第31話 さあ、20年前の続きをしましょうか
第2部のあらすじを目次に追加しているので、よろしければお読みください。
今回、急展開です。
「貴方が脅迫状の犯人ね」
W・Hの正体も居場所も、すでにフィオリアの情報網にかかっている。
モナク大聖堂を出たその足で、犯人の潜伏場所に向かった。
聖都ミレニアを囲む山々のひとつ。
暗い洞窟の中に、小奇麗な身なりの騎士が隠れていた。
「W・H――ワイアルド・ヒースクリフ。第13回聖十字軍に参加した騎士で、黒き森への遠征が終わったあとは前線を退き、司教の地位に就くことになっていた。……間違いないかしら?」
「よく調べ上げましたね。すごい情報力だ」
居場所を突き止められたにも関わらず、ワイアルドはいたって平然としていた。
現教皇ハウル3世と同じく50代にも関わらず、こちらは、すっきりとした顔立ちである。
むしろ頬などは少し痩けて、今日までの苦労を伺わせる。
「本来なら貴方には栄光が約束されていた。けれど、罠に嵌められたのね。詳しいことは分からないけど、後ろから襲われでもしたのかしら?」
「ええ、まあ、そんなところです。当時、わたしと同じように出世頭だった騎士が5人いましてね。彼らから寄ってたかって斬りつけられました。……そのあとは脅迫状に書いた通りです」
「黒き森を彷徨い、魔女に助けられた、と」
「はい。しばらくは東方の国々を回っていましたが、やはり5人を恨む気持ちは強く残っています。彼らに復讐を果たさねば、わたしの時間は20年前から先に進まない。……というわけで、今更ながら戻ってまいりました」
けれど、とワイアルドは続ける。
「まさか聖女様が出てくるとは、ね。噂では聞いていましたが、20年前と同じ姿だ」
「前に、どこかで会ったかしら?」
「貴女は、貴女が思うよりもずっと多くの人間を惹きつけているのですよ、聖女様。自らの破門と引き換えに前教皇マルコスに退任を迫る姿は、今もこの目に焼き付いています」
懐かしげな表情とともに、瞼を伏せるワイアルド。
「わたしは何としても復讐を遂げるつもりでしたが、貴女に捕まるのなら悪くない。潔く罪を認めて自首――」
「何か、勘違いしていないかしら」
ワイアルドの言葉を遮り、フィオリアは告げる。
「私は、貴方の邪魔をしにきたわけじゃないわ。……その器を、見定めに来たの」
その言葉と、同時。
ワイアルドが、一歩、踏み込んだ。
右手を突き出す。
彼の袖口には、暗器として小刀が仕込まれていた。
東方の暗殺者たち――彼らが使う“殺し道具”のひとつである。
「素晴らしいわ、ワイアルド」
白刃がフィオリアに迫る。
「自首なんて嘘。隙を狙うための方便だったのね。私を殺してでも復讐を遂げようとする気概、確かに見せてもらったわ」
刃は、フィオリアに届かなかった。
あと一歩だけ踏み込めば、届いただろう。
その白い首を貫き、頚動脈を断ち切っていたに違いない。
だが、ワイアルドにはできなかった。
「合格よ。貴方という人間を愛でてあげる。――その意志の強さは、祝福に値するものだわ」
フィオリアの、瞳。
すべてを慈しむような、翡翠色――。
その輝きに、我を失っていた。
言葉にならない感情が沸き上がってくる。
ワイアルドは、知らず、腕を降ろした。
地面に膝を衝く。
跪いていた。
「わたしの負けです、聖女様。……いえ、フィオリア様。ですが、復讐は遂げさせていただきたい」
「さっきも言ったでしょう。邪魔しにきたわけじゃないの」
フィオリアは少しだけかがんで、ワイアルドの顎に指を添えた。
くい、と持ち上げる。
「ひとつ聞かせてワイアルド。
貴方を裏切った5人は、出世を遂げて、いまは枢機卿になっているわ。
彼らを殺すだけで満足なの?
絶望の底に突き落としたいと思わない?
