26. Get One Chance!!
二塁から帆乃花が帰ってきた時点で優勝が決まる。菅野監督は確実にランナーを進めるため、新浦のピンチバンターで一年生の千田彩芽を送り込んだ。彼女はスタメン時には二番を任されることが多いが、その理由の一つにバントの巧さがあった。
だが雲宝薫の狡猾な投球術はバントをやすやすと許すはずがない。低めのボールになる変化球を使いつつバントがしにくいコースであるインハイへの速球を投じると、彩芽はキャッチャーフライを上げてしまい、あえなく失敗した。続く坂崎はインコースの球を詰まらされてショートゴロに倒れ、帆乃花を三塁に進めることすらできなかった。
これで二十八人連続無四球無安打。野球で換算するとすでに完全試合を達成したことになる。この星花女子にとって屈辱的な記録の一人目の犠牲者である紀香は、口を真一文字に結んでバッターボックスに向かった。通算七度目の対戦である。
「ワンちゃん、力貸してくれよ」
紀香は静からもらったお守りをポケット越しに何度も触った。大声援と吹奏楽の音色の中、一塁スタンドにいる静はただひたすら紀香の方を見ていた。
*
海谷商業の監督がタイムをかけて、内野をピッチャーズサークルに集めた。
「雲宝、どうする? 一塁が開いているが」
敬遠を申告できる立場にある監督がわざわざ聞いてきたのは、薫のプライドを傷つけないための配慮に他ならなかった。下村紀香との因縁話を薫から聞かされていなければ、そうしなかったかもしれない。
「そんなの、勝負するに決まっていますよ」
自分でも少々生意気な物の言い方だったと思ったが、監督は笑顔を見せた。
「だろうな。じゃあ、三振取ってこい!」
「はい!」
チームメイトの先輩と同期からも励まされて、薫は気を引き締め直した。
前の紀香との対戦で左足に打球を受けたものの、不思議なことに全く痛みは感じていない。体のあちこちが、本当に自分のものなのかと錯覚する程に調子が良すぎる。
薫は三塁ベンチに座る浅井杏奈を横目で見た。目が合い、杏奈は無言でうなずいてくれた。
下村紀香を血祭りにあげて、勝つ。それが投手、雲宝薫を蘇らせてくれた恋人への恩返しのプレゼントだ。
*
紀香はヒット一本で優勝を決められる。薫は抑えたとしても次の回で勝ち越し点を入れなければいけないので星花女子の方が有利に見える。だがもしもサヨナラのチャンスを逃すことになると海谷商業に勢いがつくのは必然で、そうなれば延長のプレッシャーの中で投げるはじめの精神が持つかどうかわからない。
つまりは、この勝負がお互いに取ってチームの勝敗を賭けたOne Chanceであった。
一塁スタンドからは『ポパイ』『レッツゴー』『ファイト』の三曲がメドレーで流されている。ファンたちは力の限りコールしている。三塁スタンドは「がんばれ薫」と野太い声援を轟かせている。
薫は双方からの大応援も何のそのといったような涼しい顔で初球を投じた。
「ストライーク!」
スライダーが外角一杯に決まる。薫は全く大崩れする予感すら感じさせない。続けてボール球が二球連続で外角ストライクゾーンギリギリのところにきて、四球目はドロップを投げてきたが紀香は思い切り空振りした。ヘルメットがずり落ちるほどに。
だがこれも紀香なりの計算であった。薫のドロップは確かに鋭い。しかしこれまでの配球を見ていると、ウイニングショットで使っているケースが少ない。一番多く投げているのはカーブであり確率的にカーブで勝負してくるはずだから、紀香は前と同じくカーブに狙いを定めた。
五球目、やはりカーブがきた。だが想定以上にブレーキが効いている。外角低め一杯を襲って、紀香のバットに空を切らせようとする。あまりの遅さに腰砕けになったが、かろうじて食らいついた。
「ファウル! ファウルボール!」
ボールがボテボテと転がって三塁線を切れていく。球審から新しいボールを受け取った薫は、露骨に不機嫌な表情を浮かべていた。
やはりカーブで仕留めるつもりだったのだと、紀香は確信した。さて次は何で勝負するのか。
薫はサインに首を何度も横に振ってから、投球モーションに入った。
紀香は、昨日対戦したときも第一打席でしきりにサインに首を振っていたのを思い出した。となると。
