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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
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189日目(3)‐190日目(1)

 189日目(3)‐190日目(1)




 20時、21時、ただ時間だけが過ぎて行く。

 アーマゲドンクラブ向伏支部の支部長ほか10人、会長同行の本部役員8人は、河川公園から一歩も出られずにいた。

 さっきまでの様にフロートの群れに囲まれてはいなかったが、堤防の上ではフロート数名が彼らにカメラを向け続けている。

 日没後にようやく織子山に入った『第一連隊』――20台以上の車両に総勢50人以上となるフロート狩りの大集団は三つの小集団に分けられ、パチンコ屋とファミレスの大駐車場、駅前の有料駐車場にそれぞれ待機させられている。

 それだけではなかった。

 次にアーマゲドンクラブの連絡網を通して、織子山と向伏それぞれの、地元のフロート狩り団体の実働メンバーが呼び出された。

 彼らもまたグループごとに市内各地の駐車場に集められている。

 その全てに、フロートの監視がついていた。

「アーマゲに唾を吐くつもりじゃないなら、そこでじっとしてる事だね」

 向伏市内の運動公園駐車場では、スカイプの画面越しでニヤニヤ笑いながら言う遥に、『くがやんズ』久我や『アルティメットフォース』東山が恨めしげな視線を返している。

 0時少し前になって、会長返還の交渉メンバーが選抜された。

 フロート側は、交渉メンバーを東京から来た本部役員と、第一連隊に限定した。

 土地勘があり、『どこに連れて来られたのか』見抜く可能性のある向伏支部の者は、そこに加わる事を許されなかった。

「こんな事になるなんて……私らは一体どうすればいいって言うんだ。会員への納得行く説明だって……」

 真っ先に交渉メンバーに選ばれた会長取り巻きの一人――『広報部長』の肩書を持っていた50歳前後の男が肩を落として呟いている。

 一般会員向けの公式のサイトやSNSアカウントで、この会長拉致の件は伏せられたままだ。

 地元のワナビーグループを含む限定された当事者にだけ、より秘匿性の高いエリアを使って連絡している様だった。

「どうすればいいか、ですか。まあ人が一人拉致されているのですから、普通に考えて『警察へ通報する』が最善なんじゃないですかね」

 曽根木が淡々と男の呟きに答えた。

「もっとも、その場合、あなた達がここで何をしようとしていたかも、問われる事になるだろうとは思いますが」

「とんでもないよ」

 男は険しい顔でかぶりを振る。

 もう一人、取り巻きの中から日出と同年代くらいの男――『渉外部長』。

 そしてもう一人、第一連隊の指揮車にいた、あちこちに電話をかけて情報収集していた若い女性――本部とは別個に設置されている『東京支部』の支部長だという。

 この三人をアイマスクで目隠しして、ワゴンの後部に乗せた。

 0時15分。車は出発し、織子山を後にする。

 高速には入らず、県道を法定速度でのんびり走り、1時過ぎに向伏市へ到着。

 市の中心街には入らず、その外側の国道を北上する。

 市北西部で酔座方面の登山ドライブウェイに入り、街灯もまばらな山中で三人を降ろす。

 そこは会長を軟禁した廃駅とは山一つ隔てた、廃線跡の一つだった。

 目隠ししたまま、三人は舗装されていない夜の山道を歩かされる。

 十分に踏み固められているとはいえ、かなり歩きづらそうだ。

 なりたて(・・・・)並のぎこちなさだと、彼らの後ろにいたフロート達が喋っている。

 やがて、山の麓にぽっかりと空いたトンネルの前へ、一行はやって来た。

 何の照明もない、煉瓦造りの古びたトンネル。

 中に入って数歩進んだ所で、三人は初めてアイマスクを外された。

 ようやく取り戻した視界が、足元も見えない程の闇だった事に彼らは動揺する。

 だが、立ちすくむ間も与えないペースで背後からせっつかれ、仕方なく足を前へ進める。

 彼らを取り囲む幾つもの、小さく濁った赤い光点。

 死人達には生者の目と違う光が見えているのか、この塗り込めた様な闇の中でもあまり歩くのに不自由していない様子だった。

 それでも万全という訳ではないのか、二三本、目の前の地面へLEDライトの筋が伸びている。

 微妙な角度でカーブを描いていたそのトンネルで、三百メートル以上をおよそ二十分かけて歩かされると、ぼんやりと光る見覚えのある物体が突然前方に現れた。

 屋根のついた、災害対策などに使われる多目的テント。

 中の照明が透けて、テントの中と周囲で複数の影が動いているのも見えていた。

