カグヤの苦悩
「神島?」
「はい、この世界に唯一存在する島にして、聖域へとつながる入口がある場所でございます」
「元々、このヒノワ村は外敵が聖域へ侵入するのを防ぐための防衛拠点だったんだ。そのため、竜は初代ヒノワ村の首長――――つまり、カグヤちゃんの祖先に自分の力の一部を分け与えたのさ」
「ヒノワ村の人たちが摩訶不思議な能力使うって話、そこからきてるのね」
「はい、竜の力は強大。ゆえに、今でもこうして拙たちの中に宿り、使わせていただいております」
カグヤは自分の胸にそっと手を当てる。何かに思いを馳せているように感じたカルミナはかねてからの疑問をぶつけてみた。
「カグヤさんは……いいんですか? アリシアを取り戻した後、あの子の中にある竜の魂は――――」
「かまいませんよ、すでに心に決めましたので」
即答だった。カグヤの黒く輝く瞳から、その意思の強さが窺い知れる。その言葉を聞き、カルミナはますますわからないと言いたげに眉をひそめる。それを察したカグヤが、フフっと軽く笑みをこぼした。
「おっしゃりたいことはわかります。我々ヒノワは竜の敬虔なる信者……という噂を聞いておられますよね?」
「えっ? じゃあ、その噂は違うのですか?」
「いえ、間違っておりません。我々は今も昔も、この世界を愛する竜の信者です。敬虔な……ね」
カグヤがその言葉を放った時に見せた表情は、実に寂しそうだった。カルミナはその顔の意味を察し、複雑な表情になる。
「拙たちはね……卑怯なんですよ、カルミナさん」
ポツリ、とカグヤが囁くように話し出す。己の内に抱く後ろめたさを、なるべく見せびらかさないように――――
「拙たちが信じていた神が、実は拙たちを憎み、滅ぼそうとしていた事実を知った瞬間、すぐに迷いが生じました。世界を滅ぼすというのならば、喜んで身も捧げてこそ、神への忠義になるのではないかと……一方で、これから生まれてくるであろう尊い生命たちを、拙たちの意向を以て皆殺しにしてよいのかと」
カグヤは床に正座し、己の内をどんどんさらけ出していく。それはまるで、懺悔であった。誰に向かって話すわけでもない、ただの独白――――
「神への忠義を重んじ、世界滅亡を執行する姿を思い浮かべた瞬間、拙の身体は震え、恐怖が頭を支配しました……拙には、どうしても神の行いが、蛮行にしか思えなかったのです。それが、決め手でした」
「カグヤさん……」
「拙は……不忠者です。先祖が代々受け継いだ思想を否定し、自らが愛した神を、ただ自分が生き残りたいがために滅ぼそうというのですから……」
カグヤは今にも消え入りそうな声でそう話す。それを見た瞬間、カルミナは悟る。
カグヤもまた、自分と同じように悩み、苦しむ一人の人間なのだと――――
「――――人間なら、生きていたいと思うのは当然のことだよ」
「カルミナ様……」
「カグヤさんは不忠なんかじゃない。それで自分を責めるのはよくないよ」
「でも……拙は……!」
「カグヤさんにとって、一番大切なものって何?」
「それは……この村と村に住む民たちで――――」
「竜よりも、だよね?」
カルミナのその返しを聞いた瞬間、カグヤはハッと目を見開いてカルミナを見た。カルミナはいつもの明るい笑顔になって、カグヤに見せる。
「カグヤさんは、これまでの伝統を曲げてまで決断を下した。全ては、自分が愛する人々のために――――それってすごいことだよ!」
「すごい、こと……?」
「確かにこの決断は、信仰心の厚い村人たちから非難を浴びることになるかもしれない、危険な賭け。それを承知でカグヤさんは信仰より、村人たちを守ることを選んだ。あなたは首長として、立派に役目を果たしたんだよ」
「でも……拙は……」
「だからカグヤさん、これ以上自分を責めちゃダメ。せっかく悩みに悩んで出した結論が、そんな風に悩んでたら余計に軽いものになってしまう」
「…………」
なおも悩む素振りを見せるカグヤ。カルミナが続けざまに言葉を紡ごうとしたその時。
「――――姫様、差し支えなければ、一つよろしいでしょうか?」
部屋の入口で控えていた付き人の一人が、頭を下げたまま声を発した。付き人の中では一番高齢に見える老婆。カグヤはその老婆の方に向き直る。
「婆や……」
「確かに、今回のあなた様のご決断は、我らの度肝を抜くようなものでございました……しかし」
「しかし?」
「我らは存じております。あなた様が、決して私利私欲で動くような方ではない、と。だからこそ、我ら一同はあなた様に賛同し、村の者は日々あなた様のために命を張っているのです」
その言葉を聞いた瞬間、カグヤの瞳からきれいな雫がこぼれ落ちた。次第に耐え切れなくなって、声を漏らして泣き始めるカグヤ。その姿は、まさに年相応の――――一人の人間であった。
「胸を張りなされ。我らに迷いはありませんぞ、姫様」
婆やと呼ばれた女性は、ついに頭を上げてカグヤを見つめた。その姿は母のようであり、父のようであり、祖母のようでもあった。
「婆や……みんな……! ありがとう……!」
そして、しばらくカグヤは、その場で泣き崩れるのであった。いっぱいになった胸を大事そうに押さえながら――――
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「申し訳ありません……お見苦しいところを……」
「――――カグヤちゃん、もう迷いはないかい?」
リンベルは最後の確認、と言わんばかりにカグヤに念押しした。カグヤはリンベルに真っ直ぐな瞳を見せて――――
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
と、はっきり答えた。リンベルは何も言わず、ただ満足そうな笑みを浮かべる。
「さて、それじゃあ先ほどの話の続き――――神島についてだけど、ここは現在、ヒノワの初代首長が作った結界がある。だから、誰であろうとその場所には近づくことすらできないはずなんだけど――――」
「はい、だからこそ、なぜアズバがそこに向かっているのか……」
二人が疑問を投げかけたその時。
「伝令!! 夜分遅く失礼いたします!!」
突如、鬼気迫った声が響き渡り、一人の鎧姿の男が入り込んできた。男はそのまま、カグヤの前でひざまづいた。
「何事ですか!?」
カグヤが凛とした声で男に話しかける。男はワナワナと身体を震わせながら――――衝撃的な言葉を口にした。
「結界が――――破られました!! アズバ及びアリシア様が、聖域内に入りました!!!」




