異端の神
時は少し遡り、ヒノワ村の大社。中央部に位置する大部屋に、布団に横たわる黒髪の美女と、彼女を取り囲んで恭しく頭を下げている女性たちがいた。
この黒髪の美女こそが、このヒノワ村の民二千人を束ねる若き村長にして世界の敵の一人、《巫女》こと、「姫様」と呼ばれる存在である。
死装束のような白い部屋着を身に纏い、時折苦しそうに咳込むその姿は、余命わずかな病人のようだ。実際、顔色はすこぶる悪く、漆黒の瞳からも生気があまり感じられない。
「……私は、あとどれほど生きられるのでしょうか……」
部屋の天井を眺めながら、「姫様」は今にも途切れそうな声で呟いた。その言葉に、側に控えていた白髪の老婆が即座に反応する。
「なりません姫様! どうかお気をしっかりお持ちください! 大願はもうじき、手に届く所まで来ております! ここが踏ん張りどころなのですよ!」
「婆や……そうですね、弱気になってはいけません……私が、使命を果たすまで……」
「姫様」は強気に呟くが、やはりまだ弱々しい。無理もない、生まれつきの持病により、彼女の身体は隅々まで蝕まれている。今、こうして生きているのが奇跡だと言われているくらいなのだ。
だがそれも限界に近い。今や、一年のほとんどを布団の上で過ごすようになってしまった。日に日に死が近付いてくる恐怖に、心がぐにゃりと押し潰されそうになる。それでも、生にしがみつくのはーー、
「アリシア様は……覚醒されたようですね……」
まだ顔も見たことのない、あのお方の御名。叶うならば、すぐにここを抜け出してお守りしたい。しかし、この軟弱な身体ではそれは無理な話。歯がゆい、悔しい。この魂は、全く汚れていないというのに!
「はい、姫様……いまだ記憶は戻られていないようですが、着々と元の力を取り戻しつつあります」
老婆が頭を下げながら、アリシアの現状を伝える。老婆の言葉を聞き、「姫様」はどこか自嘲気味に笑い出した。
「ふふ……さすがはアリシア様です。私とは違い、御自らの力で事を為しておられる……。まことに、恥ずかしい限りです……」
「姫様……ご自分をあまり責められますな……姫様の病は天災であり、決して姫様のせいではございません。我々は、あなた様が誰よりもあのお方のことを想っておられることを知っています」
「婆や、皆の者……ありがとう……時に、準備はできていますか?」
「姫様」は横たわりながら、老婆に顔を向ける。老婆はさらに恭しく頭を下げて、こう答えた。
「はい、万事抜かり無く」
「そうですか。では、予定通り進めなさい。あの方もこちらに近付いています。必要とあらば、お迎えに行きなさい。そして、これまでの我々の不義を謝罪しながら、何としても守り通すのです」
「ははっ!」
「姫様」の淡々とした命令に、老婆はまるで兵士のようにハキハキした声で返事をする。その言葉を受けて、「姫様」は静かに優しい笑みを浮かべる。そしてーー、
「いざ、高らかに叫ぶのです。時は来ました。我らはかのお方の忠実なる眷属として、簒奪を行った憎き邪神に……!」
「姫様」は黒い瞳に熱を帯びさせ、この場にいる者全てが聞き逃さないように、宣言する。
「決戦を挑みます……!」
~~~~~~
時は戻り、現在。
カルミナとアリシアは、オルトスから衝撃の事実を受けて絶句した。まさか自分たちが目指していたヒノワがそんなことになっていたとは。
「何でヒノワが、そんなことを……?」
アリシアが尋ねる。オルトスは、その前にーー、と前置きしてから、
「ヒノワ村が元々、神軍と対立しているのは知ってるな?」
「うん……確か、ヒノワ村の首長も私たちと同じ世界の敵なんだよね?」
「ああ、そのとおりだ」
「あれ? そうだっけ?」
ど忘れを起こしているカルミナを放置し、アリシアとオルトスは話を続ける。その間、カルミナは必死に思い出そうと頭を回し始めた。
「ヒノワ村は、この世界で唯一、他の神を信仰している村なんだ。だから、あのクソ神からは当然、異端者扱いされてる」
「その、他の神って?」
「お前ら、竜は知ってるか?」
「「竜?」」
カルミナとアリシアは同時に首を傾げる。どうやら知らないようだ。オルトスは、仕方ない、と言いたげなため息をつきーー、
「竜というのは、かつてこの世界を滅ぼそうとした化物のことだよ。頭に黄金の角、純白の身体、背中に巨大な二つの翼、そして鞭のようにしなやかな尻尾。こいつが歩くたびに、大地は割れ、大気は灼熱にもなれば、極寒にもなったりした。竜はこの世界と、この世界に住む生命を残らず駆逐するために暴れまわったと言われてる」
