神子の怒り
【アリシアVSガデス】
「ぐっ、グガアッ!!??」
およそこれまでに聞いたことのない、アリシアの苦痛に満ちた金切り声が響き渡る。アリシアは必死でガデスの手を引き剥がそうとするが、ピクリとも動かない。むしろ、さらに力が増していく。
ググ……グ……
喉が軋む音が聞こえる。ガデスの指が、アリシアの細い首に食い込んでくる。呼吸が問答無用で封じられ、アリシアの口からヒュウヒュウと喘鳴の音がした。
(……すごい、力……全然、剥がせない……! この姿になってるのに、何で……?)
アリシアは宙ぶらりんになっている足を使い、ガデスの側頭部に蹴りを入れる。だが……
「ーーーー!? う、うそ……」
ガデスは、それをもう片方の腕で受け止めた。
あり得ない。加減したとはいえ、あの暴獣状態のマーリルの巨体を吹き飛ばしたのに……。それを、目の前の人間族は簡単に防いだのだ。
「何だこれは? これで蹴りのつもりか? 笑わせる……」
さらにガデスのアリシアを絞める力が強まる。アリシアも両足をバタつかせたり、身体をねじり動かしたりして抵抗するが、全く振りほどけない。次第に、頭も締め付けられるような痛みに襲われる。
(み……みんな、は……?)
アリシアは抵抗を続けながら、他の二人を目だけで探す。二人とも、他の神子たちと戦闘を行っているようで、カルミナは何とかこちらに来ようとしているが、行く手を何度も阻まれている。それどころか、二人とも、徐々に押され始めている。
(人に、頼っては……いられない! 自分で何とかするんだ……!)
誰も助けにはこれない。ならば、己の力でこの状況を打開せねば!
「確か、ヴァルスをこうやって苦しめたんだったよなあ?」
ガデスが、まるで尋問するようなねっとりとした口調で、アリシアに語りかける。ヴァルス、という名を聞いて、アリシアにとある人物が脳内で再生される。
(ヴァルスって……あの?)
サマルカンに着く前に自分たちを襲った神軍の隊長格。あの時のアリシアは、力に飲まれて手当たり次第に暴れ回ってしまった。
アリシアは何か言おうと口を動かすが、喉をガデスに封じられているために声が出せない。ガデスの表情は、先ほどから変わらず憎悪に満ちている。ギリギリと歯を鳴らし、瞳には怒りのあまり涙すら見える。
その表情を見て、不思議と恐怖は一切感じない。むしろ、何故か申し訳なさを感じてしまう。
「ヴァルスは俺が直接スカウトした、一番信頼のおける部下だった……なのに、なのに!!」
ガデスの声音が強くなるのと同時に、アリシアの首を掴む力がさらに強くなる。あまりの強さに、一瞬意識が飛びそうになった。
「あいつは……お前たちとの戦いの後、魂だけが抜けたみたいになっちまった……! 生きてはいるが、こっちが声をかけてもウンともスンとも言わねえ……! てめえ、あいつに何しやがった!!??」
烈火のごとき怒り。それと同時に、仲間のことをひた向きに想う優しさ。それらを同時に感じ取ったアリシアは、ガデスに対して複雑な表情を見せる。それが、さらに彼の逆鱗に触れたのか、ガデスはさらに全身に力を込める。
「何だよその顔は……? 自分は悪いことをしました、反省してますってか? 世界の敵風情が、いっちょまえに他人を憐れんでんじゃねえよ!!」
そうして、ガデスは思い切りアリシアを地面に叩きつけた。己の怒りを、全て彼女にぶつけるかのように。背中に今まで感じたことのない衝撃を受け、それが全身に行き渡る。身体が麻痺したかのように硬直した。
もはや、痛みを感じるとかの次元ではない。何が起こったのかすらも、わからないほどだ。やがて、身体の硬直が治まったと思った瞬間、全身に張り裂けるような激痛が襲ってくる。
覚醒で身体を強化していなければ、先ほどの攻撃であの世行きだっただろう。アリシアは、身体の中に溜まっているドロッとした血を盛大に吐き出しながらうずくまっている。
そんな状態のアリシアを見据えながら、ガデスは中指を立てて、クイクイと指を曲げて挑発した。
「立てよ化物。まさかこの程度で終わりじゃねえだろう? なにせ《災厄》と謳われるくらいなんだからな! 俺もまだまだ怒りが収まらねえんだよ!!!」
ガデスはそう叫びながら、勢いよくアリシアの頭を踏み潰そうと片足を上げて振り下ろす。アリシアはどうにか身体を回転させて直撃を避ける。地面に、大きなヒビが入った。
