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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
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193日目(5)

 193日目(5)




 加速を重さでなく視界だけで感じる。

 前方の車が一台、斜め後ろへ吸い込まれ、道が横に揺れる。

「もう一台行くぜ」

 高地が言った直後、隣の日出からか細い悲鳴が聞こえた。

 オレンジの照明の列が素早く左右にスライドし、道路と車が傍らをするっと流れた。

「トンネルか……東栗根山トンネルだな!?」

 目隠しされたままの日出が今いる場所を言い当てると、高地が興味深げに振り返る。

「ほう、地元でもないのに良く分かったな」

「高地さんっ、まえ! まえ!」

「東北遠征イベントで何度も通ってるんだ! この道路は有名なんだよ!」

「俺達を玩具にして稼いだ金での全国ドライブか、優雅なもんだな」

 花紀の悲鳴をよそに嘲笑する高地の目の前には、新たな車が迫っていた。

 二台並んで。

「掴まっとけ、顔が窓に貼り付くぜ」

 高地は言いながらハンドルを切った。

 エルグランドは反対車線に出て、二台連続で追い越す。

 その前方に新幹線並みの速度で迫る対向車のハイビーム。

 視界が白く潰れ、クラクションが何重にも反響する。

「おらあっ!」

 寸前で二台の車の前、元の車線へと戻る。

 複数のクラクション、急ブレーキ、接触音、窓を開けて叫ぶ怒声が、トンネル内に満ち溢れた。

「あんたも叫んだら? ここ、良く響くよ」

 窓にへばりつきながら顔面蒼白になっている日出へ、津衣菜が嫌味を言う。

 青空と山の緑が窓の外へ広がると、今までワンワンと反響していた様々なノイズが、唐突に消え去った。

「遊んでんの? ここで事故ったら逃げ切るどころじゃなくなるわよ!」

「花紀おねーさんも……目が回りそうでふ……」

「は……吐く……」

 トンネルを抜けたと同時に三人から殺到した苦情へ、高地は涼しい顔で答える。

「ここで距離稼ぐんだよ。パトカーや対策部専用車の加速舐めんなよ。交通安全心配してられる余裕でもねえんだよ、俺達は」

 その時、ダッシュボードに立てたままの高地の携帯が、良く分からない低くこもったボーカルの喧しい音楽と共に、着信表示になる。

 高地は電話を一瞥したまま、手も伸ばさずハンドルを握り続けている。

 津衣菜が怪訝な顔で、スマホ画面と高地を交互に見て尋ねた。

「出ないの?」

「知らねえ番号だ。それに――もう圏外だ」

 車は再びトンネルの中へ。

 さっき抜けて来た東栗根山トンネルよりも多少長い、全長およそ2.7キロの西栗根山トンネル。

 その中を高地のエルグランドは、三分前後で通り抜けた。

 助手席の花紀は目をぐるぐるさせて、後部席の二人は完全に左右のドアに貼り付いて、言葉もない。

 そんな惨状の車内へ、一人明るい高地が声を掛けた。

「ほらよ、もうすぐ酔座だぜ」

 再び高地のスマホが鳴った。

 車を路肩に寄せながら減速させると、面倒くさげに電話を取る。

「高地音矢君だね。お急ぎの様だが、君の後ろの状況を少し教えてあげようという事になってね」

 電話の向こうは、聞いた事のない男の声。

 初対面の相手へのこの不躾さには、覚えがあった。

「番号教えた覚えはねえんだけどな。海老名さん本人じゃねえのか」

「先生は別件でしばらく立てこんでいてね、第三秘書の私が担当となった。まず、君らのお仲間のサポートが間に合わず、12~14台の車が、トラック事故にも渋滞にも巻き込まれず、君らの元へ迫っている」

「トラック事故? 何の事だか知らねえな」

「そう言う事でも構わない。あとで誰かに聞いて見れば良いだろう。そして、君らのすぐ後ろ300メートルに、対策部の車――グレーのミニバン3台が来ている。君らを追っている車の中では現在、それが一番乗りだ」

