、どんな表情をしているのか、津衣菜からは勿論、日香里からも梨乃からも見えなさそうだった。
「私に……何か言う事はないの?」
通り過ぎる前に、津衣菜は美也に尋ねる。
「今は、ありません」
「私が、この先を進んで良いのかって事よ」
「勿論です。だって、津衣菜さんは誰よりも花紀さんを思いやっていたじゃないですか……そのやり方が正しかったとは思いませんが」
「私が、あの子を? 思い……」
「あの時は、私達はあなたを止めるべきでした。それが間違っていたとも思いません。だけど、あなたの怒りや悲しみや選んだ事を、今の私達が裁く事は出来ません」
津衣菜は、美也の返答に『何故そう思うのか』を尋ねはしなかった。
大体分かっていた。
それは『許す』とかではなく、自分が今、『彼女達が何もしなかった事』を責める気がないのと同じことなのだろうと。
すべては、終わってしまった事なのだ。
終わってしまった事に固執しない、それはこの死者の国の価値観の基本だった。
「津衣菜さんも、花紀さんを祈って頂けますか」
津衣菜が来た事に気付いた日香里が、振り返って声をかける。
「花紀を祈るって、何か言い方変じゃない?」
さすがに違和感があったので聞くと、日香里は頷いた。
「私もそう思いましたが、なら、花紀さんの何を祈りますか?」
「……そうね」
神を信じている日香里でさえ、今更『冥福』など祈る意味があるのか分からなかったのだろう。
それでも、何を祈ればいいのか分からなくとも、花紀の事をひたすら祈るしかないのだ。
「あんたらも、それでいいの?」
梨乃が顔を上げて、津衣菜の呟きに小さく頷きかける。
「まあ、僕は雪子や美也姉さんと同意見っす……言いたい事もあるけど、それは後でいいすよ」
千尋が僅かに津衣菜へ振り返り、そう答えてから再び雪子を抱きしめた。
そして、鏡子は少女達の更に奥にいた。
少し離れた所で一人、地面を見下す様に突っ立っていた。
彼女の周りには幾つもの盛り土が出来ていて、視線の先の地面には、長方形の暗い影が出来ている。
深さ何十センチあるのか分からない穴の向かいに、数本の木材や石が一ヶ所にまとめて置かれていた。
鏡子はふいに身体をずらし、津衣菜の方へ向けた。
「……ちょっと持ってろ」
津衣菜の顔を見て、長めの木材を指差しながらぞんざいに言う。
「立てろ……そこじゃねえよ、もっと真ん中だろが」
言われるまま、背丈以上ある木材を片手で引きずって来た津衣菜へ、更に穴の中央を指差して指図する鏡子。
「そのまま動かすなよ」
長方形の穴は1メートル位の深さがあった。
その下まで津衣菜が垂直に木材を突き立てると、鏡子はスコップで土をかぶせて行く。
津衣菜は穴の下を凝視する。
穴は元々もっと深く掘られたもので、花紀は既にその下に埋まっている。
埋め直しを途中で止め、津衣菜が来るのを待っていたのだろう。
鏡子だけでなく、美也も日香里も梨乃も穴に土を落として行く。
穴の深さが10センチ程になると、梨乃が大きな石を両手に抱え持って来て、木材の前に置く。
津衣菜が木材から手を離してみたが、もう押してもビクともしない程に地面に立っていた。
梨乃と美也が二人がかりで、比較的短めの横棒用の木材を持って来た。
二人が縦棒とクロスさせて、日香里が交差部分を紐で縛って行く。
「十字架とか作った事あるんだ、やっぱ」
「はい」
交差部分を押さえるのを手伝いながら津衣菜が聞くと、日香里は少し笑いながら答える。
「でもこの墓……目立ち過ぎるんじゃない?」
津衣菜は、ずっと気になっていた疑問を意を決して聞いてみる。
花紀がずっとこの場所で眠っていられる様な墓がいいとは彼女も思う。
しかし、その為には生者の目につかない様にする必要もあるのではないか。
ここも恐らく誰かの私有地で、長く放置されている様にも見えない。
そこに、明らかな人間向けの墓が、勝手に作られているという事になる。
「それは大丈夫です。この場所は……山一つごと、対策部が買い取る事になりましたから」
「何だって……?」
日香里の答えに、津衣菜も絶句する。
少し考えれば、今の津衣菜でも理解は出来た。
対策部の同意なしで、遥や彼女達が今ここにいられる訳がないと。
さっき向坂の後始末に動いていたのも対策部だった。
しかし、彼女たちに自由を与え、花紀の墓の為に、対策部が土地を買い取るまでするというのは、一体どんな背景がある話なのか。
