第17話 婚約破棄(???視点)
第3章のプロローグ、時系列としては16話前後。
2章の終わりでちょこっと出てきた「アンネローゼのせいでレガリア帝国の皇太子に婚約破棄された令嬢」視点です。
「ティアラ! これがお前のやったことだ、思い知れ!」
それは学院の休み時間のこと。
わたし――ティアラ・シルベリアは階段の踊り場で、婚約者にしてレガリア帝国の皇太子、ダルク様と擦れ違いました。
いつものように軽く会釈をして別れようとしたところ、肩を掴まれ、階段から突き落とされたのです。
頭と身体を何度も打ち付け、目の奥で火花が散りました。
痛みのあまり声も出ません。
額が割れたらしく、視界の半分は血で覆われていました。
「貴様は昨日、アンネローゼを階段から突き落としたらしいな! そればかりか取り巻きの令嬢どもを使って嫌がらせをしていたのだろう! 俺は知っているぞ!」
「そうです! ティアラ様はこわいひとです! わたしがダルク様と仲良くしているのに嫉妬して、毎日のようにひどいことを……ううっ…………」
いつのまにかダルク様のそばには、ひとりの女の子が寄り添っていました。
栗色のふんわり髪に、ちょっとたれ気味の大きな瞳。
アンネローゼ・クリームヒルト。
もともとは平民として暮らしていたものの、男爵家の落胤ということが明らかになり、この春から貴族の一員となったようです。
彼女は不慣れながらも貴族社会に馴染もうとしていて、その姿にわたしは好感を抱いていたのですが、ひとつだけ、どうしても見過ごせないことがありました。
アンネローゼさんは平民育ちのせいか天真爛漫な性格なのですが、どうにもダルク様との距離感が近すぎるのです。
さすがにこれは見過ごせません。
婚約者のいる男性とあまりに親しくするのは淑女としてどうかと思いますし、アンネローゼさん自身にもよからぬ噂が立ってしまいます。
これまで何度かやんわりと窘めたのですが、アンネローゼさんはまったく聞く耳を持たず――
結果、今日という日を迎えてしまったのです。
「ティアラ! 貴様のように性根の腐り果てた女など、妻に迎えてたまるものか! 婚約破棄の上、貴族籍も剥奪させてもらう! 汚らわしい平民が! さっさと俺とアンネの前から消えろ!」
その後わたしはアンネローゼの取り巻き2人に肩を掴まれ、学院の外に放り出されました。
額の傷は塞がらず、いまだ血が流れ続けています。
這いずるようにしてシルベリア公爵邸に戻り……けれど、そこでわたしを待ち受けていたのは、さらなる悪夢でした。
「おまえの悪事はすべてダルク様から聞いている。シルベリア公爵家の面汚しが!」
お父様は怒り狂い、こちらの言い分にまったく耳を貸してくれませんでした。
わたしは無実なのに。
アンネローゼさんに嫌がらせなんかしてません。
ましてや、階段から突き落とすなんて!
「五月蠅い! アンネローゼのことはワシも知っておる。あんな可憐な娘を虐めるなど、おまえは人間の心を持っていないのか! 我が子でなければ殺しているところだぞ!」
お父様は目を血走らせたまま、わたしの髪を掴みました。
壁に掛けてあった剣を抜き――ヒュン、と鋭い音。
はらはら、と。
わたしの長かった銀色の髪が、床に散らばりました。
お母様譲りの、きれいな銀色の髪。
お父様はそれを踏み躙りながら、怒鳴り声をあげました。
「ティアラ、貴様には国外追放令が出ている。すでに馬車は手配した。さっさと出ていけ。……さもなければ、その命、ないものと思え」
脅しつけるような、重く、鋭く、冷たい言葉。
そればかりか、剣をわたしの喉元に突き付けてきます。
恐い。
けれどそれ以上に、悲しい。
ちょっと不愛想だけど、優しかったはずのお父様。
今はまるで別人のように、憎しみの籠った視線で睨みつけてきます。
この世にはもう、誰も、わたしの味方なんていない――。
目からは涙がこぼれ、思わず、その場にへたり込んでしまいます。
絶望とはこのような気持ちのことを言うのでしょう。
「ええい泣くな鬱陶しい! 自業自得だろうが! 誰か、こいつを家から叩き出せ!」
お父様の指示はすぐに実行されました。
わたしは涙を拭う間も与えられず、馬車の中に押し込まれました。
長旅でした。
馬車はおよそ1ヶ月かけて東に向かい、ついに国境へ辿り着きます。
目の前に広がるのは、太陽の光すら届かない暗黒の森。
通称、黒き森。
魔物たちの住処です。
わたしはそこに放り出されました。
実質的には死刑と同じです。
魔物に襲われたらひとたまりもありませんから。
「……もう、どうでもいいです」
旅の間、ろくな食事も与えられませんでした。
おかげで手足はやせほそり、立ち上がる力もありません。
額の傷も塞がらず、きっと今のわたしは醜い顔になっていることでしょう。
投げやりな気持ちで、その場に手足を投げ出しました。
わたしの何が悪かったのでしょう。
ダルク様を奪われないよう、アンネローゼさんに対抗すべきだった?
