カルミナの苦悩
「おお、目が覚めた! カシラ、アリシアが起きたぞ!」
アリシアが重いまぶたを開けると、安堵感に包まれたオルトスの顔が映し出された。呼吸は荒く、頬には汗が、草木を濡らす雨水のように浮かんでいた。オルトスはそのまま、どこかへ走り去っていった。きっと、リンベルを呼びに行ったのだろう。
「わ、私……」
アリシアはまだ少し痛む頭を押さえながら、ゆっくりと上体を起こす。部屋の景色は気絶する前と変わっていない。ということは――――
「スー、スー」
「あ……カルミナ……」
どうやら自分は彼女の隣に寝かされたらしい。カルミナは寝息を立てながら――――アリシアの左手をギュッと握っていた。暖かくて、柔らかなカルミナの肌の感触を受けて、アリシアはホッと一息ついた。今、この部屋には自分とカルミナしかいない。
「う、う~ん……」
すると、カルミナのまぶたがピクピクと動き、ゆっくりと開かれる。そして、赤く輝く瞳がアリシアの姿を捉えた瞬間、カルミナは嬉しそうに微笑んだ。
「アリシア……良かった。起きたのね……」
「うん……おはよう、カルミナ。ごめん、心配かけて……」
「いいのよ、気にしなくて。身体は何ともない?」
「うん、まだちょっと頭痛が残ってるけど」
「そう……それなら、ひとまず安心ね」
そう言ってカルミナはアリシアの握る手を強めた。アリシアもまた、それに応えてギュッと握り返す。そうすることで二人は、お互いの存在を確かめ合った。
「オルトスは……リンベルさんの所かな?」
「多分。ついさっきまでいて、私が目覚めたのと同時に出て行ったから……」
「……そう」
カルミナは天井を見上げながら、フゥと一息つく。しばらく沈黙の時間が流れた後――――
「ごめんねアリシア……あの時、守れなくて」
「カルミナ……」
カルミナはいつになく暗い影を帯びながら、アリシアに謝罪した。声はどんよりと淀み、苦しそうにかすれている。いつも明るく、ハキハキとしゃべる彼女がまるで別人のようだ。
アリシアはそんな状態の彼女を心配そうな顔で見つめた。なおも、カルミナは言葉を紡ぐ。
「私、ダメだな……いつも偉そうにあなたを守る守る言っておきながら、いざ戦いが始まってみたらこのザマだもの……」
「どうしたのよカルミナ……あなたらしくない……カルミナは、いつも私のことを守って――――」
「守れてなんかない!!」
ピシャリと、カルミナは悲痛な声を上げる。目に涙を浮かべ、悔しそうに肩を震わせながら――――
「守れてなんか……ない……! 神子たちとの戦いだけじゃない、最初の聖獣との戦いの時も、マーリルとの戦いの時も! 結局あなたを、危ない目に遭わせてしまった……全ては、私が弱いから……」
「そんなことない! そんなことないよカルミナ! あなたはいつも私を助けてくれた! あなたがいなかったら、私は今頃――――」
「私の力じゃない……オルトスやアートマン、シルビアにリンベルさん……あの人たちの力で、私たちは生き延びてきた。私自身は、何も出来てない。むしろ、足手まといだった……!」
ついにカルミナは溜めていた涙を放出する。ポロポロと、大粒の雫がベッドにこぼれ落ち、シーツがジワリと濡れた。アリシアの手を握る力が、グググと不安定に強まった。
「このままじゃダメなの……! 今のままじゃ、アリシアを守れない……! だから、私はもっと強くならなくちゃいけないの……!」
「カルミナ、私は――――」
「でもどれだけ頑張ったとしても、ガデスに勝てるビジョンが見えない……! そしてそのガデスよりも強いのが、少なくとも二人はいる……!」
――――止まらない。今まで少しずつ蓄積されていった負債が、涙と叫びとともに一気に表に押し出される。アリシアにこんな弱音をぶつけるのはお門違いだ。それに、自分なんかよりもアリシアの方が何倍も、何十倍も辛いはずだ。わかっている、わかっているのに――――