「これから、この辺りは眠りについたフロートの為の場所にしていいそうです。山の裏半分と麓一周を使って、これから幾つか施設を作るんだそうです……」
「ああ、そういう事……でも……それだけ?」
施設を作るついで。
そう言われれば、何となく納得は出来る。
だが、対策部が、それだけで管理下にないフロートにそんな場所を提供するだろうか。
そもそも、一度は管理下にあったフロートに、何故こんなにあっさりと自由を認めているのか。
「それと、はるさんが……私達と津衣菜さん、花紀さんの分は、その代償も払ったからって」
「代償……それは」
「多分分かるだろうけど、詳細は聞かない方がいいと」
対策部がフロートに何かをする時は、自由や権利を認める時も、いつも何か代償を取って行く。
それは労力などの貢献の時もあれば、データやサンプルの場合もある。
「肉片や皮膚や、骨の一二本、持ってっただろうな……いちいち騒いだってしょうがねえんだよ、こんな事は」
土を戻し終え、スコップと足で固めていた鏡子がぼそっと口を挟んだ。
「私らとあいつらで、前からずっとそうやって来てんだから。花紀だって、分かってるさ」
「私だって……もう、分かってる……ただ、気になっただけ」
低い声で津衣菜がひとりごちる。
「分かってたって、気に入らなければ暴れるってんじゃ、変わんないだろが。お前は、何も分かってないのと同じなんだよ」
津衣菜の独り言へも、鏡子の容赦のないツッコミが入る。
やはりこいつはこうかと思いつつも、さすがに今、彼女に何かを言い返す気にはなれない津衣菜だった。
「だけど、お前の言う通りだった」
「……え?」
「本当は、あたしがやるべき事だった。あたしが誰よりも先に、あいつの為に怒らなくちゃいけない時だったんだ」
鏡子の予想外の告白に、津衣菜はもとより、日香里も美也も、千尋も驚きを隠せない呆然とした表情で、彼女に視線を集中させた。
梨乃と雪子だけは、ちらと見守りつつも、それ程動揺を見せていなかったが。
「花紀の最後の中で、あたしはずっと……ビビっていた。あいつの姿が変わって行くのにも、あいつが人間を食わせろと叫ぶまでになったのも、ルールを破る事にも……ビビって、ただ立ち尽くしていたんだ」
「そんな事ないです……鏡子さんは、鏡子さんなりに悩んで、ここでしっかりやって行こうとして」
美也が張り上げた大きめの声をかけるが、鏡子は首の前で手を横に振る。
『いいえ』のハンドサインだ。
「そりゃ、あたしなりに良く考えて選んだつもりだ……だけど、本当はもっと怒り狂うべきだった。ルールも筋もぶっちぎって走るんだった。それがあたしの本当の役目だったし、誰かがそうしなければ、あの子を本当には救えなかったんだ……だけど、あたしには結局、それは無理だったんだ」
鏡子はスコップを地面に置くと、完成した十字架にぐらつきがないか確認する。
白い木製のクロスは、見た目以上の頑丈さで麓と市内を見下ろす様に立っていた。
「津衣菜、あたしはあんたに礼を言わなくちゃいけない」
「あんた、今……」
津衣菜も思わず、声に驚きを出してしまった。
鏡子が津衣菜を名前で呼んだのは、間違いなくこれが初めてだった。
「花紀の救出者になってくれて、ありがとう」
「何それ……あんたの礼なんてキモイだけだって……私だって……もっとあの子の望みを考えたかったんだ……」
震える声で、津衣菜は鏡子に食ってかかっていた。
「あの子に甘えるだけじゃない……あの子の事をきちんと見て、頼りにもされて……寄り添える奴になりたかったよ……あんたみたい……に」
言葉が途切れ、左手で鏡子の肩を掴むとそのまましがみ付く様に、身を寄せる。
鏡子は両手を津衣菜の後頭部と背中に回して、抱きしめ返していた。
「お前こそキモイんだよ……何ひっついて来てんだ……変わってないんだからよ、お前みたいな自殺女嫌いだし、お前のやった事許せないってのは」
かつて花紀にやったみたいに津衣菜の頭を撫でながら、鏡子は罵る。
抱き合ったままの二人を、フロートの少女達は何も言わず、それぞれの顔で見守り続けていた。
第11章「フローティア」 終
次回、エピローグ「きみの0日目」
copyright ゆらぎからすin 小説家になろう
https://book1.adouzi.eu.org/n0786dq/149/
禁止私自转载、加工
禁止私自轉載、加工
無断複写・転載を禁止します。