 しばらく通常速度で走っている為、トラック内で抜いた車2台程に抜き返されていた。

 その後ろにも数台の車の列が見えるが、ミニバンらしき車は見えなかった。

「で、そいつらが何だって?」

「彼らに投降したまえ」

 電話の向こうの声は即答する。

 高地は表情を変えず、黙ったまま相手の次の言葉を待った。

「悪いようにはしない。上手く計らって、それ以外(・・・・)の連中からも君らを守ってやれるだろう」

「……日出はどうすんだよ」

「勿論、こちらで預かる」

「じゃあ、遠慮しとく。確かにお荷物だけど、連れ歩いてるのにも目的って奴があるんだ」

「そんな事を言ってられる状況なのかね」

「そもそも、こんな状況なのは――」

「――海老名先生、なのか?」

 更に何かを言いかけた高地だったが、後ろからの日出の声に答えた。

「本人じゃねえけど……出る気か? 別に話しても構わねえけどよ、そっちに行ったら多分消されるぜ、あんた」

「人聞き悪いな」

 マイクから遠ざけた筈だが、耳ざとく聞き付けた海老名の秘書が、高地へ抗議する。

「だって色々有耶無耶にしたがってんだろう? こいつらのやって来た事とか、そこへのあんたらへの関与とか」

「どうも高地君は先生や僕らに色々と誤解があると思うんだ。もっとざっくばらんな対話しようじゃないか。僕は先生や先輩程年長じゃない、年だって君と同じ位だ」

「同年代とかアピールすんならよ、そのウエメセな物の言い方どうにかしようぜ」

「先生の話を聞けば、君らに便宜の図れる事ばかりなのだがね。変異体対策関連以外でもね、例えば、そうそう……西高訴訟(・・・・)が再燃したら面白いと思わんか?」

 電話のやり取りを不安げに見守っていた花紀は、その視線を津衣菜に移す。

 津衣菜は嫌悪感を露わに高地のスマホを凝視している。

 高地も口を歪めている。

「君は君の生前からの仕事で、死者の仲間達を生者の社会に繋ぎ止めている。金銭面でも、それ以外の要素でも。西高訴訟の取材やコーディネートサポートは、そんな君にとっても稀な程の大仕事になった。君の仲間達(フロートコミュニティ)も大きく潤った。違うか?」

「随分ピンポイントに俺を調べていたみたいだな」

「君が思っている以上にね。海老名先生を一体何だと思っているんだ? 県庁のお偉方や何かとは違う。あの問題の裏にいる田舎の名士の寄合とやらも問題にならん。先生が動けば数時間で一掃出来る。どうだろう? 面白いものが見られると思わないか?」

「そうやって何もかも掌の上に乗っけたつもりなの、何だか気持ち悪い」

 津衣菜が低い声で呟く。

 高地はそんな彼女には何も言わず、スマホに向かって返答する。

「あいにくだけどよ、稼げるネタは他にもいっぱいあるんだ。そろそろ飛ばすからよ、切るぜ」

 電話の向こうからはわざとらしい溜息が一回響き、切ろうとする高地の指を引きとめようと早口でまくし立てる声が津衣菜にまで届いた。

「一つ言っとくがな、投降しなかったからと言って、君らが捕まるのには変わりないんだぞ。逃げ場なんてもうどこにもない。酔座に行けば何とかなるなんて甘いっ、損する事にしかならな――」

