戦闘医の覚悟
【カルミナVSフィーリス】
「そこをどいて!!」
「ごめんなさいねー、それはできない相談なの、可愛い娘さん」
時は、少しさかのぼる。アリシアがガデスとの戦闘を開始した頃、カルミナもまた、目の前の女獣人と睨み合っていた。
早くアリシアの加勢に行かなければならないのに、フィーリスからは微塵の隙も感じられない。そのため、カルミナは動くに動けないでいた。焦る気持ちが増すごとに、苛立ちもだんだん募っていく。
一方のフィーリスもまた、仕掛ける素振りを見せない。ただ不敵な笑みを浮かべながら佇むのみだ。しかし、それが余計にカルミナの心を乱す。
「全く、弱ったわ……私、そもそも戦闘屋じゃなくて医者なのに」
女獣人が、ため息混じりに愚痴めいた言葉を発する。その言葉に、カルミナはドクンと心臓が跳び跳ねた。
(う、嘘……! それだけの気配を出しておいて!?)
信じられない。目の前の女から発せられる圧は、確かに他の神子と比べると小さいものではあるが、それでも玄人のレベルだ。サマルカンの首長であるアーノルドと比較しても大差ない。だからこそ、焦る気持ちを何とか押さえて警戒しているというのに……
「ま、うだうだ言ってもしょうがないもんね。お父様の頼みだし、頑張らなくちゃ」
そう言って女獣人、フィーリスは装備していた弓を手に取る。カルミナの方も、警戒を緩めることなく、グッと拳を握り締めた。
「なるほどねぇ~、あなたも中々やりそうね。その構えから察するに、さぞかし鍛練を重ねてきたのかしら? でも……」
すると突然、カルミナの目の前で信じがたい現象が起きる。
ユラユラ、とフィーリスの肉体が煙のように揺らめき始めたのだ。そして、徐々にその姿が薄くなっていき、ついに跡形もなく消えてしまった。
理解不能な出来事を目の当たりにし、カルミナの心の緊張がほどけてしまう。慌てて消えたフィーリスを探そうとした時ーー、
「こっちよ♪」
真後ろから、囁くように響く甘い声。ゾクリと背中に戦慄を覚えた時にはもう、手遅れだった。
「ッーー!?」
カルミナの肩に、チクリと軽い痛みが走った。カルミナはすぐに裏拳を振るうが、拳は空を切った。フィーリスの姿は、変わらず見えないままだ。
カルミナは刺された箇所を確認する。そこには、何かが刺されたような跡があったが、別段身体に異常はない。何をされたのかわからず、カルミナが首を傾げた瞬間ーー、
「あ……れ……?」
視界が、グニャリと歪み始めた。身体がフワフワと浮いているような解放感に包まれていく。実に気持ちが良い。
しかし、辛うじて働いてる脳みそが、カルミナに危険信号を送っていた。この状態はまずい。何か手を打たなくては! しかしーー、
(頭が、重い……考えるだけで、意識が千切れそうになる……ああ……)
ついに、立っていることさえできず、カルミナはその場にどさりとしゃがみこんでしまう。今にも閉じそうな瞼を必死に押さえつけて抗う。ここで目を閉じてしまったら、しばらくは意識を取り戻すことはないだろう。
(ア、アリシア……! どこ……!? 戦いが始まってから、どのくらいの時間が経った!?)
