アーシェとノエル
「ふゎあぁぁ……眠い……」
清々しいそよ風の通る居心地のいい草原の片隅で、少女が寝転がり、眠そうな目を擦っている。暇を持て余している様子で、退屈が彼女を眠りに誘っているようだ。
ここは天界。神々の世界である。
「――ちょっとアーシェ、こんなところで何やってんの?」
眠そうな少女の元に、別の少女がやってきた。アーシェと呼ばれた少女は、寝転んだまま大きなあくびをして言った。
「ん……? ああ、リディア。お昼寝中……ふわぁぁ……」
「お昼寝って……そんなとこノエルに見られたら、またガミガミ言われるよ」
「大丈夫だって。ノエルは地上に行ってなかったっけ? まだ帰ってこないわよ。だから大丈夫……おやすみぃ……」
アーシェは目を閉じ、スヤスヤと眠り始めた。リディアと呼ばれた少女は、ヤレヤレと呆れた顔をしていたが、気配を感じ、突然気まずそうな顔をしてあとずさった。
「――何が大丈夫なんだ」
ふいに青年の声が聞こえた。うたた寝のアーシェは、はじめ無反応だったが、聞き覚えのある声に、いきなり眼をぱっちりと開けた。
「ノ、ノエル!」
アーシェは突然スイッチが入ったかのように飛び起きた。信じられないことが起こったという驚愕の表情だ。
「だから言ったのに……」
リディアは困った顔してつぶやくと、そそくさとこの場を立ち去った。
「アーシェ……君は一体、何をしているんだ。仕事はいくらでもあるだろう。なのに、こんなところで隠れて昼寝とはいい度胸だ」
ノエルと呼ばれた青年は、勤めて冷静を装おうとしているが、目の前の状況に怒りが隠せない。体は小刻みに震え、今にも爆発しそうである。
「ちょ、ちょっと休憩してるだけじゃない……休憩よ、休憩」
「一体何時間休憩しているんだ! 何時間!」
「な、何時間もしてる訳ないじゃない。十分かそこらよ」
怒鳴るノエルにうんざりしつつも反論した。
「嘘をつかないでもらおうか――君がもう二時間二十六分三十二秒、ここで寝転んでいたのを知っているぞ!」
ノエルはアーシェを指差し、まるで計っていたかのような細かい数字を叩きつける。
「ちょ、なんでそんなに詳しいのよぉ!」
アーシェの叫びが虚しく響く。まさか最初から、隠れて監視していたんじゃないないかと思うくらい正確だった。
散々小言を浴びせた後、ノエルは少しだけズレた眼鏡をクイっと指で押して直すと、
「エルネスト様が呼んでいる。行くぞ」
と言った。ノエルはそれだけ言うと、振り返りもせずにすぐに行ってしまった。
「ちょっと待ってよ、ノエルったら!」
アーシェは慌ててノエルの後を追った。
「――聖騎士ノエル、参上しました」
ノエルはエルネストの前に進み出た。少し緊張感を持った面持ちでエルネストを見ている。生真面目なノエルらしい。
少し遅れてアーシェも同じように進み出る。
「聖騎士アーシェ、参上しましたぁ……」
アーシェも同じように名乗る。寝足りなかったのか、少し眠そうである。
「うむ――来たな、二人とも」
エルネストは無表情のままふたりに声をかけた。彼はアーシェたち聖騎士のまとめ役で、天界騎士団の長、騎士団長の肩書きを持つ。穏やかな表情で、怒ることを知らないかのような、優しげな顔立ちでありながら、騎士団長という、リーダーとしての威厳も兼ね備えている。
エルネストは椅子から立ち上がり、二人のそばにやってきた。そして一呼吸置いて口を開いた。
「君たち、英雄王レオンの話を知っているかね?」
「知りません!」
アーシェは即答した。ノエルが即座にアーシェの頭にゲンコツをお見舞いした。
「あいたたた……ちょっと何すんのよ!」
アーシェは頭を押さえて抗議した。
「知りませんじゃないだろ! どうして知らないんだ!」
「だって本当に知らないんだから、しょうがないでしょ」
「こんな有名な人物を知らない聖騎士は君だけだぞ!」
ノエルは、信じられないという驚きの表情で叫んだ。
「やめたまえ。私もアーシェは知らないと言うと思った」
エルネストはまったく表情を変えず、そして優しい声色で、なかなか辛辣な言葉を放つ。
「えぇ! そんなぁ、エルネスト様まで……ぐっすん」
アーシェは涙目になる。
「君というやつは……」
ノエルは頭を抱えた。
「――英雄王レオンは猟師の父を持つ、貧しい家の子でした。しかし苦労を重ねつつも成長し、度重なる戦乱の中で、すべての願いを叶える神秘のオーブを手に入れます。自らの力で戦乱を終わらせたいと願い、実際にそれを叶えて王の座につきました。北部のサミューカ人たちの間で、伝説としてよく伝わっている英雄譚です」
「さすがはノエル。よく知っているね。その通りだ」
エルネストはそう言って、優しく微笑んだ。
「このくらいは一般常識として、聖騎士であれば知っていて『当たり前』だと思います」
わざわざ『当たり前』を強調して、ノエルは横目でアーシェを睨んだ。それに気がついたアーシェは、視線を逸らして知らんぷりした。
「このオーブは例えですね。レオンは戦乱の中、無二の親友と言える男、サイラスと出逢います。その後レオンが出世し、王座に着いて第三期アスタリア王国を建国するのは、レオン自身のカリスマとサイラスの優れた政治力によります。当時、レオンに対抗できる勢力が全然なかったのも大きいでしょう。それが長い年月が過ぎ、尾鰭がついて、いつの間にかオーブの力で、などと伝わるようになったのですね――」