 テントの先、それ程遠くない所にトンネルの出口もある様だったが、テントとその周りでたむろする死者達とで、そっちはよく見えない。

 意図的に、向こうが見えなくされている様でもあった。

 三人がテント内に入ると、ガタガタっと音がして、パイプ椅子に座っていたらしい複数の男女が一斉に立ち上がる。

 静かに立つという事には無頓着なのか――気を付ける事が出来ないのか、四人中二人が椅子を倒してしまっている。

「やあどうも初めまして。こんな所までね、御苦労さんです」

 そう言ってぺこりと頭を下げたのは右端の坊主姿の大男。首やシャツの袖口まで刺青が出ている。

 慇懃な態度に相反して、何となくここまで来た三人を労うというより小馬鹿にした感じが見える口調だった。

 その左隣には、長身痩躯の60歳ぐらいのもじゃもじゃ髪にぎょろ目の男。

 無言で三人をじっと見据えている彼には、右腕がなかった。

 更にその隣に、これまた背の高い10代後半らしい少女。

 長い髪を横で分け、大人びた美人だが目つきの悪い彼女は、首に頑丈なギプスを装着していた。

 左端にいる、少女と同年代くらいの少年は、四人の中で一番尋常でない格好だった。

 ゴーグルとスカルデザインのマスクで顔を隠し、左腕は肘から先が金属製の義手、右足も電動のモーター音が微かに聞こえる義足だ。

「あんたら来ねえかもなって、今まで話してたんすよ」

 高地と名乗った坊主頭が薄笑いを浮かべて言う。

「どういう……意味ですか」

「ほら、あいつ見るからに人望ねえじゃん。それに……ここはゾンビまみれで超怖えっしょ」

 広報部長の問いに高地が答えると、丸岡と名乗った初老の男がカカカッと大きな笑い声を立てた。

 長いテーブルの向かいに並んだ四人は――否、テントの周りに控えている老若男女も皆――青白い肌の、見るからにそれと分かる死者達だった。

 この死者達は全員、自分達を『アーマゲドンクラブ』の幹部だと知っている。

 三人は、自分達がどんな所へ来てしまったのか、今置かれている状況を改めて思い知った。

「んじゃ、始めっかって所なんだけどよ……俺らの言いたい事は一つしかねえんだよな。『会長は返してやるから、お前ら全員ここから失せろ。そして二度と来るな』だ。これに何か意見はあるか?」

「いえ……特には」

「ご理解頂けたか? 思った事があるなら何だっていいぜ、今のうちに言っとけよ」

 『下らねえことは聞かねえし言わせもしねえ』という顔で高地は言う。

 三人は無言のまま互いに顔を見合わせあった後、何か言いたげに高地を見返した。

 このゴミムシ共が何言いてえのか見当はつくけどな。

 高地は心の中で呟く。

 人質なんて下劣な手段を使わず、正々堂々と言論で勝負しろ。

 自分が疾しい所があるから、犯罪で解決しようとするのだろう。

 何度もフロート狩りの奴らから聞かされた台詞。

 さっきまでお前、俺に何しようとしてた。

 そう聞き返すと例外なくきょとんとした顔を浮かべる奴ら。

 まさかこの状況でそんな事ほざけねえと思うし、時間の無駄だから言わせねえよ。

「ですが、あの」

 最初に口を開いたのは渉外部長だった。

 高地が口を半開きにしながら淀んだ目で睨むと一瞬言葉を詰まらせるが、それでも慎重そうにゆっくりと話し始めた。

 高地の予想とは違う内容を。

「あのですね……今待機させている第一連隊と、都内で準備中だった第四連隊は中止に応じられそうなのですが……第二と第三は、どうも……抑えられなくなり始めているらしいんです」


「抑え……られない?」

 訝しげな目つきと低い声で、鏡子が聞き返す。

 渉外部長は広報部長と再び顔を見合わせ、視線を落としている。

 男性二人に代わって彼女の問いに答えたのは、女性の東京支部長だった。

 感情を見せないてきぱきとした声。

 こんな連中の代表として来ているのでなければ、もう少し敬意を持っても良いと思える程の凛とした雰囲気だった。

「はい。大宮に集結予定の第二連隊と、松戸に集合予定の第三連隊が、再三のこちらの待機指示を無視し続け、出発準備を続けています」

「おいおいおいよぉ、何言ってんだおめえよ」

 丸岡が一際大きな声で野次を挟むと、男二人は完全に俯いてしまっていた。

 東京支部長も一瞬だが、悔しげに顔を歪ませる。

 鏡子が疑いの色をさらに強め、値踏みする様な顔で三人を見回しながら尋ねた。

「あんたらさ、アーマゲドンクラブの一番上なんだよね? じゃあそいつらは、あんたらの命令聞かないで……誰の指図で動いてんのさ?」

「現在未確認です……埼玉支部名義で、勝手に会長拉致を公表し、実力による会長奪還、本部と会長も本当はそれを求めている――などと煽りが発信され続けています。それに呼応する形で、第二・第三連隊は――」

