193日目(6)
193日目(6)
「――止まった」
酔座からの車が急に減った。
反対車線は普段と同じ位の、まばらな交通量に戻っている。
この先での『事故による渋滞』の報せを受けて、路肩に停めている車も普段より多かったが、彼らは黒のエルグランドに変な反応を見せたりしない。
すれ違い様に、こちらをじろじろ見たり物を投げたりして来る、不審な気配の車だけが、くっきりと流れを止めたのだ。
高地は車を飛ばし続けている。
バックミラーにぽつぽつと、後ろから近付いて来る車が写り始めた。
近付いている、つまり『こちら以上のスピードで飛ばしている』車は、一台二台と増え、やがて、列を組んでいるのがはっきりと見えるまでになった。
今まですれ違って後ろへ去って行った筈の車、およそ数十台が後ろの見えない長さで並んでいる。
そして、前方にも夥しい数の車と人間。
酔座市街地の10キロ前にあった酔座スキー場。
夏場は利用客のいないその駐車場入口、またはその百メートル先の採石場を使って、車の大半は待機していた。
こちらの接近に気付いたのか、車がわらわらと道路上に溢れ始める。
徐行しながらこちらへ向かって来る車両も見える。
どれがフロート狩り経験者で、どれが賞金に煽られた素人で、どれが対策部なのか、津衣菜には見分けがつかない。
「どうするの」
「突っ切るしかねえ。無理矢理にでも抜けるからよ!」
高地は叫びながら花紀と津衣菜に、窓と後部の荷物スペースを指差して示す。
花紀は困った顔できょろきょろ窓を見回すが、車外からの攻撃に覚えがある津衣菜は、後ろのスペースから銀マットを取ると、花紀と高地にも渡す。
「貼って!」
自分のいる後部席左側、次に日出のいる右側に、マットを吸盤で貼り付ける。
花紀が助手席側の窓、高地は運転席側の窓を自分で貼った。
それぞれ貼り終えるのと、周囲からガンガンと何かの車体にぶつかる音、ガラスの割れる音が鳴り響いたのは、ほぼ同じタイミングだった。
既に、エルグランドは待機車群の中に突入していた。
マットの下の隙間から、細かな粒上のガラス片が、ボロボロと車内にこぼれて来る。
「よっしゃ! あいつら完全には前塞いでねえ!」
「本当!?」
高地の上げた歓声に、津衣菜は驚いて聞き返す。
「どうして」
「分かんねえが、こっちのスピードにビビったみてえだ。あと半分で出れるぞ、このまま一気に――」
高地の言葉は、激しい震動によって中断させられた。
前からも後ろからも来ている揺れ、タイヤが四輪とも、次々とパンクしたらしかった。
「きゃっ!?」
「うわああああっ!」
「何だってんだよ、クソ!」
花紀と日出が悲鳴を上げ、ハンドルをうまく切れないままの高地が怒鳴る。
左右側面で何度も衝突があり、運転席前方に迫った大型看板に衝突して、車は止まった。
それがスキー場出口の周辺案内看板だと、津衣菜が気付くまで衝突後数秒かかった。
生者の日出だけでなく、花紀や高地も2秒くらい衝撃でぼんやりしていたらしかった。
後ろから追って来ていた車の列は、50メートル程後ろで先頭が停車し、人が降り始めている。
列の後ろあちこちからクラクションが聞こえていた。
追手の一部がふざけているのか、無関係なのに列に巻き込まれた者のクレームなのかは、こちらからは分からない。
前方の車から降りていた者は、遠巻きにエルグランドを包囲している。
そこに後ろからの追手群が合流し、包囲の輪は縮まらないまま倍に膨れた。
エルグランドのドアが三つ同時に開き、運転席から高地、助手席から花紀、後部左から湯衣菜、続いて目隠しもロープの拘束も解かれた日出が出て来る。
高地の手にはハンマー、津衣菜の手にはスコップが握られていた。
四人は車の前で合流し、花紀と日出を挟んで前衛が高地、後衛が津衣菜というフォーメーションを取る。
「助けてくれ! 何をしているんだ? 私を迎えに来てくれたのだろう!? 早くゾンビどもから私を――」
目隠しを外して取り囲む人々を見た日出が、勢い込んで叫ぶが、言葉途中で黙り込む。
誰一人、死者達の中にいる彼に関心を向けていない。
『賞金ゾンビの一体』としか認識していないと、嫌でも気付いてしまう。
「あれ、ゾンビに捕まってる人いるって聞いたけど」
