第42話 光と闇と (前編)
更新お待たせしました。
前半は邪神視点、後半はフィオリア視点です。
――邪神フラグタルは理解していた。
痛い目に遭いたくないのなら、ベアトリスの魂を差し出せばいい。
フィオリアは「神などと呼ばれていながら情けないのね。あなた負け犬の目をしているわ」と嘆息しながら、ぼくのことを見逃してくれるだろう。
魔女ベアトリスのことは、正直、どうかと思う。
《聖剣》を《魔剣》に変えてしまうほどの力を持ちながら、やることがどうにも小物すぎる。
「いつか教会に復讐してやるわ」と呟きながら……呟くだけ。
準備を始めるでもなく、計画すら立てず、300年ものあいだ森でダラダラと過ごすばかり。
催眠魔法でフェンリルを寝かせて、こっそりモフモフするのが趣味のダメ魔女だった。
けれど20年前、ベアトリスは変わった。
フィオリアのことを知り、「同じ聖女なのに、どうしてあの女ばっかりうまくいくの!?」と嫉妬を拗らせ、その足を引っ張るべく動き始める。
ダメ魔女からダメダメ魔女にランクアップ。いや、ランクダウンかな?
ま、どっちでもいいよ。
なんにせよ、ベアトリスは人間として褒められたものじゃない。
最後の最後までフィオリアに立ち向かった点だけは「えらい!」と思うけど――
あのですね。
なんで、ぼくを巻き込むのかな……?
いい迷惑だよホント。
ふだんロクに拝んでもくれないくせに、困ったときだけ神頼み? 魂を捧げるからフィオリアを倒してくれ?
お断りだ!
そもそも、その願いはぼくの力を大きく越えている。
ぜったい無理。
許してくださいほんと。
でも、さ。
ベアトリスは、ほんとにどうしようもないダメダメダメ魔女だけど、さ。
ぼくはそういう、人間の弱さや狡さが、愛おしくてたまらない。
人間たちよ。
弱くてもいい、狡くてもいい。
闇の腕は優しくすべてを包み込もう。
公明正大、品行方正、清廉潔白。
そんなものは理想に過ぎなくって、ヒトはいつも間違えてばかり。
間違いに気づいても、すぐに方向修正できるわけじゃない。
見て見ぬふりをしたり、責任転嫁したり、ふてくされたり。
あまりに無様で、不器用で、不格好。
そんな君たちを愛している。
愛しくて愛しくて、甘やかさずにいられない。
闇の毛布をそっと掛けて、光に焼き尽くされぬよう、ただ安らかに眠らせたい。
なればこそ――
「下がれ、天使ども」
ぼくは厳かに告げる。
傲岸不遜な畜生の如く、獰猛な笑みを浮かべよう。
フィオリアと争えば、十中八九、ぼくが敗れる。
理由は簡単だ。
子供ですら知っているこの世の真実。
闇は光に打ち破られるもの。
最悪、ぼくは消滅に追い込まれるかもしれない。
だからどうした。
ベアトリスはぼくを頼った。
心の底から、命懸けで、邪神フラグタルという存在に縋りついた。
悪しき祈りを受け止めるのは、邪神にとって至上の誉れ。
フィオリア・ディ・フローレンスに立ち向かう理由としては、十二分に十分じゃないか。
恐れも怯えもあるけれど、それらもすべて力にしよう。
弱さを受け入れ、飼い慣らし、強さと強かさに変えること。
それが闇の本質なのだから。
意識を集中させ、現世への顕現体を作り上げる。
血のように赤い瞳。
天を覆うほどに巨大な両翼。
暗黒色に輝く、鎧じみた鱗。
つまりは、竜。
黒き竜。
神話伝承に語られる、闇の根源にして森羅万象の破壊者。
呪いの咆哮とともに、ぼくは宣戦布告を突き付ける。
輝けるすべての者よ、ただ安らかに無明へ沈め。
フィオリア・ディ・フローレンス。
ベアトリスの魂を望むのなら、力尽くで奪ってみせろ。
* *
たとえどれほどの困難が待ち受けていようとも、折れず曲がらず立ち止まらず、往くべき時に往くべき道を往き、ほんの一歩も踏み外さない。
フィオリア・ディ・フローレンスはそのように生きてきた。
誰もが自分のように生きられる世界を、心の底から願っている。
愛、勇気、友情、努力、信念――。
善なるものを胸に抱き、穏やかに成長していけるなら、それはとても素晴らしいことだ。
だが現実は驚くほどに過酷で、人間の輝きはいとも簡単にくすんでしまう。
たとえば貧困。
食うに困った時、その善性を損なわぬ者は僅かだろう。
多くの者は、愛や友情を質に入れ、望まぬ悪へと手を染める。さもなければ餓死してしまうから。
それは生命としてごく自然な適応行動であり、是非を問うものではない。
重要なのは、善性を損なわせる原因を取り除くこと。
だからこそ20年前、フィオリアはフローレンス公爵領の改革に手を付けた。
モナド教を新生させるのも、いずれ諸国連合を併合してベルガリア全土を統一するのも、結局のところ、万人をフィオリア・ディ・フローレンスに変えるためだ。
誰もが祝福と賞賛に包まれながら、夢に向かって進んでほしい。
なればこそ――
