193日目(7)
193日目(7)
およそ十秒、三人で前を向いて走ったら、一人が立ち止まって振り向く。
今度は津衣菜の番だ。
斜面いっぱいに広がって追って来る人々へ、数歩だけ駆け寄って大きくスコップを振る。
そしてまた前へ走り、彼女が二人に追いついた頃、今度は高地が後ろへと駆け下りて行った。
戻って来る高地を待ちながら、花紀は真剣な表情で構えた銃口を左右に動かす。
彼女達が何かアクションをする度に、二百人以上いる大集団は足を止め、彼女達に近付けないままでいる。
特に、花紀の銃を見て、20メートル以上近付こうとする者は皆無だった。
「どう?」
津衣菜が高地に声を掛ける。
「何がだよ!?」
「あの中でどのくらい? フロート狩りに慣れてる奴」
「ああ。2割もいねえ。あとは訳も分かんねえまま来た奴らだな」
「2割って言うのは……」
「そうだ。さっき、最初に五百万とか叫んで煽り始めたのが、そんぐらいなんだよ」
高地はだだっ広い、雪のないゲレンデコースを上から下へ見渡して、薄く笑いを浮かべた。
距離を置きながらも、きちんと津衣菜達を追い続けている集団も、全体の中の一握りらしかった。
集団の後ろにいる『残りの大半』が何をやっているのか、その喧噪もフロート達の耳にまで入っている。
「五百万! 畜生どけよ!」
「クソが、邪魔すんなよ! 俺らの五百万円なんだからよ!」
「うるさいわね! 私達がゾンビ退治して賞金もらうって言ってんの! 下がれよ! 触るんじゃねえよ!」
スキー場入口付近では、小グループ同士の乱闘が始まっていた。
先頭に合流して、フロート退治の手柄を上げたがっている彼らは、前へ出る事も出来ないまま互いを潰し合っていたのだ。
呼吸をしていないフロート達は、走り続けていても誰一人息が切れていない。
「『不幸中の幸い』は、もう一つあるようだぜ」
「幸い? 何が?」
「どんなに素人でもあの人数相手だ。普通はどう足掻いても俺らの勝ち目なんてねえんだ。だけどよ、あの中で……撃たれても、頭を砕かれても構わねえって奴の数は、0だ」
「それって、考えようによっては3対0って事?」
「まあ、そうだな……おう、ちょっと待てよ……もう一人はどうしたんだよ!?」
高地は笑みを引っ込め、思わず焦った声を上げる。
「あ、忘れてた。多分リフト下付近で脱落したかも」
「馬鹿野郎! くそっ、さすがに気付かれて助け出されちまうか……」
「――――待ってくれえええええ」
耳に飛び込んで来た声に、三人は急停止し、一斉に振り返った。
彼女達を追って来た集団の、右斜め後ろ数十メートル。
ゲレンデコースの分岐から、どう逃げて来たのか日出がよたよたと飛び出して来た。
そして彼の後ろから新たに出現した、百人近い喧しい集団。
『アーマゲドンクラブ会長を助け出そうとする会員やシンパ』は、あの中には一人もいなかったらしい。
高地は日出とその後ろの群れを凝視して、ぼそっと呟く。
「待ってくれって……まさか、俺らに向かって言ってんのか?」
「私も耳も疑ったけど、そうとしか聞こえないわね」
日出はずぶ濡れのワイシャツから汗の滴を撒き散らし、息も絶え絶えの様子で必死に斜面を駆け上って来る。
前方に自分を見下ろす死者達を認めると、更に声を張り上げた。
「おおーい、待ってくれよおおお、置いてくなああああ」
津衣菜はスマホを取り出して、生放送アプリを起動させる。
「あ、電波悪い……」
頻発するエラー表示を見て、放送を諦め普通の動画撮影に切り替えた。
「お前にしちゃ珍しく気がきくじゃねえか。取りあえず何でも残せるもの撮っとけ」
「交渉に私が必要なんだろおおお、いなくなったら困るんだろおおおお」
