第46話 ヴィンセントの覚悟 / 宰相代行就任
トリスタン王国では、官職にある者が病気を患った場合、代行として己の血縁者を指名できる。
フィオリアは父親のグレアムから委任状を受け取ると、すぐさま王宮へと向かった。
「フローレンス公爵家令嬢、フィオリア・ディ・フローレンスよ。急な話で申し訳ないけれど、ヴィンセント陛下に取り次いでちょうだい」
突然の訪問に、王宮は大わらわとなった。
もしフィオリアがただの公爵令嬢であれば、さほど問題はなかっただろう。
貴賓室に通され、ヴィンセントの手が空いた時にでも謁見が許されたはずだ。
しかしながら、フィオリアは公爵令嬢であると同時に、モナド新教の教皇でもある。
権威においてはトリスタン王国国王をはるかに凌ぎ、ベルガリア大陸全土に大きな影響力を持つ。
例えるなら、地方貴族のもとへ国王がいきなり訪ねてきたようなものである。
万が一にも非礼は許されないし、待たすことさえ恐ろしい。
王宮で働く者たちは皆のんびりしていることで有名だが、今回だけは奇跡的なほどの速度でもって、ヴィンセントとの謁見の場が整えられた。
「久しぶりね、ヴィンセント」
最後に会ったのは、およそ1ヵ月ほど前のことだったろうか。
一見するといつもと変わらぬ表情だが、蒼い瞳には疲労の色が浮かんでいた。
「ずいぶん疲れているみたいだけど、大丈夫かしら」
「やはり、分かるか」
「当たり前よ、小さいころから貴方の面倒を見てきたのだもの。顔色も、化粧で誤魔化しているのでしょう?」
「……まったく、君に隠し事はできないな」
観念したかのように嘆息するヴィンセント。
「まずは謝らせてくれ。……すまない。グレアム殿には、本当に迷惑をかけたと思っている」
すでに政治の表舞台から去ったはずのグレアム。
それなのに宰相職に舞い戻ったのは、ヴィンセントの強い要望あってのものだった。
「君が知ってのとおり、この20年でトリスタン王国はすっかり疲弊してしまった。ここで立て直さねば後はない。ならばこそ、かつて『氷の宰相』と呼ばれたグレアム殿を頼らせてもらった。……おかげで、多少の光明は見えてきた。心の底から感謝している」
「お父様の働きは、ヴィンセントにとって満足のいくものだったのね」
「当然だ」
即答だった。
一瞬の間すら置かない、確信の籠った即答である。
「グレアム殿がいなければ、俺の改革はとっくに頓挫していただろう」
「そう」
満足げに頷くフィオリア。
「貴方にそう言ってもらえるのなら、お父様も満足でしょう。その言葉、必ず伝えておくわ」
「……頼む」
「宰相の後任は、目途が立っているの?」
「痛いところを突いてくるな、君は」
青色に近い黒髪を掻き上げ、微苦笑するヴィンセント。
「グレアム殿の代わりは誰にもできんし、グレアム殿にこれ以上の無理もさせられん。……であれば、あとは俺一人でやるしかあるまい」
「他の貴族たちは?」
「無理だろう。連中は頭が古すぎる。時代に取り残されて、自分の家すら守れていない」
かつてフィオリアは予言した。
東方との貿易が始まって以来、商人たちが急激に力をつけてきた。
これからの時代、必要になるのは経済力。
もしその流れに取り残されれば、貴族であろうと食い物にされる、と。
……現状は、まさにその通りとなっていた。
トリスタン王国の貴族家は、そのほとんどが赤字財政。
借金ばかりが積み重なり、税金を収めることもままならない。
もはや国家運営に支障をきたすレベルとなっており、そう遠くない未来、国そのものが崩壊する。
それを理解しているからこそ、ヴィンセントは改革に手を付けたのだろう。
「道が困難なことは重々承知している。だが、俺だけであろうと必ずやり遂げねばならん。――この国に住まう、すべての民のために。彼らを路頭に迷わせることだけは、王として、絶対に許されん」
ヴィンセントの目元には、隈が刻まれている。
化粧をしてなお隠し切れないほどの深い隈。