二人きりになった途端、吐き出さずにはいられなくなってしまった。アリシアにだけは、伝えておきたかった。今の自分が、どれだけ軟弱な存在かを。どれだけ頼りない存在かを。
「私は、あなたが思うような、強い人間じゃないの……あなたに対して偉そうなこと言ってきたけど、私自身が、全然成長していない……それに引き換え、アリシアは本当に強くなった」
「私は……全然だよ……私だって、歯が立たなかったし」
「ううん、そんなことない。アリシアはまだ日が浅いもの。むしろ、この短期間でここまで強くなるなんて凄いことなんだよ?」
「そ、そうなの……?」
「そうだよ。だからアリシアは胸を張っていい。この調子で鍛えていけば、私よりはるかに強くなれる」
カルミナの言葉に、アリシアは悲しそうな、悔しそうな表情を浮かべた。唇をワナワナと震わせ、目に涙を溜めながらカルミナを見つめた。
――――ダメ、ダメだよカルミナ……そんなこと言ってはダメ――――
「……やめて」
「アリシア?」
「カルミナが言ってたことじゃん……! 自分を貶めるのは、ダメ……!」
我慢できなかった。自分の憧れの人から、そんな言葉は聞きたくなかった。他ならぬ、自分に生きる意味を教えてくれた人が!
「そ、それは……」
「私の知るカルミナは、どんなに苦しい状況でも決して諦めず、誰かのために必死になって戦ってきた! そんな人が、弱いわけないじゃん……!」
「それは……あなたが私のことを過大評価してるからよ……私は本当は――――」
「しっかりしなさい、カルミナ!」
「!?」
アリシアは、弱気なカルミナをひっぱたくように強めの言葉をぶつけた。カルミナは目を見開き、思わず口を噤む。
「たかが自分よりちょっと強い人たちが出てきたから何よ弱気になって! 確かに私たちだけの力では乗り越えられなかったかもしれない……でも、あなたが頑張ってきたから! 私や、助けを求める人たちを見捨てなかったから! オルトスたちは一緒に戦ってくれたんだよ? あなた自身が、今までの頑張りを否定しちゃダメ!!」
アリシアは耐え切れなくなって、カルミナと同じように溜め込んでいた涙をポロポロこぼした。
「それに、私は自分だけ守られるような人にはなりたくない! あなたが辛かったり、苦しんでいたら力になりたい! だって私たち、友達じゃない!!」
「――――!!!」
アリシアの叫びに、カルミナは絶句する。そんなカルミナをよそに、なおもアリシアは訴え続ける。
「辛いときは一人で抱え込まないで、私にも相談して……? 私が辛かったときに、あなたが私を優しく包み込んでくれたように、あなたがピンチに陥ったら、私があなたを守る。そうやって互いに助け合って生きていくのが、大切なことなんでしょ?」
アリシアはそう言うと、泣きながら太陽のような笑みをカルミナに見せる。それを見たカルミナは、ついに声を上げて泣き出してしまった。
アリシアは、そんなカルミナの頭を優しくなでる。かつて、カルミナが自分にしてくれたときのように。
「うっ、うう……ごめん、ごめんアリシア……私、怖くなったの……私が弱いせいで、いつかあなたを失うんじゃないかって……守れないんじゃないかって……! そう思うと、どんどん悪い方向に頭が回ってしまって……! どうしようって焦っちゃって……!!」
「そんな時だってあるよ……大丈夫、カルミナは弱くない。私は、あなたのおかげで救われた。あなたが私を大好きって言ってくれたから、私は希望を持つことが出来たんだもの」
「ありがとう、ありがとう……あなたの方が、辛いはずなのに……気を遣わせてしまって……」
「私のことは大丈夫。それは、これから考えていくから。その時は、カルミナも協力してくれると嬉しいな」
「うん……うん……!」
カルミナは何度もうなずく。二人は改めて、互いの気持ちを確かめ合ったのだった。