ノエルはクドクドと英雄譚の裏話を始める。こういう話は大好きで、喋らせると止まらない。なのでアーシェは、極力聞かないようにしている。
「その通りだ。オーブの力というのは作り話だ……しかし」
「しかし?」
「大地の男神カリュオーン様の神殿より、このオーブの存在を認める神託があった」
「なんと!」
ノエルは驚きの声をあげた。いかにも地上人の考えそうなことだと、少し馬鹿にしていたところがあったが、そのオーブが実在するとは思っていなかった。すべての願いを叶えるなど、都合がいいにも程がある。
ちなみにこの大地の男神カリュオーンは、天界の神の一員で、文字通り大地を司る男女二神のうちの片方である。また、大地と共に農業を司る。
世界の様々な事象に神の存在がある。そしてそれぞれ男女二神が、その事象を司っている。この広い世界を作り出したのは、これら様々な神だ。
驚きを隠せいないノエルと、多分何も考えていないのだろうと思われるアーシェ。一息ついたところで、エルネストが口を開いた。
「そこでだ。君たちに、このオーブ探して欲しい。このような欲望を増長させるようなものは、例外なく災の種であり、争乱の元になる」
ノエルはすぐに真顔に戻った。
「どこにあるか、目星はついているのですか?」
「うむ。フォーラント地方だ。その西部、ノースティア地方との境に近いところに、トーランという街があるだろう」
「あの山を丸ごと街に改造したような、かつては空中都市とか呼ばれていたこともありましたね。確か鉱山の街だったと思います」
優等生のノエルは、本当に優等生らしいお手本のようなことを言う。
「そうだ。しかし、街のどこにあるのかまではわからない」
「僕たちにそれを探せと?」
「できれば、もっと具体的に所在を突き止められたらいいのだが、残念ながらそれは叶わない。何か、魔力障壁らしき力も感じられる。結局は中に入り込まないと、どうにもならないのだ」
「わかりました」
ノエルは返事した。そして、何言わないアーシェを睨んだ。それい気がついたアーシェは、やむなく気のない返事をした。
「え? ああ……わかりましたぁ」
「なんだその面倒くさそうな返事は! いつもそうだが、もっと真面目に仕事に打ち込めないのか! だいたい君は――」
ノエルの小言が始まる。いつものことだが、アーシェは困り顔で狼狽している。
エルネストはまったく表情が変わっていないが、その様子を微笑ましく眺めていた。
「いつものことで今更かもしれないが、聖騎士であることは極力明かさないように。特にアーシェ」
「はいはい、わかってますって」
ぞんざいに返事するアーシェを、ノエルは憎たらしげに睨む。しかし知らんぷりである。
「よろしい」
エルネストは、そんな有様にも一切動じることなく微笑んだ。
アーシェたち天界の聖騎士は、神が作り遣わした、神の意向を行使する「代理人」だ。その存在は、地上人からすると神が降臨したことに等しい。その影響力たるや、とてつもないことなのだ。
地上世界を平穏に留めておきたい彼らは、なるべく大ごとにならないように災いの元を排除する。
「それでは支度が整い次第、早急にフォールします」
「うむ」
ノエルは一礼すると、颯爽と部屋を出ていった。アーシェも慌ててそれに続く。
二時間ほど後、アーシェとノエルは集合場所にやってきた。ノエルは、絶対に待たされるだろうと思っていたが、意外にも時間通りにやってきた。
ノエルはさまざまな荷物を持っているが、アーシェは手ぶらだ。その様子を見て渋い顔をするノエル。
いつもそうだが、アーシェは物がないとノエルの荷物から勝手に持って行ってしまう。全部きっちり準備して挑むべきなのに、いつもいつも本当にいい加減だ、と憤慨している。そんな相棒の様子など、アーシェはまるで意に介さない。
「さ、それじゃ行きますか」
アーシェは片腕をグルグル回しながら、少しづつやる気をみなぎらせていく。
天界の服装は地上とは違う。このまま地上を歩くと奇異な目で見られる可能性もあるので、地上人たちの服装に着替えている。
ちなみに、アーシェは戦士で腰に剣を下げている。ノエルは魔法使いで魔法の媒介とする杖を持っている。
天界には神々を祀る大神殿が中央にあり、そこを中心に東西南北に様々な役割を担当する組織の屋敷がある。聖騎士の屋敷は東側にあり、ここがアーシェたちの職場だ。
この建屋の外側に小さな庭園があり、その奥に祠がある。中には小さな泉があり、ここから下界――人間の世界に降下することができるのだ。
ノエルは泉を覗き込み、すぐに振り返ると、気難しい表情で言った。
「アーシェ、それじゃ行くぞ」
「がってん。お先にどうぞ」
アーシェはニヤニヤしながら、ノエルに先に行けと言う。普段の素行から、アーシェが何かやらかそうとしているんじゃないかと疑ったノエルは、「いや、君から先にフォールするんだ。僕はその後にする」と言った。
「もう、別にどっちからフォールしても一緒でしょ……ほら!」
アーシェは泉に飛び込むフリをして、咄嗟に後ろに向かってジャンプした。
軽やかな身のこなしで、背後にいたノエルを飛び越えると、満面の笑みでその背中を思い切り押した。
突然のことに簡単にバランスを崩して、泉の中に頭から突っ込んでしまうノエル。
「ア、アーシェ! き、き、君って奴はぁぁぁっ!」
「心配しなくてもすぐ行くって」
アーシェはすぐにノエルの肩に捕まると、一緒に泉に飛び込んでいった。