「知らねえよ、そんなの。見分けつかねえじゃん。あれ全部ゾンビって事で良いんだろ」
「ゾンビ倒せばOKだろ。まとめてボコボコにすればいい」
「もう死んでるから殺してもいいんだってよ」
「違う……何を言ってるんだ……黙れ……やめろ」
ますますフロートと見間違えられそうな程に青ざめた顔で、包囲する人々を見回し、強張った声を上げる日出。
「やめろ! 私はゾンビじゃない! 同じ物として見るな! 違う! 誰か! 私に気付け! 助けてくれ! 殺さないでくれ!」
「ごっひゃくまああああああん!」
包囲の輪の中から金属バットを振り上げた少年が、満面の笑みで絶叫しながら走って来た。
ダアアアンッ!
津衣菜がスコップも使わず、左半身からの体当たりで少年を転倒させる。
そのまま彼に馬乗りになって、逆手に持ったスコップを振り上げる。
ガキンッ!
「ぎゃっ―――」
短い悲鳴と共に脱力した少年の、顔の横にスコップの先端は叩きつけられた。
スコップを握る左手で彼も掴み起こし、そのまま包囲群へと蹴り飛ばす。
直後、茶髪の青年が高地によって、同じ様に群れへ放り投げられていた。
包囲している人々は、手ぶらか、あるいはバットやゴルフクラブ、角材やスコップなどを持っていた。
ナイフや包丁やチェーンソーなどの刃物や、ガソリンや灯油などの火気関係、ボウガンなどを持って来ている者は見当たらない。
持っている道具に、アーマゲ会員などのフロート狩り経験者と素人との違いはなかったが、両者の動きは明確に差が出ていた。
一人ずつフロートの動き方も考えず突っ込んで来て、吹き飛ばされている奴らは、ほぼ間違いなく素人だった。
フロート狩りは、この状況で、距離を保ったままタイミングを計る。
今、十数人が数か所に固まって、そうし続けている様に。
そして、今まで彼女達を追って来たフロート狩りと比べて、彼らはどこか気力が低そうに見えた。
向伏近辺在住の『やる気のある』フロート狩りは、この段階で既に皆、向伏に入ってしまっている。
今ここに来ているのは、一応フロート狩り経験者やアーマゲドンクラブ会員ではあっても、『この段階まで動かなかった』様な、モチベーションの低い連中だった。
高地を先頭に、威嚇の構えを取りながら前方へ進むと、包囲の群れはその部分だけじりじりと後退した。
後方の連中は、開いた分だけ彼女達との距離を詰めようとするが、更に近付こうとはしない。
その間に一名、50歳手前位の大柄な女性が津衣菜へ殴りかかって、スコップで頭を殴られた後に蹴り戻されるが、軽率に飛び出す者もその頃には殆どいなくなっていた。
ハンマーの切っ先を揺らして、見せつけ回っている高地の携帯が鳴った。
「もしもし!?」
「出んの?」
「このざまに関係ありそうなお話みてえだからな」
「――大変な事になってしまったね。僕もここまでとは思わなかったよ」
「タイヤ代の請求は必ずするからな」
他人事な声の議員秘書へ、高地は吐き捨てる様に言った。
「こちらの仕業と確信しているのかい」
「ああ分かってんぜ。エビ野郎の煽りじゃねえんだろ、こいつら。でも、さっき拡散ツイート見て駆け付けたヒマ人ばかりだ。誰もボウガンやパチンコも、まして車のタイヤボロボロにする銃なんて持ってねえんだよ」
「元々はね、所属は伏せるけど、部局の確保作戦サポートの為に配置していたスナイパーだったんだよ。アーマゲドンクラブローカルの動きにイレギュラーがあって、この状況が発生し、臨機応変にこちらの行動も変更させてもらった」
「そんな適当で良いのかよ。こいつらに邪魔された対策部職員泣いてるぞ」
「君達も国道で酔座市内まで暴走するつもりだったろ。大きな事故に繋がるのも心配だったんだよ」
「ぬけぬけと」
「君らの頭部を狙う事も出来たんだよ。敢えてそうしなかったという事を理解すべきだ。ところで――」
高地が更に何か言おうとする秘書との通話を切った時、包囲する群衆から繰り返すコールが響いた。
注意を向けるまでもなく、「五百万!」と彼らが連呼していると分かった。
コールをリードしているのは、今まで固まって様子を見ていたフロート狩りの連中だ。
それに他のヒマ人どもが応えている。
「五百万!」「五百万!」
「五百万!」ざっ「五百万!」ざっ
「五百万!」だだっ!「五百万!」だだっ!
