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『猫たちの時間』番外編 〜猫たちの時間9〜  作者: segakiyui


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『高野25時』(2)

 朝倉家ほどの邸を管理し、動かし、整えるのは並大抵のことではない。邸そのものや広大な庭、数々の防災設備(もちろん、それには『人災』も入る)などの物質的なものは無論、それらの中を動き回り、使い、整備する人間という因子は、高野の知っている限り、最も扱いの困難な類に入る。

 掃除、洗濯、調理などを扱う家政部門、庭や邸などの整備・補修部門、携わる人間を把握し管理する人事部門、加えて朝倉家には周一郎と言う特殊な才能を持った、しかもまだ年若い当主を保護し隠す部門が存在する。

 最後の部門に属するのは、いまでは高野、岩淵と、命令を受けて働く直々の部下数名に限られている。が、それが果たす役割こそが朝倉家の存在する理由として最大最終的なものである、高野はそのように大悟に指示されている。『朝倉の主人を守護せよ』とは父の遺言だったが、大悟が命じたのは『周一郎を守護せよ』ということだった。それこそ、自分の命よりも。

 従って、最後の部門は全ての部門の上に君臨した。

「おはようございます!」

「おはよう」

 広間に集まった人間を一渡り見回し、高野は頷いた。

 すっ、と幾人かの男女が歩み出る。各々の責任者になっている者で、毎朝のミーティングで状況報告を行い、高野の指示を受ける。一人一人の報告を受け、指示を与える。指示を受けたところから毎日の仕事に入って行く。

 最後の一人に指示を与え終わると、高野は側にいた岩淵に低く囁いた。

「庭師の中に新しい顔がいる。調べておいてくれ」

「はい」

 頷いた岩淵が離れるのを背中で感じた。

 報告が来たのは30分後で、特に問題はなさそうだと言う。渡された資料を確認してから、高野は顔と経歴を頭に叩き込んだ。

 人間に関する最終責任は全て高野にある。万が一にでも問題が起こるような事態があってはならない。特に今の周一郎は、自分の生命を守ろうと言う意思がなくなっている。今狙われれば、ひとたまりもない。

 考え込んでいると、時計が10時を打った。

 食堂へ戻り、用意されていた軽食とコーヒーを手に、ゆっくりと二階へ上がる。周一郎の部屋の前に立ち止まり、軽くノックをする。

「坊っちゃま、お茶をお持ちしました」

「入っていい」

「失礼いたします」

 ドアの向こうには、依然机についている周一郎の姿があった。ちらりと高野を疎ましげに見たが、既に軽食が用意されている上に、早々に高野がコーヒーを注ぎ出したのに、仕方なさそうに書類を閉じ、カップを手に取る。

 最高の豆を使っている。不味いはずはないのだが、周一郎は胃薬でも吞み下すように、中身を口に流し込んだ。サンドイッチを一切れ、それで手を休ませる。

「ありがとう……もう…いい」

「…もう少しお召し上がりには…」

「いや…昼も…いい」

「でしたら、なおのこと、もう一切れ、お召し上がり下さい」

 断固とした高野の口調に、周一郎は渋々サンドイッチを手に取った。一口、二口……そこで電話が鳴った。高野より素早く、周一郎が受話器を取る。

「はい…朝倉です」

 淡々とした声で応じる。黒い瞳が一瞬輝き、次の一瞬、暗く澱んだ。

「いえ…はい………はい…そう伝えます。…ありがとう」

「坊っちゃま…?」

 受話器を置いた周一郎が高野を見上げた。蒼白になった顔に、二つの目が嵌め込んだ物のように生気がない。

「滝さんを誘った友人からだ。帰ったら電話をくれると言っていたのに連絡がない、どうしたのか、と尋ねて来た」

 何もかも凍てついた表情だった。

「高野……朝倉家の情報網を動かせ」

 すうっと周一郎の頬に血の朱みがさす。

「もう…待てない!」

 吐くように叫んだ周一郎に高野は無言で頭を下げ。足早に部屋を出た。

 

 数時間は瞬く間にすぎた。

 13時の屋敷内の見回りは岩淵に任せ、15時のお茶も抜き、高野は情報網を動かし続けた。

 周一郎は17時過ぎに倒れた。二日近く、ほとんど何も口に入っていない。当然と言えば当然なだけに、滝に関する情報の足りなさが苛立たしかった。

 岩淵に他の者の夕食の手配をさせ、高野はポタージュ・スープとパン、肉と野菜の煮込みを少々準備して周一郎の部屋へ向かった。何が何でもこれだけは胃に収めてもらう。入らないうちは部屋を出ないつもりだった。

 一応ノックをし、少し待ってからドアを開けて滑り込む。続きの寝室へ入って行くと、ほの明るい間接照明のみの部屋の中、横になった周一郎がやはり目を開いていた。

「夕食をお持ちしました」

「…」

 高野の声に退かぬつもりを感じたのだろう、周一郎はのろのろと体を起こした。

 側に居るはずのルトがいない。情報網だけに頼り切れず、暮れかけた街を滝の姿を求めて走らせているのだろう。

 普段それほどの滝への思い入れを露ほども見せないだけに、こうした時に追い詰められて行く周一郎は目も当てられなかった。今にも崩れ落ちそうな体を不安と緊張だけが保たせている。

「どうぞ」

 枕元へ置いた盆の皿に添えられたスプーンを、周一郎は異様なほどの素直さで手に取った。どこかぎごちない動作で皿を持ち上げ、中身を掬って口に運ぶ。熱いはずだが、そのまま口を閉じ飲み下した。中身がなくなると、煮込みも同様に口に運び、パンは合間に詰め込んだ。

 食べ終わると、周一郎は淡々とした声音で尋ねた。

「滝さんの情報は?」

「…」

「まだ入らないか」

 こちらを見つめる周一郎の瞳が、不意ににこりと緩んで、高野はぞっとした。

「ありがとう、高野。ごちそうさま。おいしかった」

 続いた幼い声に、ますます背筋が縮まる。『これ』は周一郎ではない、とどこかで呟く声が聞こえる。心を閉ざし、感情の波を殺し、表情と口先、見せかけだけで人を操る…。

(いや)

 そこまで考えて、高野は気づいた。

(違う…それが坊っちゃまが朝倉周一郎たる所以、と大悟様はおっしゃっていた……)


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