などと(・・・)じゃなくて、実際にそう(・・・・・)なんじゃねえのかって。あたしらにはそう見えてんだけど」

 鏡子の言葉に、彼女の顔から血の気が引く。

「ご……ごもっともです……そして、あくまでも未確認の情報ですが……第二連隊の準備班に対策部関係者らしき者が何度も接触していたという……一般参加者からの情報提供がありました」

「対策部が? どこのか分かるか?」

 誰一人リアクションを見せないが、明らかにフロート達の空気が変化した。

 表情は変えないままで、高地が彼女に尋ねる。

「いいえ。さっきの時点で、これだけしか聞いていません――真偽も定かでありません」

 今度はテーブルの向こうのフロート達――匠、鏡子、丸岡、高地が顔を見合わせる番だった。


 この夜の交渉はここで中断となった。

 第二・第三連隊の『勝手な動き』が本当に、アーマゲ本部の意図したものではないという証拠。

 そして、どこの誰が糸を引いているのか。

 アーマゲ側でそれらをきちんと確認した上で、今夜再び交渉を行なう。

 三人には再び織子山に戻ってもらい、向こうのビジネスホテルに泊まらせる手筈となっていた。

「第二連隊の煽りに、さっそく喰い付いている連中が多いね……選抜メンバーに含まれてない、自腹でも来ようとか思ってるっぽい奴ら」

 アーマゲ幹部三人が再び四方を固められてテントを出ようとする時、入れ違いに入って来たポニーテールの少女が、テント内のフロートにそんな話をしていた。

「会員用SNS、覗かれてますね……」

 東京支部長が小声で本部広報部長に耳打ちした。

「分かりますか。車やこんなテントと言い、何台もあったタブレットと言い、西とも違うけど結構えげつないですよ、ここの変異体」

 緊張し過ぎて耳打ちの意味がいまいち理解出来ない様子の彼へ、彼女は小声で続ける。


 朝になると同時に、地元のフロート狩りの連中は解放し帰らせた。

 アーマゲドンクラブに逆らって活動を続けるという発想のない彼らが、これ以上余計な行動に出る事もないだろうと、向伏のフロート達は見込んでいた。

 そして、フロートもフロート狩りも、日中の市内中心部、国道や県道沿いを歩き回る事はほぼ不可能となっていた。

 対策部の車両や人員は普段の倍で、明らかにフロートへの高レベル監視が行なわれている。

 今の所、彼らに捕まったフロートはいない。

 それでも、呼び止められたり追われたりしたフロートは何名かいて、質問されたり会話を聞いたりして、彼らは表に出さないが『会長が拉致されたらしい』程度は知っている様子だという。