彼らのテンションを煽るだけでなく、足並みを揃える意図もあった様だった。
リードコールと同時に音を立てて足踏みし、コールを返す人々も足音を揃える。
「五百万っ!」だっだっだっ!
「五百万っ!」だだだだだっ!
津衣菜は目の前に迫る人々へ、躊躇わず横薙ぎにスコップを振る。
彼らはそれを避けて距離を取るが、掠らないギリギリの所で自分の武器を構えながら、また津衣菜の目の前で足音とコールを揃える。
「ちっ、きめえんだよ、このおっ!」
同じ状況を目にしていたらしい高地が、悪罵と共にハンマーを左右に振り回している。
「五百万!」「五百万!」「五百万!」「五百万!」
だだだだだだだだだだだだだだだ
「五百万!」「五百万!」「五百万!」「五百万!」
だだだだだだだだだだだだだだだ
「ついにゃーっ! しっかりして!」
「ちょ、どうしたお前!?」
最初に叫んだのは花紀だった。
その声で振り返った高地も、思わず驚きの声を上げる。
津衣菜はスコップを振り回していた。
だが、顔を右手のギブスで覆いながら、スコップも顔の前を滅茶苦茶に動かしている。
いかにも、戦い慣れていない子供が集団から身を守ろうとしているかのような動きだった。
彼女は伏せられない顔に怯えを浮かべ、視線だけ下に向けていた。
多数の人間は強いから怖いんじゃない。弱いから怖いんじゃない。
正しいから怖いんじゃない。狂っているから怖いんじゃない。
美しいから怖いんじゃない。醜悪だから怖いんじゃない。
賢いから怖いんじゃない。愚かだから怖いんじゃない。
多数の人間はただ多数である事が、何よりも恐ろしいんだ。
多数の人間は多数であるだけで、世界を支配する。
一人を理もなく自覚すらなく、正義も罪悪感もなく、理不尽に容易に破壊する。
私は多数の前に無力だったし、今も無力なままだ。
「あいつ、自分さえ良ければいいってつもりなんだよ」
「みんなを心の中で馬鹿にしてるんだよ」
「ああいうのがいるから、私達の負担は大きくなるんだよ」
「あいつに甘い顔をするのは、あいつが皆を苦しめる手伝いをするのと一緒だよ」
「ねえ、あなたもそう思うでしょう?」
五百万円が一体どうしたんだ。
私にとって、こいつらにとって、一体どんな意味があるんだ。
そんなもの、どうでも良かったし、何の関係もない。
こいつらは声を揃えて、足を揃えて、私に要求している。
こいつらの『多数』の目的を私に突きつけに来ている。
それが、それが、どうしようもなく、おそろしい
それを聞く事が、それに屈服する事が、死ぬほどに恐ろしい。
どうして私はあの時に死ねなかったんだろう。
どうしてまた、こんなものを見せられて、怖れているんだろう。
ねえ、五百万円が、なんだっていうの。
銃声。
また銃声。
悲鳴。遠ざかる乱れた足音。
津衣菜が我に返った時、隊列は散り散りに後退していた。
そして横に立つ、小さな横顔、両手で構えた小さな拳銃。
彼女は銃口をまっすぐ正面に、目の前の群衆へ向けている。
津衣菜の視線に気付いて、花紀は振り向いて笑った。
「あ、ついにゃ、戻った」
「花紀……」
花紀は返事の代わりに銃を少し横へずらす。
銃口の先にいた者達が、ざわめく様な悲鳴を上げて押し合いながら左右へ逃げる。
