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『猫たちの時間』番外編 〜猫たちの時間9〜  作者: segakiyui


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『高野25時』(3)

 大悟が周一郎を朝倉家へ連れ帰って来た時、高野は少年の行儀の良さに驚いた。

 施設暮らしの五、六歳の少年と聞いて想像していたのは、やんちゃで人を食った、どこか大人びているくせに我儘な手に負えない子どもと言うイメージだったのに、大悟の隣に立つ少年は、身につけているものこそ質素だったが、生まれ持ってでもいるような品の良さと落ち着きをたたえていたからだ。

 深く澄んだ黒曜石のような瞳が、静かに動いて高野を捉える。

 瞬間、高野は悟った。

 この少年は品が良く落ち着いている、のではない。そう、見せているのだ。

 おそらくは、高野がそうあってほしいと望んだように、その幻を体に映して見せているのだ。

 黒の瞳が一瞬きらめき、続いて『にこり』と音を立てたように笑って、ますます高野に不信感を引き起こした。高野の警戒心を察して、無害さを強調したとしか取れないほどの、ひどく薄っぺらな親愛の情の見せ方だった。

 その夜、高野は大悟に呼ばれ、周一郎をどう思うかと問われた。返事に窮していると、大悟はにやりと笑って「奇妙な子ども、だろう?」と言い放った。

「こちらの心を見透かしているような……それに自分を合わせているような……得体の知れない…」

「はい」

 高野は頷いた。

「どう言う育ち方をしてきた子どもだろうと考えているんだろう、高野。本当に『あれ』は五、六歳の子どもなのか、と。見えている通りの子どもなのか、と」

「…はい」

 ぴたりと言い当てられて、高野は大悟を見つめ返した。その眼を臆することなく受け止めた大悟は、笑みを消してひどく真面目な顔になった。

「…誰からも生きていることを望まれなかった子供さ、高野。周囲の否定と悪意の中で生き延びてきた。そのためにああ言う術も要ったのさ。ただ、その術さえ幼くて、周囲には不気味な子どもとしか取られない。少し鋭い人間なら敬遠する……何かしら、自分に悪影響を与えそうで、な。自分の心の汚さ、醜さまで、映しそうで、な。実際、あいつに平然と対応出来るのは、よほど自分の汚さに鈍感か、それとも自分の汚さを知り尽くしているか、あるいは全く汚れのない…天使みたいな人間だけだろう。周一郎は良くも悪くも、人の全てを映して見せてしまう……今は、な。そのうちに、うまいごまかし方を覚えるだろう……人の弱みも汚さも見透かしながら、表には見せずに人を操るぐらいには…」

「…まるで…あの子はあなた様の人形か犬のようでございますね」

 つい、高野の口を突いた皮肉にも、大悟は動じなかった。

「当たり前だ。無駄なものを身近に置くつもりは無い。…あの才能ももちろんだが、あれを引き取ったのは、あの不信感だ。あれは周囲の誰も信じていない。どんな甘言も、あれには意味がない。仮にも、朝倉家に入る人間。そうそう人の口車に乗ってしまう奴では困る」

 あれ。

 あれ、か。

 周一郎を自分の計画のための駒の一つとしか考えていない口調に、高野はいつもの微かな反発を感じた。

 それではあの子はあんな幼い時から、周囲の全てを敵にして生きていればいいとおっしゃるのですか。それでは、あの子の人生はどう言うものになるのですか。

 含んだことばを大悟は気付いたらしい。再び不敵な笑みを見せ、

「不満そうだな、高野」

「…何でも映すとおっしゃいましたね。……大悟様は、あの子の前に立つのが…」

「苦痛だとでも? 言っただろう、あいつの前に立てるのは天使か悪魔だ、と。自分の汚さぐらい知っている。映されて今更困るものでもない」

 言い捨てられて吐息をつく。

 確かに昔からそうだった。朝倉大悟の価値観は、少年の頃より揺らぐことがない。

 自分の意思を貫くことが全てだ。そして、その意思は朝倉家存続を強く望んでいる。

「世話を頼む」

「はい」

 頭を下げて、高野はその場を下がった。

 大悟と初めて逢った時から、なぜか強烈に魅かれた。自分より遥かに年下のこの男に、いつも反発しながら魅かれていた。

 それが大悟の、自分の汚さを知りながら豪胆に策を進めて行く悪の王者としてのふてぶてしさに魅かれていたと気づいたのは、皮肉なことに大悟を失う直前のことだった。

 その日、高野は大悟と少しやりあった。大悟の女遊びと、新しく家に入れた若子夫人に関する忠告、周一郎に対する慈悲ない扱いのことについてだった。

 もちろん、大悟が自分を曲げるわけもなく、高野もいつものように自分を掛けてまでは押し切れず、互いに気まずいままにその場を別れた。良い主ではあるのだが…と溜め息混じりに考えていた時に、大悟の訃報が入った。

 まさか。

 悲嘆より、その想いの方が強かった。

 あれほど大胆で隙のない、鋭い頭脳と素晴らしい行動力とたじろがぬ決断力とが、チンピラヤクザに奪われたということがどうしても信じられなかった。

 呆然と立ち竦む頭の奥で、初めて朝倉家へ来た時のこと、大悟と逢った時のこと、それから共に暮らしてきた数十年が、霞みながら波打ちながら、どこかへ滑り落ちていっていた。そんな、馬鹿な。口の中で繰り返していた。今朝、いつものように少しやりあったところじゃないか。いつものように聞いてもらえず、執事としての血筋の性なのか、不承不承、結局は言を引いてきたところじゃないか。

 そんな、馬鹿な。

 陽炎のように辺りが揺らめいて、倒れるかと思った瞬間、視界の端に周一郎の姿が入った。

 初めて見る、凍てついていてきつい、恐怖の表情だった。ただでさえ白い頬が、青く見えるほど色を失っている。噛みしめていない唇、なのに血の気がない。サングラスの奥の瞳はまっすぐ見開かれていて、身じろぎもせず立つ姿は、痛いほど孤独だった。

 怯えている……その感覚が高野を我に返らせた。

 自分の感情をついぞ見せたことのないこの少年が、今、全身で怯えている。

 大悟を失った今、この少年には何が残されているだろう。周一郎の世話を頼む、そう言い渡されたあの日がくっきりと鮮やかに蘇ってくる。

 高野はゆっくりと歩み寄った。周一郎がこちらを振り向く。屠殺場へ連れていかれる獣のように、どこか狂ったようなぼんやりとした瞳が、高野を認めて僅かに揺らいだ。

「坊っちゃま」

 声をかけて、肩を抱え込んだ。抵抗せずに、周一郎はじっとしている。それをそっと私室へ押しやりながら、高野は声を励ました。

「大丈夫です。高野がおります」

「…」

 周一郎が微かに頷く。その肩をなおもしっかりと抱えて、高野は階段を上がって行きながら、心の中で繰り返していた。

(大悟様…高野がおります。必ず、坊っちゃまをお守りいたします)


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