ありがとう
「――――」
アズバの身の上話が終わり、兄弟たちは何も言えずにいた。アズバの、あまりにも悲しき運命。フィーリスやエヴァス、ちなみにデイスまで涙を流してそれを聞いていた。
「これが……私の全てだ……今思えば、夢の中に竜が現れた時点で、私は竜に魅せられたらしい」
「父さん……」
「お前たちには……本当に申し訳ないことをした……お前たちというものがありながら……私は、自ら封じた禁忌の扉を開けてしまった」
ガフッとアズバの口から赤い液体が流れ出した。それと同時にポッカリと空いた胸からもその液体がドクドクと流れ出す。普通ならば即死なのだが、呪いの影響なのか、アズバはまだ意識を保てている。
最期の最期まで、呪いは彼の身体を蝕んでいるようだ。即死レベルの致命傷に苦しみもがきながら、ゆっくりと死んでいく。それが、今のアズバに与えられた運命だ。
だからこそ、アズバは子どもたちに伝えようと決心したのだ。自分がいかに弱く、醜い存在であったか。それを示すことで、子どもたちの反面教師になろうというのだ。
「父さん! もうしゃべっちゃダメだ! 安静にしないと――――」
「いかな薬を用いたところで、私の死は変わらぬ。今、こうしてしゃべれているのも、全て呪いが原因だ。どうやら……楽には死なせてくれないらしい」
「父さん……嫌だ、死なないで!」
ローガスは普段と打って変わり、幼子のように泣き喚きながらアズバに寄り添う。ガデスとフィーリスも同様だ。二人もまた、アズバと血は繋がっていなくても、小さい時からずっとアズバと共に過ごしたのだから――――
デイスとエヴァスは、三人の邪魔をしないように少し離れて様子を見ているものの、二人とも耐えきれなくなってその場に崩れ落ちた。
「ローガス……人たるもの、いずれこういう別れが来るものだ。これからこの世界を見守る者が、そんな無様な姿を晒してはいけない」
「父さん……でも!」
「お前は……私の誇りだ。私が一人の男として愛した妻とよく似ている……聡明で、優しく、幼いながらも立派に役目を果たす卓越した能力……どれも私には持ち合わせていないものだ」
「そんなことない! 父さんにくらべたら、俺なんてまだまだ――――」
「私は……いつまでも竜の幻想に囚われた愚者に過ぎない……結局、あの方の思惑通りに動かされ、世界を危機に晒してしまった……これでよく神を名乗っていたものだ……私は、あまりにも弱い――――」
「それは違うぞ、親父」
いつの間にか泣き止んだガデスが、真っ直ぐな瞳でアズバを見据えた。険しい目つきだが、実に穏やかな表情だ。
「ガデス……」
「俺やフィーリスは、あんたが助けてくれなかったら、とっくに失われていた命だ。あんたが俺たちを助け、育ててくれたから今の俺たちがいる。ローガスの兄貴だってそうさ。兄貴も、あんたを見て育ったからこそ、立派な男に育ったんだろうが」
「そうよ、お父様……あまり自分を責めないで……」
今度はフィーリスが、涙を流しながらも優しい笑みをアズバに見せた。
「フィーリス……いつの間にかお前も、こんなに美しく成長してくれていたとは……私は、本当に何も見ていなかったのだね……」
「もう、言ったそばから……仕方ないわよ、お父様忙しかったもん。それに、こうして今、見てくれただけで充分です……」
フィーリスは嗚咽混じりの声で、なんと言葉を紡いでいく。途中で崩れないよう、そっと、そうっと繋げていく。そうして意識していなければ、今にも泣き出してしまって、それ以上何も伝えられなくなってしまいそうだから――――
「どうして……」
アズバが徐々に顔を崩し始めた。青い瞳から、ツーッときれいな雫がこぼれ落ちる。
「どうして……俺を責めない? お前たちには、その権利がある……俺は自分勝手な理由でこの世界を、お前たちを危険に晒し、あまつさえその責任をとることなく退場するというのに――――」
――――どうして、どうしてそんな顔ができる? どうして俺に、そんな優しい言葉をかけれる?