 静かになったスマホを前へ投げると、高地はアクセルを踏み込んだ。




「まだです?」

「おうっ! まだ停車線が残ってんぞお!」

「丸じいで大丈夫か? 運転変わっか?」

「こんなん左手一本で大丈夫だあ!」

 高地達のいる所から東へ20キロの、同じ国道上。

 平野部から山地に入ったばかりの所を、アスファルトガラ(破片)を山積みした10トントラックが、高地達の様な無茶な追い越し運転で疾走していた。

 高地達のトンネル内と違い、ここでは、トラック周囲の車も無謀運転がやたらと多い。

 まるでトラックとそれらの車でレースをしているみたいな状況だった。

 ドライブイン前でも、店内から出て来た人々が呆然と見送っていたが、一目で警察への通報は必要ないと分かった。

 後ろの方でパトカー数台が既に、そのレースにエントリーしていたから。

 トラックは一台追い越すごとに、後ろの車に抜き返されない様に、猛スピードのまま何度も蛇行する。

 自分達で積んだものではないが、ガラが何回もこぼれ、道路上に散らばっている。

 せめぎ合いながらも、トラックは今追い越したワゴンを十数メートル以上引き離した。

 道路の幅が、停車線を設けて広げていた所から2車線のみに戻る。

「今だあっ、落ちんなよおっ!」

 トラックは突然ブレーキを掛けながら、前輪を小さく右へ振り始めた。

 タイヤから煙が上がり、さっき以上に大量のガラが道路へ、『普通の人』の皆無となった真後ろの車両へと降り注ぐ。

 黒い轍の後を何本も刻みながらトラックは道幅いっぱいに塞がりながら停止する。

 その手前に数台の車が、ギリギリ衝突せずに止まった。

 その更に後ろでは、玉突きの衝突や接触事故がいくつも発生している様だった。

 後続車両が列の後ろへ次々停車して、列は伸びて行く。

 同時に塞がれた反対車線でも、せき止められた車の列が出来始める。

 繰り返すクラクションの音が前から後ろへ、トラックの先からその奥へ、時間を追うごとに増えていた。

 停止直後からトラックは煙に覆われていた。

 近くの車の人間が何人か、爆発を恐れてくるを降りて逃げ出したが、トラックから出た煙ではなく発煙筒か何かによるものだったらしく、火の気はなかった。

 そして、煙が晴れた時、トラックの運転席には誰もいなかった。

 警察は車両番号を照会するだろうが、恐らく本来の持ち主の工事業者が、既に盗難届を出しているだろう。

「ひでえ止め方しやがる」

 山の斜面上から大渋滞の国道を見下ろし、丸岡が他人事のように言って笑った。

「ガラも砂利も限界まで積んでっからよ、それ下ろして、でかいクレーン車でねえと動かせねえぞ」

「そんなにでかいクレーン車じゃ、あそこまで来るのに結構かかりますねえ」

 丸岡の背後に立っていた高圧塔から、声が返って来る。

 塔の中程辺りで、鏡子が国道の渋滞を広く見渡しながら、同じく他人事で笑う。

 すでに東西1キロ以上になる車の列は、更に伸びて行きそうだった。

 フロート狩りも、対策部も、警察も、無関係の人々も巻き添えにして。

 鏡子の手元のスマホでは、既に『国道13号線向伏スカイパーク前で発生したトラック事故により、東西1キロの渋滞発生』という道路情報が表示されている。

「全部は止められなかったな。トラック止めた時もどさくさで5台くらい抜かれたし、前にもっといたと思う」

 残念そうな声で呟く匠。

「欲張ってもしょうがねえよう。粘り過ぎてもしくじっからよ。んじゃあ、相瀬ちっとあのハゲに電話しといてくんねえか」

 下から大声で頼んで来た丸岡へ、鏡子は少し考えた顔の後、同じ位張り上げた声で答えた。

「いや、高地さん多分運転中ですから、あいつ(・・・)に言っておきます」

「おう、あのふわふわちゃんでもいいぞ」

「いえ、花紀の電話も多分使用中です……あいつ……自殺女でもいいですね?」




「うん、分かった。その渋滞情報も今、確認した。伝えとく……ありがとう」

 鏡子からの電話を受けた津衣菜は、花紀と高地へ彼らの報告を伝えた。

 さっきの電話での海老名の秘書を名乗る男が、気味悪く仄めかした話の詳細がこれだったのだろう。

「お、おう……」

 話の辻褄は合っている筈だが、報告を聞いた高地の反応はどこか不自然だった。

 何故か、微妙に驚いた様な声で津衣菜に返す。

「何か変な所あった?」

「いや、今の電話、鏡子だろ?」

「そうだよ?」

「いや、よくお前に掛けて来たなってよ……」

「あんたや花紀の電話が出られる状態じゃないって、気を使ったんじゃないの?」

「俺もそう思うけどよ……」

「花紀お姉さんも少し驚いたんだよ。がこさんがついにゃーを頼ったり、ついにゃーががこさんにありがとうって言ったりするの、初めて見るから。高地さんもそうだと思う」

「え? そう……なの?」

 傾けられない首に少し力を入れてしまいながら、津衣菜は思い返す。

 確かに、普段あまり考えにくい事だったかもしれない。

 鏡子から自分へ電話がかかってきたり、自分が鏡子にそういう返事をする事。

 いや、一度だけあった―――去年の冬、天津山で花紀を探した時。

「まあ、仲悪いからとか関係ないんじゃない、こういう時には」

「そんな割り切りも出来ねえ程、仲が悪い様に見えてたけどな、お前らは……少し変わったのは間違いねえぜ」

「がこさん、少し丸くなったかもね」

「いや、鏡子はそんなに話の分からねえ奴じゃねえよ。どっちかつうと変わったのは……」

 高地は言葉途中で窓を見上げて、笑みを浮かべる。

「飛ばしたかいあったぜ。もうすぐ酔座のスキー場だとよ。酔座の市街地までももう十分もねえ」

 高地の言葉途中で、前方の案内板を津衣菜も見た。

 そして、道の反対側、酔座方面から来ている車の一台から何かが光って、自分達の車へ飛んで来たのを。

「え?」

 ガンッ!