「いや、その通りだけどよ……自分で言う程のアレかよ」
「会長さーーん、もう少しだよー、頑張ってーー」
嫌そうな顔で呟く高地に、黙ってカメラを日出へ向けている津衣菜。
花紀は両横の空気に合わせず、日出へ呼びかけながら右手をぶんぶん振っていた。
「誰か向こうで撮ってた奴いるね……SNS上げてる。何であっちは動画送れるんだ」
日出が三人の手前まで来た時、花紀が中空へ一発だけ発砲する。
彼を追って来た集団も足止めかけてから、再びゲレンデの上へと走り出す。
撮影を終えた津衣菜が、走りながら画面を高地へ見せる。
日出を追ってた側ではなく、津衣菜達を追ってた側から彼を撮ったものらしい。
撮影者とその仲間は日出が誰だか知っていた。
『みっともねえ』
『ゾンビに間違えられて、ゾンビに助け求めてるとか、マジかww』
『アーマゲ終了の瞬間』
『そのままそこで死ね』
『いっそ死んで、死後変異して向こうに移籍しろ』
貼り付けられた十数秒の動画に次々と集まるコメントは、殆どが日出への罵声だった。
「面白そうだから、本人に見せてやろうか」
「いや……もう反応できねえだろ、これ」
高地の返事で津衣菜が視線を横に動かすと、真っ赤な顔の日出は、虚ろな目でぜえぜえ言い続けている。
運動不足の中年男に斜面を何百メートルも駆け登らせているのだから、当然と言えば当然だった。
捕まらなくとも、目的地に着く前に死んでしまいかねない。
「あと百メートルだ……頑張れ」
嫌なのを我慢する様な声で、高地が日出を励ました。
「百メートル……ゴールがあるのか……」
半ば気絶しかけていた日出の目に、生気が戻る。
「ゲレンデ上のレストハウスにお邪魔すんだよ。そこで立て籠って最後の放送をする……あんたを解放する話もそこでまとめる」
日出は話の間もぜえぜえ言い続けていたが、その目にますます力が戻るのが、津衣菜にも分かった。
「最後……戻れる……」
「解放されても、あんたに帰る場所が残ってるかどうかは別だけどな」
「ちょっと!」
半ば聞えよがしに呟いた高地を、津衣菜が咎める。
だが、日出の耳には入っていない様子だった。
「会長さん、もう少しだよ。上ではお水だって飲めるよ。お互い苦しいけど頑張ろう」
花紀の声は明るかった。
「そして、色々あったけど、やっぱり平和が一番だもの……戦争なんて終わらせちゃって、みんなで仲良くなろっ」
花紀の提案には誰も答えなかった。
「仲良くって、そりゃ違うだろ……こいつのせいでどれだけの犠牲が」
「仲良くできなければ、もっと犠牲が増えるよ。会長さんだけが悪い訳じゃない」
「何だそりゃ……やり返す俺らも悪いとか、そういう理屈か?」
珍しく言葉多く言い返す花紀に、高地がますます声を苛立たせる。
「そうじゃないよ……フロート狩りは、アーマゲドンクラブや会長さんは、みんなの心から生まれて来たってことなの」
花紀もひるまず、訴える様な目で高地の目を覗き込む。
「『フロート狩りがいなくなった後、もっと悪い事が起きる』って、高地さんが教えてくれたんだよ。それって、そういう事だと花紀お姉さんは思ったの」
「言ったけどよ……だから俺らが折れれば、歩み寄れば、上手く行くってか? そう言いてえのか?」
「もう! 違うよう……どうして分かんないんだろう……やっぱりおかしいのかなあ……でも、高地さんには分かると思うんだけどな」
「ああ、そういう事か。こいつらは敵じゃなくて、本当の敵は……でもよ、俺らはそんな広い視野でなんてやってけねえんだよ。今やられない為に目先の邪魔な奴らを片付けるだけで――『平和を武器に病巣に挑む』なんて次元の話はやってられな――」
「やろうよ」
津衣菜も高地もぎょっとした顔で花紀を凝視する。
