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ウィスラー伯爵

 ジョン・ウィスラー伯爵。フォーラント地方北西部を領地とする地方領主である。先祖はフォーラント王家の盾とも呼ばれた名将もおり、武名を轟かせている。伯爵自身も、若い時代には勇猛果敢な戦士として知られている。

 反面、政治には疎く、そういう方面は家臣たちに任せてしまい、自身はほとんど何もやっていない。

 ウィスラー伯爵が、ジャック・ロドネスをトーランの市長に任命したのは、三年ほど前のことだった。ロドネスは野心家だったが、伯爵に忠実であり信頼していたのだ。それがトーラン市民の不幸の始まりであったが、それを伯爵は知る由もなかった。


 トーランへ続く長い荒野の一本道を、馬車とその護衛の一団が進んでいる。あまり道はよくなく、頻繁に馬車が上下に揺れた。

 馬車の周囲を囲むように一緒に進む騎馬武者の一人が、その馬車の側に近づき、中の人物に声をかけた。

「殿下、そろそろトーランに到着します」

「うむ」

 この馬車はウィスラー伯爵の馬車だった。領内の都市であるトーランの視察にやってきたのだった。

 すでに齢六十二と老齢であるが、その精悍な顔つきは、かつての猛将を伺わせた。

 馬車の窓から前方を見た。遠く山に街並みが並ぶ様子が見える。あと一、二時間もすれば到着する距離だ。

 


 トーラン市内。今日、伯爵がやってくるということで、朝から衛兵の姿が目立つ。普段はこんなにあちこちで、衛兵を見かけることはないが、さすがに領主であるウィスラー伯爵が来るとなると、警備は非常に厳重になるようだ。

 アーシェが深傷を負ってから三日経つが、衛兵たちの警備は緩くなるどころか、さらに厳重になった。その理由がこれだった。

 アーシェの傷はもうかなりよくなっており、完全回復とまではいかないものの、オーブの調査を再開しても問題ないくらいにはなった。が、衛兵の活動があまりに活発すぎて、まともに表を歩くことも難しい。一度隙をみてロゼッタの宿に戻っているが、これは衛兵たちが貧民街が隠れ蓑になっていると考えて、重点的に探し始めていたからである。

 アーシェは宿の窓辺で頬杖をついて、つまらなそうに外を眺めてため息をついた。

「物々しいわねえ……これじゃ外も歩けないじゃない」

「しょうがないだろう。この状態では、まだしばらく動かない方がいい」

 ノエルは言った。今の状況に不満を抱いているものの、とにかく待つしかないと諦めている。

「はぁ……退屈だわ」

 アーシェは窓際からベッドに移動して寝転んだ。

「暇そうねえ」

 そう言って部屋に入ってきたのはロゼッタだった。お尋ね者になっているアーシェとノエルを衛兵に突き出さず、黙って匿ってくれていた。

「ロゼッタぁ……そうなのよ、もう暇で暇で死んじゃいそう」

 アーシェはベッドに寝転んだまま、喚くように言った。そんなアーシェの様子を見て、ロゼッタはニコニコしながら、何かおいしそうな匂いのする食べ物を差し出した。

「よかったら食べる? 街の名物、トーラン餅だよ」

「わぁ、食べる食べる!」

 急に表情が明るくなるアーシェ。飛び起きると、すかさずトーラン餅を一つ取って口に頬張った。

「うん、おいしい! トーランってこんな食べ物があったんだねえ」

「昔鉱山として栄えた時代に、造られたらしいんだけどね。坑夫の弁当といったところかねえ。それがだんだん味に工夫されていってさ、今では名物だよ」

 ニコニコしながら説明するロゼッタ。そこにノエルが声をかけた。

「ロゼッタ、昨日辺りから随分と衛兵の動きが慌ただしいけど、何かあるのか?」

「ああ、伯爵様がやってくるんだってさ。このトーランはウィスラー伯爵の領地だからね。それにしても久しぶりだわ」

「伯爵が……何かあるのだろうか?」

「いや、ただの視察だと思うけどね。それとも例のロドネスが探してるってものが見つかったとか」

 ロドネスが探しているもの――オーブだが、このことは市民には広く知られていた。中には自分が先に見つけて邪魔してやる、とか言って逮捕されたまま帰ってこない人もいた。

 ノエルは驚いた。ロドネスに先に見つけられた可能性があるというのは、自分たちの任務を考えたら、かなりまずいことだった。とはいえ、それはあくまで憶測でしかない。そうと決まったわけではないが、早く見つけないとまずいなと感じた。

「色々と問題山積だな……」

 ノエルはそう呟くと、テーブルに頬杖をついてため息をついた。




 トーランの庁舎では、ウィスラー伯爵を迎えるために大忙しだった。役人たちは西へ東へ、南へ北へ。

 そして市長と幹部たちは、伯爵が到着した後のことを会議で話し合っていた。

 今回来るのは、前もって予定されていたものではなく、数日前に突然トーランの視察が決まったという。

 ロドネスは、オーブがまだ見つけられないことが原因ではないかと思った。まだ見つからないことに痺れを切らしてやってきたのでは、ということだ。

 そもそも市長就任には、密かにオーブを探し出すことを命ぜられていた。なので、未だに見つけられないということだと、最悪は市長を解任させられらるかもしれない。地方都市とはいえ、せっかく手に入れた市長の座だ。そう簡単には手放せない。

