89話 砂塵の先の未来
バルバロッサに放たれたのは『白い力』だった。
いかなる属性魔術とも違うそれが吹き荒れ、視界を白一色に染め上げていく光景を、奇妙に遅く流れる時間の中でバルバロッサはながめていて……
だからこそ、理解してしまった。
その『白い力』が自分の存在など簡単に消し去れるほどの強さであり、いかなる防御手段も通じぬほど圧倒的であり、回避もできぬほど広範囲かつ速度のある攻撃なのだと。
だから、バルバロッサは━━しっかりと、『白い力』を見据えた。
その『力』の向こうにいるカシムまで射抜くように、灰褐色の瞳を開き続けた。
なぜならば、バルバロッサは生まれながらの王である。
その生き様はもとより、死に様でさえ、一片の弱みも見せるつもりはなかった。
……だから。
砂の中から勢いよく飛び出してきた背中もはっきり捉えて、バルバロッサは目を見開き、おどろいた。
その黒いマントを羽織った背中。
長い黒髪を揺らしながら自分をかばうその背は━━
「リ━━」
遅くなった時の中では、バルバロッサ自身でさえ、もどかしいほどに動きが遅い。
だから、『リシャール』と、その名を叫ぶことはできなかった。
裏腹に思考だけはすさまじく早くなっていた。だから、リシャールが自分をかばって死ぬ気なのだと判断して、バルバロッサはその背中に手を伸ばした。もちろん、リシャールをどかすためにだ。
ここから先のことを、考えていた。
カシムが敵にまわり、獣の軍勢を率いることのできる未来では、自分よりリシャールの方が有用だと、そういう判断をしたのだ。
しかし……
「っううう!」
歯を食いしばりながらもその隙間から漏れてしまったような声があって……
迫り来る『白い力』が、逸れていく。
その力はリシャールの目の前で右へと曲がり、砂漠の砂を深々と抉りながら、バルバロッサの右腕の少し外側を流れていった。
リシャールが、なんらかの手段でカシムの攻撃を逸らしたのだ。
「━━シャールッ!」
時の流れがもとに戻り、バルバロッサは自分をかばった男の名を呼ぶことがかなった。
リシャールはそれに応じず……
「ミカエル殿!」
呼びかける。
「おう!」
野太い声が、応じる。
バルバロッサがつい声の方向を見れば、そこにはリシャールと同じように、砂の中から赤毛の『分厚い』騎士が出現したところであった。
二人とも、地面に隠れて、カシムによる『なんらかの破壊的な攻撃』をやり過ごしていたのだ。
おそらくは、リシャールの土の魔力によって……
(さすがは、『預言者』といったところか……!)
あのまったく唐突な攻撃にこうも見事に対応してみせる手腕を見せられ、バルバロッサの心に希望が湧きあがった。
リシャールと陣営を同じくした者たちがほとんど必ずといっていいほど感じること━━
すなわち。
(リシャールとともに戦うならば、我らは勝利できるやもしれん!)
勝利の予感がバルバロッサの全身に活力をみなぎらせた。
切り替えの速さはバルバロッサの美徳だ。
どれほど大きな絶望も、どれほど巨大な謎も、あるいは……もっとも忠実だと思っていた者が敵に回ったことさえも、『現在、目の前にある問題』を解決するまで、おいておける。
嘆くのも悲しむのも、悔いて自分を責めるのも、あとでいい。
理解しがたいことを理解しようと考え込む前に、やるべきことをやる。それこそがラカーン王国の気風。バルバロッサの主義なのだ。
だから折れた剣を投げ捨て、バルバロッサも魔術による応戦の準備をする。
だが……
リシャールは、こんなふうに、言葉を続けた。
「なるべく多くの兵を回収し、逃げろ!」
「……は?」
バルバロッサはおどろいた。
ミカエルは━━
「承知!」
そう述べて、バルバロッサを小脇に抱えると、走り出す。
「っ!? お、おい! 待て! なぜだ! リシャール! リシャールうううう!?」
砂の上だというのに猛烈な勢いで走るミカエルに連れられ、バルバロッサとリシャールとの距離はどんどん離れていく。
叫んでも、もはや届かない。
……バルバロッサはいつまでもリシャールの背を眺め続ける。
━━それが。
バルバロッサの記憶に残る、リシャールの最後の姿となった。
◆
砂の上に残された黒髪の青年二人は、見つめ合う。
褐色肌の青年の後ろには『獣の軍勢』が控えていて、それは号令一つでいつでも突撃し、敗残兵を蹴散らすことができるだろう。
けれど、褐色肌の青年……カシムは、そうしなかった。
「バルバロッサとあなたであれば、あなたが生き残った方がよかったのではありませんか?」
というのも、カシムはおどろいていたのだ。
自分の操る『白い力』が逸らされたことに。
きっとこの世界に生きるすべての人が、この『力』がなんなのかさえ知らないだろうと認識していた。