何か冷たい空気さえ漂う様な、気味の悪い静かな声。
感情の見えない、落ち着いた顔。
訴える眼差しは、瞳孔を広げ、赤く光り始めていた。
「ごめんなさい。花紀お姉さんも、少し興奮し過ぎたみたいです」
二人の視線に気付くと、首をすくめて恥ずかしげに笑う。
「いや、私はたまにはそういう議論もいいと思うけど……今ここで言うってのはちょっと唐突って言うか」
言葉を選ぶように答えた津衣菜へ、花紀は頷いて返す。
「うん、少し疲れて、気が先走っちゃったと思うの」
「疲れて……先走った……?」
思わず花紀の言葉を津衣菜は反芻する。
高地は一瞬だけ鋭い目で花紀を睨んだが、すぐに前に向き直り、日出を引きずったまま足を速める。
津衣菜の視界にも、目指していたレストハウスのシルエットが見えて来た。
聞きたい事は山程あったが、取りあえず籠城を成功させてからだと思い直す。
少しだが、さっきより傾斜がきつくなっていた。
レストハウスの建物付近までのあと数十メートル、それが続く様だった。
のんびり登るには僅かな差だが、一秒を争って駆け上っている者には、大きな差だった。
そして息も絶え絶えになってフラフラな者も。
日出はただの疲れでなく、熱中症にかかっているかもしれない。
もう放送に出せる状態ではないかもしれない。
津衣菜は、前を走る高地にそれを聞いてみようとした。
タタタタタタタタ――――
耳が拾ったのは遠く小さい、けどはっきり響く小刻みな機械音だった。
その音は言葉に出す間もなく、みるみるうちに大きさを増す。
向伏方面の山の向こうから接近し、彼女達の頭上へ到着した時には、空全体を震わす轟音となっていた。
その時には津衣菜達の周辺は、それの影で薄暗くなっていた。
顔を上げられない彼女も、レストハウスの窓に移った光景で、上空に留まる何機ものヘリコプターの機影を見る事が出来た。
ヘリは彼女達の上空から一機ずつ、ゲレンデ上の台地へ移動して行く。
先頭の一機が着陸し、機内から次々黒い人影が飛び降りた。
十人以上が降りると、そのヘリは上昇し、次の一機が着陸する。
先頭の十数人は既に、斜面をこちらに向かって駆け降り始めていた。
続けて、二機目から降りた十数人もひとかたまりで降りて来る。
津衣菜達は、立ち止まって彼らを確認する。
機動服を着ているが、警察でも自衛隊でもない。
彼らの装備にはロゴもマークもあり、遠目でよく見えないが、何となく対策部のものだとは分かった。
夏場はゴルフ場になっている、このスキー場ではレストハウスに利用客も店員もいた。
彼らも窓から、斜面下の暴徒集団と、斜面上からのヘリと機動服集団を、呆然と眺めていた。
窓の下にいる死者と生者の数人には誰も注目していない。
対策部の実力部隊は、追手の連中にではなく、まず自分達に向かって来ている。
それを確認したと同時に、津衣菜達は玄関から店内に飛び込んでいた。
「奥に集まって屈んで!」
花紀に銃を構えさせたまま、津衣菜はスコップを振って叫ぶ。
店内は彼女達が入ってから、悲鳴と怒号で割れる様な騒ぎとなっていた。
まず銃を見て叫び、片手で何十キロもあるテーブルや商品棚を玄関へ投げる少女に叫ぶ。
仕切り壁を、段ボールか何かの様にはがして窓際へ持って行く、スキンヘッドの大男に叫ぶ。
静かにしろとは言わなかった。
飛び交う家具や資材を避けて、店外へ脱出した何人かも放置した。
端へ寄せた者も人質にするつもりはなく、封鎖が完了したら出て行かせるつもりだった。
窓のブラインドは店員にも手伝わせて全て閉め、その手前にもテーブルや調理機器を引っくり返して転がす。
1階は高地に任せて、津衣菜と花紀は二階へ移動する。
