第44話 それは小さな変化であれど
第5章、そして第2部のエピローグです。
女教皇フィオリアによる第14回聖十字軍は、さまざまな意味で歴史の転換点となった。
魔導小銃の実戦投入。
フローレンス公爵軍4500名は、たったひとりの被害を出すこともなく、およそ5万匹の魔物を撃滅してみせた。
これまでにない快挙であり、魔導小銃の圧倒的な性能のを前に、各国の首脳は凍り付いた。
黒き森の消滅。
ベルガリア大陸の人々にとって、黒き森とは恐怖の象徴そのものだった。
魔物たちの棲み処であり、ひとたび大発生が起これば、国がふたつみっつ滅んでもおかしくない。
だが、フィオリアのおかげでその脅威は消え去った。
――《黙示・神罰の杖》。
天から降り注く流星が、黒き森を浄化する。
もはやそこに魔物の巣窟など存在しない。
穏やかで静かな平原が、どこまでもどこまでも広がっている。
ベルガリア大陸の人々は、このとき遂に、魔物という天敵から解放されたのだ。
有史以来、否、有史以前を含めても初となる快挙である。
この功績だけでもフィオリア・ディ・フローレンスは人類史に永遠に刻まれるべき英雄といえるだろうが、しかし、彼女はさらに大きな偉業を成し遂げている。
邪神フラグタルの討伐。
目覚めれば世界すべてを滅ぼすという黒竜を、フィオリアは、たったひとりで打倒してみせた。
光と闇の激突。
それはさながら創世神話の再現であり、ヒトの枠を飛び越えた活躍は、ベルガリア大陸のあらゆる人々を熱狂させた。
フィオリアが新教皇庁に帰還した時、彼女の姿を一目見ようと、大陸中から老若男女、貴賤問わず、多くの者が詰めかけたという。
「……しばらく顔を合わせないあいだに、手の届かない存在になってしまったな。君は」
「考えすぎよ。たしかに肩書きは増えたけれど、私の根本は何も変わっていないわ。ヴィンセント」
大陸歴1097年1月。
年明けからしばらくして、フィオリアはヴィンセントのもとを訪れていた。
公式な会談ではない。
トリスタン王国の首都、トリスターナ。
宮殿の西、子供時代を共に過ごした思い出の庭園で、2人はゆっくりと語らっていた。
「貴族たちの動きはどう?」
「落ち着いているよ。俺の背後にフィオリアがいる……とでも思っているのだろう。勝手に委縮してくれるから、こちらとしては遠慮なく改革を進められる」
「それは何よりね。貴方には期待しているわ、ヴィンセント。立派な王様になってちょうだい。……ところで、そろそろ妃を迎えたらどう? 世継ぎがいないのは問題でしょう」
「……君はずいぶんと厳しいことを言うんだな」
微苦笑するヴィンセント。
正直なところ、いまだ失恋の傷は癒えずにいた。
会うたびに胸が疼き、張り裂けそうになる。
フィオリアに対する未練は大きく、しかしそれを押し隠そうとするように、ヴィンセントは訊き返す。
「君こそどうなんだ、フィオリア。新教の設立も一段落したんだろう。聖職者の結婚は禁じられていないはずだが、まさか、生涯独身を貫く気か?」
「そう、ね……」
思案顔になるフィオリア。
どのような答えが返ってくるのか、ヴィンセントとしてはやきもきせずにいられない。
つい、想像してしまう。
モナド新教の教皇庁はボルト市に置かれている。トリスタン王国の領内だ。
であれば、モナド新教とトリスタン王国の関係強化は必須。
そのような背景のもと、自分とフィオリアが結ばれる未来もあるのではないか……?
「夢見がちなのは相変わらずね、ヴィンセント」
こちらの考えを見透かしたかのようにつぶやくフィオリア。
だが口調は非難めいたものではなく、むしろ、寛容さに満ち満ちていた。
表情はやわらかく、慈しむように微笑んでいる。
「貴方のそういうところ、可愛くて好きよ。いまの大陸情勢を考えれば、貴方と私の婚姻もそう悪い話じゃないわね。検討くらいはしておきましょう」
「……あ、ああ」
頷きつつ、ヴィンセントは違和感を覚える。
ここで「私が欲しければ奪ってみろ」と尻を蹴飛ばすのが、フィオリア・ディ・フローレンスという女性ではないだろうか?
振り返ってみれば、今までに比べ、フィオリアの物腰がどこか穏やかになった気もする。
包容力が増したというか、何というか。
――疑問を感じたのは、ヴィンセントだけではない。
例えば、父親のグレアム。
「お父様、我が領で聖典の印刷を始めたいのですが」
「……ならん」
「そう仰ると思って資料を用意してきました。よろしいでしょうか。我が領で聖典を扱うことによる経済効果は――」
「待て、フィオリア」
「なんでしょう」
「その、だな」
「はい」
「リンゴを握り潰さないのか。私は、いつもそれを楽しみにしているのだが。むしろそれを見るために意味もなく断っているのだが」
「果物が可哀想でしょう」
「そうだな。それが正論だ。しかし、だな……」
物足りない。
なんだか微妙な気持ちのまま、聖典の印刷業に同意するグレアムだった。
あるいは、執事のレクス。
「今日の紅茶はいかがでしょうか、お嬢様」
「おいしいわね。これはお世辞じゃないわ。……ねえレクス、貴方、たまには休暇を取ったらどう?」
「オレに、お嬢様のそばを離れろというのですか」
「四六時中ずっと私に張り付いてばかりじゃ飽きるでしょう。それに、里帰りだってしたほうがいいわ。孤児院の様子、気になるでしょう?」
「それは、まあ」
「だったら行ってきなさい。旧交を温めるのも大事なことよ」
「……ありがとうございます」
たしかに旧友たちの様子は気になっていたところだし、渡りに船といえば渡りに船だ。
しかしながら今までのフィオリアであれば、ここまで強く休暇を取るよう勧めてはこなかっただろう。
「一体、何があったのでしょう」
と、飼い犬 (飼いフェンリル?)のモフモフに訊ねてみれば、
「簡単なことだろう」
あっさりと、自信満々に答えが返ってきた。
「御主人は邪神との戦いで、光だけではなく、闇をも使いこなしてみせた。つまりは人の弱さというものを認めたわけだ。
――光と闇の両者を併せ持つことで人間になったのは、フラグタルだけではない、ということだ」
邪神フラグタルは闇の根源とも呼ばれる存在だが、最後は光の力に目覚め、人間へと転生していった。
それと同様のことが、フィオリアに起こったのかもしれない。
「とはいえ、御主人は御主人。我にとっては守るべき愛しい相手に変わりない。おまえもそうだろう、レクスオール」
「……そうですね。まったく、貴方に諭されるとは」
「これでも妻帯者だからな。おまえより人生経験は豊富なつもりだ」
ふふん、と鼻を鳴らすモフモフ。
ちなみに偉そうにしているが、妻のレムリスには頭が上がらなかったりする。
* *
つまるところ、フラグタルの奮闘は決して無駄ではなかったのだ。
彼の戦いは、結果として、フィオリアをほんの少しだけ甘くした。
この小さな変化が、果たして何をもたらすのか。
それを知る者は、まだ、どこにも存在しない。
次から第3部です。恋愛展開の予定!




