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フローティア  作者: ゆらぎからす
11.フローティア
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206日目(2)

 206日目(2)




「どうしてここにいるの」

「森さんの事、校内に広まっています……私にまで情報が届く位です」

 津衣菜の質問に紗枝子は、階段を上りながら答えた。

 彼女は、今でも学校内で孤立しているらしかった。

「『幽霊なのかこの前のゾンビの仲間なのか分からない』『けど、もう普通の生きた人間じゃない』『話しかけて来て、油断した所を襲われる』『この辺で見かけた』って。見た場所の情報なんかも、かなり具体的に――」

「そんな事、聞いてるんじゃないんだけど」

 カンカンと響いていた足音が止まる。

 視界には入ってないが、二メートルと離れていない気配は、割と強く感じ取れた。

「私が聞いているのは、その情報で、あなたがわざわざここを突きとめた理由よ」

 紗枝子は答えない。

 再び足音を鳴らし、津衣菜が立っているのと同じ踊り場へ上って来た。

 津衣菜の視界の端に彼女の姿が入る。

 紗枝子は制服ではなく、色の薄い肩の見えるブラウスにデニムのスカート。

 一度は家に帰って、着替えていたのだろう。

 じっと見られている、彼女からの視線を感じる。

「本当に……同じ学校の……同じクラスの人達を襲ったんですか」

「それも家でラインチェックしてれば良かったんじゃない?」

 津衣菜は次の瞬間、左手を伸ばして紗枝子の喉を捉える。

 そのまま彼女の足を払って、その場に無理矢理座らせる。

 自分も膝をつきながら、紗枝子を片手だけで壁に強く押し付けた。

 手加減されている様だったが、人間のものとは思えない力。

 もう少し力を込められたら、この首は一瞬で折れてしまうだろう。

 夏にしては大げさなギブスの、目の前にいる津衣菜の首みたいに。

「あなたが考えてる様な理由じゃない」

 呼吸が出来ない苦しさを感じ始めた時、津衣菜が呟く様に言った。

「私が復讐に来たとか、怒ってるとか思ったんでしょう?」

「よくわかりませんけど……そうじゃないんですか?」

 紗枝子は感じた恐怖を隠そうとはせず、それでも津衣菜を見返している。

「そんな事はあなた達でやればいい……いや、『やればよかった』よね」

 露骨に蔑みを含んだ声で、津衣菜は答える。

「復讐だの怒りだの憎しみだので動くのは、生者の領分よ。あなたは途中放棄したみたいだけど」

 津衣菜の言葉に、紗枝子の瞳が新たな反応を見せる。

 何を言われているのかに気付いた様だった。

 紗枝子の傍らのバッグを軽く蹴って、彼女の太ももの上に乗せる。

「折角来たんだし、誰でも良いからここに呼んでもらおうか」

 言いながらも津衣菜は、紗枝子の喉に掛けた手を離さない。

 元から期待してはいなかった。

「あの子が苦しんでるの」

 紗枝子は津衣菜を凝視したまま、口をぱくぱくと動かし始めた。

 喉を絞められたままの掠れ切った声で、単語を反芻する。

「あ……の……子………?」

「毎日痛い痛いって言って、身体がどんどん腐って行ってるの」

 津衣菜はようやく紗枝子の首から手を離す。

 紗枝子は吐きそうな勢いで咳き込んでいた。

 津衣菜はそんな彼女をしばらく見ていたが、やがて立ち上がって、学校の方を向いた

「私はあの子を救うの……元通りにしてあげなくちゃいけない。この世に不要な人間の命で。死ぬべき奴らの死で」

 背後で聞こえていた紗枝子の咳が止む。

「救う……? この世に……不要?」

「あなたが理解する必要はない」

 うるさげにそう言って、津衣菜は眼下の通りを右から左へと見渡す。

 さっきよりも人通りは少なくなり、静まり返りつつあった。

 西高の制服を着ている生徒は、もう一人も見当たらない。

「戦いだの復讐だの、そんなのは私にはもうどうでも良いの。使ってもいい人間(・・・・・・・・)の心当たりが、まずここだったってだけよ」