アリシアは身体を回復させながら、乱れた呼吸を整える。全快とまではいかないが、さっきよりは痛みが和らいだ。頭も問題ない、思考を巡らせることができる。アリシアは改めて全身を発光させながら、舞道の構えを作った。
眼前のガデスは、首をゴキゴキ鳴らしながら、やけに落ち着いた表情でアリシアを見ていた。先ほどの怒りが一瞬で霧散したかのような、静かな空気。しかし、彼の瞳の奥には、いまだ黒い炎が燃え上がっている。
ガデスは特に構える様子もなく、両腕をだらんと垂れ下げている。まだ本気は出さないという意思表示なのだろうか。アリシアがそんなことを考えているとーー、
「遅い」
またもや、一瞬で間合いを詰められる。そして、アリシアの腹にガデスの拳が深々と入ってしまう。アリシアが苦痛で顔を歪ませる。直後ーー、
「フン!!」
続けざまに、ガデスの連打がアリシアの全身に襲いかかる。アリシアは両腕を盾のようにかざし、それを受け止める。素早い拳打にもかかわらず、一撃一撃がストレートのように重い。何とか防御を崩さないようにと踏ん張る。しかし、その選択は誤りだった。
「横がガラ空きだぜ? 素人」
スパアアン、とアリシアの横腹にガデスが回し蹴りを放つ。アリシアは嗚咽を漏らしながら、為す術もなく吹き飛ばされる。
盛大に咳き込みながら、アリシアは蹴られた患部を押さえて回復させる。これもいつまで使えるかわからない。それよりもーー、
(動きに、身体が追いつかない……! こっちも精一杯警戒しているはずなのに、いつの間にか攻撃が当たっている……! なんてスピードなの……)
正確には、ガデスの動きは何とか目で追える。しかしながら、それを対処するだけの動きができない。力に振り回されているのが原因だ。
(まだ、回復すればダメージは多少押さえられる……! だけど、いつまで持つかはわからない! 落ち着いて、落ち着いて……! 自分の身体くらい、制御できなくてどうするの!!)
アリシアは立ち上がり、構えを作りながら目を閉じる。呼吸を整え、心の内で暴風のごとく暴れている獣を押さえつける。
慌てるな、呑まれるな……! 何のためにカルミナと修行をしたのか。何のために、アーノルドと手合わせをしたのか。
(成果を思い出せ……! 何のために強くなりたいのかを思い出せ……! 極限まで力を抜いて、頭は常に集中、集中……!!)
やがて、目を閉じているにもかかわらず、眼前に迫る敵の姿が見えた。アリシアの顔面に、ガデスの拳が迫り来る。
「ーー!!」
アリシアはそれを、ほんの少し首を傾けて避けた。突然アリシアの動きが変わり、驚くガデス。その隙を、アリシアは見逃さない。
すかさず、アリシアは、ガラ空きのガデスの脇腹に向かって回し蹴りを放つ。回避が間に合わず、その攻撃はしっかりと通った。少し前のアリシアと同じ目に遭ったガデスは、憎々しげにアリシアを見つめた。
「これで、おあいこだね……!」
アリシアが勝ち誇った笑みを浮かべる。それが癪に触ったのか、ガデスの顔が怒りのあまり真っ赤に染まる。
「てめぇ……やってくれるじゃねえか!」
ペッと口内に溜まった液体を吐き出しながら、ガデスはゆっくりと立ち上がる。アリシアは、なおも最大限の警戒をしながら、ガデスの動きに備える。
(よし、いける……! 私でも、戦えるんだ……!)
たった一回ではあるが、思うような動きができたことに、アリシアは笑みをこぼす。
一つの成功は、次への自信に繋がる。以前、アーノルドに教えられたことを、アリシアは肌身に感じることができた。
このまま行けば、まだ勝負はわからない。そう、思っていた。
しかし、その淡い期待は、この後無残に打ち砕かれることになる。
「それじゃお互い、ウォーミングアップは終わりだな」
「えっ……?」
そう言った後、ガデスがゆっくりと握り拳を作り、それが顔の前に来るように両腕を構えた。膝を少し曲げ、左足を前に出して右足を後ろに下げている。これまで見たことのない構えだった。何よりもーー、
(空気が……一段と重い……! 何をしたの……!?)
ただ構えただけなのに、ガデスから発せられる闘気のようなものが、より一層強くなった。あまりの巨大さに萎縮したのか、アリシアは無意識に数歩ほど後退りしてしまう。
ガデスは、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべて、囁くようにこう告げた。
「それじゃあ、死合おうか。化物」