 想像していた以上に重そうな大きい音を立てて、それはボンネット上を跳ねた。

 良くは見えなかったが、拳大の石か金属部品だった様に思える。

 絡みつく不快な気配を感じた。

 こちらへ何かを投げつけた対抗車は、すれ違いざまにじっくり車内を観察して行った。

 何度体験しても決して慣れない、『追う側』の嗜虐と敵意、好奇と怯え、優越感と劣等感の入り混じった視線。

 次の車も、その三台後のワゴン車も、その後続も、すれ違いながらこちらをじっと見据えていた。

 こちらを指差して、何か話している連中もいた。

 カンッ

「当たった、当たった」

「こっち見てるよ、あれでいいんだよね」

「ゾンビなんでしょ。本当に五百万円、マジで?」

 女性だけの軽自動車が小さな石を窓に投げて来た。

「高地さん……」

 花紀の声に高地は無言で頷く。

「向こうから来る車、何かおかしいのばっかり……」

 津衣菜も口に出して呟いた。

 わざわざ止まったり、直接ぶつけようとして来たりする様な車は一台もない。

 すれ違いながらただ見ているだけ。あるいは、少し何かを投げつけて来るだけ。

 そのまま後ろへ走り去って行く。

 だけど、この国道が途中で行き止まり渋滞になっている事は、彼らの大半も知っているだろう。

 高地のスマホが鳴り、画面にメール着信の表示が出た。

 発信元は鏡子でも、遥でもなく、佐久川にいる筈の美也からだった。

 『【緊急】すぐに見て下さい』

 短くそう書かれた表題のメールには、本文なしでネットワークサービスのツイートが二つ貼り付けられていた。

 生き残っているアーマゲドンクラブ向伏支部、そして東京支部の公式アカウントによる同内容のツイート。

 『賞金五百万円! 凶悪ゾンビを成敗しアーマゲ会長を助け出せ!』

 詳細として紹介されたリンクは、彼らが今まで温存していた予備サイトだったらしいが、津衣菜がアクセスした時は既に凍結されていた。

 続いて送られてきたメールに貼られていたスクリーンショットで、それがどんなサイトだったのかを知る事が出来た。

 そのページは、津衣菜にとって既視感のあるものだった。

 かつて花紀と末期発現した子供を、そして高地や津衣菜や数名のフロートをリストアップして行なわれた『狩りイベント』の特設ページ。

 作成したのが同じ『アーマゲドンクラブ向伏』なのだから、似るのはむしろ当然かもしれない。

「うわ……何だって……聞いた事ねえぞ、こんな」

 しかし、それを一目見て高地は絶句していた。

 以前のフロート狩りイベントと、今公開拡散されたこのページとは、大きな違いがあった。

 『死者どもを撃退し、会長を救出した個人には賞金500万円! 撃退のみ、あるいは救出のみの場合は賞金各250万円!』

 そして、フロート狩りを行なっている個人や団体ではなく、不特定多数の『酔座市およびその近辺の居住者全て』を呼びかけ対象にしていた。

「去年のあれも俺らは初めて味わったが、他の地方ではたまにあった事だった。だけどよ……奴らがフロート狩りで賞金(・・)を掛けた事は、それだけは、今まで一度もねえ。フロート狩り内でのランクアップやアーマゲ加入資格が報酬みたいなものだったんだ」

「どういう事なの」

「知らねえよ。その告知サイトはもう残ってねえんだろ」

「そうね。速攻で通報されて凍結されたみたい。でも、情報はツイートで拡散されている」

「だろうよ。そして、向こうにいたフロート狩りと……それ以外のヒマ人や金目当ての奴らが、ここへやって来ているんだ。とんでもねえ数のな」

「どうなるっていうのよ!」

「だから、俺も分かんねえ……だけど、お前も気付いてんだろ? このヤバさは今までと違うってよお!」

 すれ違う異様な車の数は今なお増え続けている。

 もう三十台以上は通り過ぎている。不審な気配の車だけで。

 津衣菜は、美也が保存してくれたスクショ画面をもう一度見直す。

 画面の下の方に、彼女の知りたい答えの一つは明記されていた。

 『合図が発信されるまで、一度すれ違って向伏方面へ進んで下さい。標的を国道で東西に挟みます』

 津衣菜は、その一文を指差して前の二人へも見せる。

「なるほどな……前で待っているクソもいる訳だ……」

 高地が口をひくつかせて言った。

 津衣菜には彼が笑っている様にも見えた。

「笑ってるの?」

「笑うしかねえだろ、こんなの」






copyright ゆらぎからすin 小説家になろう

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