知らない力には対処できない。ましてや、これほどに強い力には、絶対に……
しかし、リシャールもまた、『白い力』を放って、カシムの攻撃を逸らしたのだ。
カシムの放つ力とは比べ物にならないほど弱い力ではあったけれど、それだけに、扱いのうまさには舌を巻く。『熟知している』と言ってしまっていいほどに、リシャールの力の扱いは精妙だった。
「バルバロッサなどは、私の放った『力』の正体になど、勘付いてさえいないようでしたが」
「いや、俺も正体など知らないさ。ただ、見たことがあり、対応したことがある。……もっとも、これまで見たものよりはるかに規模が大きくて、ヒヤヒヤさせられたがな」
リシャールは不敵に笑っていた。
命の危機を前にして強がりの笑みが浮かんでしまっているのではない。
本当に心から楽しそうに、彼は笑っていたし……
その笑みには、歓喜と同等以上の、敵意、殺意があった。
「リシャール殿、あなたはもしや、ここで私を倒すつもりなのでしょうか?」
「可能ならばそうしたいところではあるが、どうかな。この展開は俺も知らん。バルバロッサの忠実な家臣であったあなたが裏切るというのは、さすがに予想外だ。どうしたらいいかわからない、というのが正直なところではある」
「しかし、対応できていた。私の初撃から身を守り、私の攻撃を逸らしてみせた」
「……ああ、まあ、それはな。予想というより、予感だ。……幾度も幾度も、こういう、世界の危機みたいなものに直面すると、なにか悪いことが起こる前兆の空気みたいなものが、わかるようになるのさ」
「……あなたも、他者に理解されがたいものを持っているようで」
「そう言うな。俺はコミュニケーションをあきらめなかったし、理解者もいないではない━━本当に、今回こそはと思ったのだがな」
「ますますあなたが生き残るべきだったと思いますよ。バルバロッサも、ミカエル殿も、きっと私の力に対処できないし、私がこれからやることを予想できない」
するとリシャールは肩を揺らして笑う。
……不思議な感覚だ。
この会話はきっとリシャール側に時間を与えるだけのものだろう。
カシムにとっては、さっさとリシャールを攻撃するなり無視するなりして、獣の軍勢をけしかけ、ここにいる兵たちに念入りにとどめを刺した方がいい。
『流れ』は、それを望んでいるのだ。
けれど、リシャールの声音か、表情か、動きか……はっきりとは説明できないが、会話をやめさせてくれない、不思議な魅力のようなものがある。
ああして笑う動作一つからさえ、目を離すことができない。
少しでも意識を逸らせば、この自分さえも出し抜かれるような、そういう雰囲気も、リシャールはまとっているのだ。
「カシム……あなたはどうにも、人の力を侮っているらしい」
「……」
「預言も予言もありはしないさ。ただ、積み上げたものがあるだけだ。俺はな、つくづく、非才の身なんだよ。経験だけしか活かせない。ところがな、世の中にはいるんだよ。『天才』というのが」
「……バルバロッサが、そうだと?」
「なにを見てきたんだ? バルバロッサの天才性など、わざわざ俺から説明するものではないと思うが。……それにな、どうにも、『天才』というのは若いやつを指す言葉だと思われがちだが……ミカエル殿も、まぎれもなく天才なんだよ」
「……」
「俺とお前の攻防を、ミカエル殿は見た。ならば彼はきっと、あの力の正体を看破し、対抗手段を編み出すだろう」
「……」
「そしてバルバロッサ以上にお前を知る者はいない。お前がどのように行動するのか、バルバロッサならば、正確に割り出し、感情に振り回されることなく早急に対処するはずだ」
「……」
「そしてなにより、俺の弟だ。オーギュストこそ天才だよ。あいつは必要なことならなんでもこなしてしまう。うらやむほどの、焦がれるほどの、才能あふれた若者だ。……まあ、少々ばかり、人を見下すところもあったが……今のアンジェリーナ嬢なら、オーギュストを支えるだろう」
「つまり、あなたは……」
「俺がここに残ることが、世界にとっての最善手だ」
リシャールが砂を踏みながらカシムへと近付いていく。
カシムは退くことも避けることもせず、近付いてくるリシャールを見つめる。
だが、背筋が、ざわめいている。
『流れ』に従うことで大きな力を操ることができるはずなのに、リシャールが一歩距離を詰めるごとに、心が、ざわめくのだ。
「カシム、お前の『白い力』の正体はわからんが、その力を振るう者について、俺は知っているぞ」
「……」
「魔王」
「……」
「いや、そうだな、魔皇の方がいいか。強大な力を奮い、人に害を成す、封じられた存在。人をよりしろにして顕現する、邪悪なる破壊の意思。……お前の力は、それの操るものだ」
「……」
