EX06-1. アイドルとスラッガー
とある金曜日の朝、紀香は寮生組と一緒に朝練に向かったのだが、
「そぉぉぉぉぉぉぃぃぃッ!!」
「なっ、何だ!?」
グラウンドでソフトボール部員でない者が奇声を上げて、フェンスめがけてボールを投げつけている。その正体は学園の誰もが知っていた。
「みっ、美滝百合葉!」
「あっ、おはようございまーすッ!!」
美滝百合葉は、体育会系もびっくりの大声で挨拶してきた。
彼女は現在目下売り出し中の現役アイドルであり、天寿のCMに出演した縁で伊ヶ崎波奈理事長が自ら誘い入学させたと言われている。つまりは特待生中の特待生である。
つい昨晩も紀香の父、義紀と一緒にバラエティ番組「VS疾風」に出演していたばかりだ。
「下村紀香先輩ですねっ!」
百合葉は駆け寄ってきた。が、なぜか紀香の横にいる有原はじめの方に向かった。
「紀香先輩のことは義紀さんから聞いています! 一度会ってお話したいと思ってました!」
「あの、下村紀香はこっちの方なんだけど……」
はじめは紀香を手で指し示した。
「わわっ、また間違っちゃった!? ごめんなさい! 改めまして下村紀香先輩、お会いしたかったですっ!」
「お、おう、はじめましてだな」
自身より大きな声で迫られて、さすがの紀香もたじろぐ程であった。紀香は百合葉のアイドル活動についてはあまり良く知らないものの、ライブ中にマイクを破壊したという噂は聞いたことがあった。確かにこの地声の大きさなら、本気を出せばマイクの一つや二つぐらいオシャカにしそうだ。
「おざまーすっ!」
もう一人駆け寄ってきた。彼女は貴伝名瞳という新入部員で、そういう立場だから先輩よりも早くグラウンドに入っていた。
「おい瞳、なんでこの子が練習してるんだ?」
「スンマセン、ゆりりんがどうしても練習したいって言うんで道具貸してあげたんス。昨日の『VS疾風』見ました?」
「あ。あーあー。なるほどなー」
番組には「ピッチングスナイパー」というアトラクションがある。ベルトコンベアを流れてくるターゲットにボールをぶつけて落とすゲームだが、昨晩の百合葉は大暴投をやらかして疾風のリーダー、中野に直撃させてしまったのだ。大珍プレーにロビーでテレビを見ていた紀香たちは大爆笑して、寮長から苦情がきたぐらいであった。もっとも、その前に義紀も元プロ野球選手とは思えないお粗末なプレーを見せてしまい娘に呆れられたものだが……。
「そういうわけでまともに投げれるようになりたくて、クラスメートの瞳ちゃんに無理を言いました。すみません」
「いや、その心がけは立派だ! あたしも父ちゃんから百合葉のこと聞いてたし、会ってみたいなと思ってたんだ。ちょうどいい、この下村紀香様が投げ方をコーチしてあげよう」
「あっ、ありがとうございますッ!」
「クラスの連中にも『紀香さんが親切丁寧に教えてくれた』ってちゃんと言うんだぞ」
「はいっ!」
はじめが紀香の赤ジャージの袖を引っ張ったが、紀香は「良いんだ」と返した。
「お前だって聞いてるだろ、一部であたしが百合葉のことを嫌ってるって根も葉もない噂流れてるの。そうじゃないってことを本人の口からアピールさせるんだよ」
そう小声で伝えたら、はじめは「なるほど」と納得した。
百合葉は特待生の身なので当然菊花寮住まいだが、同時期に紀香が菊花寮から桜花寮に「左遷」させられたことが要らぬ憶測を呼び、いつの間にか「学園が百合葉の部屋を作るために紀香を追い出した」ということにされていた。さらにそこに「紀香が百合葉を恨んでいる」と尾ひれをつけて、勝手に犬猿の仲に仕立て上げる者も出る始末であった。
全くバカバカしい話で紀香はいちいち否定する気がなかったのだが、噂が少しずつ広がっていくにつれてやっぱり鎮火させなければと感じていた。だからこのタイミングで百合葉と直接顔を合わせられたのは僥倖であった。
紀香ははじめたちに先に練習するように伝えると、コーチを始めた。
「さあ、一丁投げてみな」
「はいっ!!」
百合葉はぎこちなく振りかぶって、俗に言う女の子投げのフォームで「そぉぉい!!」と投げた。サッカーのペナルティキックのキーパーが横っ飛びしても取れないような大暴投であった。
「ううー、何で真っ直ぐになんないんだろ……」
「手と足の動きがバラバラだなー。あたしが手本見せてやるからよーく見とけよ」
「はいっ!!」
「足はこう、まっすぐ踏み出す。腕の力だけで投げちゃダメだ。こうやって体全体を使って……」
「ふむふむ!」
百合葉は食い入るようにアドバイスを聞く。
紀香は実際に投げてみた。いくら怪力な彼女でも守備面はからっきしで、特に肩は弱い方である。それでも素人の百合葉よりは真っ直ぐで、力強い球を投げられた。
「おおー!」
「って感じだな。じゃ、もう一度やってみな」
「はいっ!!」
ボールを渡されて、百合葉は振りかぶった。さっきよりはフォームが様になっている。
「そぉぉぉぉぉぉぃぃぃッ!!」
全力で投げた球はワンバウンドしてしまったが、方向は真っ直ぐだった。
「さっきよりだいぶマシになったろ。後は自分で調整してみな」
「はいっ!!」
二球目は見事、フェンスに当たった。
「やったー!!」
「その調子で後は投げて投げて投げまくって感覚を掴むんだ。じゃ、あたしは練習やるからこれで。頑張れよ!」
「はいっ! 紀香先輩、ご指導ありがとうございます!!」
初めてボールに触って父親とキャッチボールしたときも、こんな風に教えてもらったのかなと紀香はふと思った。
「今度里帰りしたら、父ちゃんとキャッチボールやるか!」
昨日の番組で、父親が涙目で娘にキャッチボールをせがんだシーンが頭の中で再生されて吹き出してしまった。
それにしても美滝百合葉の目は何と輝いていたことか。すでに有名人の身とはいえ、もっともっと大物になると予感する紀香であった。
その大物ぶりの片鱗を黒犬静にまで見せつけることになろうとは、このときの紀香は知らなかった……。
このお話は百合宮伯爵先生作『∞ガールズ!』第2話と連動しております。
『∞ガールズ!』では美滝百合葉の元気で可愛い姿が書かれています。是非こちらもご覧ください。
https://book1.adouzi.eu.org/n4195fs/




