第百八十八話「その剣は誰が為に」
赤い光の渦を抜けた先。
そこは、この世のものとは思えない異様な空間だった。
地下深いはずなのに、天井にはぽっかりと巨大な穴が開いており、そこから不吉なほどに赤く染まった月――《赤き月》が、真円を描いて俺たちを見下ろしている。
その月光は、部屋の中央に設置された祭壇へと降り注いでいた。
祭壇の周りには、無数の魔法陣が幾重にも重なり合い、脈打つように明滅している。
そして、その中心に浮遊しているのは、アルベルト公爵だ。
彼の肉体はすでに元の獣人の姿を留めていなかった。
金色の体毛は深紅に染まり、背中からは禍々しい魔力の翼が噴出し、その体躯は一回りも二回りも巨大化している。
「遅かったな、英雄たちよ」
アルベルトの声は、空間そのものを震わせる重低音となって響いた。
「だが、間に合ったとも言える。私の完全なる覚醒の、最初の目撃者となるのだからな」
彼が軽く手を振ると、赤い衝撃波が奔流となって押し寄せてきた。
「散開ッ!」
俺の叫びと同時に全員が飛び退くが、余波だけで地面が抉れ、壁が吹き飛ぶ。
ただの魔力放出でこの威力。
これが、《亜神》の力か。
「ふはははっ! 素晴らしい! これぞ神の力! これぞ絶対的な支配の力だ!」
アルベルトは陶酔しきっていた。
祭壇の下には、無数の管に繋がれた人々が並んでいるのが見える。
彼らの生命力を、《英雄の素》を通じて吸い上げ、自身の糧としているのだ。
「貴様……! どれだけの命を犠牲にすれば気が済むんだ!」
ネシウスが叫び、掌から魔弾を放つ。
だが、アルベルトの周囲に展開された障壁に触れることすらなく霧散した。
「犠牲? 違うな。彼らは私という神の一部になれたのだ。光栄に思うべきだろう」
「ふざけるなァッ!」
バランが怒号と共に突っ込む。
彼の拳は岩をも砕く威力だが、今のアルベルトには通じない。
障壁に阻まれ、逆に弾き飛ばされてしまう。
「硬ぇ……! 魔力そのものの密度が違いすぎる!」
「物理攻撃も魔法攻撃も、あの障壁がある限り通らないわ!」
ルルネが双剣で斬りかかるが、刃が甲高い音を立てて弾かれる。
絶対的な力の差。
アルベルトは指一本動かさずに、俺たちの攻撃をすべて無効化していた。
「無駄だ。人の身で神に触れることなどできん」
アルベルトが天を仰ぐと、天井の穴から注ぐ赤き月の光がいっそう強まった。
施設全体が振動し、彼の力がさらに膨れ上がっていく。
このままでは、完全に覚醒してしまう。
「くそっ、何か手はないのか……!」
焦る俺の隣で、ルインがスッと前に出た。
彼女の腰にある《宝剣エクスカリバー》が、鞘の中で微かに震えている。
「……アリゼさん。この剣が、共鳴してる」
「エクスカリバーが?」
「うん。あの赤い光……あれは偽物の英雄の力だって、剣が怒ってるみたい」
ルインは剣の柄に手をかけ、一気に引き抜いた。
カァァァッ!
眩い黄金の光が、赤い空間を切り裂くように輝く。
それは、かつて魔王を倒した勇者の剣。
人々の希望と、正しい心を力に変える聖剣だ。
「小娘が……。その剣は貴様には過ぎた玩具だ!」
アルベルトが不快そうに眉を顰め、ルインに向けて魔力の槍を放つ。
だが、ルインは一歩も引かず、聖剣を一閃させた。
黄金の軌跡が赤い槍を両断し、霧散させる。
「通じる……! あの剣なら、奴の障壁を斬れるぞ!」
「ルイン、道を切り開いてくれ! 俺たちが続く!」
俺の言葉に、ルインは力強く頷いた。
「うん! みんな、私に力を貸して!」
彼女の呼びかけに、全員が応える。
この一瞬に全てを賭ける。
「アーシャ、ミア! 全力の支援を!」
「はいっ! 《聖なる加護・極》!」
「《ブレイブ・オーラ》!」
二人の支援魔法が、俺たち全員の能力を限界まで引き上げる。
「ニーナ、ナナ! 奴の動きを封じろ!」
「任せて! 《グラビティ・ジェイル》!」
「《エクスプロージョン・バインド》!」
重力と爆炎の鎖がアルベルトに巻きつき、その自由を奪う。
障壁があるためダメージはないが、動きは止まった。
「小賢しいわッ!」
アルベルトが力を込め、拘束を振りほどこうとする。
その僅かな隙。
「今だッ! ルルネ、アカネ、師匠! ルインの露払いだ!」
三人の猛者が同時に飛び出す。
ルルネの神速の連撃が障壁の一点を穿ち、アカネの剛剣がそこに亀裂を入れ、バランの鉄拳がその亀裂をこじ開ける。
「ぬぅううッ!?」
完全無欠に見えた障壁に、綻びが生まれた。
そこへ、ネシウスが飛び込む。
「僕だって……! この力は、誰かを傷つけるためじゃなく、守るためにあるんだ!」
彼は自身の体内の《人工英雄の素》の魔力を逆流させ、アルベルトの支配に干渉する。
赤いオーラが一瞬、色を失った。
「貴様ぁぁっ! 失敗作ごときがァッ!」
アルベルトがネシウスを払い除けようとするが、遅い。
「いけぇぇぇぇッ! ルインッ!」
「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ルインが跳んだ。
黄金の光を纏ったエクスカリバーが、彗星のようにアルベルトへと迫る。
「神に……逆らうなァァァッ!!」
アルベルトが迎撃の拳を繰り出す。
神の力と、勇者の力。
二つの強大な力が衝突し、閃光が視界を埋め尽くす。
キィィィン!!
金属音が響き、衝撃波が俺たち全員を吹き飛ばした。
土煙が晴れた先。
そこには、肩で息をするルインと、片膝をついたアルベルトの姿があった。
アルベルトの胸には、斜めに大きな斬撃の痕が刻まれ、そこから赤い光が漏れ出している。
「ば、馬鹿な……。私が……神となる私が……傷つくだと……?」
「神なんかじゃない」
俺は剣を構え、ふらつく足でアルベルトの前へと歩み出た。
ルインの一撃が、奴の無敵の幻想を打ち砕いた。
今なら、俺の剣も届く。
「お前はただの、力に溺れた哀れな獣だ。そして俺たちは、お前が踏みにじろうとした、意思ある人々だ!」
俺は《限界突破》を発動させる。
身体が悲鳴を上げるが、構わない。
これが最後だ。
「ふざけるな……ふざけるなァァァッ!!」
アルベルトが激昂し、全身から暴走した魔力を噴出させる。
赤き月の光を無理やり取り込み、その肉体がさらに醜悪に膨れ上がっていく。
「全員、死ねぇぇぇッ!!」
理性を失った怪物の暴撃。
だが、俺たちの心は折れていない。
「みんな、最後だ! あいつをここで終わらせる!」
俺の声に、ボロボロになった仲間たちが再び武器を構える。
ルルネが、アカネが、ニーナが、ミアが、アーシャが。
そして、ルイン、ナナ、エリス、リア、ネシウス、バラン。
全員の心が一つになった。
――その剣は誰が為に。
俺は心の中で、恩人の言葉を繰り返す。
誰かのために振るう剣は、決して折れない。
俺たちは、未来を掴み取るために、最後の突撃を敢行した。