「関係ねぇよ」
「ガデス……?」
その疑問の解を提示するかのように、ガデスが嘆息混じりに口を開いた。
「あんたがどんな理由で竜とやらを殺して、世界を守ってきたなんざどうだっていい。どんな理由があれ、俺たちはあんたに救われた。それだけで、あんたのために命を懸けることができたんだよ」
「しかし、しかし俺は――――」
「もう、良いではありませんか。我が主よ」
「デイス……」
見かねたのか、デイスが微笑みながら近づいてきた。エヴァスも、その後に続く。
「今回ばかりは、あなたの負けでございますぞ」
「デイス……違うんだ、俺は彼らが言うような――――」
「ガデス殿の言うとおり、どんな後ろめたい理由があれ、あなた様が彼らを助けたのは事実です。そして、ローガス殿はあなた様を見て、こんなに立派に成長なされた。ガデス殿もフィーリス殿も、今ではこの世界になくてはならぬ存在です。あなた様が、ここまで育て上げたのです」
デイスはしっかりとアズバを見据えて言う。そして――――
「それに、これ以上ご自分の否定は、彼らの否定にも繋がりまする。違いますかな?」
「――――っ!」
それは……いけない。彼らは自分よりも遙かに優れた子たちだ。彼らの否定は、誰であろうと許されない。たとえ、神であろうとも――――
「敵わないな、デイスには」
「何をおっしゃる。あなた様の残した功績は比類なきものです。お仕えできて、光栄の極みでした……」
そう言い終わると、デイスは再び涙を流し、アズバに平伏した。最後の、忠義の礼だ。
「おい、デイス……何言ってんだよ、これからも親父は――――」
「ガデス殿……」
デイスはぽつりと呟くようにガデスに呼びかけ、視線をアズバの足に移した。それに倣って、ガデスもその方向を向くと――――
「あ――――」
アズバの両足が、塵に変わっていた。それが下半身を侵蝕し、やがて上半身にまで差し迫っていた。それを見たガデスは、ようやく諦めたように全てを悟り、悔しそうにうなだれた。ローガスとフィーリスも、同様に悔し涙を流す。そんな三人を見て、アズバはようやく暖かな笑みをこぼした。
「皆……今までありがとう……そして、すまなかった」
もはやアズバの身体はピクリとも動かない。ついに侵蝕は胸の部分まで迫っていた。時間はない、早く伝えなければ。
「父さん……父さん……!」
「たとえ心が荒んでいても、お前たちと過ごした日々は……数百年の中で一番楽しかった……お前たちが日々たくましく成長していく様を見るのは……本当に気持ちよいものだった」
「親父……! 俺、俺も! 親父に出会えて、幸せだった……!」
「私もよ……お父様……お父様に認められたくて、いっぱい頑張ってきたんだから……!」
「ありがとう、ガデス、フィーリス……私も、幸せだった」
そうして、アズバは最後にローガスを見る。ローガスは、まだ受け入れられないのか甘えるような目線を向けている。そんな息子の姿を見たアズバは――――
「いつまでそうしているつもりです、ローガス」
厳しい声で、突き放すことにした。
「父さん……だって!」
「これからは、あなたが世界を引っ張っていくのです……凜として、神としての威厳を見せなさい。決して……私のようになってはいけません」
「父さん……」
そして、アズバは優しく微笑む。それが、父親として息子に最後に与えてやれるものだった。
「大丈夫、あなたならできます……それに私と違って、あなたにはガデスやフィーリス、デイスにエヴァス、そしてあなたを慕う大勢の民がいます。存分にその者たちに頼りなさい。そして、彼らがそれに応えたら、あなたもきちんとお礼をするのですよ」
「父さん……」
その言葉を受けたローガスは精一杯歯を食いしばり、泣き出したい気持ちを抑え――――
「お言葉、確かに頂戴いたしました。我が主よ」
胸を張って、決意の目をアズバに向ける。それを見たアズバはフゥ、と静かに息を吐き――――
「それで……いいのです……ようやく、私も安心して逝けます」
ついに、侵蝕がアズバの顔に迫る。神子たちは悲しむのを必死に我慢し、自分の最期を見届けている。
(皆……本当に強くなった……彼らなら、後を託せる)
無責任なのはわかっている。この後彼らに迫る未曾有の危機を作り出した元凶が、こんな幸せを受ける資格がないことも。ただ、ただ……今は――――
アズバは静かに目を瞑る。
「本当に、皆……ありがとう――――」
罪深い自分を、愛してくれて――――
そして、アズバの意識が消えると同時に、彼の肉体は跡形も無く消え去った。




