生きることもまた贖罪
【マーリル】
オレが物心ついたのは、生まれた時からだ。
母親のお腹から出されて、生まれて初めて抱き締めてくれたのは父だ、というところまで鮮明に覚えていた。いた、というのはここしばらく、思い出す必要がなかったせいで、その記憶が失くなりそうだったからだ。無理矢理、思い出させられた。
あの時のことはよくわかっていないが、どうやらオレは生まれてきてはいけない存在だったらしい。泣きながらオレを崖から投げ捨てる、あのくそったれ共の顔が嫌でも思い浮かぶ。そんなに泣くくらいなら、オレを捨てるなよ。オレを助けろよ。
思えばオレは……、ろくな大人に出逢わなかった。
下が運良く川だったことと、特異体質の身体のおかげで、オレは奇跡的に助かった。ただ、あの時死んでおけば、まだ幸せだったのかもしれない。
獣に喰われそうになったオレを、助けてくれた物好きがいたのだ。それが、師匠との出逢いだったーー。
「お前は類い稀なる才能を持った、選ばれし子だ。お前には、私の跡を継いでもらうことにする」
オレと初めて会った時にはすでに、うっすらと白髪が生え、顔にも老人に入りかけの人間くらいの皺がチラホラ見えていた。一目で、オレが特異体質であることと、赤ん坊なのにすでに物を考えることができることを見抜いた。
勝ち誇ったような笑みが気持ち悪い、正真正銘のクズ。それが、オレの師匠、もとい先代の《快楽者》だ。本名は、今も知らない。
オレの意思など関係なく、師匠はひたすらオレに地獄のような特訓を施した。昼は鍛練、夜は勉学。おかげで文字も読めるようになったよ。間違えたりなんてしたら、ハンマーで思い切り殴られたんだから。むしろ勉学の時の方が、いっぱい血を流した気がする。
昼の鍛練は、一歩間違えたらあの世行きがザラにあった。何回も罠に引っ掛かって身体がチーズみたいに穴だらけになりかけたり、どこからともなく飛んでくる斧で、頭が真っ二つになりかけたり……挙げ出したらキリがない。
何度も逃げ出したが、その度に捕まってポカスカ殴られた。十回くらいで逃げることをあきらめた。
ただ不思議と、今も昔も、オレは生きることだけは諦めなかった。なんとしても生きていたかった。ここで死んだら、それこそオレを捨てたクズや、師匠のような、オレをいじめるのが大好きなクズのお望み通りになってしまう。むしろ、せっかく育て上げてくれるってんだから、オレはこのクソじじいを利用してやろうと思った。
強くなればいい。強くなれば、何の問題もない。強くなれば、オレの命を脅かす奴らもいなくなるし、何より、オレは自由に生きることができる!
オレの、自由を得るための戦いが始まった。
師匠がオレの自由を認める条件はたったひとつ。オレが、師匠を殺すこと。単純にして至難。なにせ必死に頭をフル回転させながら、肉体の限界を超えてまで殺そうとしてるのに、それを涼しい顔でいなし、なおかつオレを戦闘不能に陥れる男だ。
だが、何としてもオレはお前を殺し、お前を超えてやる。
そしてオレは、自由になるんだーー!!!
そんな決意をして、五年が経ったある日のこと。
師匠は、死んだ。あっけなく、死んだ。それも、家の近くで。オレが発見した時にはすでに、息絶えていた。
何が起きているのか、さっぱりわからなかった。頭の中がグルグルと回り、気持ち悪くなる。オレは、ピクリとも動かなくなった師匠の肉体のそぱまで行って、その顔を覗き込む。
師匠は、満足そうに目を瞑っていた。血まみれなのに、ボロボロなのに。オレ以外の奴に、負けたくせに。
「なぜだ、なぜ死んだ……オレとの約束はどうした……? 勝ち逃げのつもりか? おい!!! 答えろよクズが!! なにあっさり殺されてやがるんだ!! 誰だ? お前を殺った奴は、一体誰なんだああああ!!?」
普段から溜め込んでたモノを、ありったけぶつけた。師匠が反撃してこないのをいいことに、だ。
最後までオレは、卑怯で、逃げ腰な、弱者だ……。
こうして、念願の自由とやらを、オレは手にすることができたのだった。
その後のことは、実はあまりよく覚えていない。とりあえず気ままに生きて、師匠がやり残していた依頼を片付けて、気がついたらオレが師匠の代わりに《快楽者》となって、初めて人を殺してから不思議と愉しくなってきて……
仮初めの強者の称号に酔いしれた、ただのガキに成り下がったのだ。
結局、オレは何のために生きていたんだろう? 何のために人を殺し続けてきたんだろう? 自由を得たはずなのに、何であんなに満たされなかったんだろう?
