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フローティア  作者: ゆらぎからす
11.フローティア
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207日目(6)

 207日目(6)




 白いメルセデスベンツのCクラスが、また交差点で止まった。

 運転席では、40代後半の女性が信号止めの度に、口元をひくつかせる。

 両手に握り込んだハンドルを、落ち着きなく揺らしながら。

 県教育委員、向坂千恵子の頭を占めていたのは、一つの疑問だった。

「こんな地方の街で、どうしてこういう面倒事が続いてしまうのか」

 昼前から、彼女は県庁で開かれている、『西高訴訟』に関する調査会に出席していた。

 訴訟にまで発展した学校問題と、その隠蔽に関与していたという自分への疑惑。

 彼女の力でも、それらを完全に拭う事は出来なかった。

 調査会は、訴訟と比べると彼女や学校側寄りな、いわば『訴訟の後始末』だった。

 それでも何人かが、細々とした事を諦めもせずに毎回質問して来る。

 調査会は毎週、決まった曜日の決まった時間に開催され、教育委員、市や県の教育課、県立西高校の教員など、様々な人間が呼ばれて出席していた。

 しかし、毎週呼ばれていたのは彼女と、西高の校長ぐらいのものだった。

 それだけ、この二人の責任が大きいと見なされていたのだ。

 調査会の後、彼女は自分が理事役員となっている、向坂グループ系列の進学塾の一つに来ていた。

 もう一人の教育委員、そして教育長の原とここで待ち合わせ、調査会の内容について打ち合わせる予定だった。

 これも訴訟の時から、毎週続いていた会合だった。

 主に今後の口裏合わせや、様々な対策についてを、ここで相談し合うのだ。

 この会合はいつも夜8時過ぎまで続いたのだが、今日は午後6時半過ぎ、窓の外が暗くなり始めた頃、塾へ彼女宛ての電話がかかって来た。

 受付に呼ばれて電話を代わると、相手の若そうな女性は『変異対策部』を名乗った。

「江島院長より、向坂様はそちらにいらっしゃると伺いました――携帯も繋がりませんでしたし、緊急のお話でしたので……娘さんの具合に関してですが」


 昨日、彼女の娘は不審者に襲われて軽傷を負い、精神的なダメージも大きいと言う事で、江島総合病院にて様子を見てもらっていた所だった。

 その不審者は、原因不明の現象によって動く死者――『第二種変異体』である可能性が極めて高いという。

 国の変異に対処する専門機関が、娘の保護と犯人の捜索を主導すると説明された。

 院長の江島は娘のクラスメートの父親であり、彼女と共に西高の『平穏化』に加担していた人物の一人でもある。

 江島先生はどうして、この場所まで対策部に教えてしまったのか。

 緊急だと言うから、仕方がなかったのだろうか。

 娘さんの容体が急変したので、可能な限り早く病院までいらして頂きたい。

 電話はそういう内容だった

 向伏市から10キロ程北の石積町に、江島総合病院の第二病院がある。

 向坂の娘はそこへ搬送されていた。

 去年の末に、ここで変異体絡みの奇怪な事件があったらしい。

 それ以降、江島総合病院は、対策部との繋がりが出来たのだと言う。


「ゾンビに殺される」

 現場近くで通行人に助けられた時から、娘はそう口走っていたらしい。

 通行人の何人かからも、『人間にはあり得ない様な動きや、力を見せる女の子がいた』などという目撃証言があった。

 それらの点から、警察と対策部の両方によって、これが変異体案件である可能性が高いという結論に至った。

 娘は、自分を襲った不審者について、『ゾンビ』以外にこう言っていた。

「――『森津衣菜』だ。あいつが私を殺そうとしていた」

 変異体の事は知らなくとも、その名前には聞き覚えがあった。

 現在失踪している、娘の元クラスメート。

 そして、県会議員『森椎菜』の娘。

 プライバシー保護からか、病院にいた対策部職員は、『森津衣菜が死亡し変異体となったのか』という向坂からの質問には一切答えなかった。

