第百八十五話「ドクター・ガゼル」
天井のドームを粉砕して突入した際の轟音と衝撃で、施設内はパニックに陥っていた。
舞い上がる粉塵の向こうから、白衣を着た研究員たちの悲鳴と怒号が飛び交う。
「な、なんだ!? 爆発か!?」
「天井が……! 空から侵入者だ!」
「警備兵! 警備兵を呼べ! 実験体が逃げ出すぞ!」
俺は着地の衝撃を和らげるために膝を深く曲げ、すぐに立ち上がって周囲を警戒した。
ここは巨大な吹き抜けのホールになっており、中央には地下深くへと続く螺旋階段が黒い口を開けている。
壁際には無数の計器や魔導装置が並び、怪しげな色の液体が入ったカプセルが不気味な光を放っていた。
「……へっ、随分と趣味の悪い場所だな」
隣に着地したバランが、鼻を鳴らしながら肩を回す。
俺たちの背後には、アカネやルルネ、ルインたちも続々と降り立ち、武器を構えて円陣を組んだ。
「来るぞ! 迎撃だ!」
俺の声と同時に、ホールの四方にある通路から武装した警備兵たちが雪崩れ込んでくる。
だが、そいつらはただの兵士ではなかった。
肌は土気色に変色し、目は充血して赤く光り、異常に肥大化した筋肉が鎧を内側からひしゃげさせている。
「グルルルァァッ!!」
獣のような咆哮を上げて突っ込んでくる兵士たち。
理性など欠片も感じられない。
おそらく、《人工英雄の素》の実験による失敗作か、あるいは意図的に造られた強化兵なのだろう。
「気色が悪いわね……! でも、通させてもらうわよ!」
ルルネが疾風のごとく駆け出し、先頭の兵士の懐へ飛び込む。
双剣が閃き、強化された筋肉を容易く切り裂いた。
だが、斬られた兵士は痛みを感じないのか、怯むことなく腕を振り回してくる。
「しぶとい! 首を落とさないと止まらないかも!」
「任せろ!」
アカネが大剣を唸らせ、ルルネに反撃しようとした兵士を横薙ぎに一刀両断する。
その重い一撃は、強化された肉体ごと兵士を壁まで吹き飛ばした。
「ルイン、右だ!」
「うん!」
ルインが《宝剣エクスカリバー》を抜き放ち、黄金の輝きとともに右翼から迫る敵を迎え撃つ。
彼女の剣技は、村で俺と特訓していた頃より遥かに鋭く、そして洗練されていた。
宝剣の加護か、あるいは彼女自身の成長か。
一振りで数人の強化兵をなぎ倒すその姿は、かつての勇者の再来を思わせる。
「ナナ、ニーナ! 援護を頼む!」
「了解。闇よ、彼らの視界を閉ざせ――《ダーク・ミスト》」
「いっくよー! 私の魔力、見せてあげる!」
ニーナが漆黒の霧を発生させて敵の連携を乱し、その隙にナナが杖を掲げる。
彼女の体から溢れ出る魔力は、相変わらず規格外だ。
俺が教えた魔力操作のおかげか、以前のような暴走の気配はなく、凝縮された魔弾が正確に敵の集団の中へと撃ち込まれる。
ドゴォォォン!!