 学校の連中の対応が早かったのは、多分、フロートへの認知度が高くなっているのもあるのだろう。

 半年前、自分が生きていた時と比べたらずっと。

 津衣菜は苦々しさと共に考えを巡らす。

 そうなったのは、ネットやテレビだけでなく、自分達フロートの起こして来た騒ぎのせいでもある。

「『あの子』とは……忍さんですか?」

 背後からの言葉に津衣菜は思わず、思考を止める。

 虚空へ踏み出そうと、手すりへ乗せかけていた足も止まる。

「違う」

 意識せず、低く吐き捨てる様な声が出た。

 二秒程置いて、平坦な声の一言を付け加えた。

「あの子は生きているでしょ……一応」

「それは……私にも、分かりません」

「私も会っていない。もう二度と会わないでしょうけど」

「彼女は生きているのにですか」

「私が死んだからよ」

「あなたの救いたい人は、死者――変異体なんですか」

「……誰よりも生きる資格のある子よ」

 津衣菜は手すりから足を下ろし、後ろに身体を向ける。

 紗枝子は、喉を押さえながらも津衣菜を見返して来る。

「私はもうこんな世界で生きる気はなかった。その資格もない。だけど、そうじゃない子もいる……そんな子がああなるなんておかしいのよ。奴らが普通に生きてるのに」

「聞いた事があります……腐敗の進行した変異体が、生きた人間を食べたくなると……生きた人間を食べると苦痛が治まると思い込む様になるって……だけど、それは!」

「妄想だと言いたいの? でもそれって、本当はまだ分かってないんだよ。立証出来るまで食べさせ続けたなんて事例がないから」

「だとしても」

「こんな事で、あの子が終わりだなんて認めない。私は諦めない」

 紗枝子を黙らせる様に津衣菜は畳みかけた。

 同時に彼女を半目で睨み、一歩ずつゆっくり進む。

「どうにもならない事なんてない。私はそれを是正する。あいつらをあの子に捧げて、それを証明する」

「その人を忍さんに見立てて、やり直し(・・・・)をしているつもりなんですか」

「黙れ」

 ギブスの先で胸を突くと、紗枝子は後ろに飛ぶ。

 背中を壁に叩きつけられてから手前の床にバウンドして転がった。

「ぐ……」

「こっちは別にあんたでもいいんだよ……この半端ヤローが」

 横たわったまま呻きながら身体を震わせている紗枝子に、見下ろす目つきの津衣菜が告げる。

「将来が惜しくて裁判やめたんだってね。あの世までも聞こえて来てたよ、あんたらのヘタレっぷり」

 津衣菜が言った時、床に転がったままだった紗枝子のスマホが振動した。

 画面には着信表示。

『指定変異対策部 南東北ホットライン』

「ははは……やっぱり、私の邪魔しに来てたんだ? ね?」

 嘲笑しながら、紗枝子の方にスマホを蹴る。

「出たら? どうせ、『逃げ出した変異体』の話も聞いてるんでしょ?」

 紗枝子が出ないままのスマホは三十秒近く続けたが、ふっと静かになった。

 振動が止んだ時、伏せたままの紗枝子からくぐもった声が聞こえた。

「半端とか……ヘタレとか……森さんに言われたく……ありません」

「何だって?」

 無表情のまま聞き返した津衣菜へ、続ける紗枝子の声は、少しずつ力を取り戻していた。

「全部、あなたの事じゃありませんか。一人で全部諦めて、全部から逃げ出して、全部丸投げした……取り返し付かないヘタレの中途半端は、全部全部あなたじゃないですか」

 一旦躊躇ってから顔を上げた紗枝子。

 目の前に立っている津衣菜は、本当に幽霊の様だった。

 『幽霊よりもっと恐ろしいものかもしれない』というのも分かっていた。

 だけど、それでも、津衣菜を見る彼女の目に恐怖はなかった。

「私たちはみっともなかったかもしれません。やり方も拙くて、臆病で、無様かもしれない……けど、一つ一つ投げたりなんかしないで選んで来た。それをあなたになんて貶められるいわれはないです」

「……」

 津衣菜は沈黙している。

「森さんが私達、あのクラスや学校をまだ憎んでいるなら、その復讐に来たのなら、止めなければと思っていました。あの人達をそんなやり方で裁かせちゃいけないと……だけど、そんな関係ない理由なら、尚更あなたに手を出させません」

