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『猫たちの時間』番外編 〜猫たちの時間9〜  作者: segakiyui


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23/48

『午前2時』3.テレフォン(1)

 リンッ。

 鋭い音で鳴った電話を耳に当てる。

「はい、朝倉ですが」

 いつもなら高野が出るところだが、巡視に行ってでもいるのか、俺の方が早かった。

『あの…もしもし…朝倉さんですか?』

 控えめな声が届く。

「はあ」

『あの…そちらに…滝志郎って言う人…いますか?』

 俺あてか。高野に迷惑かけなくてよかった。

「あ、俺ですけど」

 キャアアッ!

「っ」

 けたたましい歓声が受話器の向こうから響いて、ぎょっとして身を引いた。

 奇妙な気配に気づいたのだろう、周一郎が不思議そうに見つめてくる。引きつり笑いを返して、恐る恐るもう一度受話器を耳に当てた。

『…でしょ、だからさ、来ない?』

「は?」

 中途半端に聞こえた相手のことばを聞き返す。

『だからね、今パーティしてるの。駅前の「ヴァレンタイン」知ってるでしょ? 来ない?』

「え、あ…」

 どうにも内容が飲み込めず瞬く。時計は午前0時22分を指している。真夜中のパーティだって? 何のパーティだ? そもそも、なんで俺を誘う?

「あ、あのさ」

 受話器の向こうで返事を待ちかねているのをひしひし感じながら、しどろもどろに答える。

「その、つまり、君、誰?」

『キャアアアッ!』

「っっっ」

 再び上がった凄まじい嬌声に頭の中ががらがらと崩れた。ただでさえ短絡しやすいあちこちの回路を容赦なくぶった切っていく声だ。

『君、だってえ! 君だってよ、あの滝くんが!!』

 どっと笑い声が後追いする。

「あの」

『噓みたい!』『気取っちゃってえ!』『わかんないの?!』

「ちょっと」

『そうみたい!』『あははは、かわいそー!』

「その」

『代わって! あたしも聞いてみたい!』『あん、ちょっと待ってってば!』

「俺は」

『きゃはははっ!!』『やだーっ!』

「聞けってえのに!!」

 ついに電話口で喚いた。

 どこのどいつか知らないが、良い子はちゃんとオネンネしてる時間なんだぞ。そもそも一方的に話を聞かせるのは拡声器で、電話じゃねえだろ。

 さすがに受話器の向こうが静まり返る。

 ようやく俺の怒りが伝わったかと思った次の一瞬、

『きゃあっ! 滝くんが怒鳴ったあ!』

 頓狂な声が応じた。続いてきゃあきゃあきゃあきゃあと、こっちの耳への被害も御構いなしのはしゃぎ声が延々と続く。いい加減受話器を叩きつけてやろうと思ったが、休んでいる周一郎を心配させたくなくて、むずむずする気持ちをかろうじて抑える。

「もしもし」

『きゃあきゃあきゃあきゃあ』

「…も、し、も、し」

 声を精一杯低めてドスを効かせた。部分テレポートでもできると、こういう時に指先だけテレポートさせて、近くの電話機コードなぞを首に巻きつけてやれるのだが、残念なことに俺は超能力者じゃない。

『はあいっ』

 突然明るく軽い声が響いた。

『ねえ滝くん、ほんとにわかんないの?』

「ああ」

『うっそー』

「…」

『わかるわよ、ねえ、考えて、あたしが誰だか当てて?』

 だめだもう限界だ。

「…悪いけど、病人がいるから」

 溜め息混じりに言い捨てて、終わらないなぞなぞ遊びにケリをつけようとする。

『あ、待って、切らないで』

 ぴくんと指が勝手に動くのを止めた。これだけ馬鹿にされてまだ女の懇願を聞くなんて、俺は前世からよっぽど女に飢えていたに違いない。

『あたし、良子です』

「へ?」

 名乗られて戸惑った。

『だから、良子。木沼良子』

「? …あーっ!」

 思い出した。

『わかったあ? そう、今ね、山根さんも一緒なの、だから「ヴァレンタイン」来ませんか?」

 ガチャン!