爆発音と共に、強化兵たちがまとめて吹き飛んだ。
「すごい……。ナナちゃん、本当に上手になったね」
「えへへ、おじ……ううん、アリゼさんのおかげだよ!」
戦場だというのに無邪気に笑うナナに、俺は苦笑しながらも頼もしさを感じる。
前衛と後衛、それぞれの役割が完璧に機能していた。
これなら、どんな敵が来ても突破できる。
「……あそこだ。あの階段の下から、嫌な匂いがする」
エリスに支えられたネシウスが、蒼白な顔でホールの中央を指差した。
彼の体は恐怖で震えているが、その瞳には逃避ではなく、過去と対峙する強い意志が宿っている。
「《英雄の素》の精製プラント……そして、儀式の間も、あの下にあるはずです」
「よし、行くぞ! このまま一気に最深部まで駆け下りる!」
俺は先陣を切って、螺旋階段へと飛び込んだ。
階段は地下深くへと続いており、底が見えない。
壁に設置された魔導灯の赤い光が、明滅しながら俺たちの影を長く伸ばしている。
階段を下りる途中も、各階層の踊り場から新たな敵が次々と現れた。
今度は強化兵だけでなく、体の一部を機械や魔獣のパーツと置換された異形のキメラたちも混じっている。
「キリがないですね……!」
「アーシャ、バフを!」
「はい! 《身体強化・全体》《守護の光》!」
アーシャの支援魔法が全員を包み込み、疲労を軽減し、力を底上げする。
彼女の的確なサポートがあるおかげで、俺たちは足を止めることなく進み続けることができた。
バランが、階段の手すりを乗り越えて襲いかかってきた蜘蛛型のキメラを、素手で殴り飛ばしながら叫ぶ。
「雑魚に構うな! 蹴散らして進め! 本命は下にいるぞ!」
その言葉通り、下へ行けば行くほど、漂ってくる魔力の濃度が濃くなっていくのが分かった。
肌にまとわりつくような、粘り気のある不快な気配。
地下墓地で感じたものと同じ、いや、それ以上に濃密な悪意。
螺旋階段を降りきった先、俺たちの前に巨大な鋼鉄の扉が立ちはだかった。
扉の表面には複雑な術式が刻まれ、厳重に封印されている。
「行き止まりか……?」
「いいえ、開きます。私が……」
ネシウスがふらつく足で前に進み出る。
彼は扉に手を触れると、自身の魔力を流し込んだ。
かつて彼が「被験体」として登録されていた生体情報を鍵として利用したのだ。
ゴゴゴゴゴ……。
重苦しい音を立てて、鋼鉄の扉が左右にスライドしていく。
その隙間から溢れ出したのは、鼻を突く薬品の臭いと、鉄錆のような血の臭い。
そして、目が痛くなるほどの強烈な真紅の光だった。
「これは……」
扉の向こうに広がっていた光景に、俺たちは言葉を失った。
そこは、巨大な工場のような空間だった。
天井まで届く無数のガラス管が林立し、その中には緑色の液体と共に、様々な種族の人々――獣人、人間、エルフ、魔族――が浮かんでいる。
彼らの体には無数の管が繋がれ、そこから何かが吸い上げられ、中央の巨大な装置へと送られていた。
「ひどい……」
ミアが口元を押さえて呻く。
それはまさに、命を弄び、搾取するための地獄の光景だった。
「ようこそ、英雄諸君。そして、おかえり、ネシウス」
不意に、空間の上部、キャットウォークの上から声が降ってきた。
見上げると、そこには白衣を纏った一人の男が立っていた。
地下墓地の記録映像で見たことのある、アルベルト公爵の腹心である老猫の獣人だ。
彼は眼下に広がる俺たちを見下ろし、薄気味悪い笑みを浮かべていた。
「随分と派手なご到着だな。おかげで貴重な検体がいくつか損耗してしまったよ」
「貴様が……ここの責任者か」
俺は剣の切っ先を彼に向け、怒りを込めて問う。
「いかにも。私がこの素晴らしい研究を統括しているドクター・ガゼルだ。……ほう、そこにいるのは《失敗作》たちを連れた、本物の英雄たちか。素晴らしい、実に素晴らしい素材だ!」
ガゼルは狂喜に満ちた目で俺たち、特にルルネやミアたちを見つめる。
「アルベルト様は儀式の準備でお忙しい。代わりに、私が君たちの相手をしてあげよう。……私の最高傑作たちの餌としてな!」
彼が指を鳴らすと、工場の奥から地響きと共に、これまで見たこともないほど巨大な影が三体、姿を現した。
それは、既存の生物の枠を超えた、歪で禍々しい怪物たちだった。
「さあ、実験の第二段階を開始しようか」
ガゼルの合図と共に、怪物たちが咆哮を上げた。




