191日目(6)
191日目(6)
「何だよその目は! 生きた人間と変わらないふりも限界か? その濁った眼で私をどう見てるんだよ!」
まくし立てている中年男の双眸は血走っていた。
「本性がとうとう、押さえられなくなったんじゃないのか? ああ!? 今すぐにでも私を殺したいんじゃないのか? 飛びかかって腹に喰らい付き、内臓を引きずり出したいんじゃないのか? 頭を砕いて脳みそを啜りたくなったんじゃないのかあ?」
「お、思ってないですよぅ……」
「食べないよっ! ……と」
相手の剣幕に狼狽し続ける声へ、某アニメのお約束の台詞がかぶさる。
ドスの効いた低い声で。
花紀も日出も、思わず声のした方を見る。
声の主は部屋の奥で、ノートPCに向かいながらクククと笑っていた。
『あいつあの顔であれ見てたのか』と内心呆れつつ、津衣菜は二人に当てたライトの角度を微調整する。
「ふ、ふん……やるならやってみろ! 私が死のうと、起ち上がった東征の戦士の進撃は止まらんぞ! 私の背中を追って貴様らを一体残らず、黄泉比良坂の向こうへ叩き返す!」
10畳ほどの殺風景な洋間。
壁際に並べた二つのパイプ椅子で、花紀と日出は向かい合って座っていた。
その向こう側に長テーブルを置き、高地が生放送の作業をしている。
ライトやカメラの角度の調整などは、津衣菜の役目になっていた。
『さよならアーマゲドンクラブ』
『アーマゲドンクラブ会長と、その駆除対象となっている“動く死者”第二種変異体の少女との、空前絶後前代未聞のトークバトル』
そう銘打って、今朝から告知をネット上に拡散しておいた。
放送開始10分前にロシアのサーバーにあるアドレスを公開しておいたら、配信開始の時点でプレビュー数は十万を越えていた。
「あ、あの、会長さん、もう少し落ち着いて喋ってほしいです……私は、別に会長さん食べたくなんてならない……もし万が一の事があっても、きちんとついにゃーと高地さんが止め」
「ほざくな死人が。我らの力と覚悟に今更恐れをなしたか? 女や子供の外見をしていようが、我々に一切の容赦はないぞ! 恐怖し慈悲を乞うのは貴様らの番――」
まず、今『生放送の配信中』だと告げられているから。
次に、『もしここで殺すつもりなら、こんな面倒な事はしない』と再三説明してあるから。
そして、目の前の花紀が気弱そうな態度で、自分でも勝てそうな相手に見えたから。
日出の威勢がやたら良くなっている理由を、津衣菜はそう分析していた。
少なくとも、目の前にいたのが津衣菜や高地だったら、『やるならやってみろ』とは絶対口にしないだろう。
次の瞬間、本当に殺られかねないから。
カメラを前にしての独演会。
それこそが、この男『アーマゲドンクラブ会長、日出尊人』の本当の本領だった。
誰もいない部屋で、見えない敵へ宣戦し、見えない仲間を激励する。
堂々とした熱弁をふるい、時には厳しい威厳をもって、時には親しみ深げな穏和さを見せて。
学歴も特技もない30代半ばの派遣社員でしかなかった男は、それを数年間繰り返す事によって、全国的な『死者狩り』ネットワークのトップに辿り着いたのだ。
対話する意思のない一方的なトークは、磨き抜かれた芸でさえある。
花紀が割り込もうとしても、そうそう上手く行くものではない。
彼女がおろおろするばかりだったのは、剣幕に怯えたからだけではなかった。
「そろそろセコンドだぜ」
高地が指を立てて、津衣菜に合図を送る。
窓には板が張られ、光が外に漏れる恐れはなさそうだったが、彼女はそっと部屋を出る。
短い廊下の先にサッシ戸の玄関があった。
僅かに開けて、津衣菜は戸外の様子を窺う。
外灯に、土を均しただけのやけに広い駐車場が浮かび、その先には家一つない畑と山だけの光景が広がっていた。
廃線のあった辺りから更に北へ数キロ程の、山間の小さな集落の集会所。
この小さな平屋に、彼らは午前中に移動して来ていた。
高齢者ばかりの住人達が月二回、清掃を兼ねて寄り合いを開く。
それ以外で使われる事が殆どないという事は、あらかじめ調べてあった。
何日も隠れてはいられないだろうし、電気や水道を使いっ放し、汚しっ放しにするつもりもなかった。
いずれは騒がせる事になってしまうと分かっていたが、明日までぐらいは平穏に進めたい。
「何が生者と同じ権利だ。何が共存だ。こそこそと群れて、我々の物を勝手に盗んで、最後にはこうして人を攫ったり殺したり。見た目で腐ってようが腐ってなかろうが、死んだ筈の人間が歩き回ってる事自体がロクでもないっていうんだよ」
「えっと、そういう人は……そういう人もたまにいます、ごめんなさい、でも」
「権利を主張するならルールを守り、義務を果たせ! だがお前らの義務は普通の死体に還る事だけだ! まず自然のルールを守れよ!」