「あっ! なんかそれ、小さいときにおとぎ話で聞かされたことある!」
カルミナが思い出したように大声をあげた。オルトスはカルミナに、だろ?、と言わんばかりの視線を向ける。
「普通、皆子供の時によく聞かされる話なんだがな。まあ、アリシアは記憶が無いから仕方ないとして……話を続けるぞ?」
「あ、うん。お願い」
オルトスはこほんと咳込み、竜のおとぎ話を再開した。
竜はこの世界に降臨したあと、その圧倒的な力を駆使して世界を蹂躙した。天候すら操る竜に、誰一人として敵わない。
世界があと一歩で滅亡する寸前、彼が現れた。
「それが、人間神アズバ……」
「今は勇者であった頃の影も形もない、耄碌した爺だがな。とにかく、あのクソ神が命をかけて竜を滅したといわれている。当然、犠牲者もいっぱい出た。当時の世界人口の七割らしい」
「七割って……もう想像つかないんですけど」
「俺もだよ全く……今の神軍は元々、ボロボロになっちまった世界を元に戻すために設立されたんだ」
「そうだったんだ……」
「ちなみに、今もアズバが生きているのは、竜との戦いで受けた呪いが原因らしい。まあ、不老を呪いと捉えるかどうかは人それぞれな気がするが」
「ふーん、不老ねえ……」
カルミナはうーん、と唸りながらオルトスの話を聞いていた。そして、今度はカルミナのほうからオルトスに確認の意味が強い疑問を投げかける。
「オルトス、じゃあもしかして、その竜を信仰しているのがヒノワ村なの?」
「ああ、そういうことだ。奴ら曰く、竜は元々この世界の支配者で、俺たちが奴から簒奪したから怒り狂ったとのことらしいぞ」
「ええ~、すごい飛躍してない? それ」
「それは俺も思う。だからヒノワくらいしか信仰されてないんじゃないか?」
まあねぇ、とカルミナは一息つかせながら相槌を打った。この世界を滅ぼそうとした存在を、誰が好き好んで信奉するというのか。それこそ、ヒノワみたいにぶっ飛んだ発想でもなければ、無理な話だろう。
「そんなわけで、ヒノワ村はより警備を固くした。今後は誰であろうと、外から来るものは攻撃するくらい殺気だっているよ」
オルトスの言葉に、カルミナは思わず寒気を感じる。そんな危険な村に、自分たちは行こうとしていたのか。
「なんか……私たちとんでもない所に行こうとしてたみたいだね……ねえ、アリシア?」
カルミナがアリシアの方に顔を向ける。しかし、アリシアは心ここにあらず、のようにボーッと虚空を見つめていた。カルミナは心配になってアリシアに呼び掛ける。
「アリシア? 大丈夫?」
その瞬間、
「えっ? あっ、うん。大丈夫大丈夫……」
我に返ったのか、気の抜けた返事をする。アリシアに大事がないことを確認し、カルミナはひと安心した。
「どうかしたの? ボーッとして……」
「いや……ちょっと、ね」
「?」
アリシアはそのまま、何か思い詰めたように俯いてしまう。カルミナの心に、得たいの知れない不安が募っていく。カルミナが思わずアリシアに尋ねようとしたその時ーー、
「おっと。ここは今、運行禁止のはずだぜ? なぜ馬車を走らせている?」
誰一人、気付かなかった。オルトスの隣に、いつの間にか知らない男が乗っていたのだ。
「なっ……!!」
「残念だが、お前らの旅はここまでだ。忌々しい、世界の敵ども!!」
瞬間、辺りに焦げ臭い刺激臭が充満する。オルトスの耳に、チリチリという音がかすかに聞こえてきた。
「全員! 馬車を降りろおおおおおおお!!!!!」
雄叫びに反応して、全員急いで馬車から飛び降りる。その直後、
ズガアアアアアアアンンンン!!!!!
カルミナたちの乗っていた馬車が、跡形もなく四散した。
「み、皆! 無事か!?」
オルトスは慌てて辺りを見回す。全員、何とか抜け出せたようだ。
「い、一体何が……?」
「来るとは思っていたぜ……ここは絶好の狩場だからな。お前ら神軍にとって!」
「え……? 神軍!?」
カルミナが慌てて前方を見る。そこにはーー、
いつもの白装束に、いくつかの装飾が施されたものを着ている、五人の少年少女が横に一列に並んでいた。そして、その中央にいたのは、サマルカンでカルミナたちを圧倒した神子の筆頭ーー!!
「ロ、ローガス……!!」
己の名を呼ばれ、ローガスはひどく穏やかな笑みを浮かべた。
「やあ、さっきぶりだね。クズども」




