第43話 光と闇と (後編)
第5章クライマックス
フィオリア視点 (1人称) → 3人称
私には前世の記憶がある。
魔法のない世界、日本という国でのこと。
ただの人間として生き、ただの人間として死んだ。
会社では『経理課の女王』などと持て囃されていたものの、結局のところ、企業の歯車でしかない。
上役の理不尽に振り回されることも多く、そのたびに苛立ちを覚え、無力を噛みしめていた。
――前世の私は、普通の人間だった。
強さだけじゃなく、弱さも抱えた、どこにでもいる、ただの女。
でも、だからこそ、その生涯を誇りに思う。
生まれながらに力も意志もある人間がその能力を示すのは、ごく当たり前のこと。
本当に価値があるのは、そうではない人間が、傷だらけになりながら、何度も挫けながら、それでも「まだだ」と立ち上がる姿だろう。
私の前世は、歴史に名を残すような偉人でもなんでもないけれど、間違いなく、素晴らしいものだったと言い切れる。
ううん。
前世の私だけじゃない。
彼も、彼女も、貴方も――生きとし生ける者は、誰もが等しく英雄だ。
光と闇の天秤を携えて、左右の揺れにぐらつきながら、おのれの人生を踏破する。
人間とは、そういうものだ。
前世を通して、私はそれを理解した。
光と闇は表裏一体で、どちらも愛でるべき輝き。
で、あれば。
「《魔剣》よ、貴方の存在を認めてあげる。闇の申し子として、私のもとで存分に力を振るいなさい」
もはや私にとって、闇は排除すべき敵ではない。
私もまた人間なのだから、闇を従えるのは簡単なこと。
ほら、できた。
《魔剣》が新生を果たしていく。
深淵のように禍々しい刃は、いつしか、星空のように美しい蒼黒色へと塗り替わっていた。
左手に聖剣。
右手に魔剣。
無限大の正と、無限大の負。
もちろん最大出力。
手加減なんて、絶対にしない。
詠唱とともに、相反する2つの力を解放する。
貴方は生き残れるかしら、邪神?
「――《創世神話・黎明開闢たる女神の剣》」
* *
黄金と蒼黒。
双子の奔流が、さながら世界終焉の大洪水の如く、万象一切を押しのけてゆく。
否。
それは調律である。
光には闇を、闇には光を。
フラグタルの攻撃を中和し、鎮め、安定化させる。
……だけではない。
譬えるなら、世界そのものを癒すような奇跡。
ここまでの戦いで周辺一帯は荒野と化していたが、すべては黄金と蒼黒の輝きに包まれ、あるべき姿を取り戻してゆく。
涼やかな風にそよぐ、美しい草原――。
空は黄金色でも暗黒色でもなく、抜けるように澄んだ青色。
邪神フラグタルは、ゆっくりと、地面に降り立った。
その姿は、もはや、黒き竜ではない。
光と闇の両者を擁する、中庸中道、均衡の竜。
身体を包む鱗は、優しげな灰色だった。
「ちゃんと耐えたのね、フラグタル。えらいわ」
ふふ、と微笑むフィオリア。
光翼を広げると、フラグタルと目の高さを合わせた。
ゆっくりと手を伸ばし、その頭を撫でる。
「クゥ……」
疲労を滲ませつつも、気持ちよさそうな声を漏らすフラグタル。
目は眠たげに細められ……身体は、うっすらと消えつつあった。
「神様はね、光か闇、どちらかに偏っているものなのよ」
まるで子守唄を歌うように、やわらかな声でフィオリアは告げる。
「フラグタル。いまの貴方は、光と闇、そのどちらも擁している。だからもう、神様ではいられない。――きっと、人間として生まれ変わることになるでしょうね」
「クルルルル……」
不安げに喉を鳴らすフラグタル。
フィオリアは、大丈夫よ、と呟くと、フラグタルの頭を抱きしめた。
「傍観者でいるより、ずっと、ずっと、楽しめるはずよ。この世界は、たくさんの予想外と、たくさんの愛でるべきものに満ちているから」
口調はまるで、別れにぐずる甘えんぼうの弟を宥めるかのよう。
やがてフラグタルは眠るように瞳を閉じ――静かに、姿を消した。
「……大きくなったら遊びに来なさい。その時は手料理を作ってあげる」
フィオリアの言葉に答えるように、草原を風が吹き抜けていった。
* *
“世界の裏側”にいたのは、邪神フラグタルだけではない。
「なんだよ、あれ……」
邪神に次ぐ存在。
闇を統べる者。
魔族の頂点。
魔王デスマイル。
彼はフィオリアとフラグタルの一大決戦を目撃していた。
すぐ間近で、見せつけられていた。
「フィオリア・ディ・フローレンス……」
唖然。
呆然。
忘我の境地で口から洩れたのは、あまりにも根源的な疑問。
「あいつは、いったい、『何』なんだよ」
いまだ理解が追い付かない。
「頭おかしいだろ、絶対……」
本来なら、邪神召喚は失敗に終わるはずだった。
なのにフィオリアは「こんな勝ち方は気に食わない」などと言い出し、わざわざ邪神を喚び出した。
「無茶苦茶だ、意味不明すぎるだろ」
人間と邪神のあいだには、どうしようもない、圧倒的な力量差がある。
力量差がある……はずなのだ。
それは気合や根性で誤魔化せるようなものではない。
にもかかわらず――
フィオリアは、そうなるのが当然のように、邪神フラグタルを凌駕してみせた。
「おかしいだろ。なんで、人間が邪神を追い越せるんだよ」
そればかりか聖剣のみならず魔剣までも従え、創世神話のごとき戦いを演じてみせた。
震えが止まらない。
おぞましい。
吐き出しそうなほど怖かった。
もしもフィオリアと対峙したのが自分であれば、果たしてどうなっていただろう。
きっと、ただ順当に滅殺されるだけ。
邪神フラグタルのように、土壇場で覚醒できれば望みもあるだろうが――
「無理だ!」
あんな風には、なれない。
可能性を思い描くより先に、諦観が胸を占める。
もはや魔王デスマイルの心は、根元から完全に折れていた。
邪神ですら勝てなかった相手に、どうして俺が勝てるのか。
無理だ、無理だ、無理だ。
あんなものには関わりたくない。
俺は闇だ。闇の眷属だ。
光の届かないところで、ただひっそり暮らせればいい。
困難を乗り越えるなんてまっぴら、怠惰に、暢気に、小さな幸せを抱えて生きていこう。
それ以上は望まない。
だから頼む、見逃してくれ。
――そうね、今日はこれくらいにしておいてあげましょう。
ああ、助かった。
どうかこのまま放っておいてくれ。
――いずれ貴方は立ち上がる。そんな気がするわ。魔王として、魔族のために、ね。
そんな日は永遠に来ない。
何があろうと現世には復活しない。
少なくともフィオリアが生きている限りは……ん?
ちょっと待て。
さっきから俺は誰と喋っているんだ?
――貴方が私に挑んでくる日を楽しみにしているわ、デスマイル。また会いましょう。
また会いましょう。
それはごくありふれた別れの挨拶。
しかしこの瞬間から、魔王デスマイルにとっては、死刑宣告に等しい言葉と化した。
以後、彼は“フィオリア・ディ・フローレンス”という恐怖に苛まれることとなる。
それを乗り越えるには、短くない時間と多くのきっかけが必要だろう。
※このあとベアトリスの魂はスタッフがきちんと回収しました。