だがそれでも、瞳には、強い意志が満ち満ちている。
一年前の、負け犬のような目つきだった青年はどこにもいない。
君主として、持つ者として、人の上に立つ者として。
民のために、持たざる者のために、自分以外の誰かのために。
己の命を削ってでも責務を果たさんとする、孤高の王。
ヴィンセント・ディ・トリスタンという男は、そのような存在として生まれ変わっていた。
「…………貴方、きっと長生きできないわね」
ぽつり、と。
零すように呟くフィオリア。
「だとしても構わん」
もはや一片の迷いもなく、ヴィンセントは決然と答える。
「グレアム殿は老齢にもかかわらず、限界が訪れるギリギリまで宰相職を果たしてくれた。であれば、俺もまた身を粉にせねば、その忠義に報いることはできん。――トリスタン王国がこれからも続くのであれば、この命くらい、いくらでも捧げてやる」
* *
ヴィンセントの変化。
そのきっかけは、おそらく。
(お父様が過労で倒れたこと、かしら)
と、フィオリアは推測している。
(犠牲を出してしまったのだから、それを無駄にはできない。必ず成果を出さねばならない。……きっと、そう考えているのでしょうね。ヴィンセントは昔から責任感が強かったもの)
20年前を振り返ってみれば、ヴィンセントは子供ながらに義理堅い性格だった。
以前と比べればすっかり大人びてしまったが、それでも内面にはしっかりと当時の彼が息づいている。
フィオリアとしては、懐かしいような、嬉しいような……どこか暖かい気持ちになってくる。
「ねえ、ヴィンセント」
フィオリアは、懐から、宰相代行の委任状を取り出した。
もとより父親の代わりにヴィンセントの改革を手伝うつもりだったが、いつも以上に、乗り気となっていた。
「安心なさい。貴方はひとりじゃない。――私が、手を貸してあげる」
「……いいのか?」
意外そうにヴィンセントが尋ね返す。
「ありがたい話だが、君には教皇としての仕事があるだろう」
「仕事は大丈夫よ。実務はシーラやハインケルが担当しているもの。私はいわば教会の広告塔、マスコットね」
「マスコットというにはやや物騒すぎるような――「何か言ったかしら」――いや、なんでもない」
コホン、と咳払いするヴィンセント。
それから少しはにかんだような表情を浮かべ、
「君と一緒に何かをやれる日が来るとは思っていなかった。嬉しいな、素直に」
と、呟いた。
かくしてフィオリアは宰相代行に就任し、トリスタン王国の国政に携わっていくこととなる。
もちろん、モナド新教の教皇は兼任したままである。
これに対し多くの貴族は、
「モナド新教による内政干渉だ!」
「このままではフィオリアに国を乗っ取られるぞ!」
と騒ぎ立て、フィオリアを解任すべく裏で連携を取り始めた。
自分たちの地位が脅かされるのではないか……と恐れたのである。
貴族という生き物は、そういう時に限ってやたら活発になる。……その行動力を普段から発揮していれば、財政赤字に苦しむこともなかったのだろうが。
他方、国民の反応はというと、こちらはまた上々のものだった。
「フィオリア様が宰相をやるらしいぞ」
「ってことは、王都でもフローレンス領みたいな贅沢ができるってことか!」
「最高じゃねえか! こうしちゃいられねえ、今夜はパーティだ! 黄金の女神ばんざい!」
フローレンス領の改革、新教設立、邪神討伐――。
フィオリアの功績はいずれも人々に知れ渡っており、結果、市井における彼女の人気はもはや熱狂的なレベルに達していた。
宰相代行に就任したという噂が流れるやいなや、トリスタン王国の各地では祝いの宴が開かれたという。
そんなフィオリアが最初に打ち出した政策は、人々の期待に応えるためのもので――
フィオリアの足を引っ張る貴族らに大打撃を与えるものだった。
廃領置県。
貴族領を廃止し、トリスタン王国全土を王家直轄とする。
そのような政策である。
重大発表はもう少しお待ちくださいませ!