日出の演説はまだ続いていた。
さっきから一度も途切れていないらしい。
花紀は半ば目を回しながら、彼との言葉のキャッチボールを試みようとしているが、さすがに限界っぽい。
高地は津衣菜と目配せし合った後、字幕でナレーションを入れると一旦配信を停めた。
『会長のトークが一方的に盛り上がっていますが、ここで一旦終了します。次回配信をお楽しみに』
「はい、放送を停めたからね」
津衣菜がそう声をかけた途端、日出は突然口を閉ざし、何か憑き物が落ちたみたいにぼんやりとカメラを見つめる。
「ふええ、花紀おねーさんはどうすれば……あれ? え……会長……さん?」
日出の急激な変貌に、花紀は目を丸くしている。
さっきまでの威勢の良さが嘘のように、くたびれた雰囲気を漂わせている。
彼は、やがて落ち着きのない表情になり、わなわなと肩を震わせ始めた。
「そして、これがあんたの戦士達の今現在の状況」
津衣菜が彼に見せたモニターには、アーマゲドンクラブやその他のフロート狩り向けのSNSが表示されていた。
向伏へこれから押しかけようとしているフロート狩りの人数や車両、それぞれの現在いる地点。
そう言った詳細な情報が、仲間へと報告されている。
どうして敵である彼女がそんなページを開いているのか、日出は尋ねなかった。
ここへ来る前から、日出には突然行動を開始したフロート狩り達の様子を見せていた。
彼の命令も、安否の事さえも忘れて、我先にと向伏市へ押し寄せる『彼の戦士達』
嬉々として、自分達の活躍を期待している彼らの報告に、会長の身を案じる声は皆無だった。
うやむやに、『既に死んでいるらしい』と誘導している書き込みさえ、幾つも出ていた。
「死んでもいいとか言ってたけど、言う前からあんた、見捨てられまくってるじゃない」
津衣菜がそう言うと、日出は更に激しく肩を震わせて、喉の奥で唸り声を立てた。
「で、さっきまでの廃駅なーう」
津衣菜の言葉と同時に現れた画面は、アーマゲドンクラブ公式の生放送ページだった。
そこに映し出されているのは、闇の中、幾つもの照明で照らされ人でごった返す廃線と廃駅のホーム。
移っている人間の大半は、対策部の見た事もない機動服の男達、そして対策部職員の作業服、そして誰の目にも分かる警察官や機動隊員。
撮影者を含め、フロート狩りと思しき民間人は、あちこちで小グループに分けられてがっちりと警察に固められていた。
「――そうです、死人どもは最後の拠点を放棄し、バラバラに逃げ出しました。あの駅の中には……誰もいません。ええ、中には地元の対策部と警察が入っていますが、我々は入れません」
音声状態があまり良くなく、ノイズ混じりで掠れているが、こんな状況でも明瞭に喋っている女性の声。
日出は数回瞬きして、眉を寄せながら画面を凝視する。
彼にも、それが東京支部長だとすぐに分かった様だ。
許可を得ての撮影ではないらしく、何度も撮影者は対策部職員から押されたり、レンズを手で塞がれかけたりしている。
そこにいる者達全員が、押し出す様に廃駅から遠ざけられている。
女性の声は、少し早口になって視聴者へ呼びかける調子に変わっていた。
「もう余計なものは気にしなくて良いでしょう。ゾンビどもは山中に散らばりましたが、もはや最後の悪あがきでしかありません! 私達はどうやらここまでの様ですが、全国の同志の皆さんは、この千載一遇のチャンス、お見逃すことなく向伏へとお集まり下さい!」
「あっちゃあ、本音だったんだろうけど、それいっちゃダメじゃないかな……」
その言葉を聞いた時の日出の顔を見ていた津衣菜は、思わず吹きながら呟く。
吹き出し笑いなんて、津衣菜には死後初めてだったかもしれない。
「こっ、こ、ここここ……」
「こ?」
目を剥いたままの日出が、津衣菜の呟き途中でニワトリみたいに囀り始めた。
少し不思議そうな顔で、津衣菜は彼を覗き込んで聞き返してみる。
「こっ、こっこっこの」
「こっこ?」
「この……クソアマがあぁ! 一体何様になったつもりなんだ!?」
突然堰を切った様に怒声を上げ、座ったままの両足で床をどんどんと蹴る。
「この私が、あれだけ目をかけてやったのに! 誰のおかげで今の地位にいると思ってる!?」
「誰をどんだけ面倒見てようが、実際アンタもうお荷物なんだろ」
「黙れ黙れえっ! くそっ……くそおおっ!」
高地のからかう様な声に、ますます激昂する日出。
「安心しろよ。こっちは余計なものはアンタだけじゃねえと思ってるからよ。あいつらごと、どこから見ても余計なものになっちまった、退場者さ」
「うるさいいっ! 吠えるなっ、クソゾンビが」
「さっきからキャンキャン吠えてるのはアンタだろ」
「なにを!」
「分かってるんだろ? アンタ抜きで動いている奴らの裏をよ?」
