表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

8 俺と眞子

 魔王は言葉を失ったように、突き付けられたバットの先端をしばらく見つめていた。

 追い詰められ、武器もなくした奴には、もう抵抗する手段はない。


「い……いやだ!」


 だというのに、往生際悪く魔王は叫んだ。


「オレはまだ負けてねえぞ。認めさせたけりゃ、ひと思いにやりやがれ!」

「はぁ……そんなに、俺に負けるのが嫌かよ」


 目を吊り上げ、ぐっと額でバットを押し返すように魔王が一歩前に出る。俺は呆れて息を吐くとバットを引っ込め、無造作に横に放り投げた。


「……どういうつもりだよ?」

「あのな……。無抵抗の女を、本気で殴れるわけねえだろ」

「――――」


 魔王は目を見開き、顔を赤くしていた。たぶん、怒っているのだと思う。忌々しそうな目で見上げてくるが、別になめているわけじゃない。もう勝負がついたのだから、これ以上敗者にむち打つようなことはしたくないだけだ。


「くそ……ずりぃんだよ。お前ばっか、デカくなりやがって……」

「仕方ねえだろ。成長期なんだよ」


 俺は肩を竦め、頬をふくらませる魔王の頭をぺしぺしと叩いた。うっとうしそうに振り払われ、苦笑する。

 こいつの頭は俺の肩より少し上の位置にある。今はまだ少しの差だが、いずれもっと引き離していくことだろう。今年の身体測定の結果からも、それは明らかなのだ。


 だから――決して油断していたわけではないが、戦う前からなんとなく結果は分かっていたのだ。

 心が成長しないまま、身体だけが大人になっていく。男と女。どうしようもなく、俺と魔王の間では、その差は年を追うごとに明らかになってしまっていた。


 お前はどんどん女っぽくなって、俺は男っぽくなっていく。

 だから、全力を出せば、どうなるかってくらい分かるだろうが。

 デートの時の件もそうだ。特に鍛えているわけでもない、普通の女が下手に立ち向かおうとするんじゃねえっての。


「……けだよ」

「あ? もっと、はっきり分かるように言えよ」

「だから……! あー! くそー! 負けたよ! 負けた負けた負けた! 負けたーーーッ!!」


 そして、叫びながら負けを認めた魔王は頭を抱え、しまいにはぐしゃぐしゃにかきむしりながら膝を屈した。

 まるでダダをこねる子供だなと、思わず吹き出す。「負け」という言葉をこいつの口から聞けたことで、ようやく勝利を実感できた。

 しゃがみこんだ魔王に手を差し伸べたが、魔王は俺の手を取らずにのろのろと立ち上がり、桜の木にもたれかかる。その表情は暗く、どん底にまで沈んでいるようだった。


「おいおい……そう落ち込むなって」

「だって……」


 魔王は呟き、目を逸らす。そこまでして負けたくなかったのか。だとすれば負けず嫌いも筋金入りだが、勝負は勝負である。

 敗者には、敗者の処遇を下さなければならない。


「そこまで暗い顔されると言い辛いけどよ……きっちり守ってもらうぜ」


 敗者は勝者に絶対服従。一つだけ何でも言うことをきくこと。


「も、もう決めてんのかよ……」


 わざとらしく口端を持ち上げる俺を見る魔王の目は不安そうだった。しかし、それもすぐに強気な色に覆われ、奴は腰に手を当てて笑みを浮かべた。

 表情はだいぶ引きつっており、強がりであることはバレバレだけどな。


「はん! いいぜ、何でも言えよ! パシリか? それともエロいことか? ここで脱げってんなら脱いでやらあ! 胸くらいならもませてやってもいいぞ!」

「…………、アホか、そんなことは言わねーよ」

「てめー! 今ちょっと考えただろ!」


 たいへん不名誉な疑いをかけられてしまったが、そんなことはない。そこそこ魅力的な提案だったことは認めるが、俺がこいつに言うべきことは決まっているのだ。


「うるせえな。こっちは最初から決めてんだよ。いいから、ちゃんと聞け」


 いったん魔王を黙らせ、咳払いを一つする。なんだか改まると緊張して逃げ出したくなってきたが、ここまで言って引き下がれるはずもない。

 覚悟を決めろ、俺。

 吸った息が腹の奥に溜まったのを意識して、俺は魔王の目を見て言った。


「俺とお前の関係は、今日で終わりにする」


 その瞬間、魔王の両目が目一杯に見開かれた。石化でもしたかのように固まり、俺の顔を凝視した視線は動かない。


「……んだよ、それ」


 そして、震える唇から、ひび割れたような声が絞り出されていた。


「終わりって……じゃあ……もう、オレとユウは友達じゃないっていうのかよ」

「ん……? まあ、そういうことに、なる、のか」

「ふざけんなよ! なんでそうなっちまうんだよ!? そんなに前のこと怒ってんのか? だから、果たし状なんかよこして、オレを負かして……引導を渡そうとまでしたのかよ!?」


