『人間たちの夜』5.抜いて抜かれて大騒ぎ(2)
ばこっ!
「うあっ!」
ようやく外れたペンダントトップが指から滑り落ちた。後頭部を思い切り殴られて蹲る耳に、きんきんとチンピラの声が響く。
「兄貴! やりましたぜ!」
「よしでかした! おう、見ろよ、この大きさ!」
「つ、うう…っ」
はしゃぐ二人は頭を抱えて倒れこんだ俺に気が向いていない。目の前には無防備にさらされた両足がある。
「…こ、の……っ!」「わ!」「おわ!」
手を伸ばして足首を掴み、思い切り引っ張った。ひっくり返る二人の手から光を受けて宝石が飛ぶ。待ち構えていたかのように、ルトがひらりと空中に跳ね飛び、カプリとペンダントトップを咥えて体を捻り、鮮やかに窓から飛び出して行く。
「しまった!」「わあっ!」
飛び出そうとして跳ね起きたチンピラが、戸に駆け寄った瞬間、外から突っ込んできた塊に吹っ飛ばされた。
「ここに居たぞ!」「御用だ!」
御用って何だいつの時代だ。
突っ込む間もなく、どやどやと飛び込んできた警官が、床に転がっている俺に次々と飛びかかってくる。その隙に赤シャツチンピラが警官隊をすり抜けて外へ飛び出して行く。
「違っ」「神妙にしろ!」「お上にもお慈悲はある!」「あいつだって!」「まだ言うか犯罪者!」「まだ誤魔化すか卑怯者!」
どさどさのし掛かられて息が詰まりかけた。これでおしまいかと思った矢先、外でも別の怒声が響き渡る。
「その猫を離せ!」「こっちも要るんだ!」
仁木田と赤シャツがぶつかったらしい。
「離せよ離せってば! 俺はルトを捕まえたいんだーっ!」
俺は警官数人の下敷きになりながら喚いた。よっぽど俺は警察に恨まれているらしい。
「仁木田君! 娘を放してくれ!」
納屋教授の声が重なる。
「あんたが悪いんだ! 母は恨んで死んだぜ!」
仁木田の声か、ちょっとハスキーな若い声が怒鳴り返した。
「お父さん! 本当なの? この人、私のお兄さんなの?!」
金切り声が加わる。美和子のものらしい。
「何を言う! 私は知らない!」
「嘘をつけ! 母は死ぬ前に言ったんだ、お前の父さんはK市に住むナヤジュンイチだとな! お前の母親が産婆だった、その時の出生証明書がこいつに入ってるんだ!」
「誤解だ、私はナヤじゃない!」
「お父さん、ひどいわ! 私信じてたのに!!」
けたたましい喚き合いにもう一つ声が加わる。
「へっ、いただき!」
「あっ!」
赤シャツの声のようだ。ルトを掴んだのだろう。
「返せっ、返してくれ! 唯一、それがオレの証なんだ!!」
仁木田の声が悲壮に響く。
「わかっただろ、どけよ!」
俺は上に乗っている警官に怒鳴った。
「し、しかし」「だ、だが」
「あのなあっ」
顔を見合わせる相手を睨んでいると、再び窓の外で罵声が響いた。
「仁木田っ!」
「仁木田君!」
「お父さんっ!」
どうやら仁木田が娘を連れて、再び赤シャツを追いかけ出したらしい。
「もう…っ、何とかしてくれよ!!」
俺が喚いた途端、ばんっ、と荒々しく戸を開け放ったのは厚木警部、場の状況を一目見るなり一括した。
「お前ら何をしてるっ! 犯人は仁木田だ!!」
「はっ、はい警部!」「はっ!」
慌ててやっと俺の上から退いてくれたものの、中に腹立ち紛れに俺の腹を蹴っていく奴がいて、俺は警視庁の人間でも奴らの直属上司でもないが、日本警察の未来が不安になった。
「…何度もすまないな」
「それですみゃ、『医者』は要りませんよっ! 周一郎が元に戻らなかったら引き受けてくれるんですか?!」
跳ね起きて走り出しながらぶちまけると、隣を走りながら警部は一言冷静に応じた。
「それはない」
こっちもないわい。
怒鳴ってやりたかったが、揉めている間に一歩でも早く先に進みたかったので、睨みつけるだけで仁木田を追う。俺と厚木警部の前に警官隊、その前に納屋教授、そのまた前に仁木田と美和子、一番先端にルトを小脇に抱えた赤シャツとチンピラが走っている。
「あつっ!」
と、先頭の赤シャツがいきなり悲鳴をあげてルトを放り出した。もちろんそうだ、ルトが大人しく人間なんかに抱えられているはずもないから、噛みつかれでもしたのだろう。猫族の特性、放り出されたルトはくるくると舞って器用に地面に飛び降りたが、宝石の方はきらきら光って中空へ弾かれ、どよめきの中で仁木田の手に収まった。




