夢のかたち・6
「そうしたらチェルシーが泥だらけで帰ってきて。やり切った顔をしているものだから、わたしも両親も怒る気がなくなってしまって」
「はは、本人にとっては大冒険だったんだろうね」
正面に座っているリリーは、目の前のお菓子にもほとんど手を付けず、楽しそうに妹の話をしている。
リリーの息抜きを兼ねて、という言い訳で、時々彼女をお茶に誘っていた。最初こそそんな時間はないとためらっていた彼女も、魔導部隊の隊員たちに後押しされるうち付き合ってくれるようになった。
妹を溺愛していることを周囲に隠しているリリーには、こうして堂々と妹の話ができる相手もいないらしく、いつも楽しそうに話し続けてくれた。釣り目がかった目尻を細めて笑う顔は、普段の生真面目な姿からは想像できないほど柔らかく、お茶が冷え切ったころに「話し過ぎました」と照れるところまで含めて、愛らしくて仕方がなかった。
「っあ~……」
「なんですか、寝不足でおかしくなりましたか」
執務室で突然頭を抱えた俺に向かって、ジョシュアの冷ややかな言葉が飛んでくる。言葉は冷たいけれど、なんだかんだこうして遅くまで仕事に付き合ってくれるのだから、俺には甘いんだと思う。
「いや、必要な分は眠れているし大丈夫だ」
「あなたは眠るのも仕事なんですから、こうして夜更かしするのもほどほどにしてくださいよ」
魔導塔に顔を出したり、リリーとお茶をしたり、その時間を捻出するための皺寄せは確実に休息時間や睡眠時間を削っていた。しかし、優秀な側近のおかげでそれも最低限で済んでいるし、何より気持ちが浮ついているせいか体も十分元気だった。問題は。
「毎日好きになっていって、困る……」
「毎日それを聞かされている私の方が困っていますよ。さっさと言い寄ったらいいじゃないですか、向こうにだってもう婚約者はいないわけですし」
「それは……」
それはそう、なのかもしれないが。しかし、どうしても今のリリーに気持ちを打ち明けるのは抵抗があった。彼女はオズワルドを助けるために毎日頑張っていて、そこに水を差すような……彼女の気を煩わせるようなことは言えなかった。同志だ、なんて言ってしまった手前もある。言ってしまえば楽になれるのかもしれない、少しは意識してもらえるのかもしれない。だけど。
「そんな身勝手は、できない……」
はあ、と溜め息を溢した俺に向かって、ジョシュアが呆れた顔をする。
「愛なんて、多かれ少なかれ身勝手なものだと思いますけどね」
「え?」
「そうでしょう。現にこの一か月、あなたのその愛とやらのせいで定時に帰れてない人間がここにいるんです」
「う……っ、それはその、本当にすまないと思っていて……」
まあいいです、とジョシュアは俺の机の上から書類を取り上げ、また別の書類を置く。
「あの聖女だってそうでしょ。妹のためだかなんだか知りませんけど、オズワルド様からしたら一方的に婚約破棄されていることに違いはない」
「それはオズワルドの治療方法を探すためでもあって……!」
「知りませんよそんなこと。オズワルド様からしたら、って話ですからね」
俺以外に対して、こんなに露骨に刺々しい物言いをするジョシュアが珍しくて、思わず口を噤んでしまう。
身勝手。そんな言葉で彼女の行動すべてを片付けられるのは悲しかった。
「そんな顔してないで一応最後まで聞いてくれます?」
「んあ」
思わず俯いた俺の額をぐっと押して、ジョシュアは無理矢理顔を上げさせる。俺と二人じゃなかったら不敬罪で即逮捕だぞ。
「別にその愛が、身勝手さが悪いとは言ってないんですよ。だって聖女はその愛のために、この国まるっと救ったんじゃないですか」
「あ……」
『わたしはこの国の聖女だからではなく、あの子の姉だからこそこの国を守るのです』
あの、強い想いの宿った瞳を思い出す。ぼんやりと、顔も知らない誰かにまで分け与えなければならないと思っていた俺の愛とは違う、強くて確かな想い。
「ある面から見れば身勝手でも、それだけが全部じゃないでしょう。何がどう影響するかなんて、結局わからないんですよ。だったら潔くぶつけてしまってもいいんじゃないかと俺は思いますけどね」