あらゆる富と権力を失い、絶望の中で転がりまわる姿は、きっと、貴方にとって甘美なものよ?」
天使のような微笑みを浮かべて、悪魔のように優しく囁きかける。
「手を貸しなさいワイアルド。私はモナド教を一度、完全に叩き潰す。もし忠誠を誓うのなら、最高の形で復讐を遂げさせてあげるわ」
* *
ワイアルドにはしばらく潜伏を続けるように指示し、フィオリアは聖都ミレニアの宿に戻った。
「「お待ちしておりました、お嬢様」」
宿にはレクスとハインケルが待っており、フィオリアの姿を見つけると、2人揃ってタイミングよくお辞儀をした。
セリフまで息ピッタリという丁寧さである。
「……やけに仲良くなったのね、貴方たち」
「河原で殴り合う男の友情です。そうですね、ハインケル」
「ああ、いいパンチだった。レクスの実力なら、冒険者としてもすぐにやっていけるだろう」
やるじゃねえか、お前もな。
まるで少年漫画のようなやりとりを見せるレクスとハインケル。
「貴方たちの間で何があったのか知らないけど、このあとの動きが決まったわ。レクス、それからハインケル。今から少し動いてくれるかしら」
「承知いたしました」
「俺もか」
「ええ、せっかく聖都まで連れてきてあげたんだから、旅行代くらいは働いて頂戴」
フィオリアの動きは、電撃的だった。
ハインケルを連れてモナク大聖堂に戻ると、まずはシーラ・ホーネット枢機卿に引き合わせる。
「あらあら、ハインケルちゃん。こんなに大きくなって……」
「申し訳ない、お嬢さん。俺は貴女のことを覚えていないんだ」
「まあっ! ちょっと聞いてちょうだいフィオリアちゃん。この子ったら、わたしみたいなお婆ちゃんをつかまえて、お嬢さん、ですって! 記憶がなくても口の上手さは相変わらずねえ!」
「昔の俺は、どんな人間だったんだ……?」
「腹黒くてとっても素敵な男の子だったわねえ……」
懐かしむようにシーラは言う。
「それでフィオリアちゃん、今から何をするつもりなの?」
「決まっているわ」
フィオリアは、静かな表情に笑みを浮かべる。
「20年前の続きよ。やりかけだった革命を、やりなおしましょう」
本来の予定ならば……
フィオリアは貴族学校を卒業後、モナド教の改革に手をつけていただろう。
残念ながらアンネローゼに毒を盛られたせいで予定が狂ってしまったが、シーラを始めとする改革派は諦めていなかった。
フィオリアが回復する日を信じ、20年間、密かに準備を進めてきた。
そのコネクションは、教皇庁のみならず末端の信徒にまで根を張っている――。
「手始めに……そうね。まずは小手調べとして、教皇一派に大打撃を与えましょうか」
具体的なターゲットは、ワイアルドから脅迫状を送られた5人。
彼らは20年前、黒き森で多くの人間を闇討ちしている。
たとえば、ワイアルド。
たとえば、ハインケル。
さらには気に食わない同僚、出世の邪魔になる上司、将来有望な若者――。
聖都に戻ってからはその秘密を共有し、枢機卿の座まで上り詰めた。
「でも、彼らの栄華もここまでよ。ハインケル、貴方にはすこしばかり舞台俳優をやってもらうわ。原稿は用意してあるから、この通りに喋ってちょうだい」
それからおよそ2週間後――
「いま枢機卿の座にいる5人。彼らは20年前に多くの罪を犯しているわ。時効なんて逃げ口上は許さない。ひとり残らず、法の下に裁かれるべきよ」
フィオリアは教皇庁に対して、5人の枢機卿らの解任を求める弾劾状を叩きつけた。
これだけでは教皇ハウル3世に握り潰される可能性があるため、幾重にも手を打つ。
「俺はあの5人に陥れられた……らしい。まだ記憶は戻っていないが、証拠はこの冊子にまとめてある。よければ、読んでくれ」
ハインケルを連れての街頭演説。
記憶喪失でもやはり人の本質というのは変わらないのだろう、ハインケルは役者として超一流だった。
儚げな表情で語りかける姿は、聖都の人々の胸を打つ。
およそ3日。
たったそれだけの期間で、フィオリアはすっかり世論を味方につけていた。
そもそも聖都において、フィオリアの支持者はかなり多い。
前教皇マルコスを糾弾したエピソードはいまも語り継がれ、人々のあいだで憧れの存在となっていた。
教皇庁の調査によると、「上司にしたい聖人・聖女」ランキングでは20年連続でフィオリアが不動の1位という。
ついでに「踏まれたい聖女」「蹴られたい聖女」ランキングでも1位。