それとも逆に、無関心を貫いて、アンネローゼさんの存在を黙認すべきだった?
分かりません。
分からないけど、目頭が熱くなります。
どうして。
何故こんなことになったのでしょう。
誓って、わたしは悪事など働いていないのに。
頭の中で、「どうして」「何故」という言葉がぐるぐると巡ります。
「グゥゥゥゥゥゥッ……!」
唸るような声が聞こえました。
森の茂みを掻き分けて、何かがゆっくりと近づいてきます。
それはブラック・スライムでした。
一般的なスライムと違い、全身は真っ黒です。
ふにふにと揺らめきながら、少しずつ、わたしへとにじり寄ってきます。
逃げなきゃ。
本能がそう告げます。
けれど同時に「もういいや」という投げやりな気持ちも湧き上がってきます。
どうせ体力はほとんど残っていません。
逃げたところで、数秒、命が伸びるだけでしょう。
だったらいっそ、大人しく最後の瞬間を迎えるのも悪くありません。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!」
果たしてどこに喉があるのか分かりませんが、獰猛な雄叫びとともにスライムが飛び掛かってきます。
わたしは迫りくる死を当たり前のように受け入れ――
「ぃ……ゃ…………」
受け入れるつもりでした。
1秒前までは。
けれど頭の中で、怒涛のように感情がはじけました。
嫌。
絶対に嫌。
こんなところで死にたくありません。
だって悔しいから。
このまま何もかも奪われたまま人生を終えるなんて、絶対に、お断りです。
絶対に許さない。
ダルク様、アンネローゼ、お父様。
ううん、三人だけじゃない。
わたしが階段から突き落とされたとき、周囲にはたくさんの生徒がいました。
けれど誰も助けてくれず、さらには「アンネローゼを虐めるからだ!」と騒ぎ立てる始末。
わたしが学院から放り出されたあと、わざわざ追いかけてきてゴミを投げつける人もいました。
彼も、彼女も、みんな、みんな――地獄の底に引きずり落としてやる。
誰も許さない。
誰一人として逃さない。
必ず報復してみせる。
心に決めました。
だから――
「わたしの邪魔を、しないで、ください……っ!」
ろくに食事もしていないせいで、魔力も枯渇寸前。
けれど必死に意識を集中させます。
渾身の一撃は、けれど、間に合いません。
スライムはわたしの懐に潜り込んでいました。
足元から丸呑みにしようと、その身体を大きく広げ……
「素晴らしいものを見せてもらったわ。貴女の勇気に応えて、大盤振る舞いをさせてもらいましょう。――《神罰の杖》」
瞬間。
神々しいまでの黄金光が、わたしの視界を塗り潰しました。
その圧倒的な光の奔流の中で、ブラック・スライムは溶けるようにして消滅していきます。
「ギリギリになってしまってごめんなさいね。まさか黒き森に追放されているとは思ってなかったの」
わたしの目の前に、ひとりの女性が降り立ちました。
言葉を失くすほどに美しい人でした。
太陽の光すら届かない黒き森にあってなお、まばゆいまでの存在感を放っています。
気高いという言葉は、彼女のためにあるのでしょう。
すきとおった翡翠の瞳が、わたしを見つめています。
「貴女、怪我をしているのね。……せっかく綺麗な顔なのに、勿体ないわ」
その人は、白く細長い指を伸ばすと、わたしの額に触れます。
暖かな感触。
まるでふかふかの毛布に包まれているような心地になりました。
「これで治ったわ。誰かしらね、貴女にこんな怪我をさせた男は。……いちおう確認するけれど、シルベリア公爵家の令嬢、ティアラに間違いないかしら」
「は、はい……」
「私はフィオリア。トリスタン王国、フローレンス公爵家の娘よ。"暴風の女帝”とも呼ばれているわ」
もちろん知っています。
レガリア帝国とトリスタン王国は遠く離れていますが、噂はとっくに伝わっていました。
曰く、20年前に毒薬のせいで昏睡状態に陥ったものの、最近になって復活したとか。
かつて彼女が行った領地改革についてはレガリア帝国でも研究され、部分的に取り入れられています。
「ティアラ、貴女、復讐したくはない?」
彼女は微笑みます。
静かに……けれどその裏に、隠しがたい残酷さを孕ませて。
黄金の女神とも呼ばれるその人は、悪魔のように甘く囁きました。
「貴女を陥れたアンネローゼを、そして、彼女に同調した男たちを……全員、一人残さず、貴女の足元に這いつくばらせる。そんな光景を見たくはないかしら」
以前のわたしなら、ここで躊躇っていたでしょう。
けれど、もう、答えはとっくに決まっていました。
望むものは復讐と逆襲。
ティアラ・シルベリアという存在を踏み躙ったすべての人間に、容赦のない報復を。
……そうしてわたしは、彼女の手を取りました。
フィオリア様は最新のアンネローゼ被害者を巻き込むことにしたようです。




