第百十三話「スラムでの生活」
その王都の高い城壁に一番近いところにそのスラムはあった。
物乞いしている少年少女、項垂れて神に祈りを捧げる老人、喧嘩をしている男たち。そんなスラムの人々の間を縫いながら、ルルネとミアは追っ手から逃げていた。
「はあ……見回りの衛兵に見つかるなんてね。ついてないわね」
「仕方がないですよ。今日はいつもの巡回の時間より半時も遅れていたんですから」
走りながらため息をつくルルネと窘めるミア。
背後からは衛兵たちの怒号が聞こえる。
「おらぁ! どこに逃げやがった! 出てきやがれ!」
「くそっ! てめぇら退け! 薄汚いクソどもが!」
どうやら衛兵たちはルルネたちを見失ったらしい。
しかしスラムも広くはない。
このまま立ち尽くしていたらすぐに見つかってしまう。
そう思ったとき、近くのボロ屋の扉が開いた。
「こっちだ」
「——ヤエバルさん!」
猫系の獣人のオッサンが扉の隙間から手招きをしていた。
どうやら匿ってくれるらしい。
唐突に指名手配をされ、スラムに居着くようになってから半年。
ルルネたちもそこそこスラムの住人に受け入れられていた。
ボロ屋に入ると、ヤエバルは窓からの光を布で塞いだ。
そして蝋燭で火を灯しながら言った。
「災難だったな。どうやら今日の衛兵は寝坊したらしいぞ」
「……聞いてないんですけど」
「まあ、そんなときもあるさ。スラムの情報もたまには行き渡らないからな」
ミアの愚痴に肩を竦めてヤエバルは言った。
スラムでは横の繋がりの意識が非常に強い。
元犯罪者や、荒くれ者、親に捨てられた子どもたちなど、様々な人が住んでいる。
基本、情報はすぐに回ってくるはずだが。
「それに情報屋のベンが一昨日、処刑されたからな。新しいのが出てくるまで待たなきゃならん」
「……なるほど。ベンさんが」
ヤエバルの言葉にルルネは納得したように頷く。
このスラムに情報を仕入れてくる人間は数人いたが、一番性格だったのがベンだ。
しかし見せしめからか、冤罪で処刑されてしまった。
ルルネたちはそのことを今知った。
そんな会話をしていると、いきなりドンドンと強く扉が叩かれた。
どうやら衛兵がここまでやってきたらしい。
慌てたようにヤエバルは言う。
「お前たちはここに隠れていろ!」
彼が指さしたのは机の下だった。
蝋燭の火しかない、薄暗い部屋だ。
机の下に潜り、椅子の影に隠れれば、なんとか外からなら見られないはずだった。
急いで二人が机の下に隠れたことを確認すると、ヤエバルは扉を開いた。
「開けるのが遅い。もっと早く開けろ」
「へ、へい……。すいません、俺、身体が弱いもので」
「そうか。……部屋が暗いのも?」
「はい。日光を長時間浴びるとマズいんです。しばらく浴びていると皮膚が爛れてきて」
「なるほどな。それよりもこいつら見なかったか?」
そう言って差し出されたのは二枚の紙。
そこにはルルネとミアの似顔絵が書かれていた。
二人の指名手配書である。
「いや、見なかったですな」
「……何か隠していたらお前もともに処刑だからな?」
「へいへい、分かってますよ」
「ならいい。見つけ次第、俺たちに言うように」
衛兵は荒々しく扉を閉め、去っていった。
ルルネとミアは机の下から這い出てふうっとため息をついた。
「お前さんたちも災難だな。心当たりはないんだろ?」
「そうね。全く身に覚えはないわね」
憐憫の視線を向けながらヤエバルは言う。
それにルルネはため息交じりに答えた。
「まあ、奴らが落ち着くまではここに隠れていろ。すぐに飽きて消えると思うがな」
「ありがとうございます」
ぶっきらぼうに言ったヤエバルにミアがお礼を言う。
それにヤエバルは照れたように頭をかいた。
「ここでは助け合いだからな。別にそれくらいは構いはしねぇよ。それに、ここで恩を売っておけばいつかは返ってくるかもしれないだろ?」
照れて誤魔化したヤエバルに、ミアは微笑みかけて言うのだった。
