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『猫たちの時間』番外編 〜猫たちの時間9〜  作者: segakiyui


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『高野25時』(4)

「坊っちゃま…」

「何?」

 打てば響くように返ってくる答えに、高野はことばに詰まった。

 周一郎は知っていたのかもしれない、大悟が決して自分を大切に思って保護してくれたのではない、と言うことを。高野さえも心のどこかで、周一郎を守る、と言うよりは、大悟のめいを生かしたいばかりに、周一郎の世話を焼いていたと言えなくもないことを。そうして結局、周一郎はいつも一人で、誰からも真にその存在を望まれていたのではない、と言うことを。

 だからこうして、自分が崩壊する直前には、再び自分の中へと閉じこもってしまう。高野の介入さえも、真実の理由に気づいているんだよ、と言いたげに哀しく拒否して…。

(大悟様だけではない……結局、私も同じなのだ、坊っちゃまにとっては)

 同じように自己満足の中でしか周一郎を守っていないのだ。

「…もう少しお待ち下さい」

「?」

「必ず、滝様をお連れします」

 高野は吐いた。

 自分では駄目だ。滝でなければ救えない。

「高野が、必ず、お連れします」

「…うん…」

 一瞬、周一郎の瞳に浮かんだ切ないような哀願の色に、高野は一礼し、身を翻した。ドアを開け、見送る周一郎に頷いて、ドアを閉める。

(とにかく、何が何でも滝を捜して…)

 決意に強く唇を噛む。勢い込んで階段を降りかけた矢先に、

「いやー、参った、参った…」

「!!」

 真冬のひまわりでも、これほど脳天気ではあるまいと言うほど明るい声がしてぎょっとした。

「あれ、高野さん、ただいまァ…」

 声の主はいつものジーパン姿で階段の下まで来ると、にこにこ笑いながらひらひら高野に手を振る。

「いやー参ったよォ、帰れなくって…悪いけど、550円貸し……っ!!」

 高野はダッシュした。階段を駆け下り、のそのそ上って来ようとする相手の胸ぐらを引っ捕まえ、抵抗する間もあらばこそ、近くの小部屋に引きずり込み、ドアを閉め、壁へ押し付け……で、怒鳴りつけた。

「滝様!!」

「はいっ」

「一体、今の今まで、どうなさっていたんですかっ!!」

「どうなすってたって…え……いや…あの…」

「今、何時だとお思いですかっ!」

「え…今…えーと…8時…ぐらい…カナ…」

「今日は何日だとお思いなんですっ!!」

「えーと…えーと…えーと…」

「えーとじゃありませんよっ! どこへ行ってらしたんです!」

「あの…」

「坊っちゃまがどれほど…っ」

「…高野」

 背後から冷ややかな声が聞こえて、高野は思わず身を竦めた。相変わらず、胸ぐらを掴まれたままの滝が、にこにこ嬉しそうに報告する。

「あ、ただいま、周一郎」

 沈黙。

 バンムッ!!

「!」「ひえっ!」

 次の瞬間、思い切り派手にドアを閉める音が響き、高野は眉を寄せて目を閉じた。

 一体この状況の難しさを、どう話せばこの男に伝わるものか。

 悩む高野の耳に、ぼそぼそと、しかも如何にも何が何だかわからないと言う響きを宿して、

「え…? あの…あれ…? 高野さん…あいつ、何か、機嫌、悪くない?」

「………………」

 滝の問いかけに、高野は完全に思考を放棄した。


「でもまあ、良かったですよねえ…」

「ああ…」

 岩淵のことばに頷いて、高野は席を立った。1日で百ほど歳をとった気がする。

「坊っちゃまの食器を下げて来る。休んでていいよ」

「はい、おやすみなさい」

 滝が帰りそびれた理由と言うのは、ちょっとした話だった。

 友人と遊びに行って飲みに出た。飲めない酒をかなり呑まされて、帰りの電車を間違えた。終電で終着駅まで行ってしまい、そのまま一晩。次の朝の電車でこちらへ戻ろうとしたら、田舎から出て来た(?)と言う迷子を拾ってしまった。仕方なしに、付近にある家を捜して半日潰れ、昼飯を食べようと思って入った食堂でスリにあった。有り金盗られたと気づいたのが食事の後、夕方までラーメン2杯分の皿洗い、帰りの電車賃を借りてようよう戻ろうとしたら、帰りの駅で電車賃を失くしたというおばあさんに会った。手持ちから幾らか貸して、残ったお金で乗れるところまで乗ったら、その電車に飛び込んだ奴がいて、しばらく運行停止。電車待ちをしているときに、女にフラれた友人と出くわして絡まれ、そのまま一晩、愚痴を聞きに下宿に泊まることになった。翌朝、と言っても目を覚ましたのが昼近く、昼飯を食いに出て、忘れていたレポート課題を思い出し、大学へ取りに帰って納屋教授にとっ捕まり、ようやく脱け出せば今度は宮田に捕まり、と言う具合で、ついに電話も入れられなければ、帰れもしなかったのだと言う。

 夜の10時を過ぎて静まり返った屋敷の中、階段を上がり、周一郎の私室のドアを叩くと応えがあった。

「失礼いたします」

 用意した夜食はきれいに片付いていた。ソファで滝が寝っ転がっている。くうくうと気持ち良さそうな寝息を立て、毛布をかけてもらって熟睡しているようだ。

「高野」

 起こそうとした高野を、周一郎は優しい声で制した。それから、そう言う自分に照れたように、

「ほっといても風邪なんかひかないよ、バカだから」

「坊っちゃま」

「…」

 窘めるのに素知らぬ顔をする。横顔に、今夜は側に居て欲しいのだと読み取った高野は、僅かに微笑んで食器を取り上げた。出て行く前にふと気が付いて、

「坊っちゃま」

「?」

 無言で顔を上げるのに低く言う。

「気持ちは伝えるものですよ」

 高野にしては珍しい諭し口調に、周一郎はどこか淋しそうに笑った。

「…わかってる」


 わかっている。けれど、言えない。

 大切に想うからこそ……誰よりも失いたくないからこそ、伝えて自分を晒け出して、万が一に裏切られた時の痛みが怖い。

(けれど、坊っちゃま)

 23時、屋敷の中を見回りながら、高野は考える。

 大悟が死んだ時、あの直前、自分は大悟に魅かれていた、と……大悟のめいは何があっても守ってみせると伝えていたならば、自分と大悟の距離はもう少し違っていただろうか。執事と主人、と言う枠を越えて。より何か近しい友人、として。

 24時。高野は大悟の書斎の前に立った。大悟の生存中、ついに高野は滝のように『私用』でここに入ることはなかった。大悟もそれを勧めなかった。夜の巡視の終わりに、高野はいつもここで足を止める。けれども死者は蘇らない。そうして、高野に許可を与えてはくれない。

 人生を重ねるに従って、高野には、それがどれほど大きな悔いになって来るのか、よくわかる。

 繋げる想いが全てなのだ。懸ける気持ちが唯一未来を約束し、過去を許してくれるのだ。

 だからこそ人は、その最後のためー他の誰でもない、己の安らかな最後のためにー心を伝えなくてはならないのだ。

(ですから、坊っちゃま)

 高野はゆっくり向きを変えて、自室へ向かった。

 滝を失ってしまう周一郎の痛みを、自分が大悟を逝かせてしまった時の痛みに重ねて、高野は周一郎に伝えようと思う。

 それこそ、他の誰でもない、高野の、この行き場のない真夜中の傷みを癒すために。


                                     終わり


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