結局、その答えはわからないままだ。そして、これから知ることもない。なぜなら、オレはこのまま死ぬのだから……。
あの世に行ったら再戦だ。今度こそ、オレの手で殺してやる。そして、オレの力を認めさせてやるんだ。待ってろよ、師匠ーー!!!
やがて、辺りが真っ白に染まり出した。おっと、お迎えのようだ。しかし、悪人が行く死後の世界にしては、やけに暖かいな。まあいい、さっさと向かおう。
そして、オレは目を覚ます。直後、視界に映り込んだのはーー
「あっ、気がついた?」
「…………は?」
地獄でも、ましてや師匠の顔でもなくーー
忌々しい、あの女の顔だった。
~~~~~~
「あっ、気がついた?」
カルミナは、目を覚ましたマーリルの顔を覗き込む。人間の身体に戻っていたマーリルは、訳がわからないと言いたげに、目を細めながら辺りを見渡した。
「ここは……何で、オレ……死んだはずじゃ……」
あの攻撃を浴びてすっかり死んだと思い込んでいたマーリルは、なぜ生きているのか疑問に思いながら、ゆっくり身体を起こす。傍らには、やけにニコニコしているカルミナと、マーリルに手をかざして謎の光を当てているアリシアがいた。そして、少し遠く離れた所から、あの二人のエルフが警戒心丸出しの目線で睨んでいた。
「身体は、なんともなさそうだね」
カルミナがマーリルの身体を隅々までチェックしながら、そんなことを言う。アリシアは集中しているのか、じっと静かに光を当て続ける。じんわりと染みるような暖かさだ。
「……なんでオレを助けた? そもそも、オレは身体を分解されて死んだんじゃ……」
「いや? すぐそこで元の身体に戻って気絶してたよ?」
と、カルミナは近くの場所を指差しながらそう言った。
「……………」
マーリルは黙ったまま、顔を手で覆い隠して俯き始めた。なまじ覚悟を決めてただけに、いざ蓋を開けてみたらただ無様に気絶してただけ。相変わらず自分の身体の頑丈さには頭が下がる。
「落ち着いた? マーリル」
「ああ……もう充分というくらい、無理矢理落ち着かせられたよ。お前らにな」
マーリルは憎々しげにカルミナを睨む。カルミナは呆れたように息をつきながら、アリシアに声をかけた。
「アリシアー、もう大丈夫だってさ。あなたも休みなさいな」
「…………うん、わかった。無事で良かったね」
アリシアも疲れた表情は隠さないまま、マーリルに少し不器用な笑顔を見せた。それを見たマーリルは、さらに不快な気持ちに駆られる。
「言っておくが、情けはいらねえ。オレは元々大罪人なんだ。いっそオレを殺してくれりゃ良かったのに……」
マーリルは顔を再び俯かせ、人生に疲れ切ったような瞳を見せた。赤く艶やかな瞳は、今はどんよりと淀んでいるように見える。
「あなたを殺してしまったら、今度は私たちが人殺しじゃん。私、人殺しだけはしたくないの」
「はんっ! 甘っちょろいことで……。そんなことでこの先、ちゃんと生きていけるのかよ? オレがまたお前らの命を奪いにきたらどうするんだ?」
「その時は、今日みたいにまたぶん殴ってやるわよ」
カルミナはふんす、と腕に力こぶを作りながら自信満々に答えた。マーリルは拗ねた子どものような膨れっ面を見せる。
「どんなに殴られようと、オレを生かしておけばお前らの命を奪いにいくぞ。それでもお前らは、オレを殺さないっていうのか? 一生の付き合いになるかもしれないぞ? オレは自分が勝つまで引き下がらない口だからな」
「いいよ、何度でもどうぞ? その度にあなたをこてんぱんにやっつけてやるから」
「…………あ?」
カルミナの挑発に乗り、マーリルは目一杯の殺意をカルミナにぶつけた。額に青筋を立て、今にも飛びかかりそうな勢いだ。対するカルミナも、自信満々に胸を張り、マーリルを見下ろすような形で睨み付けた。両者、一歩も譲らない。二人の間に、大きな火花が繰り広げられていた。
