第百八十四話「第二研究施設」
ドーイの作り上げた飛行艇《スカイ・ホーク号》は、雲を切り裂くようにして高度を上げていた。
船体には風を魔力へと変換する複雑な術式が刻まれており、エンジン音は驚くほど静かだ。
眼下には、獣人の国の広大な森林地帯が緑の絨毯のように広がっている。
普段なら絶景だと感嘆するところだが、今の俺たちの心にあるのは、これから向かう死地への緊張感だけだった。
「どうだ、アリゼ! 乗り心地は!」
操縦桿を握るドーイが、振り返らずに声を張り上げた。
その声には、自分の発明品が実戦で役立っていることへの誇りと、友人を戦場へ送り届ける責任感が入り混じっていた。
「ああ、最高だ。これなら酔わずに済みそうだ」
「はっ、カミアの背中と一緒にするなよな!」
ドーイの軽口に、甲板にいたメンバーの間にわずかな笑いが起きる。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
俺は甲板の手すりに寄りかかり、風に吹かれながら仲間たちの様子を眺めた。
装備の点検をするアカネとルルネ。
魔導書を開き、最後の確認をするニーナとナナ。
祈りを捧げるように目を閉じているミアとアーシャ。
そして、互いに身を寄せ合い、不安と決意を共有しているエリスとネシウス。
ルインが、俺の隣にやってきた。
彼女の腰には、村長から託された《宝剣エクスカリバー》が佩かれている。
「……いよいよだね、アリゼさん」
「ああ。長い旅だったな」
俺は呟く。
奴隷商から娘たちを救い出したあの日から、15年。
田舎村での隠遁生活、そして異大陸への転移。
全ての道が、今、この空の上へと繋がっている。
「正直、怖いよ」
ルインが正直な心情を吐露する。
俺は彼女の頭に手を置き、ガシガシと撫でた。
「俺もだ。足が震えそうなくらいな」
「えっ、アリゼさんも?」
「当たり前だろ。相手は大陸を支配しようなんて考えてる狂人だ。だがな、怖さを知っている奴だけが、本当に強くなれるんだ」
俺の言葉に、ルインは少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「……そっか。アリゼさんでも怖いんだ。なら、私はもっと頑張らなきゃね」
その時、船首の方にいたアカネが声を上げた。
「見えてきたぞ! あれが……!」
全員が視線を向ける。
森が開けた先、荒涼とした岩場の盆地に、その異様な施設は鎮座していた。
黒い石材で築かれた巨大な要塞のような建物。
その周囲には、無数の警備兵と魔導兵器が蟻のように蠢いているのが見える。
そして何より不気味なのは、施設の上空に渦巻くどす黒い魔力の雲だった。
赤き月の影響か、空全体が血の色に染まり始めている。
「《アルベルト公爵家第二研究施設》……。あそこで、あんなことが……」
ネシウスが、憎悪と恐怖が入り混じった声で呻く。
エリスが彼の手を強く握りしめた。
「ドーイ、高度を維持しろ! 敵の対空魔術が来るぞ!」
バランが吼えた。
その直後、地上から無数の火球と雷撃が放たれた。
だが、飛行艇は船底に施された隠蔽術式と防御結界のおかげで、直撃を免れながら滑空を続ける。
「よし、作戦開始だ! 合図を送れ!」
俺が叫ぶと同時に、ニーナが杖を掲げ、上空へ向けて閃光魔法を放った。
真昼の太陽のように眩い光が炸裂する。
それが、開戦の狼煙だった。
次の瞬間、地上の施設の正門付近で、凄まじい爆発が巻き起こった。
森の中から、デリア率いるエルフの騎士団と、リンネ率いる魔族の軍勢が一斉に姿を現し、突撃を開始したのだ。
「撃てぇぇぇッ!!」
「我らの友のために! 道を切り開け!」
風に乗って、デリアとリンネの号令が微かに聞こえた気がした。
魔法と矢の雨が降り注ぎ、施設の警備兵たちが大混乱に陥る。
警報が鳴り響き、防衛戦力のほとんどが正門側へと引き寄せられていくのが見えた。
「陽動は成功だ! 今だ、突入するぞ!」
ドーイが操縦桿を押し込み、飛行艇を急降下させる。
目指すは、施設の中央に位置する巨大なドーム状の屋根。
あそこが、地下儀式場への直通ルートだと、地図は示していた。
「みんな、準備はいいか!」
俺は大剣を引き抜き、振り返った。
そこにいるのは、かつて俺が守ってきた少女たちではない。
共に背中を預けられる、頼もしい戦友たちだ。
「いつでもいける!」
「行きましょう!」
「ネシウスさんのために!」
「この大陸のために!」
アカネ、ルルネ、ミア、ニーナ、アーシャ。
そして、ルイン、ナナ、エリス、リア、ネシウス、バラン。
全員の心が一つになる。
「ドーイ、あとは頼んだぞ!」
「おうよ! 帰りの足も用意して待ってるからな! 死ぬんじゃねえぞ!」
飛行艇がドームの真上を通過するその一瞬。
俺たちは次々と空へ身を躍らせた。
風が顔を打ち、重力が身体を引く。
眼下に迫る黒い屋根。
俺は魔力を全身に巡らせ、《限界突破》の予備動作に入る。
「うおおおおおおっ!!」
俺を先頭に、全員の攻撃魔法と剣技が一点に集中する。
ドームの屋根が飴細工のように砕け散り、俺たちは敵の本拠地、その心臓部へと強襲をかけた。
舞い上がる粉塵と瓦礫の中、着地した俺たちの目の前には、地下へと続く巨大な螺旋階段と、驚愕に固まる研究員たちの姿があった。
「ここから先は、一方通行だ」
俺は剣を構え、ニヤリと笑った。
「さあ、祭りを終わらせてやろうぜ」
英雄たちの反撃が、今、幕を開けた。