 対策部も、それを警察とは情報共有していないらしく、パトカーや警察官はいつもより増えたりはしていなかった。

 そして、その日の夜に、三人が再び車に乗せられて向伏へ連れて来られた。


「いい加減にしろよ。クソゾンビが。我々は生きてるんだ、汗だってかくし、こんな冷房もない蒸し暑い所に閉じ込められたら、着替えだってシャワーだって浴びたいんだ」

 暗くなってから再び多目的テントが立てられた、トンネル出口付近。その二百メートル先の廃駅。

 駅員室内の蚊帳で括られた一画。

 そこに、手足の自由は利くとは言え、ロープで繋がれたままの日出が軟禁されていた。

 彼の要望に応じて、ポリタンクに詰めた水とシャンプーとボディーソープ、下着の替えを置いてやったが、まだ彼は喚いている。

「貴様らに見られながら身体を洗えというのか! 着替えろというのか!」

 フロートによる監視を一切解いてないのが不満らしい。

 着替えを持って来た6~70歳のフロートは、肩をすくめながら少し困った顔で答える。

「これでも拘置所よりマシなんですがね」

「犯罪者と比べてどうすんだ馬鹿!」

「犯罪者だろ」

 津衣菜が茶々を入れると、爆発した様に喚き散らす。

「おい、森くん、わざと怒らせるような事は……」

 日出の怒声と、丸岡と同じ『守旧派』だったというフロート男性の苦々しげに咎める声を背にして、駅舎を出る。

 テントはもう完成していて、中も明るくなり始めていた。

 津衣菜はテント周りの様子の違和感に気付いた。

 まだアーマゲ側の三人は来ていない――織子山でまだ彼らを車に乗せてもいない筈だった。

 それなのに何だかかなり慌ただしい。

 駅舎のすぐ外で見張り当番していた花紀も、テントの様子に気付いて不思議そうに見ていた。

「どうしたんだろうね……気になるなー」

「ちょっと見て来るよ。分かったら教える」

「うん、おねがいします」

 テントへ向かう津衣菜の後ろで、息を吸い込んでむせる様な声が一回だけ聞こえた。

「誰だよ! 本当に違うのかよおっ!」

「本当だって! 誰だよこいつ、うちらじゃねえし、他でも見た事ねえだろ」

「これじゃ分かんねえよ! 本当に御身滝(おみたき)町班の奴ら、所在確認取れてんのか!?」

 思った以上にテント内の声は緊迫していた。

 丸岡が険しい顔で、周りのフロート達に声を荒げて詰問している。

「あと、どこだここ……見た事あるかもしれねえけど……ちっと確かじゃねえんだよな」

「あと、旧西部にも信梁にも全員確認取って下さい!」

 テント内では、高地が騒ぎの中心から離れて椅子にふんぞり返ろうとしている所だった。

 テーブルの上に置かれたタブレットに、びっしりとフロートが集まっている。

 呼ばれて来たらしいフロートがその輪に加わっては、別の誰かが去って行くのを繰り返していた。

『どんな趣味を持っていようと、個人の自由だ――誰かに手を出さない限りはな』

 タブレットのスピーカーから響く男の声。

 画面には海外の動画サイトらしきページが表示され、そこにどこかのビルの廃屋らしき場所が写っている。

 そして動画に出ている人物達の姿が見えた時、輪の中に入ったばかりの津衣菜も思わず目を凝らした。

 ほぼ全員、皮の茶色いズダ袋を頭からかぶっていた。

 そして全員が足取りや手の動きがぎこちなかった。

 フロートになりたての者や、発現者みたいに、よたよたした動きで歩き、佇んでいる。

 その奥に3つの椅子が並び、その全てに年齢不詳の男性が座らされている。

 彼らは何もかぶっていなかった。

『だが、こいつらは自分の欲望で他人を殺す事に一切の躊躇を見せなかった。こいつらは先日我ら第二種変異体――フロートの同胞女性を、意識のあるまま解体し、死姦し、ゴミの様に打ち捨てた』

 口を塞がれ怯えた顔を晒したまま、3人のフロート狩りの男は、並べた椅子に座り縛り付けられていた。

『法律は彼らを罰せず、上手く隠れおおせた獣どもは、この向伏で次の得物を物色し続けていた。だが我らは遂にこの獣どもを捕えた』

 ズダ袋を被った男の一人は、画面手前で暗唱する様に彼らの罪状を読み上げ、捕まえた事を宣言する。

『我らは死者である。だが生きた人間でもある。この矛盾を彼らは悪用した。我らを理解する為でなく、自分の欲望の為に利用した』

 奥にいたズダ袋の男女が緩慢な動きで、だが確実にこれからする事の準備を進めている。

 喉の奥からくぐもった声を立てもがく彼らの頭上に、金属のタンクから何か――多分ガソリン――振りかけ、その茶色っぽい液体で床に何筋かの流れを作る。

『我々は人間だ。彼女達は人間だった。ここにいるのは日本の法で守られた殺人鬼どもだ。彼らには我々フロートが、死者の国の法で制裁を下す』

『罪には死を。そして死者の国は彼らを受け入れない』

『甦ることなく燃えつきろ』

 ズダ袋を被った男達が、油の染みた布を巻き付けた点火棒に火を点け、その炎を床のガソリンに当てる。

 一瞬で床を舐める炎の筋は椅子の3人へ届き、三本の大きな火柱が天井いっぱいまで噴き上がった。

死者の国(フローティア)に勝利あれ!』

死者の国(フローティア)に正義あれ!』

死者の国(フローティア)に応報あれ!』

 腕を振り上げながらめいめいに叫ぶ、ズダ袋の男女の唱和。

 その声は、火柱の根元の犠牲者達が明らかに炭化し始める時まで繰り返された。

 

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