紀香の次の狙いは定まった。
六球目。それはストレートであった。緩急差で豪速球に見えるそれはインハイを突いてくる。
狙い通りだった。
「うぉらあああ!!」
紀香は咆哮し、バットを一閃させた。
大きな打球音がブラスバンドと蛮声を突き破った。
薫がああっ、と悲鳴を上げて打球の方向へ振り返った。
ボールは低い弾道を描いて、ライトポールギリギリの方向へ激しい向かい風に逆らい飛翔していく。紀香はバットを投げ捨てて一塁に走った。入るかどうかまでは確信が持てなかった。
「入れーっ!!」
右翼手が全力疾走で追いかけるが、位置的にどんなに全力で走っても追いつけない。もはやファールになるのを望むしかない。
ボールはポール際のところ、最短距離でフェンスの向こうに飛び込んだ。
一瞬遅れて、一塁塁審がジャッジを下した。
「ホームラン!! ホームラン!!」
塁審の右手が大きく回された瞬間に歓声が地鳴りとなり、紀香は両手を高々と掲げて飛び跳ねた。
「うおっしゃああああ!!」
一塁ダグアウトから我先にとナインが駆け出してきてホームベース前に集まってきた。スタンドでは吹奏楽部が無茶苦茶に楽器を鳴らし、チアリーダーは飛び跳ね、観衆の生徒たちは抱き合ったり駆け回ったりともはや制御不可能な喧騒状態に陥っていた。
ダイヤモンドを周りつつ静の姿を見ると、両親に抱きかかえられるような格好になっていた。彼女が紀香のここぞとばかりに飛び出した一撃をどう感じているかはまだ窺い知れない。とりあえず今は、ホームベースをしっかり踏むことが先決だ。
ホームベースではチームメイトたちが待ち構えていて、紀香はこれでもかと頭を叩かれまくった。便乗してスポーツドリンクを浴びせてくるのもいて、球審に注意されてもお構いなしであった。
その一方で、雲宝薫はピッチャーズサークルの中心でがっくりとしゃがみこんでしまっていた。相手に初めて許した安打が敗戦を招くサヨナラ本塁打。しかもよりによって因縁の相手にやられたのだからショックの度合いは相当なものである。
その横では海谷商業の監督が「あれはファウルだろう!」と塁審に猛抗議していている。だが打たれた自分が良くわかっているからか、薫は抗議に加わろうとしなかった。
チームメイトから解放された紀香は薫の下に歩み寄って、手を差し出した。
「いい球だったよ。ほら立ちな」
薫はキッと顔を上げた。唇をかみしめて、泣きそうになっているのを堪えているようであった。
「こっ、これで勝ったと思わないで!」
「ああ、思っちゃいねーよ。また勝負しよう」
薫はそっぼを向きながらも、紀香の手を取って立ち上がった。薫のことが憎たらしいことに変わりはないが、、強敵と真剣勝負できたことを素直に嬉しく思う紀香であった。
判定は覆らず、3x-1で星花女子学園のサヨナラ勝ち。静と伊ヶ崎理事長の目の前で最高の結果を残すことができた。後日、インターハイ候補に金星を上げたことが学校新聞の一面記事を飾ったのは言うまでもない。
*
閉会式を終えた星花女子ナインは帰り支度をしてバスに乗り込もうとしたが、生徒たちが出待ちして行く手を塞いでしまっていた。菅野監督や主将のいぶきが危ないから退くようにときつく注意しても、興奮で我を忘れている生徒たちは言うことを聞かない。
「紀香ちゃん、一発かましてあげてよ」
奏乃が肘で突っついて促してきた。
「喜びに水差したくねーけど、しゃーねーな……」
声のでかい自分が一喝すれば収まる。そう考えて大きく息を吸い込んだとき、一人の私服の女の子がもみくちゃにされているのが目に飛び込んできた。
「わっ、ワンちゃん!!」
紀香はオラァどけ、どけ! と怒鳴り散らしながら生徒たちを強引にかき分けて、静の周囲の空間を確保した。
「大丈夫か、ワンちゃん!」
「……」
静は行動で問いかけに返事した。紀香にひしと抱きついてきたのである。
「お……おう、痛くなかったか?」
紀香の声は震えていた。彼女の頭の中はまるで血液が突沸したかのようにグラグラと煮え立っているが、もちろん静が周りから押しくらまんじゅうになっていたことへの怒りによるものではない。
静の体温が、息遣いが、紀香の理性のタガを少しずつ緩めていく。
その時であった。
「――」
「わ……ワンちゃん?」