「ええ。いつか必ず返すので。楽しみに待っていてくださいね」
***
それから数時で衛兵たちはスラムから出て行ったらしい。
子どもたちがそう伝えに来た。
ヤエバルにお礼を言って彼の家を出る。
指名手配をされてからずっとスラム暮らしだ。
他の街に行こうにも背の高い城壁に阻まれ、門には四六時中獣人の衛兵たちが張り付いている。
出る機会を失っていた。
「それにしても何であんなにこの街の城壁は高いんでしょうね……」
そうぼやくミアにルルネは言った。
「獣人には跳躍力が高い種族もいるからみたいね。人族基準の高さだとすぐに飛び越えられてしまうらしいわ」
ルルネの解説にミアはほへぇと感心する。
そんな他愛もない会話をして、たどり着いたのはスラムの端の方にあるボロ屋だ。
隣が墓地になっていて夜は非常に不気味だった。
今は夕暮れ時。
赤く染まった墓地にカラスが餌を求めて集まっていた。
「——死者に救いがあらんことを」
ミアは墓地を見て、手のひらを合わせてそう祈りを捧げた。
聖職者であり、聖女と呼ばれた彼女は毎日この墓地に手を合わせている。
それに倣って一応ルルネも手を合わせていた。
しかしルルネはエルフでそういった神や死後の世界のような超自然を信じていない。
心の中では死者は自然の流れに還るだけだと信じていた。
「さて、今日のご飯は何にしましょう!」
気分を切り替え、ニコニコと嬉しそうにしながらミアは言う。
彼女の一番の楽しみである食事の時間だ。
ルルネは少し考えた後、言った。
「今日は根野菜と玄米で炊き込みご飯にしましょうか」
「わぁい! ありがとうございます、ルルネさん! 今日はいつもよりも豪華ですね!」
「衛兵に追われて疲れましたからね。少し奮発しましょう」
そんな話をしながらボロ屋に入り、蝋燭に火をつけて屋内を照らす。
何もない部屋だ。
辛うじて麻の敷物が二枚とボロボロの木の机と椅子があるくらいか。
竈には端のほうが欠けているボロボロの鉄鍋が置かれていた。
ルルネは魔法で竈に火をつけると、玄米と近所でもらった根野菜、魔法で作った水を入れ、炊き込みご飯を炊き始める。
モクモクと煙が上がり、良い香りが部屋中に漂い始めた。
「ん〜、楽しみですね!」
「そうね。最近忙しかったのもあってあまりちゃんとした食事にありつけなかったし」
ルルネたちは現在、スラムの子どもたちが突然消える事件を追っていた。
英雄呼ばれていたことから、スラムの人たちにお願いされて調べることになったのだが、まだなんの手がかりも得られていない。
その間にも一人二人と消えていっているので、早急の解決が求められていた。
「……全く手がかりも掴めませんもんね」
「本当に。神隠しと言われた方がまだ信じられるわ」
子どもたちを追っていても、角を曲がった直後に突如として消えるのだ。
ルルネたちが曲がり角を曲がった頃には何の痕跡も残されていない。
人一人いない路地があるだけだった。
「これでも察知能力とかには自信があったのに……」
ルルネは落ち込んだように言う。
幼少期を森の中で過ごし、弓での狩猟はお手の物だった。
その矜持を傷つけられたような気がして落ち込んでいるのだ。
落ち込むルルネを傍目に、ミアは竈に近づいて鉄鍋の中を覗き込む。
そしてクンクンと鼻を鳴らし匂いを嗅いで、
「う〜ん、良い匂いですね。そろそろでしょうか?」
「……まだだと思うわ」
「そうですか。お腹がすいてきてしまいましたね」
残念そうに言うミア。
ルルネは匂いを嗅いだからではと思ったが、口にはしなかった。
「久しぶりのご飯ですので、早く食べたいですね! ——事件に関しては、今考えても仕方のない問題な気もしますし」
ミアの言葉にルルネも「それには同意ね」と言って頷いた。
しばらく炊き込みご飯が炊けるのをお腹を空かせながら待ち、十数分後、ようやく炊き込みご飯が炊けお腹いっぱい食べた二人は、久しぶりの大満足で眠くなって、そのまますぐに眠りについてしまうのだった。