「はいはい、ストップ。二人とも傷は治ってないんだから」
そう言って割り込んできたのは、さっきまで少し離れた所にいたアートマンだった。マーリルはアートマンにも、今にも噛み付きそうな表情で睨む。
「おー、怖い怖い。この狂犬め、手間かけさせやがって」
「なぜお前らもオレを殺さない? 今ならチャンスだぞ」
「ここでお前を殺したら、お前にリベンジマッチを申し込むことができないだろうが。あんなに好き放題やられて、このままやられっぱなしで終われると思うなよ」
「いや、お前の意思は聞いてない。お前ら神軍だろうが……職務を全うしなくていいのかよ?」
「じゃあ、俺たち神軍やめるわ。それでいいか、シルビア?」
「…………は?」
アートマンはサラッととんでもないことを口にした。マーリルは目の前のエルフの言っている意味がわからず、呆然とする。
「私は、アートマンに任せる。アートマンの言うとおり、私もやられっぱなしは嫌だし」
シルビアもアートマンと同意見のようだ。マーリルは、はじめて出逢うタイプのヒト族に戸惑いを隠せない。
「なぜだ……? オレは、お前たちを殺そうとしたんだぞ? 許せないはずだろう? さらにオレは、もういっぱい人を殺している。罪を償わせてやろうとか、思わないのか?」
マーリルは、何かにすがりつくような声でカルミナたちに問いかける。四人は顔を合わせ、一斉にうなずいたあと、カルミナが代表してマーリルに言った。
「私たちはね、マーリル? あなたには罪を償ってほしいから生かすの」
「……は?」
マーリルは、カルミナが何を言っているのか理解できなかった。構わずカルミナは続ける。
「確かにあなたは許されない大罪を犯したよ。でもね、死を以て償うって一番楽で、何なら償いにもならない、ただの逃げだよ。だって死んだら何もできないんだから。それよりも、あなたは生きて、いろんなヒトから非難を浴びて、なおかつ世のためヒトのために働く。これができてようやく、償いになるんだよ」
「……別にオレは、罪を償うつもりなんか……」
「マーリル」
カルミナはキッ、と鋭い目をしてマーリルを見つめた。マーリルはその赤く燃え盛る瞳を見て、思わずごくりと喉を鳴らす。
「あなたは私たちよりも若いから、まだやり直せる。今のあなたなら、わかるはずだよ。ヒトがどうして助け合って生きるのか? どうしてヒトを傷つけてはいけないのか?」
「…………」
言葉が、出ない。昔の自分だったら、わからないと即答していただろう。しかし、あの光を浴びてからというもの、どうも調子が狂う。
わからない、と即答してしまうのは、カルミナの言うようにいけないことだと思い始めている自分がいるのだ。自分の心を制御できないマーリルは、どう答えて良いかわからずにただ俯くだけだ。
「オレは……」
マーリルが何か言いかけようとした、その時。
「あれえ? 何で神軍の新人たちと世界の敵が、一緒にいるの?」
緊張感の欠片もない、腑抜けた男の声が突如として聞こえてきた。あまりにも突然のことに、五人は戸惑いながらも声のした方向を向いた。
「あ、あ……あの方は……」
その男の姿を見た直後、アートマンとシルビアは凍りついたような表情を浮かべる。二人のただ事ならぬ様子に、カルミナたちはどことなく胸騒ぎがした。
「アートマン、シルビア? どうしたの? あのイケメンさんに心当たりが?」
真っ白く長い髪に、ただならぬ美しさを持った藍色の瞳。二十代くらいの好青年だ。ヘラヘラ笑いながら、こちらに近づいてくる。
「あの人の名はローガス……! 神軍を統括する神の子どもたちの長男……! つまり、ナンバーツーだ!!」