狂騒の中でも、かすかに聞こえた。確かに聞いた。静の声を。
痛くないです、と。紀香の耳は、しっかりと聞き取った。
「ははっ、ワンちゃんって可愛い声してんだな……」
紀香は静の脈もはっきりと体で感じ取っていた。自分と同じく早く力強く、そして熱い。
優勝を決めるサヨナラホームランを放ち大会のMVPに選ばれた紀香。歓喜と達成感に満ち溢れていて、悪い言い方をすれば浮かれていたのだが、想いを伝えるとすればこの高揚した気分に浸っているときしか無かった。
「あたし、ワンちゃんのことが好きだ。あたしの特別な人になって欲しい」
ついに口にした。途端に、周りは水を打ったようにシン、と静まり返った。スポーツ一筋の体育会系少女が、何もしゃべらず表情も変えない能面のような少女に愛の告白をするとは、誰が思ったであろうか。
静はしばし固まっていたが、やがて紀香を抱きしめる力を強くした。それで終わりではなかった。
私も、好きです。
静の口が、はっきりと動いた。みんなにも聞こえるぐらいの声が出た。
返事を聞いた紀香の胸はたちまちいっぱいになり、ついに堪えきれなくなった。同級生にフラれた日。ソフトボール強豪校の推薦入試に落ちた日。あの日流したのとは違う涙が、とめどなく溢れ出てきた。
「うっ、ううっ、うわあああ……ワンちゃああん……!!」
紀香の顔は一瞬で、涙と鼻水でくしゃくしゃになってしまった。静の服にも垂れて汚してしまったが、静は全く気にしていない様子だ。
ざわつきが広がり何とも言えない空気になった中で、いぶきが手を叩いた。
「ほ、ほらっ! うちの四番打者に一足早く春が来たよ! みんなも祝ってあげて!」
拍手はソフトボール部の仲間たちに伝わり、そこから少しずつ伝播していき、ついには盛大なものになった。
静が紀香先輩、と下の名前で呼んできた。
「ひっ、ひぐっ……?」
静はポケットティッシュを差し出してきた。紀香は無言で受け取って鼻を噛むと、ほんの少しだけスッキリした。
「あー……あんがと、ワンちゃん……」
静は告げた。できればワンちゃんではなく、静と呼んで欲しい、と。
苗字が黒犬だからワンちゃん。そう勝手にあだ名をつけたのだが拒絶する様子を見せなかったから、今までずっと使い続けてきた。だけど静が紀香を名前で呼んだ以上は、紀香も逆にそうしてあげなければ吊り合わない。
「わ、わかった。しっ……しずかっ!」
茹だった血液が、皮膚を破って突き出そうになった。同期のチームメイトの名前呼びには抵抗が無いのに、恋人の名前を呼ぶのがこれ程こっ恥ずかしいとは。
周りに囃し立てられて、恥ずかしさに耐えられなくなった紀香は絶叫した。
「お前らうるせえええ!!」
ジャンパーを脱いでしまいたいぐらいに、紀香の体は火照っていた。
*
学食でささやかな祝勝会を終えて、菊花寮の自室に戻った紀香は静と初めて電話で会話した。すでに半時間しゃべっているが飽きることは全くない。
話によると告白は静の両親にも伝わっていて、紀香みたいにおいおい泣いていたらしい。よほど嬉しかったの違いない。
「しかし静ってさ、結構しゃべれんじゃん。何で今まで黙りこくってたんだ?」
静の声のトーンが心持ち沈んだ。
「ん? 言いにくいことなら言わなくていいよ」
静は言った。言葉で説明するよりは実際に見て貰った方がいい、と。
静の父親の話では小さい頃は普通だったが、だんだんふさぎ込みがちになり人間味の無い性格になってしまったという。その原因は内面的なものかと勝手に思っていたが、違うらしい。
「見ればわかるもんだったら、見てみたいな。あたし、静のことをもっと知りたいし」
静は日曜日に見に行くことを提案したが、紀香は明日の放課後にでも、と言った。優勝の褒美として明日の練習がなくなったからである。静は快く了承してくれた。
それから紀香は寝る直前まで話し込んだ。知り合ってから今までずっと紀香が一方的に話していたのに、今は会話のキャッチボールが成り立っている。こんなに楽しいことは今まで生きてきた中であったであろうか。
おかげで紀香は三日に渡る試合でクタクタになっていたにも関わらず、全然寝付けなかったのであった。
ようやく紀香さんの恋が実りました。
お話はもうちょい続きます。