また銃の向きを変えて、地面へ向けて発砲した。
ざわめきは割れる様な悲鳴に変わり、パニックも大きくなる。
銃を構えた姿勢のまま、花紀は津衣菜に笑顔で言った。
「本当に、普通の人たちなんだ。大丈夫……もう怖くないよ、ついにゃ」
「怖く……」
「ついにゃーにも怖い思いをすることはあるよね」
「私は……怖がっていた」
「うん、でも、そんな時には花紀お姉さんがついにゃーを助けてあげられるの」
「ったく、焦ったけどよ。この状況で、また発狂されるよりはこっちの方がマシだ」
高地が振り返って、少し安心した声で言う。
「後衛交代だ。このまま花紀を出して行くぞ」
花紀に促される様に、後ろへ下がった津衣菜の耳に、日出の甲高い声が入って来た。
「ちゃんと見てくれよ! 私はアーマゲドンクラブ会長、日出尊人だ! ゾンビに拉致されたが洗脳も拒み、論破続ける生者の戦士だ!」
「私は生きてるんだ! 死にたくないんだ! 誰か! 何で気付かないんだ! 無視するな!」
向こう側にいるアーマゲドンクラブの会員は、そんなにしつこく言わなくとも日出に気付いている様子だった。
何人かは構えも解いて、日出にスマホのカメラを向けている。
彼らの表情はよく見えなかったが、あまり自分達の会長を心配している様子には見えなかった。
今までのスコップやハンマーでの威嚇では押し戻す程度だった包囲は、拳銃の前で完全に割れ、彼女達の道を作っていた。
包囲を抜けた津衣菜達の視界に、緑の斜面とゲレンデリフトが写る。
誰が言い出すともなく、彼女達の足はスキー場内に向かっていた。
「あーあ、完全に形勢逆転だな。だから、ああいうの持って来られると本当に困るんだよね」
『……』
「やっちゃって、あの子」
『了解』
空気の軋む音。
時間が止まった様な、これまでも体験した覚えのない奇妙な感覚。
「津衣菜!」
花紀の声が頭蓋の中で反響する。
機械の様に、彼女と迫る音の間に自分の骸を滑り込ませる。
爆ぜる音と煙。
「津衣菜! 津衣菜!」
花紀が丸い目を見開いて、津衣菜に掴みかかっている。
遠い銃声が響き、今度は足元が爆ぜた。
津衣菜は右腕をだらんと掲げた。
最初の被弾は、彼女のギブスだった。
「ふふ……ふふふっ、花紀も……大丈夫だから」
花紀に比べると多少無理のある声だった。
その自覚はあったが、津衣菜は自分がそうされた様に花紀へ笑いかけて見せた。
「今度は私に守らせて」
花紀は掴んだままだった津衣菜の肩で、シャツを握った手に力を込める。
津衣菜にしがみつく様にして、一緒に移動する。
三発目の狙撃で、また足もとの草が千切れ飛ぶ。
その時、高地がスキー場の北隣の山林を指差した。
津衣菜がそこを注視した時、樹木の一本の上付近に不自然な気配を見つけた。
高地は、花紀の銃を指差しながら目配せする。
戸惑う表情の花紀に、ぼそっと言った。
「安心しろ。射程外だし、お前じゃどうせ当たんねえ」
それでも少し躊躇ったが、力強く頷いてから山林へ向けて一発だけ発砲した。
『狙撃失敗。位置を特定され、反撃を受けた。被弾の恐れはないが、警戒し一旦移動する』
「……」
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