 人々の願いを叶える神秘のオーブ。これがこのトーランのどこかにあるという。さまざまな見聞や、学者などを総動員して探していることもあり、かなり特定できている。が、まだ手間取り入手できていない。


 幹部の一人が、ロドネスに向かって言った。

「ロドネス様、もしやオーブのことでしょうか?」

「ああ、おそらくな。しかしタイミングのいいことだ。ようやく見つかりそうなところまで来たというのに、それを狙ったような時に視察に来るとは」

 ロドネスの表情は険しい。

「オーブの発見はまもなくでしょう。これを報告すれば、ロドネス様の地位も盤石では」

「バカヤロウ! このタイミングで来るってことは、市長を交代させようとしているに違いない。まだ見つかっていないとかで、自分のお気に入りを市長にして、それで発見させるのだ。後少しというところで手柄を掻っ攫うつもりだ!」

 ロドネスは、机を思い切り叩いて吠えた。かなり疑心暗鬼になっているようである。

「そ、そんなことは……」

「ほぅ、まさかお前――伯爵と裏取引をして、この俺を蹴落として自分が市長の座につこうとしているんじゃないだろうな?」

「ま、まさか! そんなことはありません! 絶対にありません!」

 必死に否定する幹部。

「怪しいな……おい、こいつを牢にぶち込んでおけ!」

「そ、そんな! ロドネス様! どうかお許しを!」

「黙れ、裏切り者! おい、早く連れて行け」

「ロドネス様!」

 幹部の悲痛な叫びが部屋に響き渡る。しかし、無情にも衛兵に逮捕され連れて行かれた。その様を他の幹部も見ていたが、誰もそのことに意見することはできなかった。

「とりあえず、伯爵には丁重に出迎えて歓待しろ。それからオーブの探索を急がせろ。そして、何としてでも早急にオーブを見つけ出すのだ!」

「ははっ!」



 

 オーレンをリーダーとするレジスタンス。彼らのアジトでもウィスラー伯爵来訪のことについて会議が行われていた。

「あの伯爵がロドネスを連れてきたんだろ! 許せねえよ!」

「待て、早まるな。ことは慎重に動かんと失敗すだけだ」

「のんびりやってたら、何もできないうちに帰っちまうぞ!」

 メンバーたちが口々に意見を言い、非常に白熱していた。睨み合う者もおり、あまりにヒートアップし過ぎである。

 しばらく黙っていたオーレンは、突然立ち上がり仲間たちに向かって問うた。

「みんな、少し落ち着こう。我々がなすべきことは何か?」

「なすべきこと? このトーランの平和を取り戻すことだ! ロドネスが来てから、この街から平穏が失われた!」

 仲間の一人が言った。

「そうだ。この街は今、好ましい状態にない。街の中を大量の衛兵が、横柄な態度で練り歩き我々を威嚇している。そして、少しでも歯向かったら牢屋行きだ」

「そうだ、そうだ!」

 仲間たちがそれに同意する。

「この原因は明らかにロドネスだ。奴が市長に就任してから、議会もまともに機能していないし、街を私物化している。では、ロドネスが市長に任命したのは誰か? それは伯爵だ」

「それはわかっているが、じゃあどうしたらいいんだ?」

 この仲間は、いまさら何を言っているんだ、とでも言いたげだった。

「伯爵は武勇に秀でた騎士だという。しかし正直なところ、政治に長けた人物とは言い難いと噂されている。ロドネスがどのような人物か知らずに任命したのではなかろうか」

「ああ、なるほど。それは確かにあるかもしれんな」

「やはりここは、ウィスラー伯爵に直訴するべきではないかと思う」

「直訴? オーレン、そんなことできるのか?」

 直訴という言葉に皆は驚いていた。そもそも伯爵など身分が違いすぎて、遠目に見たことしかない者が大半で、近寄ることすら難しい。奇襲して暗殺というのならまだしも、たとえ近づくことができたとして、話をまともに聞いてくれるのか怪しい。

「わからない。しかし、何か手立てはあるはずだ。それから、ノエルさんとアーシェさんにも相談したい。ダリル、彼らをここまでお連れできないだろうか?」

 オーレンはダリルを見て言った。

「ちょっと厳しいかもしれんが、今なら行けるかも。伯爵が来ることで、警備の方が重視されているみたいだしな」

 ダリルは言った。実際に、衛兵の配置箇所が、ウィスラーのやってくる方面に集中しつつあった。アーシェたちを捜索する衛兵の数が明らかに減っている。

「頼む。一つアイデアがあるんだ。彼らにそれを助けて欲しいんだ」

「わかった。ちょっと行ってくるぜ」

 ダリルはそう言って、アジトを出て行った。

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