大評定
父上から登城せよとの連絡があり、盛昌と共に小田原にやって来た。北条家には馬廻衆を中心に構成された評定衆と呼ばれる官僚機構がある。月二回、領内の問題解決や報告が行われているそうだ。今回は通常の評定とは違い、春と秋の農繁期に行われる大評定だ。農繁期の紛争の少ない時期を見計らい、支城の旗頭が集まり、方針を決定するとのことだった。その大評定の見学を許されたのだ。
小田原城の評定の間には重臣達がずらりと並んでいた。左側には一門の北条幻庵を筆頭に伊勢貞辰、小笠原元続、大和政邦、松田顕秀、遠山綱景。右側には大道寺周勝を筆頭に北条綱成、北条綱高、多目元忠、笠原信為、富永政直の五色備えの旗頭が並んでいる。彼等の子等と早雲寺で共に学んでいる。似た顔を見つけて思わず笑いそうになった。父上の傍らに席を用意されていたので胡坐をかいて座った。盛昌が後ろに控えるように座ると、父上が開式を告げた。
「皆の者、遠路遥々足労である。これより春の評定を始める。評定に先立ち、皆に西堂丸を紹介しておこう。西堂丸、挨拶せよ。」
おおっと!いきなりの無茶振りだ。事前の段取り無しである。父上は単に自己紹介を促しただけだが、初顔合わせの者も大勢いる。最初が肝心なのだ。子供らしく元気に発声する。
「西堂丸にございます!早雲寺で立派な武将となれるよう勉学と武芸に励んでおります!此度は大評定を見学する機会を頂き、とても興奮しております!皆に教えを請うことも沢山ありますが、早くお役に立ちたいと思います。」
皆の顔が微笑ましくなっている。好印象を与えた様子なので安堵した。
評定が始まった。まず伊勢貞辰から畿内の様子が報告された。細川晴元が畿内を制圧しているが、細川高国の跡目を継いだ細川氏綱が晴元に対して不穏な動きを見せているようだ。正直なところ、遠い場所の北条家とはあまり関係の無い話のような気もするが、大事な話であるようだった。
続いて五色備の旗頭達から各地の報告があった。緊迫しているのはやはり両上杉に対する地域である。沿岸部では里見海賊衆に度々荒らされているとの報告もある。遠山綱景からは武田家から同盟の使者が来ていると報告があり、不可侵同盟を結ぶ方向で話が纏まりそうだ。大人しく聞いていたところ父上が声を掛けてきた。
「西堂丸、如何であった。難しい話も多く、退屈であったか?思うところがあれば述べてみよ。」
「武田家との同盟の話ですが、不可侵同盟から一歩踏み込んで相互に軍事援助を行う、婚姻同盟を結ぶべきかと存じます。」
「わはは。西堂丸は嫁御が欲しいのか?まだ童子かと思うたら色気付いてきたようだな。」
皆が微笑ましく笑っている中、紫紺の僧衣を纏った北条幻庵だけが真面目な顔で問うてきた。
「若様は不可侵同盟では不都合な理由があると考えているのかな?」
「大叔父様、理由は二つございます。一つは武田家は大井氏を追い詰め、小諸を制覇しつつあります。今後、山内上杉家に圧力を掛けるために武田家の力は役に立つと思うのです。」
「もう一つは何じゃ?」幻庵が促す。
「もう一つは河東地域の安全の為です。武田家と今川家は婚姻同盟を結んでいます。北条家が今川家と争った場合、武田家が今川家に肩入れすると北条家が不利になります。」
幻庵は頷き、褒めてくれた。
「若様は良く勉強しておられる。これならば嫁を迎えても大丈夫であろう。」
「私に嫁を迎えるのではなく、お竹を武田家の嫡子の嫁に出す方がいいと思います。」
話を聞いた途端、父上が不機嫌な表情で「可愛いお竹を出す訳にはいかん」とごねだした。うーん、可愛い盛りだもんね。そりゃ怒るよね。すると北条幻庵が父上を嗜めて正面に向き直った。幻庵は視線に圧力を掛けて問うてきた。
「若君、嫁取りではなく、嫁を送ることに何か理由がありますか?」
「武田家は油断ならぬ家じゃ。嫁取りでは武田家の者を北条家の内に抱えこむことになる。武田家に北条家の意を持つ者を送り込み、武田家の動向を報告させる方が良いと思うたのじゃ。」
幻庵はほうと吐息を吐いた後、面白そうに更に問うて来た。
「嫁を送るという考えは良いとしよう。代わりに武田家から人質を寄越してきたら如何する。武田家の者が北条家に入ることになり、嫁を取るのと代わらぬのではないかな。」
「それなら武田家の倅を早雲寺に寄越して下され。私が躾けして弟分にしてやります!ついでに千葉家の子供も太田家の子供も全員弟分にしてしまえば、戦をせずとも良くなります!」
「わはは、若君は剛毅であるな。盛昌か忠貞あたりの入れ知恵かと勘繰ってみたが、自分で考えているようじゃな。面白いぞ。」
幻庵は表情を崩して笑いだした。他の皆も笑っている。父上は仏頂面であったが、武田家との同盟外交に利があると納得しているようで、通常の評定で再検討することとなり、大評定は散会となった。
人物紹介
北条幻庵(1493-1589)伊勢宗瑞の末子。北条家の長老的存在であり、1560年当時で北条家の所領の1割を治めている。
伊勢貞辰(?)幕府の評定衆から北条家臣に転じる。息子の伊勢貞孝は幕府の政所を取り仕切る伊勢本家の養子となり、1550年足利義晴が没した際には枕元に呼ばれるほど信任されていた。
遠山綱景(1513-1564)宿老の一人。外交・内政に長けている。富永・太田と共に江戸城在番。