「変異体のグループと娘さんの間で、何かトラブルがあったのではないでしょうか」

 警察はそんな間の抜けた事を言って、逆に向坂へ心当たりを尋ねて来る有様だった。

「この街の死者は、他所よりも大人しいんじゃなかったの? さっきあなた達(対策部)が、そう言っていたじゃない」

「通常そうなんですがね……先日の『アーマゲドンクラブ』との衝突から、緊張が高まっているのかもしれません」

 森県議は何も知らないのだろうか。

 彼女の娘は、『行方不明』ではなかったのか。

 変異体となって、そんな変異体の怪しい集団に入り込んでいるというのなら、何かしら把握していたのではないか。

 一度、彼女に問いただしてみる必要がありそうに思えた。


 次の信号待ちで、向坂は携帯を取り出す。

 電源は入っている。

 昨日病院で会った、対策部の担当者の番号にかけてみた。

 高槻と名乗った、スーツ姿の同年代の男。係長とか呼ばれていた。

 さっきから数回かけて見たのだが、ずっと留守電だ。

 緊急で人を呼び出しておいて、自分は留守電かと苛立ちを覚える。

 さっきの電話は女の声だったが、部下に電話を任せているのだろうか。


 彼女も、彼女以外の誰も気にしていなかった事だが、塾の代表電話には、発信元の表示機能がなかった。

 そして、もしその電話の発信元が表示されたなら、『公衆電話』となっていただろう。

 それ故に、公衆電話からの着信を拒否していた、向坂の携帯にはかかって来なかったのだと言う事も。

 しかし、発信元以外でも、普通に考えれば十分おかしな所だらけの電話だった。

 緊急事態だとも言われ、娘の容体が変わったとも言われた。

 それもある。

 昨日からの立て続けの対応で、疲れきってもいた。

 もともと、そういう些細な違和感に気の回る方でもなかった。


 向伏市内から隣市への道は一本だけ。

 数キロ程、山と山の間を縫う様に通っていた。

 完全に暗くなった山道を、ガードレールの反射鏡を頼りに、ゆっくりカーブを進む。

「多様性というなら……」

 車を走らせてる最中だったが、ハンドルを切りながら独り言をしてしまう。

「皆の中心に立って集団を引っ張って行く子もいれば、適応できなくて馬鹿にされたり、不満を集中して受けるべき子だっている、それが多様性ってものでしょう」

 それ(・・)がたまたまうちの子達だったってだけじゃない。

 その言葉は、口に出さず心の中だけで呟いた。


 自分の子供が加害者側の中心人物だったから、我が子を庇う、あるいは自分の保身の為に、黒も白だと言いくるめようという考えは、彼女には実は殆どなかった。

 そもそも、学校の様な空間でいじめが発生し、自分の娘のような生徒が率先して、集団内のお荷物を排撃するという事は、彼女にとっての『黒』ではなかったから。

 誰が加害者であっても、彼女は同じ様に、『他の父兄と協力して』、『学校の平穏化に努めた』だろう。

 自分の子供が当事者であった分、また教育委員の立場の分、見えやすく動き易かっただけに過ぎない。

 訴訟も、調査会も、彼女にとっては下らない、時間の無駄遣いでしかない。

 学校や職場でのいじめなんてものが、社会的な大問題として扱われる事自体に、彼女は納得出来なかった。

 これが人権上の問題だって? バカな。

 これは、男女差別とも人種差別とも違う。

 昔の身分差別にも繋がっていない。

 生徒の家庭の職業や所得だって、本当はそれほど関係はない。

 集団が機能していく上でどこでも必ず起きる、当人同士の能力差やコミュニケーションの問題でしかないでしょう。

 集団行動も、その中で起きるいじめや排除も、この国の社会では必要不可欠なものです。

 それが、この件における彼女の考えの全てだった。

 酷いいじめに遭って心身を病んだり、学校へ行けなくなった子供は、かわいそうだとは思う。

 どこか皆に迷惑をかけない場所で、強く生きてくれればと願う。

 だが、そんな事で、学校の内情を世間に晒し、学校側の責任だと糾弾したり『改善を求める』なんていうのは、お門違いではないか。