「そんな御託を聞く気はない。立派な物言いだけど、あんたには何も出来ないでしょ」

 津衣菜が言い返しながら一歩進んだ時、紗枝子が目の前のスマホを拾い上げる。

「あの日の言葉を……そのまま返します。森さんは自分の場所(・・・・・)にお帰り下さい」

 津衣菜が一気に距離を詰めながら、彼女の手元のスマホを蹴飛ばそうとした。

 その直前に動きが止まり、津衣菜は素早く彼女から離れた。

 右手にスマホを拾った紗枝子。

 その左手には、見覚えのある懐中電灯型の円筒。

 津衣菜自身も持っていて、何度も使った事がある――使われた事も。

「あなた達には、痛覚がなくても電気は効くんですよね……テレビでも言ってましたよ」

 紗枝子は言葉の後に、先端の電極からバチバチ放電音を鳴らして見せるという事はしなかった。

 津衣菜も経験上知っている。

 そういう奴はスタンガンを威嚇じゃなく、本気で相手を仕留めるのに使う。

 紗枝子はスタンガンをしっかりと握って津衣菜へ向けながら、右手で対策部のホットラインへリダイヤルする。

 紗枝子は津衣菜を目を離さず見ていた筈だった。

 だが、津衣菜がこっちを向いたまま後ろに飛んで、手すりに乗って、もう一度後ろ向きに夜空へ跳ねた所を、きちんと目で追えなかった。

 紗枝子の耳元で、スマホからけたたましく質問が飛ぶ。

「もしもし……どうしました? 何か異常が? 襲って来ましたか?」

「いつもそうだ……いつも最後は、夢だったかの様に消えちゃうんですね。あなたは」

 誰もいなくなった階段で、スタンガンを下ろした紗枝子は呟く。




 そこ(・・)には月明かりだけが差していた。

 戸口に気配もなく現れた津衣菜は、影を揺らしながら奥の間仕切りのカーテンへ向かう。

 片手に何か、1メートル以上の大きさの物体を引きずっている。

「花紀、起きてる?」

 津衣菜が声をかけたカーテンには、数本のケーブルが伸びている。

 山中とか、人気のない場所で電気を盗む方法は、何度も遥から教わっていた。

 奥へと進む津衣菜の片手にあったのは、十歳前後の子供だ。

 ここから百メートルほど下のけもの道で捕まえ、首根っこを掴んだままここ(・・)まで持って来たのだ。

 フロートではない生きた人間のその子供は、稲荷神社の面々と同じか、彼らより少し小さい位だった。

「予定してた大きなのは連れて来れなかったけど……すぐ近くで拾ったよ」

 子供は呼吸こそしていたが尿を漏らし、薄目を開けてぐったりしていた。

「凄い叫びながら二人で走ってた……こっちから。こんな夜中に肝試しでこんな所に入り込んだのかな。そして花紀を見たのかな。悪い子だね」

 風もないその空間でカーテンが微かに揺れる。

「勝手に入って来て、あんな大声出しながら逃げるなんて失礼だし」

 カーテンをずらすと、ケーブルの先に人一人入れるサイズの大型のクーラーボックスがあり、その蓋は微かに開いていた。

「呼び止めて何を見たのか聞こうとしたら、余計大きな悲鳴上げて騒いで、凄くうるさかった……一人捕まえたら、もう一人は友達置いて逃げちゃったよ。どうしようね」

 津衣菜はそっとボックスの蓋を開ける。

 白く冷気が立ち上り、月の光が中を照らした。

 津衣菜の掴んでいた子供が呻きながら目を開き、自分がいる場所と目の前のボックスを――中に横たわっていた花紀を――見た時、再び喉を震わせた。

 子供が叫ぶ前に、津衣菜はその喉を強く締め上げた。

「げ……ぎょ……ぶぐう」

「やっぱり、ここに来てたみたいだね。うるさいからさっさと捌きたいけど、その前に、もう一人の名前と住所も押さえた方がいいんじゃないかって思うんだ。この場所は多分漏れるよ。花紀はどう思う?」