階段のある食堂スペースの窓だけ、ブラインドを閉めて、テーブルや箱を窓際に積み上げる。
事務室や個室が並ぶ奥の廊下入口は天井まで棚とテーブルを重ねて、完全に封鎖した。
ここまでノルマをクリアすると、津衣菜はブラインドの隙間から外を窺い見る
ゲレンデを駆け降りて来ていた対策部部隊は、一班がレストハウスの包囲に回ると、もう一班がその下の集団へ向かうという形で分かれながら、次々展開して行く。
何人かが暴れながら、機動服の数人に制圧されていた。
銃は持っていないが警棒や警杖、網のようなものは持っているみたいだった。
一階の窓から煙が出ている。
レストハウスを包囲した部隊は、中には突入せず距離を置いて状況を窺っている様だ。
中にいた人間の半分以上は既に店外に出され、対策部の保護を受けているみたいだが、全員が出ている様子ではない。
何人か店内に残っている。高地が故意に留めているのかどうかは分からない。
「そっちはどうだ?」
階段下から大声で高地が尋ねて来る。
「大体予定通りに閉めたわ。下、誰か残ってるの?」
「ああ。上の奴が心配だって同僚や家族がな。取りあえず二階の奴ら降ろせ……出すかどうかは、様子見だ」
「分かったわ……解放、難しいの?」
「分かんねえ、出したタイミングで向こうが突っ込んでくるかもな。そんな感じだ」
津衣菜は、2階にいた店員と客、6名を一人ずつ階段から降りさせた。
「今、高槻の野郎から電話があった……ヘリで来た兵隊は奴の仕切りだってよ」
一階からそんな報告が来る。
「海老名じゃないの?」
「別だけど、海老名の顔色も窺いつつみてえだから……今回同じようなもんだと思っとけ。『投降しろ』とか、言ってる事も同じだしよ」
「まあ、海老名と高槻の違いなんて元から私は知らないけどね」
「だろうな。そんな事より、器材の仕度はどうだ?」
「言われた通りやった。トラブっても分かんないわよ」
「まあ安心しろ。システムをギリギリまで簡単にしたから、お前のスマホの生放送アプリと大して変わんねえ」
テーブルの一つにカメラとノートを置き、その前に花紀が立った。
配信を開始し、ノートの画面に花紀が映る。
『おおおおおおおお』
『おおおおおおおおかのりいいいいいいい』
『かわええええええ』
『期待期待期待』
『日出いねえ。単独か』
『ここどこだよ、椅子やテーブル倒れてんだけど』
『画質きれいになった。スマホじゃなくなった?』
『花紀ちん疲れている……変異しても疲れるの?』
『疲れはねえだろ。光のせいだよ』
ずっとチェックしていたらしい視聴者が早速、文字で歓声を上げた。
ガシャアアンッ!
一階から大きなガラスの割れる音。
外から割られたのか内から割ったのかは分からない。
「大丈夫?」
「想定内だ! まだまだ余裕だぜ」
津衣菜の問いに高地から、元気そうな返事が返ってきた。
「花紀!」
続けて高地は花紀を呼んだ。
放送されているにもかかわらず、花紀はきょとんとした顔で階段を見てしまう。
「俺は何だかんだで、ケンカ好きだからよ。敵を決めねえと大事な事が考えられねえ。生きてた時も、死んでからも。お前の言ってる事、分かる様で全然分かんねえ。六大卒の物書きなんて言っても、こんなもんだ」
またガラスの割れる音。
木材の家具が潰れる音。足音と機械の振動。
一階が静かになって階段下へ足音が近づき、高地の声が再び響いた。
「多分これが最後の放送になっから……やりてえんならやってみろよ、お前の勝負。もう計画は気にしねえで良いからよ。日出も、俺にも自殺女も、外にいる奴らも、お前の世界に巻き込んでみろよ」
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