 何でそんな事で、その集団や組織が悪の根源みたいに貶められたり、責任者が探し出されて糾弾されなければならないのか。

 何故こんな事で、自分が犯罪者扱いされるのか。

 それが、どうしても納得行かない。

 この件で、どこかにクレームや圧力をかける訳にも行かない。

 今、上から頭を押さえられているのは自分達だと言う事は理解していた。

 ただ、自分が言う所の『集団生活で必ず起きる事』が、自分の身に降りかかっているだけなのだと考える事は出来なかった。

 自分がやられる側に回った時に、理不尽を感じる事は出来る様だった。


 こんな事の『解決案』として、カウンセラー設置だの、固定クラスの廃止だのと、日本の教育制度を根本から変える様な事を、お気軽に要求してくる手合いもバカバカしい。

 まったく、いちいち社会を変えようとするんじゃなくて、自分を変えなさい。

 子供にそれを教えるのも、日本の学校教育の目的でしょうが。


「トロかったり不細工だったり、頭の足りない子、何か浮く子、何か腹立つ子がいて、そういうのをリーダーが指名して、みんなでいじめる。それこそがこの国の多様性じゃない……ずっとそうだったじゃない」


 決して表で聞かれる訳にはいかない、自分の思想の真髄を車内で垂れ流す。

 彼女自身、娘にも、もう社会人になっているその兄にも、そう教えて来ていた。

 夫も似た様な価値観だった。

 彼女の両親もやはり、そういう考えだった。

 そして、彼女はそう育てられ、そのまま大人になったのだ。

 それを表で言ってはいけないと言うのも、十分分かっていながら、内心と本音で堅持し続けて来たのだ。

 遠く前方に案内看板が見え始める。

 もう少し進めば『石積町 4km』と白文字が見えるだろう。

 道の両脇には、地滑り防止のネットが張られた山の地肌がそびえ、その上に雑木林が黒く広がっている。

 看板の先には歩道橋がある。

 この付近には横断歩道も交差点もなく、歩行者は数百メートル以上の間隔で置かれたそれらの歩道橋を利用するしかない。

 たいていの歩行者は、無理矢理道路を横断している様だが。

 歩道橋から飛び立った影など、向坂は見ていなかった。

 彼女の注意力では、前を確認するので手いっぱいだったのもあるが。

 車内にはそんなに音は響かなかった。

 くぐもった低い音と共に、天井を衝撃が伝う。

 車内からも見える位に――1センチ以上凹んだ。

 向坂も思わず、急ブレーキを踏む。

 何、なに、なんなのよ。

 心の中で怒鳴ったが、口は無言のまま、鏡で車の前後左右を確かめる。

 車の上、ちょうど運転席の天井上はどこからも見えない。

 道の路肩にあるカーブミラー。

 自分の車が写っているが、天井付近は暗くて見えない。

 車の上に何か写っている様な気もするが、目の錯覚かもしれない程の曖昧さだ。

「こんな時に何なのよ……」

 車を少し進めて、路肩のちょうどカーブミラー手前に停め、向坂は車を降りる。

 すぐに運転席真上にうずくまっていた小柄な人影を認め、普通に不機嫌な声をかけてしまう。

「ちょっと、あなた、こんな所で何やってるの? 車に傷付けたんじゃ――ないの――」

 言葉途中で向坂は言い淀み、それ(・・)から視線をそらして、すぐに車内に引っ込んだ。

 やばい。

 やばいやばいやばいやばい。

 二十年近く使ってなかった言い回しを心の中で連呼し、震える指でサイドブレーキを探る。

 ヤバい。

 あれ(・・)には、言葉が通じない。

 ガン!

 ガンガンガンガンッ!

 ボコッ!

 土木作業のハンマーで殴っているみたいな音が数度天井に響き、半径数センチ程の円形で、深く凹んだ。

 鳥の様な悲鳴を上げながら向坂はアクセルを踏み、メルセデスベンツをバックさせる。

 それが何なのか分からないし、疑問にさえ感じなかった。

 すぐにでもあれ(・・)を振り落とし、この場から離れなければならない事だけは、よく分かっていた。







 copyright ゆらぎからすin 小説家になろう

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