 子供は涙をぼろぼろ流しながら、津衣菜と花紀に何かを言おうとしているが、下水の詰まった様な音しか出て来ない。

「ねえ君、さっきのもう一人の子は、何て名前でどこの学校かな? 住所と電話番号は言える? それを教えてくれたら、君は助けてあげようかなって」

 津衣菜は気味悪い位に優しい声で子供にそう囁きながら、喉に掛けた指を緩めた。

「……」

「え、何?」

「うそつくなクソ化け物ども……忘れたし、覚えてても言わねえよ、舐めんな」

「面倒くさいから、もういいや……花紀、待っててね。今のあんたじゃ上手く噛めないと思うから…」

 指をずらしながら、子供の首にゆっくりと食い込ませて行く。

 頸椎にかかった親指も、彼の骨を砕こうとぎりぎりとめり込み始めている。

 足も使って、魚みたいに一気に背骨を引っこ抜こうとも思ったが、その前にまず絶命させときたかった。

 津衣菜のシャツの裾を、ボックスから伸びて来た腕が強く掴んだ。

 灰色の雑巾を何枚も骨に貼り合わせたみたいな、ドロドロに腐った腕だった。

「何、何かある?」

「………やめて」

「やめないよ。まずこれを食べてみよう。考えようによっちゃ、花紀の可愛さも理解出来ないこんなクソガキも、この世にいらない生者かも……」

「やめなさ……い……!」

「うわあああああああ!」

 随分久しぶりに聞く様な、少し厳しげな花紀の声。

 同時に戸口付近から、さっきの悲鳴にも似た振り絞るような叫び声が、津衣菜と子供の所へ猛スピードで接近して来た。

 どこで手に入れたのか、泥だらけの金属製スコップを振り上げながら津衣菜へ迫って来る子供。

 当たっても大した事のなさそうな、何の仕掛けも感じられない、稚拙で非力な攻撃。

「そいつから手を離せ!」

 紙一重で避けようとして、避けそこなった津衣菜は肩にスコップを直撃させ、左手の子供を離してしまう。

 避けそこなったのは、花紀に掴まれていたからか、向かって来た子供の目を見てしまったからか、津衣菜自身にも分からなかった。

 他に何も考えていない、ただ仲間を救おうとする、無心の意思。

「ごめん、ごめんな、おれ、おれ……まず逃げよう!」

「こっちこそ悪い……ちっとあるけね……待って」

「掴まれ! 化け物ひるんでるうちに出る」

 よたよたと支え合いながら出て行く二人の子供は、動きも緩慢で、津衣菜にとって捕まえ直すのは簡単に見えた。

 花紀がいなければ。

「花紀……」

 クーラーボックスの中から、紅い目が一つ津衣菜を見上げていた。

 戸口から外へ出てしまっていた子供達を見送ってから、津衣菜は花紀の腕を取りながら身体の向きを変える。

「かえして……みんなのところに」

「そうだよ、帰ろうよ」

 花紀の懇願に、津衣菜は頷き返す。

「その為にも、試さなくちゃ。あいつらの命が花紀にどれだけ役に立つか」

「だめだよ……ついにゃ……津衣菜……もうやめて」

「どうして?」

 津衣菜は笑顔のまま花紀へ聞き返す。

 花紀の腕を、千切れない様に注意を払いながら彼女の胸の上へ戻してやる。

「花紀、お願い、私を信じて。あいつらは花紀の終わりを待っているだけなんだ。まるで生者どもみたいに。私だけが、あんたの夢を守れる」

 子供を騙す時とも違う、心のこもった優しい声で津衣菜は花紀を諭そうとする。

 そのまま花紀に穏やかな視線を落としていた津衣菜だったが、少し経って、気が付いた様に苦笑を浮かべて言う。

「偉そうな事言ってたけど、今日は失敗しちゃったんだ。私の計画が甘かったんだね。ちょろそうなザコにも逃げられちゃうし、邪魔しに来る奴もいたし……おかげで、もう西高の周りには近寄れなくなったかな」

 クーラーボックスの中に花紀と一緒に入れてあったアンプルの一つを、花紀に投与してやる。

 遥の持って来た新薬ではない、ここしばらく、津衣菜が投与を担当していた鎮痛・防腐の酵素薬剤だった。

「でも、学校の傍で待ち伏せる必要なんてなかったんだ。本当に死んだ方がいい奴らは、別の所に住んでるし、奴ら特有の出没エリアがあるんだから」

 投与を終えて、専用注射器をアルコールで拭いて収納してから、津衣菜は言った。

「おねがい、めをさまして、元の津衣菜にもどって……」

「花紀、最初からこれが私だよ。死者の国の意味を見つけた私だよ」

 花紀は伸ばしかけた腕を、胸の上に落してしまう。

 その辺りだけが元の花紀の姿を保っている、力のない片目は、それでも悲しげに津衣菜をじっと見つめている。

「今からでも準備に入って、朝いちで、今度こそあいつ(・・・)、でなければあいつかあいつ(・・・・・・・)を捕まえて来る。川向うのあの地区でやれる筈なんだ。一日で食べきれなければ、それでもいい、腐らない内に二三日で片付けちゃおう」

 花紀の視線の表情に気付いているのか、いないのか、遠くを見る様な目で今後の予定を語る津衣菜。

「どうかもう少しだけ待ってて。今だけは私の言う通りにして。今度こそ、私にあんたを守らせて」

 花紀の残った髪を撫でてやりながら、津衣菜はそう懇願して、そしてボックスの蓋を閉じた。




 copyright ゆらぎからすin 小説家になろう

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