高地にそう問われると、日出は黙り込んだ。
「こないだ、海老名先生と打ち合わせたんだよ。案の定、先生、あんたらをここで整理するって」
弾かれた様に日出は高地を凝視する。
「海老名先生が……貴様らゾンビと?」
「次の段階に進むんだってよ」
「それ、貴様らが何か見返りを……」
「さあな」
日出からの問いに、高地はすげなく回答を拒む。
「それで、どうすんだよ? テンプレ通りのマウントスピーチばかりじゃなく、その辺の話もした方がいいんじゃねえのか?」
高地が口の端を上げて薄く笑うと、日出は顔を伏せる。
「あのっ」
唐突に上がった幼い声に、日出は思わず顔を上げる。
津衣菜と高地も、予想していなかったのか少し驚いた顔で花紀を見た。
「どうして、フロートを……私達を狩らなければいけないと思ったんですか?」
「何かと思えば……そんな事は何度も言って来たし、アーマゲドンクラブの綱領にも書いてあるだろう!? ゾンビどもの存在が生者の世界のあり様を狂わせ――」
「えっと、そうじゃなくて……会長さんが、どうしてそれを考えて訴えたいと思ったのか……」
「そろそろ、第二ラウンド行くか」
花紀を見返した日出の顔を見て、高地が呟く様に言った。
「花紀、せっかくのトークイベントだ。それもみんなの前で聞いてみろ」
「どうして、私達を狩ろうと思ったんですか?」
津衣菜はカメラを三脚から外し、手持ちで撮り始めた。
花紀を中心に映し、彼女の質問が終わるとすかさず日出へと画面移動する。
「外国人がいなくなったからだろ」
いつになく冷たい声で高地が口を挟む。
花紀はテーブルの方へ振り向いた。
「あの、高地さん。今、花紀おねーさん、会長さんに聞いているから……」
「ほお……へいへい」
花紀の珍しく強気な反応に興味深げな顔をして、高地は素直に引き下がった。
さっきと同じく訝しげに見返している日出の表情に、花紀の言葉が続いた。
「あのですね、花紀おねーさん、会長さんも私と一緒にチュパカブラを探すといいんじゃないかなって思ったんです」
「は……はあ!?」
「おら、カメラ持ちながら笑ってんじゃねえよ。雑音入んだろ」
思わず噴き出した津衣菜を咎める高地の声にも、笑いが混じっている。
「本当にいるんですよ、この辺りの山に、チュパカブラが……目撃証言だってほらこんなに」
花紀は自分のスマホのリストを見せる。
「石……村」
チュパカブラには全く興味がなさそうな日出だったが、リストの一つにあった名前を思わず口にする。
「そうです。アーマゲドンクラブだったいしむーさんです。この人も今では頑張っているんですよ」
「私も、石村の様に転身できる筈だと……そう言いたいのか」
「そうです。そして、どうしてこういう素敵なテーマじゃなくて、こんな他人も自分も傷付ける様なつまらないものを選んじゃったのかって、花紀おねーさんは会長さんのそこが分からないんです」
「素敵とか傷つくとか……私にはお前の言ってる事こそが意味不明だ!」
こめかみをひくつかせながら、日出は目を充血させて花紀へ怒鳴り返す。
「あんな落伍者の末路など知るか! やはり死者どもには生者の守る正義と言うものが理解出来ないのだろう。」
「正義、ですか」
「そうだ! みっともないとか格好良いとが、傷付くとか傷付けられるとか、そんなものは関係なく誰かが正義の為に戦わなくちゃならないんだ」
「それが、変異体狩りなんですか」
「そうだ……大体、貴様らやゾンビとの共存とか言ってるアホならともかく、何で私や同胞の戦士が傷ついたりなんて」
「だって、本当は全然正しい事じゃないですもん」
「何だと……!?」
「それ、正義じゃないから、正しいと思い込む度にみんな痛がってるんだと思うんです」
花紀が少し表情を曇らせて繰り返すと、さっきの様に日出はわなわなと震え出す。
「それでも、私たちは敵で、駆除対象なんですか? それは、どうしてなんですか?」
「ふ……ふふっ……」
今にも爆発しそうな引き攣った顔で花紀を睨み、わなわなと震えていた日出だったが、やがて唐突に低く笑い始める。
質問を繰り返す花紀の表情を撮っていた津衣菜は、再び日出へとカメラを向ける。
「つまりこういう事だね。これだけ私を蔑にする離反者が多発している状況なら、そうやって揺さぶりかけてやれば折れるだろうと。いかにもゾンビらしい短絡的な思考だ」
まだ顔に強張りが残ったままだったが、日出は余裕そうな笑顔を浮かべて言う。
「だが残念だったな。こう見えても私は、貴様らゾンビの根絶に全てを捧げた男だ。例え私の名声や地位、私の組織が朽ち果てていようと、それと引き換えに、これだけ多くの人間がお前らを『生者の敵、滅ぼすべき邪悪な存在』だと認めているって事だ。これは私個人のどんな事よりも、ずっと大事で、意味のある事なんだよ」




