第九話 コウタ、先代剣聖が精霊樹に願うところを見守る
コウタとカークがこの世界で目覚めてから七ヶ月。
一人と一羽はいま、最初に目覚めた場所のすぐ横にいた。
精霊樹の根元で、空に広がる枝葉を見上げている。
「な、なあ、どうすりゃいいんだ? 俺ァこういう祈りの作法? に疎くてよ」
「自由にお願いしたらいいと思いますよ。俺もアビーもみんなも、かた苦しいことはしてませんから」
「まあクルトとディダはめっちゃ気合い入ってたけどな!」
「カァー!」
「我の宿願が叶うきっかけを掴めそうだったのだ、大仰になるのも仕方あるまい」
精霊樹のまわりは木が伐られ、一部は広場として整えられている。
広場にそってアビーの家と、ディダの作りかけの家が並び、シャワー室、やや離れてトイレもある。
コウタとカークのあばら屋も、いまでは「整えられた大きめの犬小屋」になっていた。ディダの成果である。
「んじゃ、俺なりのやり方でやってみっかね」
湖から細い水路も引かれて、生活には滞りなくなった小さな開拓地。
その象徴である精霊樹の前に、先代剣聖・エヴァンが片ヒザをついた。
節々が痛んで顔をしかめる。
痛みをごまかそうと酒を呷る。
取り出した陶器は、フタを閉めずに地面に置いた。
「もう諦めてんだ。兄ちゃんと嬢ちゃんとアンデッドのおっさんが見たこともねえ義手の可能性を示してくれたけどよ、腹の底から信じられたわけじゃねえ」
腰から剣を抜いて、剣身にトポトポと酒をかける。
残りは精霊樹の根元に注ぐ。
カラになった陶器は懐にしまった。ちょっと名残惜しそうに。
「けど、それでも! もう一度、思うがままにこの剣を振れるなら!」
今度は腰の剣を抜き、無事な右手で剣身を持って柄を精霊樹に向ける。
「俺ァあんたの剣になろう! モンスターも! 人も! 勇者でも賢者でも悪魔でも不死者でも精霊でも神の使いでも神でも! ぜんぶ斬り捨ててやる!」
エヴァンが剣を掲げて、柄を精霊樹に突き出す。
シワだらけの目尻から涙がこぼれ落ちた。
強敵との戦いで死ねなかった。
人生を剣に捧げてきたのに、思うように剣を振るえなくなった。
けれど、生きながらえている。
痛みを酒で流して、後悔を酔いでごまかして。
「金も地位も捨ててきた、名誉もいらねえ、魂だってくれてやる! 頼む、俺にもう一度…………頼む。叶えてくれるなら、あんたの剣になって、害なす奴ァなんでも斬り捨ててやるから……」
エヴァンは剣を地面に突き立てた。
柄は上を向いて、自身は下を向いて、肩を震わせてむせび泣く。
人も賢者も不死者も、神の使いっぽい存在も、何も言わずにその様子を見守っていた。
風もないのに、さあっと精霊樹の葉が鳴って。
「あ、エヴァンさん。顔をあげてください」
「おっさん、その方がいいぞ。いまのは別にコータが空気読まなかったわけじゃなくてだな」
人と賢者から声をかけられて、エヴァンは顔をあげた。
ボトッと精霊樹の実が落ちてくる。
ばさばさと、大小の枝が落ちてくる。
実はさらにいくつか。
「おー。精霊樹は、エヴァンのことを認めてくれたみたいだよ」
「大盤振る舞いだな。『剣になる』ってのが気に入ったのかねえ」
「ふむ……願い、あるいは祈りに呼応してのことやもしれぬ。義手の素材となる枝は多く必要となるであろうし、思うままに剣を振るうには『神の実』も必要であろう」
「えっ?」
「我も自信はないが、おそらく。のちほどアビー殿とともに【鑑定】をかけさせてもらうとしよう」
「おおっ! 剣聖のスキルにレベルを見れんのか! 人類最高峰がどんなもんか楽しみだな!」
片手で器用に実をキャッチして地面に積んでいくエヴァンをよそに、外野はなにやら盛り上がっている。
なお枝は落ちるがままに任せていた。
最後に。
「っと、これは? こいつだけえらく熟してるような……熟してるってか、腐りかけ?」
「なんだろ、いままでこんなことなかったんだけど……」
「くふっ、くははははっ! これはこれは!」
「クルト、なんか知ってるの?」
「うむっ! 神の実たるアンブロシアは、同時に神酒の原料であると聞く。インディジナ魔導国にも真偽不明な情報でしか伝わっていなかったが」
「あ、果物をお酒に漬け込んでおくのかな? 梅酒とかそんな感じだっけ?」
「コータ、それは過去に失敗してんだ。帝国でも精霊樹の実の研究結果は残ってる。単に酒に漬けても実は変化しねえって」
「精霊樹から落ちた実はそれ以上変化することはない。ゆえに、神酒の素材である『熟しすぎたアンブロシア』は存在しないと考えられていたのだ」
クルトの解説を聞いて、コウタはエヴァンの手の中にある実を見つめる。
もしコウタが受け止めていたら、崩れただろうほど熟している実を。
「おー。エヴァンがお酒をかけたから、そのお返しかなー」
コウタの呑気な発言に、アビーとクルトは空を見上げた。
カークは精霊樹の枝の上でカァーと物悲しい鳴き声を響かせる。
「ね、ねくたる……神酒!?」
エヴァンが声と手を震わせる。
アルコールのせいではなく、動揺で。
そして。
「うぉぉぉぉおおおおお! 何がなんでも、俺が死ぬまでこの場所を守ってやる! 何がきても斬り裂いてやる! そんで俺ァ、神の酒を造って飲むんだ!」
叫んだ。
なんなら、精霊樹に願った時よりも大きな声で。
「ありがとう! ありがとう精霊樹さま! 兄ちゃんも嬢ちゃんもアンデッドのおっさんもありがとう! カラスも道案内してくれたのにすまんかったな! ありがとよ!」
もう一度、思うがままに剣を振るいたいという願いはなんだったのか。
酒の魔力の方が強いのか。
ともあれ。
酔いどれ先代剣聖は、コウタとカークが作った集落への移住を決めたようだ。
「歓迎するよ、よかったね、エヴァン」
「おー、ディダに続いて近接担当も加入か! しかも先代剣聖! こりゃアレだな、訓練つけてもらわねえとな!」
「くふっ、くふふふ。魔法剣を使いこなす剣と魔法の腕を持つ実験体。ふはははは、これで我の研究はさらに進むであろう! ふぅははははは!」
「な、なんだべ、なんだか不穏な感じがするだ。けどおらの気のせいに違いねえ。えっと、あらためてよろしく頼むだ、エヴァンさん」
「わ、じゃあまた街に行っていろいろ【運搬】しないとですね! よろしくお願いしますエヴァンさん、あとで要望を聞かせてください!」
コウタとカークがこの世界で目覚めてから七ヶ月。
「健康で穏やかな暮らし」を目指した村には、また新たな住人が加わった。
生活の充実はともかく、安全性はさらに高まることだろう。たぶん。泥酔していなければ。





