第115話 『願い』
勇者の願いは魔術に乗った。
この土地に豊饒を。……そして願わくば、魔族というものが消え失せ果てても、魔王という親友には生きて人生を謳歌してほしい。
術者である勇者の願いは彼の魔力に乗って、膨大な光の魔力によって行使された大規模な時間遡行には、たっぷりと勇者の願いが影響を与えてしまった。
その結果、魔王の記憶は欠けた。
『始まりの魔王を倒しても、生きてほしい』
その願いを叶えるために起こった奇跡が、『依り代を得て人間になること』だった。
だが、魔王の存在をそのまま受け止めきれるだけの器はなかった。
結果として、器に収まりきらない部分が切り詰められ、それは魔王に著しい弱体化と記憶の欠落をもたらしたのだ。
自覚や意思さえもが、あいまいになっていく。
しばらく依り代の少女として生きた魔王は、晩年になってようやく自分の使命を思い出した。
その時に魔王は断頭台におり、魔力は悲しいほどに弱く純魔力の魔力撃など放ちようもなかったし、闇の魔力さえも欠落していた。
何かを叫ぼうにも体も衰弱しきっており、やせ衰えた顔で見つめる先にはあまたの群衆の憎々しい視線があった。
「悪女アンジェリーナに死を!」
それが自分の名前だと理解した瞬間、魔王は首を落とされた。
……それで、終わりのはずだった。
だが、奇跡は起こったのだ。
魔王と関係のない場所で……
未来の勇者と同じように、時間遡行を試みる者が、いた。
◆
魔王はその少女のことを知らなかったし、その少女と、追放された第一王子との関係性も知らなかった。
ただ、その少女は魔王を知っていた。
お告げがあったからだ。
奇跡の聖女エマ。
黄金の魔力を持つ者。
……ただし、この時代にはまだ人々は炎風水土の四属性しか確認されていなかった。
過去の伝承には『光の魔力』『闇の魔力』らしきものの存在がにおわされているものの、それはあくまでも伝説でしかなく、多くの人にとっては『偉大なる過去の英傑を一般の者たちと分けるための、箔付けとしての特殊属性扱いなのだろう』と認識されるものだった。
ところが、彼女の魔力はまばゆい黄金で……
これが見出され、彼女は貴族の学園に通うことになってしまった。
光属性の魔力を持つ彼女はもてはやされ、なんだか王族との婚約まで決まってしまった。
ところがそこで立ちふさがったのがアンジェリーナという存在であり……
少女は、アンジェリーナが魔王だとはわからなかった。
というよりも、少女がぼんやりと聞いたのは『誰か、親友をどうか、頼む』という声であり、その声に付随するイメージでしかなかった。
少女の中に送り込まれたイメージは尊大ではあるが充分に偉大であり、黒髪の黒い瞳を持つ優雅な女性であって、銀髪に赤い瞳を持つ『あたりがやたらと強い貴族のお嬢様』であるアンジェリーナと、その『頼まれた女性』とが絶対につながらなかった。
その結果として少女は『頼むと言われても』という感じで魔王を発見できずに過ごして、アンジェリーナによって国外追放になった。
……いつしかその『お告げ』は彼女の中で小さくなり、彼女にはお告げよりも大事にすべきものができていた。
オーギュスト皇太子の兄であり、王位継承権レースに敗北したリシャール王子だ。
年上の包容力と、オーギュストほどではないにせよあらゆることをそつなくこなす優秀さ。何よりも少女を追放する決定に最後まであらがい、今は国を捨ててまで少女とともに来てくれる彼のことを、少女は頼り、好いていた。
誰かもわからない人のお告げより、自分の人生の方が大事なのは当たり前だった。
とはいえ、お告げは断片的ながらもたびたびよぎる。
今の自分の人生とは関係のない『誰かの声』は次第に彼女の中で不気味になっていった。
そのたびに『声』の内容をリシャールに相談し、彼とともに考え、慰めてもらった。
穏やかだった。
だが、その人生は長く続かなかった。
少女を追放したアンジェリーナが処刑されたあと、零落したアンジェリーナ派の者が、国内での起死回生を狙って、少女を連れ戻して祭り立てようとしたのだ。
少女にはもはや少女の人生があり、自分を追放した人たちのために御輿になってやる理由もない。
だから断り、しかしその『追い詰められている様子』から何をしてくるかわからなかったため、親しんだ住まいを変えようとしたのだが……
襲撃を受け、殺害される。
命を失おうとしている時、リシャールが自分を抱きしめてすがりつく様子があまりにも哀れに思えた。
このままでは、この人は、自分のあとを追ってしまうのではないか──そういう可能性が、あまりにも濃く感じられたのだ。
だから、少女は──エマは、願った。
もはや言葉を発することもできず、心の底から願った。
『どうかこの人が、幸せをつかめますように』
……願いは魔法になる。
ただし、エマは見誤っていた。
エマのいない世界に、リシャールの幸福はなかったのだ。
それほどまでに、リシャールは、エマを愛していた。
だが、願いは、魔法になった。
時間遡行を可能とするほど強力な光の魔力は、エマの願いを受けてリシャールへと移った。
オレンジと黄色の中間ぐらいの色だったリシャールの瞳が黄金の輝きを帯び、彼のその後を決定づける。
時間遡行は成った。
リシャールの誕生から、彼が『エマを失う』まで。
それはこの時代に降り立った魔王の魂をも巻き込んで、時間を繰り返すことになる。
魔王の『繰り返し』が、始まった。