ぐるんぐるんと回る視界に吐き気を催しながらも、カルミナはアリシアの姿を探す。もはや音すら正確に聞き取れなくなったカルミナには、自分が今どこにいて、何をしているのかすらもわからなくなっていた。
(まず、い……何とか、しなくちゃ……)
そんなカルミナを嘲笑っているのか、身体は思うように動かない。というより、世界が歪んで見えるせいで、自分の身体が動いているかどうかがわからないのだ。
「あらあら、意外としぶといのね。けっこう強めのものを打ち込んだのだけれど」
フィーリスの驚いたような声が、はっきりとカルミナの耳に入ってきた。どうやら近くにいるらしい。カルミナは辺りを見回すが、余計に気持ち悪くなっただけで、姿は変わらず見えなかった。
「わ、私に、な、何を……したの?」
飛んで行ってしまいそうな意識を何とか押さえつけながら、カルミナはフィーリスに問う。なぜフィーリスの声だけはっきり聞こえるのかという疑問もあったが、今の時点ではどうでもよかった。
フィーリスはクスクスと笑いながら、その質問に答える。
「あなたに麻酔薬を打っただけよ? 私が患者の治療のために使うようなやつ。普通はもう意識を失うはずなんだけどね。あなた、中々しぶといじゃない」
「くす、り……?」
「さっきも言ったけど、私は医者なの。まあ、狩人という一面もあるけどね。日頃から薬の研究をしてるんだけど、今回使ったのは獲物を捕える時に使うやつ」
さらに頭が重くなる。気を緩めたら、そのまま倒れることになるだろう。カルミナは歯をくいしばって耐えている。
「本当はこのままあなたが倒れて私の仕事は完了するはずだったんだけど……しかたない。めんどくさいけど、物理的に眠ってもらうことにしましょうか。可愛い女の子は傷付けたくないのだけど、ごめんなさいね?」
フィーリスの声が近づいてくる。早く立ち上がらなくてはならない。だが、それがどうしてもできない。それでもカルミナは起き上がろうと必死にもがく。心の中で何度も身体に念じた。
(動け、動け、動け!!!)
しかし、その強い意思も虚しく、事態は全く好転しなかった。視界も歪んだままで、痺れもとれない。
(ア、アリシア……! アリシア……!)
今のカルミナにできることは、愛する人の無事を願うことだけだった。
~~~~~~
【フィーリス】
最近、アズバお父様がどこか苦しそうだ。お身体の調子が悪いのかと思い、一度調べたことがあるが、結果は正常だった。
「ほら、何ともないだろう?」
お父様はそうやって私に笑いかけてくれたが、私には全然大丈夫には見えなかったのだ。
原因はわかってる。最近発見された世界の敵である《災厄》だ。あの話をするときのお父様は、まるで別人のように焦り、怒る。それほどまでにその世界の敵は、この世界の脅威となり得るらしい。お父様がおっしゃるのだから、それは間違いないのだろう。
だけど、《災厄》を取り逃がしたという話を聞くたびに、お父様は私たちを叱りつけるようになった。これまではそんなこと、ただの一度もなかったというのに……
(お父様……どうしてしまったの? それほどまでに、《災厄》は恐ろしい存在だというの?)
いつからだろうか? お父様に「恐怖」の感情を抱くようになったのは。私の知ってるお父様は、誰に対しても優しく接するお方だった。
喜んでいたり、楽しんでいる者がいたら、自分のことのようにその喜び・楽しみを祝福し、逆に嘆き苦しんでいる者がいたら、近くに寄り添ってその苦しみを取り除こうと努める。
その徳を以て、どれだけ多くの人々が救われてきたことか。かくいう、私もその一人だ。私だけじゃない。他の神子たちも、お父様には返しても返しきれない多大な恩がある。だから皆、命を懸けてお父様にお仕えするのだ。
そのお父様が、苦しんでいる。何とかしたい、いやしなくてはならない。だけど、今の私ではお父様の苦しみを取り除くことができない。己の無力さに腹が立った。
お父様の苦しみを取り除くにはやはり、《災厄》を殺して捕まえるしかない。聞けば、《災厄》は私よりも年下の可愛らしい少女だと言う。とても信じられない話だったが、実際目の当たりにしてそれが真実だと知った時、本当に驚いた。
(あんな娘が、お父様を苦しめているの……?)
すごく綺麗な子だった。空色の髪と瞳は色鮮やかで、真っ白な肌は太陽の光に照らされて煌めいていた。私たちを怯えたような表情で見つめるその姿は、思わずこちらが謝ってしまいたくなるほどだ。だがーー、
(惑わされてはダメ……! あの子は世界の敵で、お父様を苦しめる憎き相手よ……!)
そうだ、例え相手が誰であろうとも、私は負けるわけにはいかない。私は人々を照らす神子の一人にしてーー、
この世界を守る、私の大好きな神様の娘なのだから。