 魔王が俺の胸倉を掴む勢いで詰め寄る。間近に迫った視線が正面衝突し、その目尻に微かに光るものを見てしまった。


「ちょっと、待てよ。落ち着いて俺の話を――」

「そりゃオレが悪かったかもしれねーけどさ! 絶交する程のことかよ!」

「いやいや、何でそうなる? だから、違うって――」

「ユウにとってオレとの関係は、そんな簡単に切っちまえるものだったのかよッ!?」

「ええい! 落ち着きやがれええッ!!」


 奴の大声を上回る声量で怒鳴り返し、両肩を掴む。カッと見開いた目で、それ以上言葉は発さずに黙るよう制した。


「別に俺をはめようとしたことはもう怒っちゃいねえし、絶交なんてする気もねえよ」


 何を勘違いしてるんだか知らねえが、それだけははっきりさっせておく。


「じゃ、じゃあ……終わりって、どういう意味なんだよ?」


 そこは魔王も理解したのか、怒りと焦りはなくなったみたいだ。しかし、まだ声からは不安が溢れている。

 早いところ解消してやりたいのはやまやまなのだが、いざどう説明したものかと考える。この事態は、ちょっと想定していなかった。


「……小さい頃は、俺たち、勇者と魔王なんて呼ばれてただろ?」

「それが、なんだよ?」

「つまりだ。お前は俺にとっての倒すべき目標みたいなもんだったんだよ。お前も、よく言ってただろ。『オレを倒すのはゆーだ』ってな」

「あ……」

「だから、こうして勝っちまった以上、もうそれもお終いだ。お前は、俺にとっての魔王じゃなくなった。倒すべき相手もいなくなって、勇者も廃業。終わりってのは、そういうことだ」


 こいつを倒してしまったらどうなるのか、俺はそれが不安だった。

 言ってみればそれは、変わってしまうことが怖かったのだ。

 お互いの気持ちなんて分かっていたはずなのに、これまでの関係にあぐらをかいて、何もしようとしなかった。

 ああ、確かに敬の言う通りかもしれない。こいつに行動させるまで放っておいた、俺が悪いのだ。


 魔王の両肩を掴む指先に、自然と力がこもる。女らしい、華奢な身体だ。

 顔をしかめて目を逸らそうとしたけれど、そうはさせないと目に力を込め、ぐっと肩を押す。

 そうして、顔を上げた奴と視線が交差したタイミングで、俺は告白した。


「眞子、俺と付き合えよ」


 絶交なんてするか。俺はお前と、これからも一緒にいたいのだ。

 けど、もう幼馴染という友達の枠からは抜け出したい。俺はお前に勝って、その先に進みたいのだ。


「…………つき、あう?」


 俺の言いたいことが伝わったのか怪しくなるくらいに、眞子はきょとんとした顔をしていた。けれど、段々と理解してきたのだろう。見る見るうちに頬を赤くし、目を泳がせ始めた。


