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『猫たちの時間』番外編 〜猫たちの時間9〜  作者: segakiyui


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『I believe』

 俺は滝という男が嫌いだ。

 孤児だかなんだか知らないが、明るく正しく生きてるんだという顔をして、へらへら笑っていやがるあの能天気さが嫌いだ。

 ドジで頭も切れねえくせに、何のかんのとうまくいっちまう、あの運の良さとかも嫌いだ。

 あんな奴のどこがいいんだ、と美代子と別れる時に言ってやったら、「あなたにはわからないわ」と言いやがった。5年の付き合いをホゴにしてもいい、私は滝君と友達になるの、だと? お友だち、かよ、聞いて呆れる。そんな可愛い女じゃねえくせに。

 おまけに、滝の奴、今度は朝倉とか言う大金持ちの家に、住み込みアルバイトを見つけたと言う。

 気に入らねえ。

 何もかも気に入らねえ。

 だから、金回りのいい気に入らねえ奴から、少々お余りを巻き上げても、誰からも文句は出ないはずだ。


 ガラン。

 カフェのドアベルが鳴った。顔を上げると、奴がにこにこ笑いながら、こっちへやってきていた。

「やあ…遅れてすまん」

 当たり前だ、人を散々待たせやがって。

 が、俺は同じように笑い返して答えた。

「いや、いいんだ、アルバイト、忙しいんだろ?」

「忙しい……と言うより……わけがわからん」

 滝はアイスコーヒーを注文し、奇妙な顔をした。

「朝倉ってとこで家庭教師をしてるんだが、教えてる奴が変わっててね……いじっぱりで人の気持ちなんかお構いなしの奴で……腹が立つんだ」

「へえ…」

「でも、ほっとけない………これがまずいんだろうな、自分でも思うけど」

 滝は少し溜息をついてから目を上げた。

「で? 用事って?」

「ああ……実は妹が人身事故を起こしてね」

「え」

「保険の方がもひとつ上手くいかなくて、金がいるんだ」

「そりゃ、大変じゃないか」

「ああ……で……言いにくいんだが…」

 俺は一呼吸置いて、思いつめた風に吐き出した。

「…5万……貸してくれないか? 必ず返す」

「5万……か…」

 滝が考え込んで、俺はどきりとした。

 気づいたのか? 

 だが、その心配は無用のものだとすぐわかった。

「……わかった。1週間待てるか? なら、用意するよ。1週間後、同じ時間にここで」

「すまん」

「ああ……じゃ」

 滝が席を立ち、俺はほくそ笑むのを抑えられなかった。

 何というお人好し。疑いもしてねえ。こんなことなら10万ほど吹っ掛けてやるんだった。

 コーヒーを飲み干し、席を立ちかけた俺の肩を叩く奴がいた。

「高木…」

「この前のマージャンの借り、覚えてるだろうな、5万だぜ」

「ああ」

 俺はにやりと笑って答えた。

「耳を揃えて返してやるよ。アテが出来たんだ。但し1週間後、な」

 高木は俺の顔を疑わしそうに見ていたが、最後のことばに眉をひそめた。

「アテ…って…ひょっとして滝か?」

「…聞いてたのか?」

 俺の答えに高木は渋面になった。

「よせよ、お前が滝のこと、恨むのもわかるけど」

 高木は美代子が俺を振ったことを知っている1人だ。

「もう少し待ったっていいぜ。滝から金を都合すんのはやめてやれよ。どうせ返さないつもりだろ」

 こいつは驚いた。金の亡者一歩手前の高木が、借金の期限を伸ばすから、だと? それも滝をかばって?

「悪いかよ。あいつは金回りがいいんだ。おこぼれを少々頂いてもいいだろ」

「金回りいい奴がアルバイト掛け持ちするかよ。滝、3つアルバイトかけてんだぜ」

「え?」

「妙な事情で、週に2000だか3000だかしかもらえないんだとよ。だから、1週間以内の5万なんて…」

「うるせェな! お前は金が返ってくりゃいいんだろ!」

 言い捨てて、俺は立ち上がった。

 そんなバカな。どう考えても5万なんて金、都合できるわけはねえじゃねえか。けれど、滝は1週間後には5万渡すと言い切った。

 面白い、どうする気か見ててやろう。1週間後、もし金が用意出来ていなかったら、その時こそ、あのお人好しの面を引っ剥がして嘲笑ってやる。


 それから、3日後。

 俺はDr.ドナルドのバーガーショップにいる滝を見つけて、思わず身を隠した。

 どういうことだ? この間まで、ここにはいなかったぞ。

 滝は相変わらずのドジぶりで、飲み物を倒し、フライドポテトを零し、店の中を混乱に陥れていた。店長らしいのが泣いたり喚いたりして、滝に付きまとい叱りつけている。その度に滝はへらへらと笑って、ぺこぺこ頭を下げている。

 新しいバイトか? 俺への金のために?