 無邪気なお誘いを派手に断ち切ってやった。欲求不満を解消して、ほっとする。

 そりゃあ確かに俺はモテる男ではないが、それなりのプライドもあるのだ……一応米粒大の奴が。

「…ふぅ」

 溜め息をついてなんとなく周一郎の方をみると、物問いたげにこちらを見ている。

「誰…なんですか?」

 掠れた声で尋ねてきた。珍しい。

「ああ、うん」

 こんな時に素直な関心など寄せなくていいんだが。

 答えあぐねて口ごもる。顔が少し熱い。

「その、今の電話はさ」

 もそもそと椅子に戻り、上目遣いに周一郎を見ながら顛末を話す。興味深そうに聞いていた周一郎は、くすくすと小さな笑い声を立てた。

「なんだよ」

「いえ、あなたらしいなと思って」

「どーせ俺は金の縁取り付きのアホだよ」

 周一郎はくすくす笑いを止めない。熱の加減か、妙に人懐こい。

「ほらもう、病人は大人しく寝てろって!」

 照れ隠しに叱った俺の本心を見抜いたような表情の相手から、いささか乱暴にタオルを剥ぎ取る。水に浸し、固めに絞って載せる。氷枕があれば一番良かったんだがなあ、とぼやいていると、周一郎はまだ笑みをにじませている。

「あのなあ」

「すみません」

「わかった、認める、俺はアホだ、現実認識に欠けている。もう十分わかったから……こら、止めろって。マジに不安になるだろ、俺に女の子っていうのは永遠に縁がないかもしれない、とか」

「……」

「周一郎!」

 堪えきれなかったのだろう、再び小さく笑い始めた周一郎の頭を、軽く叩いた。

「笑いすぎると熱が上がるそ」

「…泣きすぎると…じゃなかったですか?」

「俺の地方じゃ、笑いすぎると、なんだっ」

 周一郎はベッドに埋まり込んだまま、俺の弁解を楽しげに聞いている。

 そーか、こいつは熱があると笑い上戸になるのか。

「っんとに、わざわざ電話してくるなって言うんだ」

 そんなことをしなくとも、十分落ち込んだ。

「電話、か」

 ふっと脈絡もなく高三の頃の出来事が蘇った。ぼんやり呟いた俺に、ようやくいつもの落ち着いた気配に戻った周一郎が、意味を問うように目で促してくる。

「ああ、その…高三の頃なんだが」

 俺は肩を竦めて見せて、話し出した。

 高三の頃。

 俺はその頃大学へ行きたくて、ある奨学金を受けるべく、資格試験を受けたことがあった。

 本来なら高校を出られるだけでも良しとしなくてはならないのだろうが、もう一度だけ、自分の運を試して見たかった。

 その奨学金というのは、ある私的な福祉団体のバックアップによるもので、好成績は残せなくとも真面目に通い続けるのなら、四年制大学を終えるまでの費用を持ってくれようというものだった。何よりもありがたかったのは、単に学業成績で対象が選ばれるのではなく、面接後、その団体の審査員によって将来の見込みあり、と判断された者が選ばれるというところだった。

 もちろん、受かるという保証はほんの少しもなかったが、俺達の居た施設では大学までの援助は望めないし、高校を出れば就職して、社会人として自分の未来をひっつかむことが当たり前だ。

 俺と同い年で同じ高校に通っていたヤコは、すでに声楽の素質を認められ、別の団体のバックアップを受けることが決まっていた。たとえ何一つ才能がなくとも、俺は俺で、何とか世に出て行く伝手を得なければならなかった。

 結果が連絡されて来る予定の日、俺と仲間は施設の居間で、定位置の棚からわざわざ机の上に移した電話とにらめっこしていた。

 昼の二時までに連絡がなければ、駄目だったと思ってくれ。

 そう説明されていたし、その時既に一時半を回っていたとなれば、にらめっこにもなろうというものだ。

 ジリリリ…。

 ふいに電話は鋭いベルの音を響かせた。どきりとして一瞬身を竦ませた俺とは対照的に、ヤコがとっさに受話器を取った。耳に当て、ゆっくり一言、

「はい、中樹児童養護施設ですが」

 唾を呑む俺達の前で、ヤコはさらっとした黒髪を掻き上げた。それから一瞬不安そうに瞳を曇らせ、しばらく押し黙っていた。

「…ヤコ」

 高二のトシユキが声をかける。小二のハルコが、ねえ、とヤコの制服のスカートを引っ張る。周囲を次々に見回していったヤコは、最後に俺に目を留めた。ためらいと不安と、ひどく辛そうな表情になって、くるりと背を向ける。

 ヤコ? 

 尋ねかけた俺の声は口の中に残った。

「…はい? …いいえ、違います」

 ヤコは妙に乾いた声で答えると、チン、と高く音を鳴らして受話器を置いた。その突き放すような後ろ姿は、今でも俺の目に焼き付いている。それから、その向こうから聞こえてきた声も。

「…間違いだった」

 ほう、と俺達は溜め息を吐いた。緊張が解ける。

「…そうか」

「ねえ、ヤコ姉ちゃん、どうだったの、どうだったの」

 ハルコがヤコに問いかけるのに、ゆっくりと振り返ったヤコは思い詰めたような表情でハルコをじっと見つめていた。それから静かに、

「間違いだったの」

 言い切った。

 そして、それから後、電話はかかってこなかった。


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