「な、なな、なんだよ。どっか遊びか? 買い物か? 何に付き合えばいいんだよ?」

「てめえは……ベタなボケをしなくていいんだよ」


 がくりと項垂れ、半眼で睨む。それはいくらなんでも、あんまりだ。


「茶化すなよ……締まらねえな。じゃあ、分かりやすく言ってやるよ」

「…………ぅ」


 今一度、真剣に、真っ向から、誠心誠意をこめて眞子を見つめる。

 本当に冬かと思う程に全身が熱い。心臓がバカみたいに鳴りっ放しだった。

 なんで、こいつ相手にこんなに緊張してんだと自分を心の中で殴り飛ばしながら、落ち着いた振りをして息を吸う。

 大事なことは、言葉にしなければ伝わらない。

 俺の口、ちゃんと動いてくれよ。


「俺は、お前のことが好きだ。お前と……恋人になりたい」

「~~~~~~ッ!!」


 ゆでだこのような顔などと言う表現があるが、今の眞子の顔がまさにそんな感じだった。肩を掴む俺の手から逃れるように身を捩り、昂ぶった目で俺を睨んでくる。


「こ、こいつ! さらっと恥ずかしいことを言ってんじゃねーよ!!」

「うるせえな! これでもめっちゃ緊張してんだよ!」


 売り言葉に買い言葉で、俺も恥ずかしさを誤魔化すために怒鳴り返していた。


「で……、どうなんだよ。返事は、聞かせてくれないのかよ」


 ここまで言ったのだ。変なボケでスルーなんてさせねえぞ。


「……その前にさ。手、離してくれよ。さっきから……ちょっと痛い」

「あ、あぁ。そうか、悪い」


 不意に神妙な顔となり、眞子が俺の手に触れて言った。何故だか思わずドキリとし、咄嗟に手を離す。

 その一瞬、眞子と目が合ったかと思うと、奴の身体が視界から消えた。

 ぽすん、と胸に軽い衝撃が走る。


「お、おい……?」


 眞子は前のめりになって、頭を預けるようにして俺にもたれかかっていた。


「あぁ……本当だな。すげぇ、ドキドキしてるよ……」


 俺の胸の真ん中に手を添えながらの、優しい呟きが耳に届く。

 視線のすぐ下には、眞子の白いうなじがある。線の細い肩は少し震えているように見えた。

 女の子の柔らかい感触と、髪から香る彼女の匂いに、頭の中が真っ白になりかける。


(こ、こういうときどうすれば!?)


 力強く肩を抱き寄せればいいのか? それとも思い切って腰に手を回して抱き締めるとか!?

 感じたこともないような空気に動転し、わたわたと頼りなく両手が宙をさまよう。まるで考えがまとまらなかった。

 しかし、手が触れる前に眞子は俺から離れた。

 その顔は晴れやかで、憑き物が落ちたみたいにすっきりとしている。白い歯を見せた笑みが眩しかった。


「いいぜ。付き合ってやる」

「ほ、本当か?」

「敗者は絶対服従だからな。仕方ねーだろ。お前こそ、本当にいいのかよ? 別の命令にするなら今の内だかんな」

「しねえよ。つーか、嫌なら断ってもいいんだぞ。無理強いは――」

「嫌だなんていってねえだろ!」


 仕方ないという物言いが引っかって、俺はそう言おうとしたのだが、言い切る前に眞子が激しく言葉を被せてきた。そして、すぐにバツが悪そうに目を伏せ、ぼそぼそと口を動かし始める。


「……嫌じゃ、ねえよ」

「そっか。ならいいんだ」


 その言葉に俺も安心し、やっと緊張も解けて笑うことができた。


「改めて、これからもよろしく頼むわ。あー……、恋人としてな」

「お……おう……」


 差し出した手と俺の顔とを交互に見て、眞子もおずおずと手を伸ばす。そうして、俺たちは握手を交わした。

 絡む細い指をぎゅっと握る。それだけで、何だかよく分からないけれど、強くなれそうな気がした。


「んじゃ、そろそろ帰るか……て、眞子?」


 これ以上は気恥ずかしく、俺が手を離そうとしたときだった。


「――あ、あれ?」


 眞子も自分の異変に気付き、間の抜けた声を出していた。眞子の目の端には丸い雫が浮かび上がり、ぽろぽろと零れだしていたのである。

 頬を伝うそれは、夕日に照らされてキラキラと輝いていた。


「おい、なんで泣いてるんだよ……」


 完全な不意打ちに、再び頭の中がパニックになりかける。こんな状況で女子の涙に遭遇するなんて、初めてのことだった。ましてや、相手は眞子である。


「ちが……あれ……? 安心したら……なんか……くそ……あれ……?」


 眞子は顔を伏せて必死で目元を拭うのだが、涙は一向におさまる様子はなかった。

 そして、とうとう両手で顔を覆い、声を上げて泣き始めた。


(いや……どうすりゃいいんだよ)


 泣かれる理由の検討もつかなかったが、俺が悪いのだろうか……。

 けど、きっと……たぶんそうなんだろうな。

 恋人になって早々、彼女を泣かせるなんてどんな奴だよ、俺は。


「泣くなよ……眞子」


 眞子の肩に手を触れる。びくりと一瞬震えたが、そのまま引き寄せられるままに、華奢な身体は俺の胸にすっぽりと収まっていた。

 さっきは抱き締めるべきかどうかなどと迷っていたのが嘘みたいに、自然と俺は眞子の背中をあやすように叩いていた。

 俺の胸に顔を埋め、静かに泣き声を染み込ませる女の子は驚くほどに大人しく、可愛らしい。


「……悲しくて、泣いてるんじゃないぞ……」


 鼻をすすりながら、眞子の細い腕が俺の背中に回される。かよわい力だったが、それでも俺の心を締め付けるには十分だった。


「嬉しいんだ……。わたしも、ユウのこと……好きだ」


 こんな光景は、たぶん二度とないだろう。泣きじゃくる恋人の小さな告白を忘れぬよう、俺は胸に涙とともに刻み付けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