『人間たちの夜』4.付き合いはほどほどに(1)
「う~~」
俺は唸りながら歩いていた。頭はポップコーンのまんまだし、体は納豆だし、辺りは暗いし、懐中電灯は切れてるし。せめてこの上、お由宇の家に宮田がとぐろを巻いていないことだけが望みだ。
この騒ぎが始まって、今日でもう七日目にもなる。
『滝さん?』
夕食の場面が頭を過る。
席を立った俺に周一郎は不審げな瞳を向けてきた。俺は食後のコーヒーカップに触れている唇にどうしても目が行くのをかろうじて抑えて、ぶっきらぼうに唸った。
「ちょっとお由宇の所へ行ってくる。あいつなら名谷の行きそうな所ぐらい、わかるだろ」
半分は口実で、要は周一郎の視線を避けあぐねたのだ。
「そうですね……でも、僕だって、ルトの行き先ぐらいわかりますよ」
挑戦的な物言いにぞっとした。や・ば・い。また薬の効力が上がってきたようだ。
慌てて立ち上がり、席を飛び離れる。
「わ、わかる、その気持ちはよくわかる。ルトが心配だよな、うん、だからお前は、俺が帰るまでに、ルトがどの辺りにいるか、「見といて」くれ、じゃ、すぐ、うん、すぐ戻るからなっ」
ばたばたと玄関へ向かった俺は、靴を引っ掛け飛び出そうとし、引っ掛け損ねて目一杯つんのめった。
「ぐえ!」
「滝さん!」
「だ、大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だから触るな」
「だって…」
うろたえて起き上がる俺に、心配そうに周一郎が近づいてくる。再び薄く開いた口元に無意識に視線が止まった。形のいい、薄いピンクの、あれが昼間俺にちゅ、っと…。
「!!!」
跳ね起きた。ダメだダメだダメだ。世の中全部崩れてきたような気がした。甘えてくれるのは嬉しい。弟ができたようなもので、実に嬉しい、だが、けど、しかし、ああ。
「意味が違うんだ!!」
昇ってきた月に吠えてしまった。
我に返ると数メートル先にいた女子が不安そうにこちらを盗み見し、次第次第に急ぎ足になっていく。体全体で『俺が痴漢か危険人物だと確定しました』と言っている。
もう弁解する気力も湧かない。
「…前の大家……入れてくれるかなあ……」
ボソボソとごちた。
解毒剤がなかったら? ずっと『あのまま』なんだろうか、周一郎は?
「冗談じゃないぞ!」
「何が」
「どあっ」
ふいに響いた声に飛び退った。
いつの間にそこにいたのか、お由宇がきょとんとした顔でこちらを見ている。
「え、あ、わーははは」
おかしくもない引きつり笑いをした。ぼやき悩み罵っているうちに、お由宇の家に着いていたらしい。
「何か用なんでしょ?」
「う、うん」
頷きながら入口を透かし見る。
人のいる気配はない。
思わず安堵の溜息がでた。これ以上、ネジのぶっ飛んだお由宇の姿を見せられていたら、おそらくはそのお由宇の側に居るはずの宮田を、地獄ツアーに招待しかねない。
「入って。すぐにコーヒー淹れるわ」
恐る恐るお由宇の家に入り、いつもの居間に陣取って、やっと深呼吸できた。
生まれてから、これほど息苦しい状況になったのは初めてじゃないだろうか。
お由宇のことじゃない、周一郎のことだ。
なまじ弟扱いしてしまうのが、あいつにとって格好の理由になってしまってるんだろうが、気分が悪いと言ってくりゃ、放っておくわけにもいかない。妖しい展開になるのを薄々わかっていながら、ぐずぐずと周一郎から離れない俺も、随分おめでたい男には違いない。
「はい」
差し出されたコーヒーを受け取る。香り高い芳しい湯気を吸い込み、それでも腹の底に宮田への怒りが渦巻いて消えそうもない。
ああそうだ、全て宮田が悪い。諸悪の根源じゃないのか、あいつは本当に人間か。
「そのカップいいでしょ」
「ん」
万が一宮田を捕まえたら、どうしてくれようか。三日三晩逆さ吊り? いや甘いな、そんなことで人類を外れたやつに仕置になるとは思えないぞ。
「色といい、形といい」
「ん」
あいつが一番苦しむのはなんだ? 一番これだけはやめてほしいと考えるのは何だ?
「本当に素敵でしょ」
「ん」
「宮田さんから貰ったの」
俺はまともに中身を吹いた。