砕けた話し方に、ジョシュアは今側近としてではなく、友人として意見してくれているのだとわかる。いつだって優柔不断なのは俺の方で、この友人はなんでもあっさり決めてしまう。
「……先に帰っていいって言ってるのに残業に付き合ってくれるのも、愛かな」
「は? うるさいんですが」
「愛なんだなあ」
「うるっさいんですよ、残業手当のためです。いいからさっさとサインしてください」
安上がりな身勝手さを笑いながら、俺は少し心が軽くなったのを感じる。打ち明けてみてもいいのかもしれない、この胸の内を。
「大体、あなたの気持ちが伝わってないのなんてリリー様にだけですからね」
「えっ!?」
「魔導部隊どころかメイドまでみんな知ってます」
「嘘だろ……」
さあどうでしょう、とジョシュアは悪戯に笑う。「間接的に伝わっちゃうより直接言った方が好感度は高いと思いますけどね~?」なんてからかう声に押されながら、その日の残業はいつもより少しだけ長く続いた。
そんなことがあった三日後だ。魔導塔に向かっていると、ちょうどエディと一緒になった。「オズワルド様から手紙です!」と大事そうに握っているそれを、副隊長に届けるのだという。
いつもの部屋に入り、俺はリリーや他の隊員たちのもとへ。エディは副隊長室に向かった。
「隣国に残っているという古い事例も、確認したところただの伝承らしい」
「ですよねえ……あっちはそもそも魔獣なんてほとんどいないし」
「殿下、いつも無理を言ってすみません」
「いや、使える人脈は使わないと」
「ありがとうございます」
そんなふうに、今日も一向に進まない研究の話をしていたときだった。バンッ、と勢いよく副隊長室の扉が開いて、エディが飛び出してきた。うるさいぞ、なんて声がどこからともなく聞こえてきたが、エディのただならぬ様子にみんなが彼に注目する。
「た、隊長の……っ、隊長の魔力が戻り始めたらしいです!!」
いつもの大きな声が少し震えていて、それが響いた室内は一瞬しんと静まり返る。直後、わあっと大きな歓声が上がって、何人もがエディに駆け寄っていった。
「瘴気は!? 怪我の様子はどうなった!」
「そ、それはまだ……っでも、少しだけど魔力が戻り始めていて、立って歩いたりもできているらしくて」
ああ、よかった。自然治癒だろうか、理由はわからないし、瘴気が残っている以上まだ手放しには喜べないのかもしれないが、前進は前進だ。そう思いながらエディたちの様子を見ていると、すぐ近くでガタンと椅子の倒れる音がした。
「っ、おい……大丈夫か?」
隊員の一人が、椅子を倒しながら床にへたり込んでしまったようだった。隣にいた者に背中を支えられながら、彼は両手で顔を覆って「よかった、よかった」と呟いている。その手の隙間から泣いているのが見えて少し驚いていると、別の隊員が俺に耳打ちをする。
「オズワルド様に治癒魔法をかけたのが彼なんです。聖魔法より先に治癒魔法をかけたから瘴気が残ったんじゃないかって、ずっと自分を責めていて」
「……そうか」
「彼がすぐに治癒魔法をかけなければ、失明の可能性や、最悪命を落とすことだってありました。だから間違いではなかった、と言っていたんですが……やっぱり気にしてたんですね」
そう言って、耳打ちしてくれた隊員は泣き崩れる同僚のもとへ駆け寄った。
リリーもきっと少しは楽になれただろう。そう思って部屋を見渡すと、さっきまで近くにいたはずの彼女がどこにもいなかった。慌てて耳を澄ませば、小さくヒールの音がする。
廊下に出て足音を追うと、やがてそれは塔を下り、中庭で止まった。
「……リリー」
俯いたままの彼女の傍に寄る。
「俺の下手くそな魔法を、披露しようか」
両腕を広げて見せれば、彼女はすぐに飛び込んできた。俺の下手くそな魔法が彼女の目を濡らしたのは、やっぱり午後の陽だまりの中だった。
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