なんでこんなランキングがあるんだ。モナド教のMはマゾヒストのMかもしれない。
ともあれ。
このところハウル3世の堕落ぶりが加速していたこともあり、多くの者にとってフィオリアは新しい希望となっていた。
「くそっ! あのバカ騒ぎをやめさせろ!」
「しょ、承知しました教皇様!」
「すぐに異端審問部を動かします!」
「あの聖女もどきを追放してやりましょう!」
これに対し、教皇庁はフィオリアの異端として攻撃する……つもりだったが、失敗に終わる。
「フィオリア・ディ・フローレンスには、異端の証拠はまったく見つかりません」
それが異端審問部の回答だった。
フィオリアの後ろ盾は、シーラ・ホーネット枢機卿。
かつては異端審問部のトップにいた女傑であり、その影響力は根強く残っている。
とはいえシーラがいなかったとしても、異端審問部は動かなかっただろう。
なぜなら異端審問官たちにとって、フィオリアは神聖不可侵の存在となっていたからである。
20年前、彼らは前教皇マルコスの放蕩を苦々しく思いながら、まったく手を出せないでいた。
ところがフィオリアは自らの破門を顧みず、マルコスの弾劾を行った。そして実際に退位へと追い込んだ。
この功績を讃え、異端審問部にはフィオリアの肖像画が飾られるようになった。
審問官にはフィオリアの熱狂的な信奉者も多く、もはやひとつの宗教と化していた。異端だコレ。
かくして世論の後押しもあり、5人の罪を問う裁判が開かれることになる。
その際、フィオリアは驚くべき証人を用意した。
「わたしはワイアルド・ヒースクリフ。20年前、彼らに陥れられた者のひとりです」
W・H。
脅迫状事件の犯人を、法廷に登場させた。
「わたしは5人に復讐するため、戻ってきました。……ですがフィオリア様に諭され、悔い改めたのです。法によって彼らが裁かれることを望みます」
もちろんワイアルドの言葉は、台本通りの演技である。
内心では復讐心がぐつぐつと煮えたぎっているものの、あえて平静を装う。
さながら悟りを開いた僧侶のような顔つきだった。
裁判はおおむねフィオリア側優位で進んだ。
5人はなんとか言い逃れしようとしたものの、そのたびにフィオリアが己の情報網から得た証拠を突き付ける。
彼らの有罪は確定……かと思いきや。
「――いずれも20年前のことであり、彼らの罪は枢機卿としての働きで償われている。よって無罪とする。これは教皇の判断である」
裁判長は教皇一派の人間で、強引に判決を捻じ曲げた。
当然ながら人々はこの事態に怒り狂う。
連日のように教皇庁を取り囲んでのデモが催された。
そんな中、さらに事態が動く。
「我々はハウル3世の辞任を求めますわ。これが受け入れられない場合、枢機卿を返上させていただきます」
シーラ・ホーネットを始めとする9人の枢機卿が、弾劾状を突き付けた。
だが、教皇ハウル3世は書状を破り捨てると、
「やめるなら、勝手にやめろ」
などと言い放つ。
「だが、貴様らに今の地位を手放す勇気などあるのかな?」
「ええ、では、いますぐに。さようなら、愚かな教皇様」
シーラらは赤い法衣を脱ぎ捨て、教皇庁を去る。
後に取り残されたハウル3世は、
「くはははははははっ! ははははははははははははははっ! 馬鹿め! シーラ、おまえは本当に頭が悪いな!」
側近たちが見守る中、ひとり、椅子の上で笑い転げる。
「やはり女は愚かな生き物だ! 感情任せでいつも失敗する! 男のほうが優秀に決まっているのだから、せいぜい言いなりになっておけばいいものを! あいつらは、本当に、いつも、いつも……」
ふと、ハウル3世の表情に影が差す。
彼は10年ほど前に妻を亡くしているが、その死には不審な点も多い……。
「まあいい。これで枢機卿は9人減って、15人となった。ならば――ククッ、ククククッ、クハハハハハハハッ!」
このときハウル3世の脳裏をよぎったのは、フィオリアの言葉。
破門には、枢機卿団の3分の2が賛成せねばならない。
これまでは改革派に阻まれていたが、奴らはもういない。
15人の枢機卿は、すべて、ハウル派だ。
「すぐに布告を出せ! フィオリアを……いや、あの女の支持者全員を破門にしてくれるわ!」
勝ち誇った表情を浮かべ、高らかに宣言するハウル3世。
彼は知らない。
フィオリアの破門。
実はそれこそが、相手の狙いだったということに。
ここから、加速度的にモナド教は崩壊を始めてゆく。
ハウル3世は、己の手で、みずからの首に縄をかけたのだ。