「聞いてみたかったんだ。お前は会話ができるようだからな。……なぜ、こんなことをする? なぜ、人に敵対する? なにがお前たちにそうさせるというんだ?」
リシャールが一歩一歩近付いてくる。
カシムは少しだけ考えてから、
「……流れが、そうせよと言うのです。人の放つより、強大な流れ……この大地が、あなたたちの滅びを願っている。私はそれに従う。なぜなら…………」
流れに従う理由について、考えたことはあった。
流れに従う限りにおいて自分の生命が保証されてきたから━━そういう答えを暫定的に抱いていたが……
やはり、生命も、絆も、尊厳も、幸福も、自分の行動原理となるほどに価値は見出せない。
だから、カシムは半生を振り返り、真摯に考え……
導き出した。
「気持ちいいから」
「……」
「……ああ、ああ、ああ……! なんということだ! そうだ……気持ちよかったんだ。大きな流れに身を任せて過ごすことが……! 流れの意思を汲んでそれに従うことが━━流れの示す『答え』に従っているうちは、私は私の正しさを信じられる……! なにをしていいかわからない私が! 人に共感できない私が! 常に間違っているような感覚がつきまとうこの人生が! 正しいことをしているのだという快感に浸れる!」
「……そう、か」
「ありがとうございますリシャール殿! 私はようやく、私の行動原理を知ることができた……! 目標のある人生! 正しいことをできているのだという自覚! 誰かに保証された『答え』に向かって邁進すること! ……誰かに仕えるほとんどの人が得ている快楽。私はそれが、たまらなく好きだったのでしょう……!」
「……」
「バルバロッサは激流のようだった。あのお方に従って、あのお方の望むままに動くことは、なんとも正しさの保証された、気持ちのいい時間でした。しかし……私は、バルバロッサよりも強いものの存在に気付いてしまった。だから、こうしてバルバロッサの向こうに回った……」
カシムは片手で顔を覆い、うち震え、足をふらつかせてたたらを踏み半歩下がって……
興奮しきった声で、
「━━自分の行動の理由を説明できるなんて、なんて、気持ちがいいのだろう!」
「……そうか」
リシャールは薄く笑みながらつぶやく。
しかし、その顔にはもう、喜色はなく、その笑みは憐れむような色合いをたたえていた。
カシムはもうリシャールの顔など見ずに、声を発した。
「私に正しさを保証してくれるものは、大地の意思なのです。魔力の流れ、そこからうかがえる大地の感情が、人を攻めよと告げている……だから、そうする! なんと単純で、なんとわかりやすい行動原理か! 素晴らしい……」
「カシム」
「なんでしょう?」
「……隣国王子の側近にこんなことを言うのは国際問題だが……お前は、死ぬべきだ。どのような『魔王』でさえ、お前ほど壊れてはいなかった」
「これほどわかりやすくても、理解を得られませんか。……いえ、もはや人の理解など不要なのです。私は大地に従うのみ。人の社会の中でどうしようもなく自分が間違っているような感じを抱いたまま、迷いながら生きなくてもいいのです。なにより強くなにより正しいものが、今の私の主君なのですから」
カシムの手に『白い力』が集まり始める。
リシャールもまた、手に同じような力をまとう。
けれど、規模は比べるまでもなく━━リシャールの方が、小さい。
「リシャール殿、あなたには感謝をしています。ですからどうか、無駄な抵抗はおよしください。楽に息の根を止めて差し上げますから、どうか……」
「魅力的な提案だ。持ち帰れたら検討してみよう」
「……この白い輝きは『純魔力』なのですよ。人は、これを魔法・魔術というかたちにすることで、どうにか世界に働きかけられるぐらいの強さにしていますが、純魔力そのものは、とても弱い力なのです」
「いいことを聞いた。次に活かそう」
「純魔力は、純魔力でしか干渉できません。しかし、人一人の放てる純魔力は、人を傷つけることもできない弱い力なのです。あなたの出力は、私の出力には遠く及びません」
「なるほど」
「……私は大地の力を借り受けています。人一人の力とは比べ物にならないほど強く、なによりほぼ無尽蔵の力です。ですからどうか苦しまぬ道を選んでください。私からの感謝をどうか、受け取ってください。無駄な抵抗などせず苦しまない最期を、どうか……」
「ご忠告いたみいる。他にもなにかあれば聞こう。お前から奪う時間のすべてが、人類の希望を育てる糧となるのだから」
━━極まった。
もはや語るべき言葉はない。臨界を迎えた白い力は放たれる瞬間を待ち侘びるように、輪郭を激しく明滅させていた。
砂塵が舞い、互いの視界を砂色にけぶらせた。
二人の長い黒髪がはためき、黄金の瞳と黒い瞳が視線を交錯させ、そして……
白い奔流が、ほとばしった。