「甘やかすばかりの貴方とは、どうしたって相容れないわね」
黄金の女神は、苦笑とともに嘆息を漏らす。
まるで、不出来な弟を窘めるかのような表情だった。
「闇の毛布に逃げ込むのもいいでしょう。昼だけの世界なんて地獄そのもの、人間には夜が必要だわ。傷を癒し、心を休めるためにね。……けれど、朝日が差し込めば、いずれ寝床を離れるの。きっかけ次第でいくらでも再起できるのが、人間という生き物なのだから」
フィオリアという太陽が光をもたらすことで、たくさんの人々が希望を取り戻してきた。
この場にいるレクス、ハインケル、ワイアルドだけではない。
トリスタン王国国王、ヴィンセント。
フランツ銀行頭取にしてフローレンス公爵家養女、ティアラ。
冒険者のザール、ヌーイ、キジィ。
その他、数えきれないほど多くの者が、新しい道を歩み始めている。
「弱さを弱さのまま肯定してあげるのが闇ならば、弱さを乗り越えられるよう手助けするのが光の本質よ。ベアトリスはどうしようもない子だけれど、それでも私に立ち向かった。最後まで勝ちを諦めなかった。だったら、その輝きを愛でるのも一興でしょう?」
悠然とした笑みを浮かべるフィオリア。
ゆっくりと、黄金の髪をかきあげる。
「喜びなさい。私にとっては貴方も愛でるべき存在のひとつだわ、邪神フラグタル。闇は光に敗れるものと分かっていながら、恐怖と怯懦を抱えたまま、この私に挑むのだから。――知っているかしら。それを人は勇気と呼ぶの」
役割を終えた《魔剣》を地面に突き立て、左手で聖剣を構える。
「さあ、貴方の可能性を見せて頂戴。私がただの人間に過ぎないのだと、思い知らせてくれると嬉しいわ」
光と闇。
黄金の女神と、漆黒の邪竜。
睨み合う両者の姿は、さながら、神話伝承の1ページのよう。
覇気と戦意がどこまでも膨れ上がり、無動無音の均衡を呼ぶ。
それが飽和し、弾けた瞬間――
「《黙示・開闢の降臨》」
決戦の幕は、切って落とされた。
初撃はフィオリアから。
己の率いる数千万の大天使らを流星に変え、邪竜へと総突撃させる。
のみならず。
「《黙示・雷霆の剣》」
黄金の破壊光が、斬撃と共に放たれる。
どこまでもどこまでも、闇を突き破り、打ち払い、空の彼方まで突き抜けていく。
それは万象悉くを根絶する、無慈悲なる裁断者の鉄槌。
もしも地上に向けて放たれていれば、ベルガリア大陸など一瞬で蒸発していただろう。
「――――……!」
されど迎え撃つは、天地創造以前より存在する古き神。
その力の一端が解放され、大きく開かれた顎から暗黒の奔流が放たれる。
鬩ぎ合う白と黒。
戦況は均衡状態――否。
徐々にだが、邪竜が圧し始めていた。
闇は光に勝てないと言われているが、しかし、所詮、フィオリアは人間だ。
神たるフラグタルに挑むのは、蟻が恐竜に挑むようなもの。
覆しようのない出力差がそこに横たわっている。
……横たわっていた。つい、一瞬前まで。
「いいえ、まだよ」
出力が足りないのなら、限界を越えればいい。
たったそれだけの理由で、フィオリアは覚醒を果たす。
物語の主人公のように特別なきっかけは必要ない。
フィオリア・ディ・フローレンスはフィオリア・ディ・フローレンスだから当然である。
そんな破綻した論理ひとつで、ありとあらゆる現実を捻じ伏せる。
やがて状況は拮抗し――逆に、邪竜が劣勢に立たされる。
「――――……!」
だからどうした、と闘志の咆哮が響き渡る。
光を失墜させるべく、闇がさらに勢いを増した。
こちらも限界突破を繰り返し、傾く天秤をゼロへと戻す。
フラグタルを支えているのは、人類への深い愛と、フィオリアに負けるものかという勇気。
それはあまりにも闇らしからぬ感情であり、むしろ光に近いといえる。
ゆえに、だろうか。
邪竜の身に変化が起こりつつあった。
黒い鱗のうち、いくつかが、純白へと塗り替わっていく。
闇はすべてを受け入れる。
ならば光も受け入れて、さらなる力へ変えてゆこう。
古の邪神は、いまここに新生を果たす。
光と闇を共存させ、フィオリアの破壊光すらも吸収し、状況を押し返していく。
「……ふうん」
邪神の闇が、喉元まで迫っていた。
こちらの攻撃はいっさい通用せず、むしろ、フラグタルを勢いづかせるばかり。
ついにフィオリアへ決定的な敗北が訪れる。
「残念だけど――」
訪れるのだろうか?
闇の根源とまで呼ばれた邪神が、激突のなかで進化を果たし、光の力に覚醒した。
それはフィオリアにとって予想外であり――大きな感動と興奮を与えるものだった。
さすがね、フラグタル。
貴方ができる子で嬉しいわ。
だったら、私の本気にも耐えられるかしら?
耐えて頂戴。信じてるわ。
「もし生き残れたら、全身全霊で、その頭を撫でてあげましょう」
――フィオリアは、空いたままの右手で《魔剣》を握りしめた。
魔王くん「どっちが主人公だっけ……?」