 気になって、滝の知り合いに訊くと、急な入り用のために4つ目のアルバイトを始めたと言う。本気で稼ぐつもりなのか? 俺への金を用立てようとしているのか?

 わかんねえ。

 俺は心で呟いた。

 そんな苦労をして何の得がある。算段がつかなくなった、そう言えば済むことだ。

 わからねえ、どうして他人のためにそんなことをする?

 俺は毎日Dr.ドナルドへ出掛けた。汗まみれになって、あちらこちらへ頭を下げて、決して楽しそうでもない滝のアルバイト姿を物陰から見続けた。

 そうして1週間後、例のカフェで滝がきちんと5万を手渡してくれた時、俺の口から出たのは思っても見なかったことばだった。

「……これ……もういいよ」

「どうして」

「これ……アルバイトしてくれた金だろ? ……毎日…さ……」

 言いながら、心の中に2つの声がぶつかっている。わかんねえ、何でそんなことをしてくれるんだ? わかんねえ、何で俺を疑わねえんだ?

「俺……使えねえよ…」

 気がつくと、俺はうなだれていた。頭の奥に、Dr.ドナルドのカウンターで働いていた滝の姿がチラチラ動く。

「俺…」

「…お前、いい奴だな」

 唐突に滝が言い出して、ぎょっとして顔を上げた。どこか優しい、不思議な笑みを浮かべた滝が、にっと笑って続ける。

「いいんだ、気にすんな」

 ……違うんだ。

 俺は唇まで押し上げたことばを食い止めた。

 俺は『いい奴』じゃない。

「……お前、疑わないのか? ひょっとしたら、俺は単にお前から金をせびったのかも知れないんだぞ」

「でも、お前、返す、と言ったろ?」

「……」

「くれ、とは言わなかったろ」

「……嘘だとは……思わないのか…?」

「さあ……けど、嘘だ嘘だと思ってると、いい加減疲れるだろ? 嘘の下にはもひとつ何かあるかも知れないってことになる。その下にも、もひとつ……そんなこと考えてたら、俺の貧弱な脳味噌はマーボードーフになっちまう」

 滝は大真面目で続けた。

「信じた方が簡単だろ」

 こいつは……バカだ。

 俺は呆気にとられたまま、滝を見ていた。

 信じた方が簡単、だと?

 わかってんのか。そのせいで、お前はしなくていいバイトをして詰られて、挙句にお人好しと嗤われて、………わかってんのか? 大損をしているんだぞ?

「だから、これ、受け取れよ。せっかく都合したんだし、妹さん、大変だろ?」

 妹なんて、とっくの昔に嫁に行ってる。今は田舎でのんびりしてる。お前がやったことは、どこからも誰からも報いられない。

 わかってるのか……滝……?

 俺は口を開いた。美代子の事が頭を過ぎった。お人好し、そう嗤ってやろうとした。が、ことばは俺を裏切った。

「……ありがとう……助かるよ」

 何言ってるんだ、と思った。何が助かるんだ。これはマージャンに使われるだけじゃないか。

 だが、目の前でぱあっと滝の顔がほころんで、俺の口は勝手に先を続けた。

「恩に着る……助かるよ、これで……」

 手を伸ばして茶封筒に触れる。薄っぺらい5万の感触とアルバイトをしていた滝とが胸の中で入り混じり、不意に、ああそうだ、これで俺は助かったんだ、という思いになって広がった。

 俺は滝が嫌いだった。美代子が好きになった滝が嫌いだった。

 けれど一方では、滝の運の良さを羨み、滝を取り巻く空気から自分が外れてしまっているのが苛だたしかった。いい奴だと聞くたび、関わり合っていない自分がじれったかった。美代子が滝に魅かれて俺から離れ、それで滝と否応無く敵対する立場に押しやられて、俺は滝を憎むしかなかった。

「本当に……恩に着る」

「いいよ、そんな………じゃあな」

 滝は照れて立ち上がった。軽く手を振り、去って行く。

「ああ、またな」

 慌てて付け加えた俺のことばに、滝は少し振り返り、開けかけたドアに思い切りぶつかって俺を笑わせ、日射しの中へ出て行った。

 滝の姿を見送って、俺は茶封筒をポケットにねじ込んだ。

 温かかった。

 金持ちだからと言うんじゃない、別の温かさが掌と体に広がった。

 例えば、俺と滝がこの一度しか関わらなくっても、もし俺があいつに助けを求めたら、滝は必ず来てくれる……そんな不思議な確信が胸にあった。

 席を立つ。

 バイトを探そう、そう考えていた。

 バイトを探して、滝に5万、返すんだ。

 この5万円は……。

 服の上から押さえてみる。

 この5万円は、俺の守りにしよう。

 俺には滝という友人がいる、それを忘れないための守りにしよう。

「へへ」

 くすぐったくて嗤ってしまった。

 顔を上げる。

 滝が出て行った日射しの中へ、俺はゆっくり足を踏み出した。


                終わり


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